第23話 本当の姿・2

 東大陸の覇者である叡洛は、ラディスタとエルデバランの和平の申し出を受け入れて戦争を終結させたものの、和平条約が遵守されるとは一切考えていなかった。これまでにも西大陸諸国は東大陸諸国へ戦争を仕掛け、敗北して和平条約を結んでは破棄することを繰り返しているのだ。特にエルデバランは、三十年前に東大陸へ侵攻し敗北したにも関わらず、懲りもせずラディスタと組んで侵攻してきたのである。信用できるはずがない。


 だから叡洛は二年戦争の後、外交官をエルデバランとラディスタに駐在させる一方で間者を何人も派遣し、再び西大陸諸国が東大陸を巻き込む戦乱をたくらんでいないか、秘密裏に監視することにした。東大陸諸国の統治に満足している現在、叡洛に文化が根本から異なる西大陸へ侵攻する野心はない。ただ、東大陸を荒らされたくも、西大陸諸国の策略に煩わされたくもないだけなのだ。監視し、戦乱の兆しがあれば先手を打つ以外、干渉するつもりは一切ない。むしろ有益な交易相手として、西大陸諸国は存在してもらわないと困る。


 だからこそシガたちは、西大陸諸国が再び東大陸侵攻をもくろむ契機となりうるあの黒い宝石を、西大陸諸国が存在に気づく前に回収せねばならなかったのだ。


「でも、僕たちのほうが一足早かったわけだ」


 マクシミリアンは楽しそうに口の端を上げる。しかしそれは陽気なものではなく、優越感や嘲りの色が濃い。不愉快な笑みだ。

 マクシミリアンの挑発に、シガは応じなかった。


「そう、まさかエルデバランに出し抜かれるとは思ってもみなかったよ。その点は反省してる。――とはいえ、せっかく盗んだ宝石を転んで手放してしまう、間抜けな仲間がいるような奴に言われるのは不愉快だけど」

「……っ」


 冷笑するシガの痛烈な嫌味の返しに、マクシミリアンの余裕の表情が豹変した。背後にいた三人も気色ばみ、剣の柄に手をかけ、あるいは魔術を唱える動作に入る。

 戦いの前というわけでもないのに、場の緊張は高まって肌に痛いくらいだ。男たちの正体に仰天するばかりだったことに続いてこの緊張感では、荒事に慣れたセシルでも思考がついていけない。ただおろおろと二人を見ていることしかできない。


 怒鳴り散らす寸前の様子だったマクシミリアンはそれでも感情を抑え、努めて冷静なふうを見せた。


「……あの黒い宝石は、君かセシル君が隠してるんだろう? そうでなくても、君の仲間が持ってるはずだ。取引しようじゃないか」

「セシルと引き換えに渡せと? その前に、自分たちがやられるとは考えないのかな。俺に仲間がいることは、知ってるんだろう?」

「でも、そのセシル君が気にかける存在……たとえばユーサーや彼女の母親、彼女の幼馴染み君なんかは、さすがに君たちも守ってないだろう?」


 マクシミリアンは残酷に笑う。セシルは目を見開き、そして眉を吊り上げた。


「なんでユーサーさんたちまで巻き込むんだ! 無関係じゃないか!」

「でもその叡洛の術具を手に入れるには、君かシガ君から奪うしかないだろう? そしてシガ君は、君が大のお気に入りだ。なら、君がシガ君にお願いしたくなるようにするしかないじゃないか」

「……!」


 マクシミリアンは口元に笑みを絶やさず言う。セシルは、彼を怒鳴りつけたくなる衝動を必死で抑えた。


 平然とそんなことを言えるマクシミリアンが、セシルは信じられなかった。それに、たとえ諜報のため送り込まれた間者だったとしても、彼とユーサーは、共に仕事をした仲間ではなかったのか。楽屋で見た二人は、あんなにも仲が良さそうに見えたのに。信頼を平気で裏切る者も世の中にはいるのだと、八年前に身をもって理解していても衝撃は大きい。


 しかし――――――――

 マクシミリアンがこうなのだ。ならばシガは――――――――


 よぎった想像を信じたくなくて、セシルはシガのほうを見た。どうか、と縋る気持ちで彼を見つめる。

 その視線を受け取ったシガは、諦めたように息をついた。


「……わかった。俺が取りに行くよ」

「いや、君たちはここに残ってもらうよ。どうやらセシル君も、あの宝石と関係があるようだし。どこに置いたんだい?」

「この廊下の、二番目の扉だよ。テーブルの上に巾着が二つ置いてあるから、すぐにわかる」

「……エスカデ」


 シガから目を離さず、マクシミリアンは部下に命じる。エスカデと呼ばれた痩せぎすの男は首肯すると、小走りにセシルの横を通り過ぎていく。そのついでのように、短剣も奪われてしまった。

 セシルはそれを見送りもせず、シガを見つめた。脳裏に、昨日、この廃墟の前で男たちが突然倒れたことがよぎる。

 唇が震えた。


「昨日のことも……あの眦に傷のある人のことも、本当はシガが全部やったのか……?」


 シガは、昨日のことは自分ではないと言っていた。だがもし、それが嘘だったのなら。いや本当だとしても、あの黒づくめの者たちに口封じをさせていたのなら。

 シガは――――――――

 シガの目に、初めて痛みが見えた。


「……ああ。俺があの男を殺した。昨日、そいつらに術をかけたのは部下だよ。追われている君を見つけて、君を守るためにここまで追いかけたんだ。もちろん姿を隠してね」

「――――!」


 否定してほしかったのに、シガは感情を排した声で、己の所業を肯定する。セシルは言葉を失った。


「あの石をすぐ本国へ送らなかったのは、欲しいかどうか君に聞きたかったからだよ。君が叡洛の術者から石を託されたのかもしれないことは、調査済みだったからね。俺は正直、あの石が西大陸諸国のものにならなければ後はどうでもよかったし。もし君が今もあの石を欲しがってると聞いたなら、君に返すつもりだった」

