第5話 青薔薇騎士団
黒づくめの男たちが夜闇に溶けるのを呆然と見送ったセシルは、長い息をついて短剣を地面に落とした。からんからん、と高い金属音が周囲に響き渡る。
「おい、大丈夫か兄ちゃん」
「ああはい、大丈夫です」
髭面の兵士に声をかけられ、セシルは生返事を返す。男だと誤解されているようだが、いつものことだし、何より誤解を説く気力もなかった。
そこでセシルははっと気付き、慌てて辺りを見回す。そうだ。シガは。
「シガっ大丈夫か?」
「俺は無事だよ。君こそ怪我はない?」
「うん、ないよ。疲れたけどな」
互いの無事を確かめ、二人してほっと息をつく。戦闘中は目の前の敵に夢中で、シガのことを気にしている暇はほとんどなかったのだ。黒づくめの男の攻撃をかわしているところを一瞬見ただけである。
そこに割り込んできたのは、聞き覚えのある声だった。
「……もしや、セシル殿か?」
「はいそうですけど……って、ユーサーさん?」
深く張りのある声に振り返ったセシルは、少し驚いた表情の顔見知りを見つけ、自分も目を丸くした。
腰に剣を佩いた、二十代の青年である。藍色の髪に飾られ、同色の瞳を嵌め込んだ顔立ちは男らしくも端整で、黒い生地に金糸の装飾がされた制服をまとう身もまた、鍛え抜かれて無駄なものがないと一目でわかる整いようだ。さらにどこか物憂げな、夜闇に溶けてしまいそうな静けさを漂わせている。シガとは異なる意味で、女性の目を惹きつけずにはおかないものを彼は持っていた。
ユーサー・クヴィル・コルブラント。武人の名門コルブラント家当主の実弟である。セシルは一ヶ月ほど前、ふとしたことから彼と顔見知りになっていた。
ユーサーの部下たちは、上司が口にした名に大いに反応した。ある者はセシルを、またある者はシガを見る。
「セシルってもしかして、あのセシルか? リヴィイール劇団の、男役ばかりするっていう女優の。でもって、そこにいる東大陸人は……」
「ええ、リヴィイールの女優のセシル・カロンと、女に大人気のシガ・キョウです。すみませんね、紛らわしい外見で」
やっぱり間違えられたか、とセシルは苦笑した。
シャツにズボンにブーツ、上着は暗い色のコート。髪はうなじのあたりでまとめている。しかもこの夜闇と声音だ。どこからどう見ても女には見えないだろう。
シガがリヴィイールの裕福な常連とは到底思えない者たちのあいだでも名を知られているのも、東大陸出身であることが一因だ。東大陸人はラディスタにあまり住んでいないし、ラディスタやその隣国ではそれほどいい印象があるわけでもないのだが、端麗な容姿と柔らかな物腰から富裕層の若い女性を中心に人気があり、そこから巷に名前が広まっているのだ。下町出身で男役ばかりする、そして武勇伝がある女優のセシルとよくつるんでいることも、シガが庶民に知られる要素の一つだった。
騎士団員たちはきまり悪そうに頭を下げた。
「す、すまん。てっきり男だと……」
「別にいいですよ。真っ昼間でも間違われてますから、こんな夜中じゃ仕方ないです。というか、そっちのほうが大多数ですし」
セシルはそう、へらりと笑って流す。性別を間違えられることは、セシルにとって幼少時から日常茶飯事なのだ。今更腹は立たないし、夜中に見間違えられるのは当然としか思えない。
青薔薇騎士団員たちの誤解が解けたところで、ねえ、とシガが口を挟んできた。
「セシル、彼は誰だい? 知り合いのようだけど」
「ああ、ユーサーさん。コルブラント家の御曹司さんで、青薔薇騎士団の副団長だよ。最近、うちの店に依頼してくれたんだ」
「なるほど」
納得したようで、ユーサーのほうを見ていたシガは頷く。そうしてようやく、二人の前まで来ていたユーサーが口を開いた。
「セシル殿、一体何があったのだ? 見たところ、公演の帰りのようだが」
「それは、こっちが聞きたいくらいだよ」
そう答えたのは、両腕を組むシガだった。
「セシルを夕食に誘ったついでに家まで送ってる最中に、眦に傷のある男が俺たちの前で転んだんだよ。それで、セシルが彼の荷物を拾うのを手伝おうとしたら、さっき逃げた黒づくめの人たちに囲まれたんだ」
「眦に傷のある男?」
ユーサーが眉をひそめると、ああ、とシガは頷いた。
「黒づくめの人たちは、彼が狙いだったようでね。立ち去れって脅されたんだけど、彼女が彼を引き渡さないって啖呵を切ったんだ。それで、俺たちまで襲われたんだよ」
「だ、だってあいつら、怪我してる奴から三人がかりで宝石をぶんどろうとしたんだぞ? ほっとけないだろ」
シガにちらりと視線を向けられ、セシルはたじたじになって弁解した。彼らに啖呵を切ったことは後悔していないが、シガも一緒にいたのだ。そこは反省点かもしれない。
「って、そういやあの男の人は?」
そう言いながら周りを見回したセシルは、あの眦に傷のある男がどこにもいないことに気づいた。
「あの男は、副団長殿たちがやってくる前に逃げたよ」
「逃げたのかよ……」
