第10話「湯の音に溶けて消える」
結論から言うと、カレーライスは
メリアの気まぐれカレー、チユリの微々たる女子力を
それが今も、頭の中でグルグルと渦を巻いている。
バスルームで一人きりになると、彼女の戸惑いは独り言となって漏れ出た。
「少女漫画でよくあるやつだ……彼氏にされて嬉しいアレだ、けど……」
バスタブの湯に身をひたして、目元まで沈む。
ぶくぶくとつぶやきが泡立って、入浴剤のハーブの香りに溶け消えていった。
少女漫画でよくあるやつ、いわゆるお決まりのお約束なシーンだ。ヒロインが料理中にうっかり、指を切ってしまう。イケメン彼氏がそこで「なにやってんだよ、もう」とか「大丈夫かい? ちょっと見せて」といった趣旨の
ぶっちゃけ、大好きなシチュエーションだ。
そういうのを、部屋の壁や天井に同化して見守りたいのがチユリというメンタリティである。
「まさか、我が身で実体験してしまうとは……グヌヌ」
だが、不快ではない。
嫌ではないのだ。
むしろ……そう、
ときめいたような、なにかが
今まで全く考えたことがなかったが、
そして今、運命の
彼女を家族のように感じているし、不可避の別れも迫っている。
そんな中で今、チユリの気持ちが大きく揺らいでいるのだ。
「いや、あたしにそんな趣味は……え、ちょっと待って。じゃあ、あれ? どうして……うーん」
バスルームのドアが静かに開いたのは、そんな時だった。
湯けむりの中で振り返ると、そこにはチユリを悩ます天使の姿があった。突然舞い降りてきて、いわゆる落ち物ヒロイン的に押しかけ女房してくれた少女だ。
メリアは、細い自分をタオルで覆って
「チユリ、たまにはお背中でも流そうかと……あれ、どうかしました?」
「い、いやあ……まあ、うん。ありがと」
「ふふ、ご迷惑でしたか? ……みたいなこと、
「ほほう、さてはお
「ええ、物凄く理解ありますからっ!」
ついついおどけながら、表情を取り繕って湯船から顔を出す。ゆったりつかりつつも、改めてメリアを見上げれば
人間の欲とエゴというのは、時として素晴らしい美の結晶を生み出す。
好奇心や探究心、希望や向上心も全てそこからくるのだ。
人間の女の子にしか見えないメリアは、本当に創作物に出てくる女神のように美しい。まだまだあどけなさを残す表情に、少女を脱しかけている肢体のしなやかさ。そして、その全てが恐らく、どこかの誰かが望んだ姿なのだ。
メリアもまた、チユリを見下ろしニッコリと笑う。
「やっぱり、大きいと浮くんですねぇ。女子力です、女子力! 女子みを感じますっ!」
「こーら! なに見てんだか……肩が凝るし、大変なんだよ?」
「そうらしいんですよね。わたしたちアンドロイドだと、オーダーされたサイズのパーツに過ぎませんし、あとからホイホイ変えられちゃったりもしますけど」
「あたしもそうできたら、今頃スッキリしてるんだけどさ」
チユリのちょっとしたコンプレックス、それは幼少期から無駄に発育がよかった胸だ。母性の象徴という人もいるが、こんな特大サイズを左右に二つもぶら下げてる身としては、困りものである。脂肪の
そこんとこいくと、メリアのつつましいボディラインが
豊かさだけが、美しさではない。
なにも引かない、なにも足さない。
とりあえずチユリはバスタブから立ち上がると、改めてもう一度メリアに身体を流してもらうことにする。
「そういえばさー、メリア」
「はいっ」
「君、本当のオーナーさんのこと、もう色々と聞いてる?」
「必要最低限の知識は得ていますよ。でも、個人情報なのでっ!」
「だよねー」
椅子に座ると、背後でせっせとメリアがボディソープを泡立てている。濡れて曇った鏡の中には、仲睦まじいように見えなくもない二人がぼんやりと映っていた。
本当は、
そして、チユリの傍らにいるべき恋人もまた、メリアではないのだ。
それなのに、不思議と互いの距離感や立ち位置が、妙に意識させられる。
きっと、もう
アンドロイドの唇と舌とは、
「まあでも、わたしって多分、本来のマスターに巡り合っても……ちゃんと好きになると思うんですよね」
「そういうものなの?」
「わたしたちは基本、ベーシックな部分のプログラムは結構シンプルなんです。ほら、野生動物の
確か、卵から生まれた鳥とかが、初めて見たものを親だと思い込む現象だ。
メリアたちラヴァータイプのアンドロイドは、事前に注文したオーナーの情報をある程度与えられている。そして、開封時に改めてオーナー本人を認識して、それがトリガーになって好意を抱くようになるという。
