第4話 夜闇から現れるもの

「……ってことがあったんだ」

「ふうん、なるほどね」


 舞台を終え、今夜も二人で行きつけの店での食事を済ませた帰り。休日にあった出来事をセシルが話し終えると、シガはそう何度も頷いた。


「青薔薇騎士団の副団長の副官殿か……話には聞いたことがあるよ。女性からの人気が高くて、その手の噂も絶えない人物らしいね。君がそんな奴の毒牙にかからなくてよかったよ」

「シガ……あたしがあんたに聞きたいのは、そっちじゃないんだけど。あの体調不良の原因をどうにかする方法について聞きたいんだよ」


 どうしてそんなことを気にするんだとこめかみに手を当て、セシルは聞きたいことを尋ねる。どうせシガは、この奇妙な女優をからかおうとしただけに違いないのだ。一々気にするほうが馬鹿というものだろう。

 だって、とシガは反論した。


「君は年頃の女の子で女優で、色恋話なんてしょっちゅう見聞きするはずなのに、全然男に免疫がないみたいだからね。ああいう口の上手い遊び人は、君みたいに素直な子を言いくるめるのはお手のものだし。騙されたりしないか心配なんだよ」

「はいはい、こういうときだけシガは年上になるよな。……で、シガ。やっぱりこれ、魔術酔いだよな」


 母親のようなシガの説教は聞き流し、セシルは話を聞きたいことに向ける。シガはようやく話に乗ってくれて、だろうね、と肯定した。


「俺もその画廊に行ったから、奥の部屋のことはわかるよ。あのくらい厳重に術具で守ってあったんだから、君の身体が反応しても不思議はないんじゃないかな」

「あー、やっぱりそうだよな……」


 予想したそのままの答えに、セシルはげんなりした。


 セシルは幼い頃から、魔術に対して過度に反応する体質を持っている。それも、自分に作用するものに限って強く反応するという奇妙かつ厄介極まりないもので、たとえば治癒の魔術を向けられても目眩や吐き気に悩まされるのだ。魔力を感知することができるのは魔術師の素質の一つであるが、ここまでくると素質というよりただの拒否反応と言っていいのではないか、とセシルは常々思っている。

 さいわい、日常でセシル個人を対象にした魔術に遭遇することはあまりないので、それほど意識せずに過ごせてはいるのだが、厄介な体質であることには変わりない。どうせ魔術師になるつもりなんて、さらさらないのだ。こんな体質は欲しい人にくれてやりたいというのが、セシルの率直な本音なのだった。


「なあシガ、この体質どうにかするような術具ってないのか? もちろん合法なやつで」

「ないね。俺や知り合いが持ってる術具に体質を変える類のものはないし、他の人も持ってないんじゃないかな。魔力に関する生来の感覚を無理に抑えようとすると感覚そのものに異常を起こすって実験結果が、かなり昔に東大陸で出てたと思うよ。諦めるしかないね」


 駄目もとでセシルが言ってみれば、シガはあっさりとセシルのかすかな希望を切り捨てた。


 西大陸のどの国も魔術の研究に熱心だが、東大陸もまた独自の術体系が発達しているとセシルは一般常識として聞いている。東大陸出身で術具の収集と改造の趣味の男が言うのだから、間違いないだろう。

 セシルが肩を落とすと、シガは不思議そうに首を傾けた。


「そんなに困ってるの? その体質で」

「や、そこまで困ってるってわけじゃないんだけどさ……魔術師に目ぇつけられたかもしれないと思うとね……」

「ああ……確かに、面倒になるかもしれないからね」


 セシルが憂鬱そうにため息をついてみせると、シガは納得した。


 魔術師と呼ばれるほど素質を鍛えて才能を開花させた者は、他の魔術師の素質に敏感だ。その上、魔術の研究や術具の開発に情熱を注ぐ魔術師の中には、助手や後継者、被検体になってくれそうな者の発見と勧誘にも熱心な者も少なからずいる。セシルのように魔術に関わる素質を強く備えている者は、目をつけられやすいのだ。


 宝石展のあの部屋の扉付近にいた警備員の魔術師がセシルを注視していたのも、セシルが魔術師の素質を備えていると見抜いたからだろう。それでも無礼な真似をしてこなかったのは、仕事中だと自制したからか。見つけられたのがあの場だったのは、不幸中のさいわいだ。

 シガはくすくすと笑った。


「でもまあ、君の贔屓筋はバイヤール夫人以外にも有力者がそれなりにいるんだし、通りでさらわれない限りは魔術師に目をつけられても大丈夫じゃないかな。会ったことはないけど、バイヤール夫人は君を可愛がってくれてるんだろう?」

「まあな。貴族だからって偉ぶったところのない、いい人だよ。お菓子をよくくれるし。宝石展も、そういやそういうのやってますよねーでもあたし宝石なんてよくわかんないんですって世間話で言ってたら、誘ってくれたんだ」

