第14話 揺るがない評価
セシルとシガが何かやらかして青薔薇騎士団に疑われているらしい、という噂が広まるのは早かった。
無理もない。セシルは武勇伝が絶えないお転婆娘だし、シガはたった八年前までラディスタと刃を交えた東大陸の出身なのだ。公演の後、青薔薇騎士団の副団長とその副官が楽屋を訪れたことも俳優たちに知られている。そこに、セシルとシガの仲がいいこと、二人で食事をしに行った夜に何かあったらしいという曖昧な話が結びつけば、一つの噂が完成する。ユーサーとマクシミリアンが劇場を訪れた翌日には、噂は劇団のそこかしこで流れるようになり、そのさらに翌日には、貴族たちの間にも広まっていた。
「ああもうっうざっ」
稽古を終えた直後から贔屓筋や団員たちの好奇の視線になり、どうにか逃れたセシルは一人、廊下で悪態をついた。
今公演中の演目で初めて主役をもらって以来、好奇の目が今ほど強烈なことも、同じ話題を何度もされることもなかった。セシルが並の男より勇ましく、武勇伝があることは周知の事実であるだけに、信憑性があるように思われているらしい。シガとて、そもそも武芸の覚えがあるからセシルに勧誘されたのである。疑う要素は揃っている。
苛々しながらセシルが自分の楽屋へ向かっていると、廊下の向こうから先輩女優たちがやってくるのを見つけ、嫌な顔になった。
どこかに隠れようかと思ったが、残念なことに彼女たちはセシルを見つけるや、ずんずんとこちらに向かってくる。逃げ場はない。
それでも最後の抵抗とばかり、セシルは軽く頭を下げて横を通りすぎようとしたのだが、この前に二人はセシルを呼びとめた。内心、セシルはげ、と呻く。
「あら、セシル。まだ逮捕されてないのね」
「どうして青薔薇騎士団は貴女を牢へ入れないのかしら。貴女みたいな男女でも、副団長さんのお気に召すのかしらねえ」
一人が嘲笑えば、もう一人が追従する。言葉だけでなく吊り上がった真っ赤な唇も毒々しく、いつぞやの演目に登場した魔女のようだ。
団員の中では中堅にあたる彼女たちは、日頃からこうしてセシルに嫌味を言ってくる。彼女たちは贔屓筋の若い富裕層だけでなく人気俳優にも色目を使っているので、容姿端麗な人気俳優であるジュリアスに時折構われるセシルをやっかんでいるのだ。先日の喜劇じみた一場面のこともある。セシルを非難できる材料を見つけて、好機だと思ったに違いない。
その心情がわからないわけではないが、醜い嫉妬をぶつけられると腹が立つ。特に、ユーサーを貶められたのは不愉快だ。
怒りのままにセシルが睨むと、先輩女優たちは目に見えて怯えた。
「あたしのことは、何とでも言えばいいですよ。腹は立ちますけど、あたしは無実ですし」
でも、とセシルは言葉を一度切り、声を強くした。
「ユーサーさんが女にほだされる不真面目な輩だって言われるのは我慢なりません。少なくても、若くてかっこいい金持ちなら誰にでもいい顔してる先輩たちよりずっと真面目で、誠実で、仕事に忠実ですよ」
「なっ……!」
セシルの嘲りに、先輩女優たちの眉が吊り上がった。だが反論できるわけがない。顔と金回りがいい男なら誰でもいいから結婚したい、と堂々と口にし、贔屓筋のみならず仲間にまで色目を使っているのは、他ならぬ彼女たちなのだ。
その結婚したい男たちが逃げだすに違いない魔女の形相を内心で痛快に思いながら、セシルはたたみかけた。
「話したこともない人を噂だけで貶す暇があるなら、新作の科白を早く覚えたらどうです。いい加減覚えないと、役降ろされるんじゃないですか?」
「……!」
朝の稽古でのことをセシルが言外にほのめかすと、二人の頬はたちまち紅潮した。二人は朝の稽古で科白を忘れるという失態を何度もやらかし、監督と講師に怒鳴られたばかりなのだ。これにも言い返せるわけがない。
都合がいいことに、舞台のほうからがやがやと声が聞こえてくる。どうやら楽団員たちだけの稽古が終わったようだ。
先輩女優は舌打ちすると、セシルを睨みつけた。
「っシガとジュリアスさんに気に入られてるからって、いい気にならないことね!」
どこの演目の悪女役かというような捨て台詞を残し、二人はつかつかと足音高く鳴らして去っていく。セシルは二人の背中にべえっと舌を出してやった。
それとほぼ同時に、カイルがセシルのところへ来た。セシルと去りゆく先輩女優たちの背中を見比べる。
「……えーと、修羅場?」
「見たまんまね。ったく、誰がいい気になってるっつーの。しかもユーサーさんのこと貶すし……ふざけんな」
セシルは据わった目でぶつぶつ呟いた。言いたいことは先輩女優たちにぶつけたが、まだ怒りは収まらない。壁を殴りたい衝動を、両腕を組むことで抑える。
どんなやりとりがあったのか、何となく想像がついたのだろう。カイルはあー、と苦笑した。
