第7話 宝石を見つけただけなのに
扉につけた鈴が音を鳴らし、客の来訪を告げる。カウンターで台本に目を通していたセシルは、台本から目を上げた。
ブリギットの下町にある、赤い屋根と煙が吹く煙突が目を引く一軒家。同業者や地域の人々には腕利きと評判で、彼らから腕の確かさを聞いた者が訪れることもあるこの鍛冶屋‘夕日ヶ丘’の店内には、様々な形をした剣や短剣、斧や槍、包丁といったものが整然と置かれている。店の奥からは、金属を打つ規則正しい音だけでなく、熱せられたものに水を浴びせる音も聞こえてきて賑やかだ。
セシルは週に一度、この実家の店番をしている。女優業は基本的に合同練習と公演以外では自由なので、手が空いているならと、入団前には欠かしていなかった店の手伝いを母親に頼まれるのだ。
新しい包丁を買いに訪れた近所の老婆が去ってほどなくして、また鈴が鳴る。座ろうとしていたセシルは、今日は忙しいなあと思いながら振り返った。
「いらっしゃ……あ、ユーサーさん。こんにちは」
「ああ。今日も貴方が店番なのか」
制服姿のユーサーを見て自然と笑顔になるセシルに、ユーサーも、つられたように小さく一礼した。
「はい、休みの日の日課ですから。あ、剣なら仕上がってますよ。えーと、ユーサーさんのは……」
カウンターの棚を見上げ、セシルは布に包まれ置かれた品々につけられた札を確かめ、セシルはユーサーの依頼の品を出した。
『今日も』とユーサーが言ったのは、彼が初めてこの店に来たときもセシルが店番をしていたからだ。
貴族に限らず富裕層は、使いを出すか呼びつけるかして鍛冶屋に依頼するのが普通だ。そして大抵、使いの者であっても横柄な態度である。だから正直、セシルは富裕層からの依頼というものをよく思っていなかった。
しかしユーサーは‘夕日ヶ丘’へわざわざ足を運び、自分の剣を誂えてほしいと依頼してきたのだ。
『私の一部として長く使うだろう剣を打ってもらうのだ。自分で頼みに行くのが道理だろう?』
目を瞬かせた後に真顔でそう言われたときの衝撃は、なかなか忘れられるものではない。それから会話が弾んだこともあって、セシルはこの珍しい出会いをよく覚えていたのだった。
セシルがずしりと両腕に重みがかかる剣をカウンターに置き包みを広げると、依頼した品を見下ろし、ユーサーは感嘆の息をついた。
「いい品だな……刃渡りも幅も、私の剣と同じだ。柄の細工も素晴らしい」
「柄の握りと重さはどうですか?」
「そうだな…………ああ、ちょうどいい。よく手に馴染む」
セシルに促されるまま剣を手にとったユーサーは、さらに目元を緩める。よいものを手にしているのだという、その道を知る者であれば誰もが感じる喜びが、平坦だった声や表情にわずかであるが表れていた。それだけ、ユーサーにとって満足できる品であったようだ。
父の仕事を高く評価してもらえ、セシルも嬉しくなった。
「喜んでもらえてよかったです。父も喜ぶと思います」
「ああ。父君に直接礼を言いたいが……仕事中なら仕方ないな。よい出来だと私が言っていたと、父君に伝えてほしい。請求はコルブラント家に回してくれ」
「はい、伝えときます」
にこにこと顔をほころばせ、セシルは頷く。ユーサーから受け取った剣を再び布に包み、手渡した。
「そういえばこの前、ユーサーさんのご家族の方にお会いしましたよ」
「ああ、義姉から聞いた。すまなかったな、公演の後は疲れていただろうに」
「いえ、彼女も同じことを言って、すぐ帰られましたから」
と、小さく笑ったセシルは、ユーサーが視線をさまよわせているのを見て、首を傾けた。
「ユーサーさん、まだ何か? 依頼でもあるんですか?」
「いや……依頼ではなくてな……」
ユーサーはそう問いを否定すると、セシル殿、と改めてセシルに向き直った。
「先日の騒ぎの後、貴女の周りやこの家の周辺……特に‘幽霊区’で何か変わったことや、不審な人物を見たり聞いたりはしていないだろうか」
「不審……?」
唐突な話題の変わりように眉をひそめたセシルだったが、しかし数日前の立ち回りと‘幽霊区’の特徴を思い出し、納得した。
この‘夕日ヶ丘’のすぐ近くにある‘幽霊区’と呼ばれている区域は、その通称の由来になっているように、幽霊が出てきそうな廃屋ばかりが建ち並んでいる。当然、一部には貧民やならず者が住みつくこともあり、青薔薇騎士団による取り締まりが不定期に行われているが、いたちごっこになっているのが現状だ。まともな親なら子供を立ち入らせないし、やんちゃな子供なら肝試しをしたがる。そういう少々物騒な区域なのだった。
何もないですよ、とセシルはけらりと笑って答えた。