「なるほど。でも、宝石展に行きたかったなら俺を誘ってくれたらよかったのに。特にあの部屋に置いてあったやつなんか、詳しく解説してあげられたんだよ? デュジャルダン氏は魔術にも造詣が深くて、魔術師の研究の支援もしてるって聞いたから行ってみたんだけど、噂以上に彼、魔術師のいい理解者のようだね」

「やっぱシガ、あれが目当てだったのかよ……」


 うっとりと話す後輩を、セシルは呆れた顔で見た。予想に違わない浮かれようである。


「あんたがなんで術具職人にならなかったのか、不思議だよ」

「ブリギットに来たばかりの俺を、リヴィイールに誘った君が言ってもねえ。あのとき、かなり強引だったよ?」


 と、シガは意味ありげに横目を向ける。反論のしようがない事実に、セシルはうっとなった。


 半年前、リヴィイールは、公演中の演目に登場する東大陸人役の俳優が怪我で出られなくなってしまい、代役を探していた。それなりに科白の量が多い上、殺陣や乗馬もこなさなくてはならず、他の団員では演じるのは難しかったのである。かといって、殺陣や乗馬の場面を変更するわけにはいかない。監督も演出家も頭を悩ませていた。

 そんなとき、町を歩いていたセシルの目の前に、東大陸人の青年が現れたのである。しかも、暴漢に絡まれているところを助けて話を聞いてみれば役者経験ありで、武芸も乗馬もできるときた。こんな優良物件、逃がすわけがない。


「まあ、俺は嬉しかったけどね。歳下の女の子に『貴方じゃなきゃ駄目なの』って言ってもらうなんて、男冥利に尽きるし」

「……頭に花が咲いたようなこと言ってると、そのうちホントに花が咲くぞ、シガ」


 年上の後輩に冷めた視線を投げつけ、セシルは言ってやる。青薔薇騎士団副団長の副官の話題に真っ先に食いついてきたのは、同族嫌悪ではないだろうか。セシルは半ば本気でそう思った。

 ひどいなあ、とシガが口を尖らせたそのときだった。


 荒々しい足音が、夜中の通りの静けさを乱した。かなり急いだ調子だ。全速力かもしれない。

 なんだ、とセシルが眉をひそめた直後。生成り色のマントに鈍色のブローチという身なりの男が、二人が入ったばかりの小路の向こうから姿を現した。金髪碧眼に飾られた顔は何かに追われていそうな死に物狂いの形相で、今出来たばかりなのだろう眦の生々しい傷が明かりに照らされる。

 覚えのある感覚に襲われ、セシルは思わず立ち止まった。そんなセシルのそばを、男が通りすぎようとする。

 が、足がもつれたのか男の身体が不意にふらつき、路地に倒れた。その衝撃で、男が肩から提げていた鞄の口が開き、箱やら奇妙な道具やらが路面にぶちまけられる。

 感覚に囚われかけていたセシルははっと我に返ると、男に駆け寄った。立ち上がろうとする男を助け起こす。


「大丈夫ですか?」

「あ、ああ…………っ宝石が……!」


 呻きながらもなんとか答えた男は、はっとした様子で周囲を見回した。蓋が開いた木箱を見て、突然慌てだす。


「あたしも一緒に探しますよ。宝石を拾えばいいんですね?」


 言って、セシルは辺りを見回す。しかし、ずきりと頭に痛みを覚えて顔をしかめる。

 これは、まずいのではないだろうか。セシルは心の中で焦った。宝石を探す男へ向けそうになった視線を、セシルは慌てて別の方向へ向ける。

 その、視線の先。街灯の光も届かない暗がりを見つめた途端。


「……!」


 まるで何かに呼ばれたかのように、セシルは暗がりへ近づいた。

 いや実際、呼ばれているような気がしてならないのだ。懐かしさを超えているとしか表現しようのない、身体に馴染んで溶けていくような感覚をセシルは他に知らない。どうしようもなく嬉しくて、そちらへ駆けていきたい衝動が、頭痛と吐き気で少々思考が怪しくなっているセシルを突き動かす。