「どうせ、青薔薇騎士団の副団長に媚売って逮捕しないでもらってる、とか言われたんだろ? そんなの、ありえねえのにな。お前がそういうことするなんて、犬か猫が逆立ちするようなもんだ」
「同感。というか、ユーサーさんみたいに真面目な人が、顔見知りだからってそんな優遇してくれるわけないし。あちこちに媚売ってる自分を棚に上げるなっての」
「……セシル、とりあえず落ち着け。ここは廊下だ」
かっかしているセシルに、カイルが冷や汗を流して冷静になれと促す。ちらちらと周りを見ているのは、誰か来ないか様子を窺っているのだろう。しかしセシル自身は、これでも充分冷静になっているつもりだ。ここで当たり散らさないのだから。
あそこにいても仕方ないと、廊下を歩きながら二人は会話を続けた。
「アマンダさんたちもいい加減、お前のこと無視すればいいのにな。ジュリアスさんは、お前をからかって遊びたいだけなんだし。シガだって多分そうだし」
「それしかありえないだろ。ジュリアスさんは見た目のまんま人で遊ぶの好きだし、シガも見た目より性格悪いし」
「だよなあ……で、実のところはどうなんだ? 捕まるようなやばいやったのか?」
呆れの息をつき、カイルは率直に尋ねてきた。セシルは内心でぎくりとしたが、いつか聞かれるだろうと思ってはいたから顔に出るほどではない。平静を装い、んなわけないだろと否定した。
「シガとご飯食べに行った帰りに、よくわかんない奴らに追っかけられてた奴を助けただけだよ。でも実はそいつ、宝石商のデュジャルダン氏が持ってた宝石を盗んでた上、あたしらが助けた後に殺されたらしくてさ。まだ盗まれた宝石が見つかんないからって、ユーサーさんたちが探してるわけ」
セシルが説明すると、カイルは眉をひそめた。
「何だよそれ。宝石商のとこから盗まれた宝石が行方不明ってだけで、なんでわざわざ青薔薇騎士団の副団長と副官が探してるんだ? そんなに重要なものなのかよ」
「さあなあ。でもバイヤール夫人に聞いた話だと、デュジャルダン氏ってあちこちに伝手があるみたいだからさ。そういうので圧力かけてたんじゃない?」
「ああ……その場合もあるかもな」
セシルは肩をすくめてみせると、カイルは一人何度も頷き、納得した。主役を得てはいないものの、端役ばかりのカイルとて、少しはいる贔屓筋と楽屋などで接するリヴィイールの一員なのだ。己の肩書や財力に酔った者たちのことは、よく知っている。
そんな話をしているうちに、セシルの楽屋が近づいてきた。けれど話を続けたくて、セシルは廊下の角を曲がった。カイルもそれに倣い、物陰で壁にもたれる。
「まあ、今のところは皆、お前が何かやったかもしれないけど大したことはないだろって感じだから、噂もすぐに消えるんじゃね? お前の武勇伝なんて今更だし。シガのほうも上手く流してるみたいだし」
「あーうん、そんな感じだよな」
今まで聞いた人々の声を振り返り、セシルは遠い目になった。
カイルが言うように、今回の一件について、リヴィイールの団長以下多くの俳優たちは噂しているものの、大したものではないと考えているところがある。もちろん、好意的な者ばかりではない。だがセシルは絡まれても今回のように言い返していたし、シガも上手くあしらい、いつもと変わらない爽やかな笑顔を振りまいている。そのためか、今のところは二人とも贔屓筋の人々が急速に離れていくようなことはなく、今までと変わらない役者生活を送れているのだった。
「ま、悪いことしてねえんなら、流れに任せておけばいいんじゃね? この際、追われてる犯人の気持ちの勉強中とでも思ってやってればいいだろ。副団長さんには悪いけど」
「……そうだな」
軽く息をついて、カイルは軽く言う。何も知らないのだから当然だ。セシルは、幼馴染みにどうにか相槌を打つことしかできなかった。
本当はシガ共々法律違反なことをしているのだと、カイルに話すことは絶対にできない。違法術具の所持だけでもまずいのに、宝石泥棒の隠匿なんて、露見すればリヴィイールに多大な迷惑がかかるに決まっているのだ。それに、『女であるからには、腹をくくったら何が何でもそれを守り抜け』が母の教えである。シガがあの黒い宝石の探究に飽きてデュジャルダンに返すまで彼を守ると決めたのだから、セシルは誰にもこの犯罪行為を打ち明けてはならない。
「ともかく、お前がやばいことになったらリヴィイールにも迷惑がかかるし、おばさんとおじさんも悲しむんだからな。あんまり妙なことには首突っ込むなよ」
「わかってるよ」
ごめん、突っ込んでるのはもう首どころじゃないんだよ。
むくれた顔を作りながら、セシルは心の中でカイルに全力で謝った。
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