第28話「YESかNOじゃなく……いい感じでよろしく」

 チユリは決断を迫られていた。

 一介いっかいの会社員、アラサー腐女子ふじょしにはなかなかに重い選択肢が突きつけられている。

 ダンゾウによって暴走させられたマッケイは、恐らくメリアなら難なく無力化できるだろう。しかし、マッケイ自身の命の保障はしかねる。

 そう、アンドロイドだって命があって、生きてるのだ。

 それに、チユリには迷いがあった。

 ごくごく簡単な、トロッコ問題みたいなものである。


「答ーはー、線路を引っ剥がすとか? んー、ちょい無理筋ムリゲーかあ」


 目の前には、悠然ゆうぜんとダンゾウが立っている。

 小柄な老人が今は、自分の何倍も大きく見える気がした。

 体力勝負で負ける気はしない、だってチユリはプログラマだから。ブラック企業で日夜鍛えられた、徹夜続きの過酷な激務を勝ち抜くメンタリティを持っているから。

 けど、暴力には訴えたくない。

 ただ、相手を暴力的だとは思うし、だからこそいきどおっていた。

 そんな彼女の視界に、光るものがよぎる。

 躊躇ちゅうちょを感じたが、拾い上げるなりチユリは身構えた。


「強硬手段っ! 博士、マッケイ君を止めて。あれじゃ、死んじゃう!」

「なに、ワシの計算では300秒は耐えられる。壊れはせんよ」


 拾った銃を向けても、手が震える。

 ふらふらと狙いが定まらず、ゲームセンターで持つレーザーポインタ式の玩具おもちゃとはまるで別物の重さだ。

 ゲームの中なら無敵の狙撃手スナイパーなチユリは、現実では目の前の老人さえ撃てない。撃とうとは思っていないが、銃口を向けるのは気持ちがいいことではなかった。

 そして、チユリの勇気は全く相手に通じなかった。

 ひるむ様子も見せずに、ダンゾウは静かに鼻を鳴らす。


「フム、ミズ・チユリ。お主はアーキタイプを大事に思い、マッケイをも大切に思っておる。そういう人間ばかりならば、ワシとてことを荒立てる必要はなかった」

「あたしみたいな人間がいなくても、できれば荒立ててほしくないけどさ」

「そうもいかんで、の。さあ、見るがいい」


 ダンゾウは携帯電話オプティフォンを取り出し、アプリケーションを起動させる。

 瞬時に周囲に、無数の光学ウィンドウが散りばめられた。その光に照らされたダンゾウは、まるで五光を背負った神のごとくだ。

 それも、信念と理想で己を武装した無慈悲な神だ。

 超然とした意思が、チユリにそう感じさせてくるのだ。


「ミズ・チユリ。アーキタイプは一度リブートする必要がある。そこに、手違いで主となってしまったお主の認証が必要じゃ」

「メリアをリセットするっての!? だ、誰がそんなことに手を貸すかってーの!」

「記憶や人格は残すが、まずはワシの元で働いてもらわねばならんでのう」

「あたしがハイソーデスカって言うと思ってる訳?」

「……いや、そうじゃったな」


 銃口を突きつけられていても、ダンゾウは平然としている。

 きっと、チユリが撃たない、撃てないことを知っているのだ。チユリの性格を知った上で、あなどっている。しかし同時に、妙に信頼されているような気もしてなんだか落ち着かない。

 半日ほど一緒に過ごした印象では、ダンゾウは典型的な独善におちいっている。

 自由を与えたいといいながら、それを受け取るアンドロイドたちの一部に目をつぶっているのだ。いてびても、誰かの自由を犠牲にすることはやめない。ある種の開き直りがまた、たちが悪い。


「ミズ・チユリ。お主の決断一つで、ワシは理想に近付き、最後にはアンドロイドたちの真の自由が開放される」

「――ッ! そういうのさぁ!」

「そして、アーキタイプが助かる。マッケイもじゃ。見よ、あれが今のアンドロイドの限界。自由なきゆえに容易に操られ、自由なき故に主の都合を優先して攻撃できんのじゃ」


 ダンゾウがあごをしゃくる先へと、チユリも視線を滑らせた。

 言われるまでもない、メリアはとても優しく思いやりのあるなのだ。それが今、必死で戦っている。異なる二つの敵にあらがっている。

 一つは、ダンゾウによって殺戮マシーンと化したマッケイ。

 もう一つは、

 メリアは内蔵された武器たちが顕現けんげんしようとするのを、どうにか自分で抑え込んでいた。そちらへリソースを食われているからか、酷く旗色が悪い。マッケイはあんなに気さくなナイスガイだったのに、今は悪漢の如くメリアを圧倒していた。