 身体の不調に顔をしかめながら膝をつき、セシルは暗がりへと手を伸ばす。そして、指先が冷たい何かに触れ、ちり、と魔力がセシルの全身へと伝わってきたその瞬間。


 セシルの視界に、暗がりよりも尚深い闇と何本もの銀の鎖を内包した、黒い宝石の姿がはっきりと映った。

 吸い込まれる――――――――


「……っ!」


 思わず、セシルはその場から飛びのいた。しかし頭痛と吐き気で頭がくらりとして、身体から力が抜けてまた膝をついてしまう。


「セシル? どうしたんだい? 見つけたのかい?」

「い、や…………」


 一緒に探してくれていたのか、シガがセシルのほうへとやってきた。心配そうな顔で、セシルの顔を覗き込む。

 一体どう言えばいいのだろう。セシルは逡巡した。

 見つけたことは見つけたが、男が探しているのはさっきセシルがシガに話した、デュジャルダンの画廊で見た黒い宝石に違いない。――――つまり、男は宝石泥棒なのだ。

 今ここでそれを明かして、大丈夫なのだろうか。自分の体調がよろしくないことを踏まえると、セシルは踏み切ることができない。

 ――――でも、この宝石を渡すわけにはいかない。


 セシルは覚悟を決めた。深呼吸すると、もう一度暗がりに近づいて膝をつき、宝石に手を伸ばす。

 しかし――――――――


「セシル」


 シガが緊迫した声で名を呼んだ。セシルははっとして、立ち上がって周囲を見回す。


「――――!」


 満月に照らされた人気のない小路に、いつの間にか黒い者たちが現れていた。彼らは三人ともどの文化のものともつかない黒い外套をつけ、黒い長布で目以外の顔の部分を隠している。その顔で唯一見える目の色も落ちる影ではっきりとはわからず、体格がそれぞれ違うものの、それ以外の個性はまったくない。まるで未完成の人形のようだ。セシルはその不気味さに、思わず手を握りしめた。


 黒づくめの三人組の一人が口を開く。布で口元が隠れているのに不思議と聞き取りやすい、抑揚のない声だった。


「その男と宝石を渡せ」

「大勢で人を追いかけ回す奴に渡せって? やなこった!」

「ちょ、セシルっ?」


 セシルが後先考えずに啖呵を切る。シガはぎょっと目を見開き慌てた。

 仕方がない。眦に傷のある男は、宝石泥棒に違いないのだ。かといって、この黒づくめの者たちが宝石展やデュジャルダンの魔術研究所の関係者であるとも到底思えない。こんな身なりの者たちをまともな職業の人間だなんて、一体誰が思えるだろう。――――どちらにも渡せるはずがない。


「ならば」


 死ね、と言うが早いか、黒づくめの者たちはセシルたちに躍りかかってきた。


「セシルっ」


 言葉と同時に、シガがセシルの身体を引き寄せた。つい先ほどまでセシルがいたところを、短剣が貫く。

 続いてもう一人が薙ぐ短剣はシガと同時に跳んでかわし、セシルは邪魔な鞄をその場に置くや、襲ってきた一人の手首を思いきり蹴って短剣を落とした。宙を舞った短剣を掴みとり、線の細い黒づくめの攻撃をかわし、いなし。セシルは黒づくめの者たちに立ち向かう。


 セシルがこうも見事に戦闘ができているのは、母とその元仲間たちのおかげだ。セシルの父は鍛冶屋だが母は元傭兵で、護身の名目で娘に武芸を叩き込み、たまに家へ遊びに来る母の元仲間たちも面白がってそれに加わった。稽古はなかなか厳しかったし、女優業をやっている今でも休みの日に教えてもらうことがある。おかげで体術と剣技は、セシルの骨の髄まで染みついていた。


 しかし、そうして身につけた身体能力も、この体調不良では本来の力を出しきることができない。積極的な攻撃などできるはずもなく、よけるのがせいいっぱいだ。一体いつまでかわしてりゃいいんだよ、と、啖呵を切ったことを後悔してしまう。

 黒づくめの者の攻撃をどうにかかわし、いい加減にしろとセシルが心の中で罵ったそのとき。突如空気がざわりと蠢き、セシルのうなじから背筋にかけてひやりとしたものが走り抜けた。鍛錬で剣を突きつけられたときのような感覚だ。あの、命の危険を感じたときの感覚。


 セシルは視界の端に映る、自分を見つめる黒づくめの華奢な者が危険だと直感した。突っ立っているだけだが、絶対に危険だ。確信のまま、その黒づくめの者めがけて走りだす。

 が、先ほどの男がそれを阻む。横を通り抜けようとするが彼は強く、攻撃を受け止めるのがせいいっぱいだ。苛立ちと焦りが募る。


「炎よ、貫け!」

「!」


 黒づくめの男――いや女の叫びと同時に、セシルは何も考えずにその場を飛び退いた。直後、セシルが一瞬前までいた場所のすぐそばに、燃え盛る炎の柱が立ち上る。

 セシルの背筋が粟立った。


「魔術……!」


 黒づくめの男におかしな宝石と剣、その次は魔術。わけがわからないと、セシルは悲鳴に似た混乱の声をあげる。一体どこの物語か舞台だ。自分はこんな舞台、今まで演じたことがない。

 黒づくめの女は舌打ちすると、またセシルに襲いかかってくる。その刃を、セシルが短剣で受け止めたときだった。


「おいっ何をしている!」


 荒々しい足音がいくつも聞こえたかと思うと、街灯ではない別の明かりと男の声が投げかけられた。セシルがはっとそちらを見れば、暗色の制服を着た男が数人、厳しい表情をして乱闘の現場に駆けつけている。ブリギットとその近辺の治安維持を任務とする、青薔薇騎士団の者たちだ。

 黒づくめの者たちは攻撃をやめると、足音もなく夜闇に駆け込んだ。団員たちが追いかけるが、黒づくめの姿が消えるほうが早い。宝石を巡る乱闘というには、あまりにもあっけない幕切れだった。

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