第六章 共犯者
第26話 彼が来た道の形
様々な力が理に従って常に過不足なく流れ、秩序が保たれているこの世界には、ごくまれに裂け目が生じることがある。その向こうにはこの世とは異なる理で成り立つ世界が存在していて、そこではこちらの世界では存在しえない草木が自生し、異形の獣が我が物顔で闊歩している――――
世界の片隅から垣間見ることができるこの世ならざる世界についてそう書かれている文献が、東大陸にはある。東大陸の諸地域で伝えらている神話や伝説の獣たちは、古の人々が世界の裂け目から異界を覗いて垣間見た異形たちに他ならない――――とも。東大陸の術者なら知らない者はいないほど有名な術者が記した文献の真偽は長い間、東大陸の研究熱心な術者や学者にとって議論と研究の対象だった。
セシルたちを巻き込んだ今回の騒動は、源流を辿れば、この論争に終止符を打った夢想家の術者、黎鵬の研究が始まりだった。
彼が家財を売り払って実験を繰り返した末に編みだした、人為的に世界の裂け目を作る術は、叡洛の上層部や軍属の術者、さらには新しいものの導入に慎重な皇帝にさえ、支援を決意させるのに充分な衝撃を与えた。そのときはまだ異界を少しばかりの時間垣間見ることができるだけだったが、それでも異界は、実際に足を踏み入れてみたいと王侯貴族や術者に思わせるだけの魅力があったのだ。景色、資源、生物。裂け目から垣間見えるもの、膨らむ想像に、王侯貴族や術者たちは酔いしれた。
かくして強力な支援を得た黎鵬は、さらなる研究の末、特殊な加工を施した石に異界へ渡る術を固着させて、誰でも簡単に異界へ行くことができる技術を確立した。この道具が、鍵石――――セシルたちが言うところの黒い宝石である。
だが、いよいよ鍵石の真価が発揮されるときが来たのではないかと人々が考えるようになった、後に二年戦争と呼ばれる戦争の直前。黎鵬の研究室は突如、爆発した。これにより大量の試作品と研究資料はことごとく焼失し、さらには研究の要である黎鵬自身も行方知れずとなってしまい叡洛の上層部は慌てた。かろうじて燃えずに済んだわずかな研究資料だけでは、叡洛の優秀な術者たちの知恵をもってしてさえ、二つの世界を繋ぐ術を編みだすことができなかったのだ。黎鵬はそれほど、図抜けた知識と知性、そして突飛な発想の持ち主だった。
隠密組織の者たちが手を尽くしてなお黎鵬の行方は知れず、世界を繋ぐ術の研究が叡洛の皇帝の命によって打ち切られて八年。今から半年余り前になって、思わぬところから手がかりが出てきた。ラディスタに派遣されていた間者が、重大な報告を叡洛にもたらしたのだ。
いわく、その男が所属する私設魔術研究所ではここ数年、奇妙な黒い宝石をとりわけ熱心に研究しているのだという。その宝石には極めて優れた術者が術を施してあり、解析が容易ではない。あまりに解析が遅々として進まないものだから、西大陸よりも優れていると名高い東大陸の術具ではないのか、という推測さえされている――――
その黒い宝石こそ、失われていた鍵石に違いない。叡洛の上層部は希望を見出すと同時に、鍵石に施された術式が解析されてしまうことを懸念した。もし解析されれば、この欲深い西大陸の国が過去の過ちを忘れ、鍵石を量産して異界へと侵攻するのは目に見えている。それが無理だとしても、術式を解析することはラディスタの魔術の発展につながるだろう。そしてまた、東大陸への野心を再燃させるのは目に見えている。どちらも、絶対に回避しなければならない。
シガがセシルと出会ったのは、そんな叡洛の上層部の思惑によってシガとその部下たちがラディスタに派遣され、先に潜入している間者とも連携をとり、奪還計画のため慎重に情報を収集しはじめたばかりの頃だ。さらなる情報収集のため富裕層との繋がりを求めていたシガにとって、人気劇団の俳優にというセシルの誘いは渡りに船だった。おかげで、想定していたよりもずっと早くシガは富裕層のあいだに人脈を築き、招待客とその同伴者しか入れないデュジャルダンの宝石展にもぐりこんで、黒い宝石が鍵石であることを確認することができたのだった。
しかし、練りに練った鍵石奪還作戦をついに実行しようとしたその夜。シガたちの計画に起きた誤算は、すべてを台無しにした。
マクシミリアンたちエルデバランの間者が、先に鍵石を盗んでしまったのだ。作戦実行のため私立魔術研究所の内外で待機していたシガの部下たちが気づいたときには、マクシミリアンたちは私立魔術研究所から逃げようとしていた。
だからシガの部下たちは、追った。散り散りになった男たちの中で鍵石を持っているのは眦に傷がある男だと見抜き、三人で追いかけて。失態をなんとか取り返そうとしていたのだ。
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