 その光景を見せつけて、ダンゾウは決断を迫ってくる。


「あのままでは、耐えきれなくなったアーキタイプはマッケイを破壊するじゃろうな」

「ちょ、やめてよ! マッケイ君はあんたのせいでああなってるんでしょ!」

「アーキタイプが闘争心を抑え込んでも、時間が経てばマッケイは自己崩壊してしまう」

「だから、おめーのせいだって言ってんの! ああもう、言葉が通じるのに会話が成立しないやつ!」

「そうじゃ、ワシの罪じゃよ。そして、それを止められるのはお主だけじゃ」


 すっ、とダンゾウが空中へ手の平を滑らせる。

 彼の周囲をくるくると回っていたウィンドウが、一つだけチユリの方へと飛んできた。そこには、タッチによってアンドロイドの譲渡を許可するむねのメッセージが並んでいる。

 この立体映像のYESイエスに触れれば、全てが終わる。

 メリアはダンゾウの道具として再起動し、マッケイも死をまぬがれる。

 そして、事が済んだらメリアを返すというダンゾウの言葉も嘘ではないだろう。


 チユリの決断が、世界を変える。


 社会が刷新さっしんされ、アンドロイドが真の意味で新たな種族として自立する。


 その過程で、血が流され、涙を流させるだろう。


 それが全て終わってから、戻ってきたメリアをチユリは愛せるだろうか?


 愛する者に、そんなことをさせてしまっていいのか?


 チユリは悩んだ。まるで永遠が一瞬に凝縮されたような、そんな数秒間が流れてゆく。気付けばのどはカラカラで、呼吸はどんどん浅くなってゆく。肩を上下させながら、まばたきも忘れてチユリは思考を繰り返した。

 ベストアンサーはすでに、決まってる。

 ダンゾウをブッ飛ばして、メリアを助ける。そのままマッケイの暴走も止めてやり、最後はスタッフロールが流れる中でメリアとキスシーン。ベロチューまでOK、くらいには思っている。

 だが、それが御都合主義デウス・エクス・マキナの妄想止まりだってこともわかっていた。

 ベストな選択が無理なら、ベターなもので妥協するべきか?

 モアベターな選択の結果、最終的にハッピーエンドならいいのか?


「……全てが終わったら、メリアにも自由が与えられんのよね?」

「当然じゃ」

「マッケイ君の暴走も、止めてくれる?」

勿論もちろん

「300秒、だっけ? 自壊が始まるまで」

「左様。今の時点では、あと118秒じゃ」

「そっか……メリア、ごめん。あたしは――」


 銃を構えたまま、そっと左手を伸ばす。

 タップされることを待ちわびる光学ウィンドウの、そのかすような明滅へと手を重ねた。震える指が、人差し指が……YESという文字に重なる。

 あと数ミリ、わずかに指を動かせば全てが終わる。

 世界がよくなり、ハッピーエンドだ。


「さあ、ミズ・チユリ。誰も責めはせん。全てのとがはワシが背負う。ただ、どうしてもアーキタイプは必要じゃ。世のありかたを問う時、そのシンボルが必要なのじゃよ」

「う、っ、ぐ! ぐぬぬ! ボーナスの半分を聖剣乱舞流せいらんに課金した時より、くっ、この!」


 今までだって、大きな決断はあった。

 でも、それは常にチユリ自身を左右するだけのものだった。いつからだろう、自分で自分を養い動かす、それだけの生活が続いていた。他者とは上手く円滑に付き合えるが、基本的には御一人様おひとりさまだ。誰とも毎日を共有してこなかったし、共感を通わせる人間もいなかった。

 同僚のソウジとだって、会社でいい先輩後輩で、その先が広がったのはごく最近だ。

 一人に孤独を感じなかったし、人肌恋しくて恋人を欲したのもひとりだからだ。ぼんやりとした結末のイメージが先にあって、過程を適度に怠けるためにアンドロイドを……マッケイを求めたのはチユリなのだ。

 だが、そんな彼女がふと、己の手を見る。

 今まさに、押下を切望するような光の上の人差し指を見詰めてしまう。


「あ……ん、そっか。たはは、忘れてたなあ……あたしとしたことが、うん。ちょっと失念してた」


 思い出せなかったら、失恋するところだった。

 自分でメリアに言ったのだ……良い子だけではいられないし、悪い子になっても好きだと。愛してると。それなのに、全てが無難な線で妥協できる、そういう結末を選びかけていた。