「少し前に青薔薇騎士団が手入れしてくれたおかげで、やばそうな連中は大体いなくなったみたいですから。‘幽霊区’は静かなもんですよ。あたしも、変なのを見たり、あの連中に追いかけ回されたりしてません」
「そうか。それならいいのだが……」
セシルの答えに安堵したのか、ユーサーは小さく息をつく。どうやら、彼は本気でセシルの身に何か起きるかもしれないと考えていたらしい。
セシルは眉をひそめた。
「……どうしてあたしの心配をしてくれるんですか? あたしは昨夜の件に無関係ですし、狙われたりしないと思うんですけど……」
セシルは確かに黒づくめの者たちを妨害したが、それだけだし、義憤に駆られた偶然のことなのだ。彼らが何の目的であの男ひいては黒い宝石を追いかけていたのか知らないが、無関係な小娘にわざわざ復讐しようとするほど、彼らは暇でも愚かでもないはずである。
だが、ユーサーはそうでもない、とセシルの予想を裏切った。
「……実は今朝、眦に傷がある男の死体が、ここから少し離れたところにある水路で発見された」
「! それって……!」
セシルは大きく目を見開いた。昨夜の街路で見た、慌てふためく男の姿が脳裏をよぎる。
ああ、とユーサーは頷いた。
「貴女が助けたという男だ。今朝、シガ殿に確認してもらったから間違いない。……それでセシル殿。シガ殿にも聞いたのだが……貴女が助けた男は、黒い宝石を持っていなかっただろうか」
「黒い宝石?」
セシルはぎくりとして、思わず聞き返した。――――宝石展や路上で見た、あの宝石。
「ええ、その人が転んだときに、道に転がってたのを見ましたけど……そういやあたしもシガも、話してませんでしたっけ。すみません」
「事件の被害者が何かを話し忘れるのは、よくあることだ。得体の知れない者たちに襲われたばかりの貴女が忘れていても、無理はない」
セシルが恐縮すると、ユーサーはそんなことを言って慰めてくれる。しかし、その得体の知れない者たちに啖呵を切り、応戦したのは他ならぬセシルなのだ。被害者なんてしおらしいものではないのに慰められるのは、どうにも申し訳ない。
「でも、あたしはそれ以上何も知りませんよ。男の人が転んで小箱から黒い宝石が転がって、デュジャルダンさんの画廊で見たやつだってびっくりしたときにあの黒づくめの人たちが来て、戦うことになりましたし。それから後のことは……」
「…………そうか。すまなかった」
セシルが首を傾け説明すると、ユーサーはあっさり引き下がる。セシルは眉をひそめた。
「あの、ユーサーさん。……もしかして、黒い宝石を持ってなかったんですか? 死んだ男の人」
「……」
セシルが問うと、ユーサーは躊躇い視線をさまよわせた。数拍して、小さく頷く。
「……ああ。それで、宝石の行方を捜しているのだ。貴女もどこかで見かけたら、私に報告してほしい。それと、この件は内密にしてもらえないだろうか」
「はい」
青薔薇騎士団副団長の要請に、セシルは首肯する。騎士団への協力は、ブリギットの住民の義務だ。断れるはずもない。
ユーサーは、カウンターに置かれた剣を握った。
「では、これで失礼するが……セシル殿、外出の際はくれぐれも気をつけてくれ。黒づくめの者たちが黒い宝石を盗んだのでなかったなら、彼らや死んだ男の仲間が貴女やシガ殿を疑い、狙ってくる可能性がある」
「!」
「いくら武芸を嗜んでいると言っても、貴女は女性だ。もし、誰かに狙われていると思うようなことがあったら、遠慮なく私に言ってくれ。青薔薇騎士団は、ブリギットの民を守るためにある。必ず貴女を守ろう」
「……! は、はい……」
柄に手をかけ、ユーサーは守護を確約する。女性扱いされる気恥ずかしさで、セシ
ルは頬を染めてこくんと頷くしかない。柄でもないとわかっているのに。
これだから、セシルはユーサーが少し苦手だと思うのだ。シガもそうだが、二人ともセシルのことを男勝りの小娘ではなく、一人の女性として丁寧に扱う。幼い頃から傭兵たちに囲まれて護身術を学び、近所の少年たちに混じって遊び回ってきたセシルにとって、彼らからの扱いは気恥ずかしさと戸惑いが先に立つ。
鈴の音も絶えると、店内はすっかり静かになった。工房から聞こえてくる音さえもなく、代わりに父と父の弟子が何やら話している声が聞こえてくるばかりだ。
ほどなくして、店舗の奥にある自宅のほうから、男装を長身にまとった年嵩の女性が姿を現した。輝く金髪を引きたて役にした碧眼の容貌は女性らしくあるが甘くはなく、凛々しいの一言に尽きる。
近所の少年たちに慕われ尊敬されている‘鍛冶屋の強いおばちゃん’――セシルの母は、鈴が新たな客を待つ扉に目を向けた。
「セシル、客は帰ったのか?」