そう説明されたところで、では自分はどうなのだろうとチユリは考えてしまった。
メリアが初めて見たのは、徹夜続きでヘロヘロになったチユリなのである。
「でも、待てよ? ああ、そっか。あたしを見ても初期設定された情報とのマッチングに
「ふふ、そうですね。……秘密、ですっ」
「マジかー、まあそうだね。でも、メリアの幸せをあたしは祈ってるよん?」
「はいっ。わたしもチユリのこと、忘れません」
それはそうと、メーカーとのやり取りに進展はない。やはり、こういった非常にプライベートなアンドロイドの誤配送なんて、珍しいのかもしれない。
でも、そのちょっとした手違いが素敵な出会いを生んだ。
きっと、メリアがいてくれなかったらチユリは……理想の彼氏ロボとの生活で、変に張り切ったり気負ったり、空回りしたと思う。独り立ちして都会で暮らし始めてから、ずっと忘れていた概念、家族のぬくもりというやつを思い出したのだ。
「まー、あたしの場合は思い出したっていうか、割と初めて知った的なやつかもだけどー? ふふ」
「むむっ、チユリ! なんですか? 今、笑いましたよね。なにか、楽しい話ですか?」
「そうでもないけどさ。生活の一部が誰かと共有化されると、適度な刺激と安心感ってやつ。実感しちゃったなーって」
そう、だからきっと多分、絶対に恐らくそうだ。
今の胸の高鳴りは、孤独に鈍感だった自分が感じた、他者のありがたさというやつなんだ。チユリはそう思うことにしたし、ロジカルにそれが自明の理だと結論付けた。
仕事柄、どうしても論理や合理、正当性といったものを重視してしまう。
実際には、人とのコミュニケーションはあいまいであやふやなものなのに。
それだけはまだ、チユリの中で経験としても知識としても存在していないのだった。
「はい、チユリッ! お湯で流しますよー?」
「よろしくー」
「お肌のケアは、結構気を使ってるんですか? すべすべで凄く綺麗ですっ」
「特になにもー? っていうか、仕事がやばい時とかガサガサだよ。年は取りたくなーい、って思うレベルで荒れ地だよ」
「これで、よしっ。あ、髪も洗いましょうか」
「うんにゃー、大丈夫。でも……逆はどうかなあ! フフフフフ……!」
邪悪な笑みを作って振り向けば、メリアはきょとんと目を点にしている。そんな彼女を、今度はチユリが洗ってあげることにした。いつも家事に大活躍だし、料理も教えてくれる小さな大先生だ。もう、足向けて寝られないくらいの大恩人である。
さあさあとスポンジを取り上げ、メリアに向こうを向かせる。
「くっ、これが十代の肌……なにこれ、超
「あ、そういう素材なんです。医療技術が発達する過程で生まれた、人工皮膚ですねっ」
「お手入れいらずなやつ?」
「まさかっ! わたしたちアンドロイドだって、代謝は緩やかですが生体パーツのメンテナンスは必要です。適度に不便で、それを望むのもまた人間ですから」
メリアの
それもまた、人類の英知の結晶であり、理想と夢をマシーンに求めてきた結果なのかもしれない。でも、その肌の体温は間違いなく、メリアという一人の少女から生まれたものだった。
「ん、そういえばこれは」
「ああ、これは共通規格のコネクターです。非常時の電源や大容量データの出し入れに使うんですね」
メリアの背を流してやってると、うなじのところに小さな金属製の四角形が埋まっているのが見えた。それは、カバーで保護されたコネクターだ。これがなければ、メリアは人間と全く見分けのつかない女の子だろう。
メーカーのロゴが入ってて、大昔のSFアニメに出てくる女の少佐を思い出した。
思わずそっと手で触れてみたら、意外な反応が返ってきた。
「ひ、ひあっ! だ、駄目ですよ、チユリッ! ……ちょっと、そこは」
「え? 弱点? ここにコンボを叩き込むと、ビヨヨーン! ってカバーが取れてピヨるとか」
「……時々いますよね、二十世紀のサブカルチャーにやたら詳しい人。あ、でも……わたし、理解ありますから。でも、ここは駄目ですっ」
「ふーん……ムフフ、かわいいとこあるじゃーん?」
「もー、なに言ってるんですかぁ。わたしからかわいさを取ったら、なにも残りませんって」
身も
そう、好きだなと思うし、それはそこに今は修飾も装飾もいらない気がするのだった。
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