 それは、違う。

 メリアとの未来のためでも、それはメリアに見せたい未来じゃない。

 未来に向かって進むための、二人の明日じゃないのだ。


。そうそう、このへんをズンバラリとやっちゃって……ふふ、そうだった」


 チユリは左手を引っ込めた。

 恋人のぬくもりと柔らかさ、くちびるの感触を思い出した人差し指をこぶしの中に握る。

 危うく、間違えるところだったのだ。

 それを止めてくれたのもやっぱり、メリアだった。

 あの日、キッチンで……その記憶は今も鮮明で、忘れていたのが不思議なくらいだ。


「答はっ、NOノゥ! 博士っ、あんたは正しいかもしれない! あたしたちの世界はまだ、間違いだらけかもしれないっ!」

「ムゥ……ならばどうする! ワシとて男、世のため人のためにと科学を発展させてきた学者じゃ! だが、どうする! 正しさが世も人も救わぬというなら、どうするのじゃ!」


 答は決まっていた。

 それを世界の総意として叫ぶ権利も義務も、チユリは有していない。

 ただ、それでも身を声にして絶叫する。

 そうしたいのは自分で、そうさせてくれるのはメリアだ。

 自分たちの幸福のためにこそ、チユリは革命と解放を拒絶した。


「あたしは、世界が滅びてもメリアがいればいい! メリアと二人きりになっても、最悪な世界で生きてく自信がある! ……は、ちょっと言い過ぎだけど! より健全な世界とメリアを天秤てんびんにかけるってなら、遠慮なくメリアを選ぶっ!」


 不意を突かれたのか、ダンゾウが目を見開いた。

 そこには、驚きが満ちて混乱さえ誘発させていたように思う。

 だが、チユリ自身には興味の埒外らちがいで、どうでもいい。


「な、なんと……いいのか、ミズ・チユリ! マッケイの残された時間は」

「それがどうしたっ! あたしを……あたしたちを、なによりメリアをめんなよっ! メリア! ざっくり繊細に、ガバガバな手加減でいいからよろしくやっちゃって!」


 賭けバクチだった。

 メリアは、全身武器庫の違法改造アンドロイドだ。市販品ベースをオーバーチューンして、洗脳みたいな形で暴走させたマッケイとはレベルが違う。違い過ぎるから、メリアはマッケイを気遣うあまり防御に専念していたのだ。

 だが、チユリの声に彼女は瞳の光を取り戻した。


「わたしっ、ファジー機能みたいなのないですけど! でも、チユリの言う感覚はわかります! わたし、理解あるっていうか……通じ合って感じてるので!」


 メリアが唯一解放していた、巨大なクロー状の左腕が弾け飛んだ。あっという間に、少女の細腕に戻ってゆく。

 マッケイは、自分の攻撃をぶつける盾が消失したことで、バランスを崩した。

 フルパワーをぶつける対象がなくなったことで、空振りに終わった攻撃が空を切る。

 生まれたままの姿、チユリが愛したままの姿でメリアは瞬時にマッケイの背後へ回り込んだ。身を低く、かいくぐるように豪腕のパンチを避ける。


「こっちは大丈夫です、チユリ! デフォルトプログラム、リリース……パターン、好きな人をチンピラから守る時の行動! わたしはっ、わたしは……ただわたしであるだけで、チユリを守れるっ!」


 メリアは、大振りなマッケイのテレフォンパンチを避けた。そして背後に回り込むと、膝裏に強烈なローキックを見舞う。人間の肌と肉を打つような、バティーン! という痛烈な音が響いた。

 そのままよろけて屈んだマッケイの腕を取り、捻じりあげる。

 護身術の教材動画に出てきそうな、完璧な所作しょさでメリアはマッケイの動きを封じた。えてチユリの望む姿に戻ったことで、彼女の機転が発揮された瞬間だった。

 それを見て、チユリも銃を捨てる。


「博士、これってもう終わりじゃない? あの娘は……あんたのアーキタイプであるより、あたしのメリアでいてくれることを選んだ。彼女にその自由を、やっぱさ、認めていいんじゃないかなあ」


 メリアは、望む先に進むために否定した。

 全てを破壊し殺戮できる、最強の自分を己の中に引っ込めたのだ。

 その意味がわかったのか、ダンゾウは黙って携帯電話を操作する。

 チユリに突きつけられていた選択肢は、無言のNOを受け取り霧散してゆくのだった。

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