「へえ、あの宝石を回収しないのかい? 叡洛が総力を結集して造った術具なんだろう? だからわざわざこんな、文化が違う国にまで足を運んできたんだろうに」


 どこかわざとらしく片方の眉を上げ、マクシミリアンは大仰に言う。自分の優位を信じて疑っていないのだ。部下が宝石を回収しに行っているし、もう一人の部下も隙のない構えで剣に手をかけている。腕の立つ一般人と間者程度、どうとでもできると思っているに違いない。

 だが、シガはマクシミリアンの嘲笑を冷笑で迎えた。


「君に心配してもらうようなことにはならないさ。確かに奪還失敗といい昨日の警護失敗といい、二度も君たちに振り回されたんだけどね。でも、君たちを排除する準備は整ってあるよ」

「……この状況で、よく大口を叩けるものだよ。できるものならやってみればいいさ。まだ君の仲間が僕たちを殺そうとしないってことは、どうせセシル君に回すほどの人手はないからだろう? それなら、僕たちのほうがずっと有利だ」


 こめかみをひくひくさせ、それでもマクシミリアンは怒りを押し込めた無理やりの笑みを浮かべる。一方後ろの男たちは、彼と同様どころか、彼以上に怒り心頭の様子だ。マクシミリアンがいなければ、こちらに斬りかかってきていたかもしれない。


 ともかく、この場をどうにかしなければ。大人しく黒い宝石を渡したとして、マクシミリアンがセシルとシガに何もせず、無事に帰すとは思えない。彼はセシルの能力と、シガの正体を知っているのだ。セシルはともかく、シガまで生かすわけがない。

 セシルもシガも武器を持っていないし四対二だが、実はこの玄関ホールにも、短剣を隠してあるのだ。それを使えば、隠れ家の外へ逃げることくらいはできるはずだ。

 けれど、セシルのそんな考えを見透かしたかのように、シガは言うのだ。


「……セシル。下手に動かないほうがいい。魔術師があの石を持ってすぐに戻ってくる」

「っでも」

「そうだよ。玄関は僕の仲間が魔術で封じたし、こっちは三人。シガ君は確かに厄介だけど、セシル君を捕まえさえすれば動きようがない。何しろ、お気に入りだものね?」

「っ」


 シガに次ぐ、嘲笑を浮かべたマクシミリアンの指摘にセシルはぐっと詰まった。言い返してやりたかったが、言葉が出ない。何もできない、太刀打ちできない悔しさばかりが募り、セシルは両手をきつく握りしめた。

 いや、セシルが両手をきつく握りしめたのは、マクシミリアンに場を支配されているからだけではない。


 だってセシルにはもう、シガを信じていいのかさえわからないのだ。横目で見る彼の表情も声音も、見る限りはいつもと変わらなくて、裏があるようにはとても思えない。セシルに宝石を返そうとしていたという先ほどの言葉も、信じていいように思える。

 だが、できない。信じようとしているセシルの心の傍らで、信じるなと叫ぶ声がある。


 友達だと思っていたのだ。自分の欲求のためなら法律違反を厭わない犯罪者だとしても、セシルを女の子扱いしてからかうのが好きな男だとしても。自分に向けられた敵意を風と流し、それどころか味方に変えてしまう、シガの図抜けた演技力を尊敬していた。この隠れ家で彼やカイルとたわいもない会話をし、互いの演技について語りあう時間がセシルは好きだった。――――友達だと思っていたのだ。


 揺らぎながらも固まりかけていたセシルの足元を、いくつもの感情と疑問が再びかき乱していた。思考は真っ白で、ろくにものを考えられない。どうするべきかもわからない。


 シガを信じたい。あの切ない目と勇気づける言葉を信じたい。

 信じさせてほしい。それだけなのだ。


 そのとき。セシルの背後――居間から足音が聞こえてきた。先ほどの男に違いない。

 セシルの鼓動が一つ跳ねた。極寒の中のほろんだ村で見た、広がる血の海と浮かぶ死体の数々が脳裏をよぎる。

 目覚めたときはなんとも思わなかった、その後幾度となく夢に見てはセシルを苦しめ続けていた、あの真っ赤な海が――――――――


 助けて、とセシルは心の中で願った。強く、誰にというわけではないけれど祈った。


 宝石なんて要らない。セシルはただ、今の暮らしを捨てたくないのだ。『セシル・カロン』でありたい。鍛冶屋の養女、元女傭兵の養女、リヴィイール一座の女優でありたい。

 そのための力が欲しい。


「っ」


 手にあたたかなもの――――手が触れ、セシルははっと肩を震わせた。無意識のうちにシガを見上げる。

 セシルと目が合ったシガは、まるでいつものようにふわりと笑んだ。


「大丈夫だよ、セシル。俺が必ず守るから」

「……!」


 セシルは息を飲んだ。


「マクシミリアン様、ありました!」


 セシルの横を通り過ぎた男が、マクシミリアンに黒い宝石を見せた。宝石の奥にある、道を閉ざす鎖がセシルの目に映る。


 どくん、と先ほどよりも強く、セシルの鼓動が鳴った。

 耳の奥で、鎖が擦れる音が聞こえたような気がした。

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