第12話 セシルの評価
「? はいーどうぞー」
今夜も拍手喝采を浴びた公演の後。舞台衣装のまま涼んでいると扉が控え目に叩かれ、セシルは頬張っていたクッキーを飲み込み、応えをした。
楽屋の扉を開けたのは、意外なことにシエラ劇場の職員だった。
「あのうセシルさん……お休みのところ申し訳ないんですけど、どうしてもセシルさんに会いたいという方がいまして…………」
「あたしに? 会員の人?」
「いえ、それが……青薔薇騎士団の副団長でして……」
「って、もしかしてユーサーさん?」
職員が明らかにした名に、セシルは失礼にも声を裏返らせてしまった。あれで話は終わったはずなのに、どうして今夜もセシルのもとへ来るのだろうか。
とりあえずセシルは、ユーサーに楽屋へ入ってもらうことにした。そう職員に伝えるとすぐ、扉の脇から私服姿のユーサーが現れ入室する。職員は一礼すると、扉を閉めて退室した。
入るなり、ユーサーは申し訳なさそうな顔をした。
「すまない、休んでいるところに押しかけて」
「いえ、構いませんよ。ちょうど暇だったところですから」
と、セシルは笑顔で答える。しかし、内心ではびくびくだ。セシルは今、ユーサーが追っている宝石の窃盗犯を知っているのである。そればかりか、自分は彼からもらった法的に微妙な術具を所持している。完璧に共犯と化しているのに、ユーサーを能天気に歓迎できるわけがない。
舞台を下りたのにまた舞台なんて。心の中で悲鳴をあげながら、セシルは平静を装い続けた。
「それで、今度はどうしたんです?」
「いや、用というわけでは……」
「用ならあるよ! 今日の主役に、祝辞を述べるという立派な用がね!」
ユーサーが言いよどんだ直後、そんな芝居がかった調子の声がするや、彼の背後から男が現れた。ユーサーと同じ制服を着た、金茶の髪と鳶の瞳の青年だ。
セシルは、華やかな空気をまとったその顔に見覚えがあった。内心でげ、と思わず声をあげる。
「宝石展で会った人……?」
「やあ覚えていてくれたんだ、嬉しいな」
ユーサーの連れはそう、にっこりと満面の笑みを浮かべた。
「そういえば僕、あのときは名乗らなかったね。僕はマクシミリアン・カディス・オプセンブルク。青原騎士団の一員で、ユーサーの副官なんだ。ああ、バイヤール夫人はさっき見かけたよ。彼女は君の贔屓筋なんだ?」
「はい、そうですけど……」
「なるほど、だからあのとき君と一緒だったんだね。――そうそう、今日の芝居、とってもよかったよ。ミケルが本当のことを話すと決意す場面なんかもう、涙目になっちゃった」
「あ、ありがとうございます……」
まくしたてられ、セシルはどうにかそれだけ返す。花束ごと手を握られている上に、顔も近い。衝動にあらがい、手を払いのけないようにするのがせいいっぱいだった。
そこらの男であれば手を払いのけているところだが、青薔薇騎士団副団長の副官となるとそうもいかない。困り果ててユーサーに視線を送ると、彼はため息をついてマクシミリアンを宥めた。
「マクシミリアン、手を放してやれ。困っている」
「あ、ごめん」
両手が解放され、セシルはほっと息をついた。様々な赤が咲き綻ぶ花束をテーブルに置く。
「二人とも、舞台を見てくださったんですね」
「そうだよ! だってユーサーが、今まで一度もリヴィイールの芝居を見たことがないって言うんだよ! ユーカルディスなんて田舎の没落貴族の僕が何度も観てるっていうのに、このブリギットで生まれ育った彼が観てないなんておかしいだろう? そんなんじゃ他の騎士たちみたいに、仕事と筋肉で頭がいっぱいのただの馬鹿になってしまう。いやもうなってるのかな。だからこの僕が、芝居の楽しさを教えてあげようと思ったんだよ! 僕は途中からになっちゃったけどね!」
「はあ……」
要は自分が舞台を見たかっただけなんじゃ、とセシルは思ったが黙っておく。それより、さり気なくユーサー、ひいては青薔薇騎士団の他の団員たちに対してひどいことを言っている気がしてならない。この男は本当に青薔薇騎士団の騎士なのだろうか。
ユーサーは一息ついてセシルのほうを向いた。
「すまないな、騒がしくして」
「何言ってるんだい。主役を演じた女優さんに、舞台の感想を言うのは当然だろう。僕らはもう帰らないといけないし。ほら、君もぼさっとしてないで、何か言ったらどうだい」
「私に、舞台の感想を言えと言うのか」
「他に何を言えっていうのさ」
ユーサーが渋い顔をすれば、マクシミリアンはほら早くと急かす。その表情は、明らかにユーサーの困惑を面白がっている。
「いや、別に、無理して言わなくても」
「…………………………………………素晴らしかった」
困っているのを放っておけず、セシルが助け舟を出そうとしたとき、ユーサーはぽつりと言った。
「私は武骨者だから、演技のことはよくわからないが…………舞台に立っている貴女は、他の誰よりも目立っているように見えた。一人だけ、別の光を浴びているようで…………何と言うか、その………………目を奪われた」
ユーサーはまるで幼い子供のように、たどたどしく言葉を紡ぐ。武人の出なのだ。きっとこんなふうに、舞台を見た感想を口にすることがなかったのだろう。