「うん。ユーサーさんだよ、コルブラントの。剣をとりに来たんだ」
「ああ、そういえば今日の午前中に来ると言っていたな」
と、感心したふうでセシルの母は何度も頷く。が、セシルの浮かない表情を見て眉根を寄せる。
「……どうした。御曹司に何か言われたのか?」
「昨夜のことで、ちょっと話をしただけだよ。ほら、帰りに変な奴らに出くわしたって話しただろ? なんか、追われてた人が遺体で見つかって、でも追ってた奴らはまだ捕まえてないみたいでさ。この辺りに逃げ込んでるかもしれないから、気をつけるようにって言われたんだ」
「ああ、あの話か」
セシルの母は数度頷くと、両腕を組んだ。
「まあ、用心には越したことはないだろうな。お前は私に似て並みの男どもより勇ましく育ったが、無敵というわけではないのだから。魔術を使われると厄介だしな。近所の子供たちにも、改めて注意を促しておくよ」
「うん。手入れがあったばかりだけど、今は‘幽霊区’へ行かないほうがいいかも」
「そうだな。お前も、念のため、カイルか……シガ・キョウとか言ったか? 前にうちへ来た、お前の仕事仲間にでも送ってもらえ。食われる心配はしなきゃならんが、暴漢よりはましだ」
「っ!」
うんうん、と頷きながらの母のとんでもない発言に、セシルは飲みかけた紅茶でむせた。げほげほ、と盛大に咳き込む。
セシルの母は、娘を見下ろして呆れた。
「まったく、女優がこのくらいで動揺してどうする」
「そういうこと言われたら動揺するよ! く、食われるって……!」
「そっちの心配をするのは当然だろう? お前は女で、あっちはお前のことを気に入っている男なんだからな。それにあの男、通りで絡まれているのを前に見かけたことがあるが、かなりの手練れだぞ。家まで送ってもらうのはいいが、一人であいつの家に行ったり路地裏へついていくのはやめておけ」
娘が顔を赤らめているというのにまったく構わず、セシルの母は真面目な顔をして懇々と諭した。
別にこれは、セシルをからかっているわけではない。男の上っ面の態度や言葉に騙されるな、泣きをみるのは自分なのだから――――という、セシルがリヴィイールに入団した頃から繰り返している小言の延長線だ。様々な方面で経験豊富な贔屓筋や仕事仲間に囲まれている割には色々と経験不足な娘を、母親なりに心配しているのである。……おそらくは。
わかっているが、セシルは深々と息をついた。
「母さん、あたしとシガはただの仕事仲間だよ。それに、あいつの顔と人気を見ればわかるだろ? 綺麗な女は選び放題なんだから、あたしで遊ぼうなんて絶対にないって」
「だから、その油断が危ないというのに……」
娘がへらりと笑えば、セシルの母は呆れるばかり。元女傭兵と男役が得意な女優という、実に凛々しく勇ましい母子であるのに、この点だけはまったく似ていないのであった。
そうして母が去った後。セシルは長い息をつくと、カウンターの椅子にぺたんと力なく座り込んだ。
頭をよぎるのは母の忠告ではなく、ユーサーの忠告だ。
「まっずいよなこれ……」
どう考えても、まずい。まずいとしか言いようがない。母が傭兵を辞めるまではセシルも傭兵隊で暮らし、何度も危険な目に遭いはしたが、自分の人生でここまで危険だと思ったことはかつてなかった。
眦に傷がある男を追っていた黒づくめの者たちは、剣士ではなく裏の仕事に従事しているかもしれない連中だ。ユーサーが言っていたように、もし宝石を狙ってセシルにまで手を出してきたなら、敵うはずがない。追っていた男を殺すのだから、セシルを殺すのも躊躇いはないだろう。
――――振り返ってはならぬ。
よぎった記憶の欠片は、セシルを容易く記憶の海の奥底へと沈めた。赤と死に触発され、連想する記憶が次々と浮かぶ。
そう、赤。真っ白なものが降り注ぐ建物の床を埋め尽くしていた、あの浅い海に沈んでいたもの――――ぴくりとも動かない、冷たい人々と同じ。
「――――っ」
セシルはぎゅっと目を瞑り、両手を握りしめた。他のことを考えることで、遠い記憶の海から抜け出す。
「でも、大丈夫だよな……? あたしはあの宝石のそばにいただけだし…………」
セシルは自分に言い聞かせるように呟く。暗殺者に身を狙われているかもしれないというだけで恐怖する己を落ち着かせるためには、そうするしかなかった。
舞台の上では華やかに、あるいは悲劇的に演じられる物語のような一幕も、現実に起きてみればこんなものか。降りかかるかもしれない危険に怯える自分に、小心者ぶりに、セシルはため息をつきたくなった。
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