第20話 甘い男・2

 とはいえ、己の出自という重苦しい問題は多少解決の糸口が見えたものの、悩みがすべて消えたわけではない。セシルのため息はまだ途切れなかった。


「過去の話はどうでもいいとして。今は今で、どうすりゃいいのかな……」

「そうだね。僕たちが黒い宝石を持ってないと、宝石を狙ってる奴らに証明できればいいんだけど……」

「そんなの、シガがあの宝石をユーサーさんに渡したら済む話だろ。まさかシガ、この期に及んでまだちょろまかしとくとか言わないよな?」


 ふざけんな、とセシルはあやうく言いそうになった。あの宝石がセシルと関係ないところで発見されない限り、セシルは痛くもない腹をマクシミリアンに探られ、黒づくめの者たちや昨夜の男たちの仲間に狙われるかもしれないのだ。

 わかってるよ、とシガは小さく両手を上げた。


「もちろん、君の身の安全は最優先にするよ。俺だって、ただあの宝石を眺めてたわけじゃない。俺なりに隠蔽工作の方法を考えてたんだよ?」

「ふうん、どんな?」

「これだよ」


 言って、シガは鞄から二つの深緑の巾着を取り出した。シガがセシルにくれたものと同じ色と布地の巾着だ。

 シガは、無言で二つから中身を取り出した。巾着から出てきた二つの物――黒い宝石を見て、セシルはぎょっとする。


「それ……」

「うん。君なら違いがわかるだろう?」


 にっこりとシガは笑った。

 わかるのも何も、一目瞭然だ。片方は宝石の中に鎖が見えるのだから。目眩と吐き気も襲ってきている。間違いなく、セシルが死体のそばから拾った宝石だ。もう片方には鎖が見えないから、偽物であるのは間違いない。

 しかし、まとう魔力の強さとセシルにしか見えない鎖以外では、二つの宝石に明らかな違いがあるようには見えない。宝石の形も色も、寸分違わない。同じ型から造られた置物のようだ。

 セシルの健康を考えてか、シガはすぐに二つの宝石を巾着へ再びしまった。頭痛と吐き気が速やかに止み、セシルはほっと息をつく。


「……あたしから見て右のが偽物だったよな。そういやシガ、その石にかかってる術の解析をしてたんだっけ」

「ああ。その解析結果をもとに、大急ぎで作ったんだよ。まあ所詮偽物だから、まともに研究されたらばれてしまうだろうけどね。でも見た目はそっくりに仕上げたし、こちらでいうところの魔術もできる限り似せてある。だから、これを副団長殿かデュジャルダン氏が見つけやすいところに転がしておけば、俺たちから目を逸らせると思うんだよ」

「うーん、でも、本物と偽物の違いがそうもはっきりしてると、話が面倒になってこないか? マクシミリアンさんはあたしの目のこと知ってるし。けど、あの人を黙らせるなんてどうすりゃいいのか……」


 監禁でもしろってのかよ、とセシルは頭を抱えた。

 本性は疑り深いに違いないマクシミリアンのことだ。黒い宝石が発見されたと知ればまず間違いなく、セシルに鑑定させようとするだろう。仮にそこで上手くごまかせたとしても、いずれ偽物であることは気づかれる。そうすれば、セシルは虚偽の証言をしたと追及されてしまう。いやその前に、特異な目を持つことで魔術師たちの研究対象にされてしまうかもしれない。

 どちらにせよ、セシルが黒い宝石の鑑定をさせられるのは絶対に避けなければならない。しかし、マクシミリアンを監禁なんてできるはずもないし、したところで無意味だ。どうすればいいのか。

 そんなセシルに、ああでも、と歌うようにシガは言った。


「一つ、黒づくめの男たちから逃げるいい方法があるよ」

「……あるのかよ、そんなの」


 じとりとセシルは疑いの目をシガに向ける。そんなものがあるなら是非とも実行したいが、何しろシガが言うことである。嫌な予感がしてならない。

 セシルのその勘は、的中した。


「俺と君、二人でブリギットを出て旅をすればいいんだよ」

「――――はあ?」


 にっこりと笑みを浮かべるシガのとんでもない発言に、セシルは声を裏返らせた。意味がわからない。そんなことできるわけがないのに。

 だというのに、シガは一人で納得して話を続けるのだ。ぎしりとソファをきしませて、セシルににじり寄る。


「ちょっシガ近いっ……!」

「うんそうだ、いっそ今から旅に出ようよ、セシル。ご両親とカイルたちには書き置きして、この石を副団長殿に渡して、西大陸をあちこち回るんだ。エルデバランは今色々とややこしいらしいから、他の国がいいな。それで、ほとぼりが冷めたら帰国すればいい」


 セシルが真っ赤になっているのを無視して、名案だろう、とでも言うかのようにシガは首を傾け、提案する。いつも以上の笑顔は少年のように悪戯っぽく、それでいて心をとろかす甘さがある。

 さらには、セシルの指に自分のそれを絡めてくるのだ。セシルの背筋はぞわぞわと粟立った。


「シ、シガっからかうなっ!」

「からかってないよ、割と本気だよ? 君と二人きりで旅をするのは、楽しいに違いないもの」

「あたしをからかって遊ぶ気満々だろ……!」


 間近で見る楽しそうな顔、甘い声からは、そんな意味と未来しか読み取れない。見た目に反した黒い性格は承知済みだ。


「大体、できるわけないだろ! リヴィイールのことがあるし、あたしがいなくなったら母さんたちが狙われるかもしれないし……!」

「それは大丈夫なんじゃないかな。無関係に違いない人を巻き込むほど、あちらは暇でも馬鹿でもないと思うし。もちろん、俺たちのほうに襲ってきたら、俺がセシルを守るよ」


 言ってシガは、絡めとっていたセシルの指に自分の唇を寄せた。前に一度頬に残った感触が、今度はセシルの指先に落ちる。


「っ……!」

 ざらついた柔らかく生暖かな他人の感触に、セシルは息を飲み、硬直した。頭の中が真っ白になって、思考が一瞬停止する。

 だから当然、ジュリアスにからかわれたときのように、セシルは過敏に反応した。――――つまり、ひっぱたこうとした。

 したのだが。


「っシガ放せ!」

「んー? 駄目」


 セシルが掴まれていないほうの手でシガの頬をひっぱたこうとしたのに、シガはあっさりセシルの手を掴み、それ以上の攻撃を封じた。それどころかセシルとの距離を詰めて、セシルの抗議も聞かず、まるでぬいぐるみか何かのようにセシルを腕ごとぎゅうと抱きしめるのだ。


「ああやっぱり、セシルはよく鍛えてるんだね。鹿みたい」

「っ変態くさいこと言うなあっ!」


 腰や背中を撫で回され、セシルは叫んだ。耳どころか、足の爪先まで血が沸騰しそうだ。

 まずい。絶対にまずい。昨日とは違う意味での危機を感じ、セシルは暴れた。しかしシガはほっそりした見た目だというのに存外力が強く、セシルがいくらもがいても放してくれない。それどころかくすくす笑って、癇癪を起こした小さな子供をあやすようにセシルの後頭部を撫でるのだ。


 どうしてこんなことになっているのだ。セシルは自問した。自分は、自分の正体の不確かさに動揺し、落ち込んでいたのではなかったのか。なのに気づけばこの男に言いくるめられるようにして前向きになり、かと思えば追及の手をどうかわすか悩むことになり。――――それが、どこをどう間違ってしまったのか。初心なセシルには到底わからないし、ついていけない。

 シガは不意に、その手を止めた。これ以上ないくらい真っ赤なセシルの顔を覗き込む。


「どんな力を持っていたって、セシルはセシルだよ。男役が得意な女優で、俺がこの国と戦った東大陸の人間でも必要だって言ってくれた、素直で優しい、可愛い女の子。俺にとって、セシルはそういう子だよ」

「…………っ」


 甘く優しく、どこか満足そうにシガは笑う。

 セシルはもはや声をあげることもできない。思考が沸騰して、気を失いそうだった。

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