だがそれだけに、話すのが苦手なりに胸のうちの感動をどうにかして伝えようとしてくれているのが伝わってくる。言葉が、薄く染まった頬が、俯き加減の視線が教えてくれる。
セシルは自分の演技が褒められたことよりも、言葉にしようと努力してくれるその姿にこそ、胸が熱くなった。
だから、自然と笑みがこぼれた。
「……ありがとうございます」
「……!」
途端、ユーサーは目を見開いたまま硬直した。セシルは目を瞬かせる。
「ユーサーさん?」
「おやおや、君に見惚れちゃったみたいだね」
「っマクシミリアン!」
我に返ったらしいユーサーは、にやつく副官を睨む。表情の変化がわかりづらい彼にしては珍しく、焦っているのがありありとわかる。
セシルは失笑した。
「あたしに? まさか」
男の人が見惚れるのは、リヴィイールで五指に入る人気女優のカルロッタやアンのような美女と決まっている。同室の子役のリースだって、もう少し成長すれば、道行く人々が振り返る美少女になるだろう。男だか女だかわからない自分に、誰が見惚れるものか。
なのに、マクシミリアンは何言ってるんだい、と苦笑する。
「君は綺麗だよ。君が気付いていないだけで。ねえユーサー?」
と、マクシミリアンはユーサーに話を振る。
マクシミリアンに肘で小突かれ、ユーサーは何故かあたふたと目をさまよわせた。その頬が赤いのは、気のせいだろうか。
「あ、ああ…………その、私も、君は綺麗だと思う…………」
「……!」
思いがけない一言に、セシルは絶句するどころか顔が真っ赤になった。
言うに事欠いて、なんてこと言うのだ。セシルが綺麗だなんて、何を。
ユーサーとマクシミリアンは、不思議そうに目を瞬かせた。
「セシル殿?」
「ん~? もしかして君、綺麗って言われ慣れてない?」
「だ、だって、あたし背高いし男っぽいしがさつだし……」
「そんなの、別に綺麗かどうかに関係ないと思うけどね。まあ僕としては、君は可愛いって表現のほうが似合いそうだけど」
そんなこと言われても、困る。本当に言われ慣れていないのだ。そんなに連呼されたら恥ずかしいし、逃げたくなる。
シガといいユーサーといいマクシミリアンといい、何を考えているのだろう。顔を上げていられない。
「セシルー、入っていい?」
「あっリース! ちょ、ちょっと待って!」
どう反応したらいいものかわからず困り果てていると、楽屋の扉がノックされた。聞こえてくる声にセシルは慌てて返事をする。まずい、こんな顔、見せられない。
マクシミリアンは苦笑した。
「どうやら長居しすぎたみたいだね。僕たちはそろそろお暇するよ」
「そうだな。……セシル殿、さっきの私の言葉が気に障ったのなら、謝る」
椅子から立ち上がったユーサーは、申し訳なさそうにセシルを見る。セシルはぶんぶんと首を横に振った。
「いえ、そんな、腹が立ったとかそんなんじゃなくて、本当にその、あたし『綺麗』って言われることほとんどないんで……ほらこんな見た目ですし、言葉遣いとか全然女らしくないですし。気を悪くしたとか、そんなんじゃないんです。だから気にしないでください」
「……そうか」
ユーサーはほっとしたように息をついた。
ユーサーとマクシミリアンを見送ると、入れ替わりにリースが入ってきた。まだ十一歳の、赤毛が特徴的な子役だ。
「あらセシル、どうしたの、そんなに赤くなって」
「あ、えーと……」
「さっきの人たち、青薔薇騎士団の副団長さんと副官さんよね? もしかして、副官さんに口説かれたの? その花束も、あの人から?」
「や、花束はマクシミリアンさんからだけど、別に口説かれたわけじゃ……」
そもそも、セシルの顔を赤らめさせたのはマクシミリアンではない。上司のほうだと言っても、リースは信じないだろう。コルブラント家の男たちが騎士の名門らしく生真面目揃いというのは、知られた話だ。
「というか、リースも知ってるのか? マクシミリアンさんのこと」
「直接話したことはないけど、ミランダさんたちと話してるのを見たことがあるわ。見た目からして軽そうな人なのに、あんなに人気なのが不思議よね」
「あはは……バイヤール夫人も似たようなこと言ってたよ」
富裕層の令嬢や御婦人方には人気の社交的な騎士も、しっかり者の人気子役にとってはただの遊び人であるらしい。手厳しい意見に、セシルはつい半笑いしてしまった。
未来の看板女優と目されている人気子役は、ぴしりと同期の年上女優に指を突きつけた。
「セシル、ああいうのに引っかかっちゃ駄目よ。どうせ適当なこと言って女の人を騙してポイ! に決まってるもの。何言われても聞き流すのが一番だわ」
「……リース、言われなくても、あたしはああいうので浮かれたりしないよ。あたし、そんなに騙されやすそうに見える?」
母とシガばかりか、年下のリースにまで言われるのは少々心外だ。着飾るのに忙しい巷の娘たちのような甘ったるい思考なんて、セシルにはないというのに。
しかしリースは、セシルは騙されやすそう、とはっきり答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます