第2話 きらめく呼び声・1
頭のてっぺんから靴先まで完璧に整えられた従業員が招待状を確認し、流れるような所作で建物の中へ案内する。
そして広がる光景に、セシルはただ目を見張った。
まず入ってすぐに、卵一つ分はある大きな宝石が一つ、台座に置かれて展示されていた。きらめく青はまさしく目が覚めるような鮮やかさで、夏の晴れきった青空もかくやといったほどだ。
「うわ、すご……」
楽屋に足を運んでくる富裕層でも、これほど大きくて美しい宝石は所有していないのではないだろうか。セシルは目を丸くし、口をぽかんと開けて見入った。
ここは王宮へ続く目抜き通りにある、デュジャルダンという宝石商が所有する画廊。舞台に上がるようになったばかりの頃から贔屓にしてくれているさる貴婦人に誘われ、セシルはこの画廊で催されている宝石展を見に訪れていた。
壁際に並べられたケースに並べられている宝石は数多く、術具で生み出された柔らかな光を浴びて、己の存在を主張している。己こそ宝石と言わんばかりに着飾った女性たちも、女性よりは地味だが品のいい身なりをした男性たちも皆、うっとりと、あるいは驚きを目に浮かべて凝視するばかりだ。人間も室内の装飾も、この画廊では宝石を引き立てる脇役でしかなかった。
「……でも、だからこそ速攻で売れるんだろうなあ……」
驚くこともできなくなるほど宝石を見て回った後、宝石に見惚れる人々を見回して、休憩用の長椅子に座るセシルは半眼で呟いた。もちろん小声なので、人々は誰も聞いていない。飽きずに宝石を見つめては、隣の人と称賛しあうばかりだ。
が、隣に座っていた、結った銀灰色の髪が美しい五十代の女性――バイヤール夫人だけは聞き逃さず、まあ、と大仰に息をついてみせた。
「セシル、貴女ったら、こんなに美しい宝石を見ていながらお金の話かしら?」
「だって、最終日にはここにある宝石が全部競売に出されるんでしょう? さっきから色んな会話を聞いてたら、あれが欲しいだのこれが欲しいだのばっかりですし……きっとものすごい額で競りあうんだろうなあと思うとつい……」
富裕層の競売を見たことはないが、品物欲しさにとんでもない金額が提示されることはセシルでも知っている。彼らが競り落としたものを互いに自慢しあうことも、主催者からして自分の目利きと財力を誇示するためにこうした催しをおこなっていることもだ。日々真面目に汗水垂らして働き、たまに気合いを入れて着飾る程度の庶民には、到底理解のできない世界である。
そんな富裕層の世界の筆頭、公爵家の未亡人はあら、とどこか面白そうに首を傾けた。
「貴女は宝石が嫌い?」
「嫌いじゃないですよ。綺麗なものは好きですし、バイヤール夫人のお話は勉強になります。でも」
「庶民には理解できない?」
「ガラス細工の安物で充分です」
悪戯っぽい笑みに、セシルは頷いてみせた。
そう、庶民に宝石なんて不要なものだ。宝石なんて高価すぎて手が出せないし、持っていても悪目立ちして盗まれるだけ。最悪、殺されることだってありうる。庶民が宝石を持っていても、いいことなんて何もない。
バイヤール夫人はくすくす笑った。
「やっぱり面白いわね、貴女のそういうところ。じゃあ今度、アスランのガラス細工を差し上げましょうか。そうね、ガラスでペンダントかイヤリングを作らせるのもいいわね」
「それは綺麗だと思いますけど、あたしには似合わないですよ。できれば、デーミッシュのマドレーヌをお願いします。あれ、あたし大好きなんです」
堂々とセシルが菓子をねだると、はいはい、とバイヤール夫人は笑みを絶やさず了承する。セシルが色気より食い気の子供であることは、彼女も承知しているのだ。
そんなふうに談笑しているうち、セシルは広間の奥にふと目を留めた。
おそらくは関係者専用の区域へ続いているのだろう奥の廊下から、数人の男女が広間へ歩いてくるのだ。一体何を見たのか、一様に満足そうな顔である。
セシルは目を瞬かせた。
「……? 奥にもまだ展示室があるみたいですね。なんであんなところにあるんでしょう?」
「あら、貴女、聞いてないの?」
「ええ、宝石展があるとしか……何があるんですか?」
説明をお願いします、とセシルが言外に頼むと、意外そうに眉を上げていたバイヤール夫人は周囲にちらりと目をやってから、口を開いた。
「実はね、デュジャルダン氏は宝石商だけど術具にも興味があって、自分が設立した魔術研究所で魔術師たちに研究させているそうなのよ。魔術師の勧誘にも熱心と聞くわ。もちろん、術具を売ることにもね?」
「……えーと、それ……合法、ですよね?」
「さあ、知らないわ。でも、ああしてこっそりと画廊の奥で展示しているのですもの。デュジャルダン氏が特許をとって売りだすつもりなら、もっと大々的に宣伝していてもよさそうだし……ねえ?」
「ですよねー……」
この意味わかるかしら、という意味の眼差しに、セシルは空笑いしてしまった。日頃、感覚が鍛えられているからだろうか。一つの結論しか導きだせず、異国出身の年上の後輩の姿がないかと周囲に目を向けてしまう。今ここにいなくても、すでに足を運んでいるかもしれない。
「セシル、どうしたの?」
「いえ、なんでもないですよ。バイヤール夫人、あの部屋に行ってみますか?」
さり気なく話をそらしてセシルが問うと、バイヤール夫人はそうねえ、と扇子を煽いだ。
「買ったり使ったりするのは違法だけど、見るだけなら悪いことじゃないわよね。装身具であることには変わりないでしょうし……行ってみようかしら」
セシルが尋ねてみると、悪戯っぽい表情で答えが返ってくる。成人した息子がいる五十代女性とは思えない、お転婆な少女のような顔に、セシルはつい小さく笑ってしまった。これだから、セシルはこの人が好きなのだ。
二人でそっと廊下へ出ると、目的の部屋はすぐ目についた。地味な色合いの服を着た男が、扉のそばで座っているのだ。おそらくは警備員なのだろうが、ひょろりとした体格と退屈そうな様子は隙だらけである。形ばかり配置されている感が否めない。
仕事をろくにしていないようにしか見えない警備員だ。しかし、セシルの姿を視界に入れた途端、退屈そうな様子を一変させた。探るような、不思議がるような目をセシルに向ける。
彼は魔術師なのだ。セシルは一瞬の迷いもなく答えを見つけ、納得した。
「……」
警戒に気づかないふりをしてセシルは近づいていったが、警備員は無言のままだった。しかし、彼の視線はセシルから外れてくれない。確かにしがない庶民にすぎない身だが、別に宝石を盗もうだなんて馬鹿なことをしたりしないのに。他の者には目もくれず、セシルだけを注視している。
警備員の注視に気づかないふりをして、セシルは扉の向こうへ足を踏み入れた。
「……?」
うなじにぴりりと何かが走り、セシルは眉をひそめた。まるで誰かが警戒しろと警告されたかのような、あるいはそこに何かがあると注意を促されたかのような気持ちにさせられ、自然と背筋が伸びる。視線が周囲へと向いた。
「? セシル?」
「なんでもありませんよ。行きましょう」
声をかけられて我に返り、セシルはそう笑みを浮かべてバイヤール夫人を促す。だったらいいのだけど、と呟き、バイヤール夫人は室内に目を向けた。
室内は、重く分厚いカーテンに陽光を遮られていた。その代わり、ケースや足元にほのかな光を放つ術具がふんだんに配置されており、歩きながら宝石を鑑賞するぶんには支障ない。
展示されている宝石も、色が美しく、傷や内包物も見当たらず、研磨も見事なものばかりだ。バイヤール夫人いわく、表にあるものより上質なもの揃いであるとのことで、一粒でも都で民家が一軒建つ価格であるのは間違いない。薄暗がりの中でそんな宝石たちを観察するのだから、部屋へ入った者たちの退室が遅いのも、言葉少なになっているのも仕方ないことだろう。バイヤール夫人もすっかり宝石に夢中で、展示された宝石の一つ一つを見下ろしては感嘆の息をついている。
だがセシルは、選りすぐりの宝石たちに心を動かすことはできなかった。
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