シガの苦笑に、セシルは脱力した。別に礼を言われたかったわけではないし巻き込まれたのはセシルの勝手だが、それでも何も言わず逃げたというのを聞くと、むなしさが先に立つ。体調不良の身で黒づくめの者たちと戦ったのは、一体なんだったのか。
セシルが複雑な思いをしていると、ユーサーは黒い刃の短剣をセシルに見せた。
「セシル殿。こういう黒い短剣を、父君……鍛冶屋は打ったりするのか?」
「いや、ないですね。西のほうの国にはそういう素材があるみたいですけど、ラディスタじゃまず出回らないし、高いからうちみたいな小さいところじゃ買えないって聞きました。そもそも、黒い刃の短剣なんて注文がくることすらないですよ。少なくても、あたしは知りません」
尋ねられ、セシルは即答した。鍛冶屋の娘として、素材やその流通についての知識は基礎程度は父から教わっているのだ。父の工房や店先でも、黒い刃の刃物なんて見たことがない。
それに、母やその元仲間たちから教えられた知識と叩き込まれた感覚もまた、セシルに一つの見解を教えてくれていた。
「あの、ユーサーさん……」
「? セシル殿、どうした」
セシルがおずおずと声をかけると、部下たちに指示を出し終えたユーサーは振り返った。それを申し訳なく思いながら、セシルは小さく首を振る。
「いえ……あたしの勘違いだったらいいんですけど…………さっきの黒づくめの人たち、なんか、やたらと心臓とか喉を狙ってきてた気がするんです。それも、かなり正確に」
「急所を?」
「はい。母は元傭兵で、昔の仲間の人たちもたまに家へ来るんであたしも武芸は教わりましたけど……教わったのと違う雰囲気の動きだったのが、気になるんです」
もちろん、剣技は人や流派によってそれぞれだというのはセシルも知っている。それに剣技は本来、人を殺すためのものだ。心臓や喉を正確に狙うのは当然だろう。
けれど、あんな闇に紛れるためとしか思えない身なりをして、黒い刃の短剣を執拗に急所へ向けていたのだ。普通の傭兵や賊とは思えない。
シガは顎に指を添えた。
「……つまり、セシルは彼らが暗殺者か何かだったかもしれないと考えてるのかい?」
「うん…………突飛な考えだとは思うんだけどさ」
「いや、あながち突飛とも言いきれない。黒い刃の短剣など、普通の剣士は使わない。持っていたとしても装飾用だ。それを実際に用いるのは、そういう文化の地域出身でなければセシル殿が言うように、暗殺者や間者の類くらいだろう」
セシルが自分で否定したのに、ユーサーは思慮に半ば沈んだ目で肯定する。生まれついての騎士からの思わぬ援護に、セシルは顔を引きつらせた。舞台で演じることはあれど現実では一生無縁だと思っていた職種との遭遇の可能性に、内心で呻く。
どうしてそんな非日常な職種の人間が、こんなところをうろついているのだ。存在するとは母たちから聞いているが、こんな夜の町で出くわすなんて、ありえないだろう。眦に傷のある男を助けたことをセシルは一瞬後悔したが、今更遅い。
「……セシル殿、大丈夫か? 顔色が悪い」
「ええ、まあ……」
「セシル、無理をしないほうが良いよ。……じゃあ副団長殿、俺たちはこれで帰っていいかな?」
「ああ。大丈夫だと思うが、念のため気をつけてくれ。逃げた者たちがどこにひそんでいるか、わからないからな」
「ああ、もちろん。……じゃ、行こうセシル」
「あ、うん……ってシガ、あたしの家まで行くつもりか?」
シガに促され歩きかけたセシルだったが、はっと気づいて彼を振り返った。シガの自宅は、セシルの家とは違う方向だ。あんなことがあったのだから、早く帰ったほうがいいに決まっている。
だというのに、シガはあのねと腰に手を当てた。
「セシル、副団長殿がさっき言っただろう。逃げた黒づくめの者たちがどこへ行ったかわからないって。それに君、顔色があんまり良くないじゃないか。そんな顔色をした女の子に、一人で夜道を歩かせるわけにはいかないよ」
「いやでも、ここから家が遠いシガも危険じゃ」
「俺より体調不良の女の子のほうが、よっぽど狙われやすいに決まってるだろう。ここからそんなに離れてないんだから、大人しく送られなよ」
「私も同感だ。セシル殿、彼に送ってもらったほうがいい」
セシルが反論するも、シガはまるで取り合ってくれない。しかも、ユーサーまで彼に味方するのだ。セシルの味方はどこにもいない。
かといって納得できず、セシルが口をへの字に曲げていると、シガはセシルの手をとって強制的に一緒に帰ろうとするのだから、セシルは慌てた。
「ちょっシガ!」
「では失礼、副団長殿」
セシルが抗議しても、シガは聞かない。実ににこやか、というよりは何故か楽しそうな表情でセシルを連行していく。意味がわからない。
手を振りほどこうと抵抗してみるが、まったく無駄だ。セシルは逃げるのを諦めるしかなかった。
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