第9話「キッチン・パニック!?」

 帰宅後、チユリはそれとなく携帯電話オプティフォンで調べてみた。

 ロボット工学の第一人者ながらも、突如として歴史の表舞台から消えてしまった男……鉢須賀ハチスカダンゾウについてである。

 だが、Watchpediaウォチペディア勿論もちろん、学会のデータベースにもその痕跡を見つけることはできなかった。ただただ偉業の数々が列挙されているが、どの記録も戦後にブツリと途切れている。まるで突然蒸発してしまったようで、その表現が比喩に聞こえないくらいだ。

 今の現代社会に大きな影響を与えた偉人に、いったいなにが?

 その答えを求めてネットの海を彷徨さまようも、答えはおろか手がかりすら見つからなかった。


「うーん、やっぱりサクラさんには見せられないよなあ。大恩人だし。っと、聖剣乱舞流せいらんのデイリー消化しなきゃ! やばっ!」


 周囲に浮かぶ光学ウィンドウを、そっと片手で寄せて一つに束ねる。そして、チユリはいつものアプリケーションを立ち上げた。聖剣乱舞流は、今一番チユリがハマってる、ドハマりしてるゲームである。

 自分のファッションには無頓着むとんちゃくくせに、日々のこまめなゲームのプレイは欠かさない。オタクとは総じて、意外と几帳面きちょうめん生真面目きまじめな時がある。

 だが、流れ出したオープニングが突然弾けて霧散した。

 光学ウィンドウが消えた向こうには、エプロン姿のメリアが立っていた。


「さっ、チユリ! お料理教室の時間ですっ。ファミコンはあとにしましょう」

「ファミコンって、おばあちゃんか! ってか、旧世紀人かってのー」

「今のはほんのジョーク、アンドロイドジョークです。大丈夫ですよ、チユリ……わたし、理解ある方ですから。食後にゆっくり遊んでください」

「いやでも、せめて遠征関係の任務だけでも……」

「今は二人の初めての共同作業が大事です! 女子力を上げなきゃいけないんですっ!」

「おおう……はぁい」


 一緒に料理すると約束したし、チユリが料理の腕を上げたいと思ったのは本心だ。なにせ、リア充な後輩に絶望的な料理下手だと思われているだけでも、ちょっと恥ずかしいと思えてきたからだ。

 それに、本当の恋人アンドロイドが来たら、手料理くらい御馳走したい。

 彼氏の手料理というのも魅力的だし、厨房に立つ美男子はそれだけでジャンルとして確立するくらいにエモい。

 でも、チユリが求めてるのはシェフやコックではなく、パートナーなのだ。


「よっし、じゃあやりますか! メリア、今日のメニューは?」

「ふっふっふ、抜かりありません……料理の基本、さしすせそから教えたいとこですが、時間にも限りがあります。今日は定番でいきましょうっ」


 そう、二人の時間は限られている。

 そして、当たり前だが別れの日がやってくるのだ。

 相変わらずメーカーの方では、事実確認中ですの一点張りだ。こういう時はたいてい、簡素なメール内容とは裏腹に向こう側が修羅場な場合もある。チユリだって、仕事で致命的なバグが発覚した時など、忙しくてたまったもんじゃなかった。

 こういう時はジタバタせず、待つ。

 待つ間は、とりあえず楽しむ。

 でも――


「でもなあ……普通はこぉ、情が移るー、とか言うのかなあ」

「? どうしたんですか、チユリ」

「いやさ、例えは悪いけど、ゴメンね? 子犬を拾ってしまって、飼い主を探す間だけ飼ってたら……なんてこと、あるじゃない」

「よく、小さな子供のいる家庭で聞く話ですね。あと、わたしはネコの方が好きですっ」

「いや君、絶対犬でしょ、わんこでしょ。いやまあ……それはいっか」


 なんとなくだが、人生経験の大半が画面の向こう側とのやり取りだったためか、チユリにはこれといった実感がない。どんなネットゲームでもサービス終了の時はやってくるし、ネットで親しかった友人が突然音信不通になるのも慣れっこだ。

 大事なレアアイテムを敗北ペナルティで失うのとは、ちょっと違うとも思う。

 ただ、自分がなにか欠落を抱えてるような気がしなくもない。ただ、それをメリアに打ち明けていいかもわからないし、だからとメリアと距離を置くことも躊躇ためらわれるのだ。


「今日は、カレー! カレーライスを作りますっ!」

「おおっ、カレー! 大好き! ……でも、カレーは簡単過ぎない? 流石さすがにあたしでも作れるよ、それくらい」


 すかさずメリアが「ほんとうでござるかあ~?」みたいな顔をする。そんな彼女を追って、チユリも我が家のキッチンへと続いた。渡されたエプロンを身に着け、そういや昔こんな派手ながらを買ったなと思い出す。

 それにしても、初手でカレーとかめられたものである。

 カレーは日本人にとっては、義務教育の過程で必ず一度は作らされる家庭的な料理、ある意味で国民食と言っても過言ではない一品なのだ。


「ではチユリ、カレーの作り方を知ってますか? ここでは、ごくごく一般的な日本食のカレーライスのお話ですっ」

「んーと、まずスーパーに言って」

「ふむふむ」

「どの辛さのレトルトカレーがいいかを選んで」

「はい、駄目です! 全然話にならないレベルですっ!」

「じょ、冗談だってば。お野菜とかお肉とか、あとエビとか? それとルーを買う。市販のルーを使うくらいはオッケーだよね? え、それとも小麦からいくやつ?」


 メリアが冷蔵庫を開けて、手招きしている。

 中身を覗き込んで、思わずチユリは「わぁお」とアホっぽいリアクションをしてしまった。自分の家の冷蔵庫なのに、整然と食材が並んでいる。インスタント食品とお酒ばかり乱雑に突っ込まれてた痕跡は今、どこにも見られなかった。

 整理整頓が行き届いた状態は、あらゆるものが綺麗に見える。

 プログラムのコーディングだって、完璧なものは美しい。

 冷蔵庫には今、多種多様な食材がそれぞれあるべき場所でチユリを待っていた。


「はい、では改めて……カレーの作り方、知ってますよね?」

「えっと、野菜を切って、煮て? あ、いや、茹でて? そこにルーとお肉とエビと」

「チユリ、エビが大好きなのはよくわかりました。……でも、全然っ! 駄目です!」

「えー、だって」

「だってじゃないですよ、義務教育で履修済みじゃないんですか!?」

「チームワークって素敵だよね、うんうん……きずな!」

「絆じゃありませんっ。もー、大方クラスメイトに丸投げして皿洗いとかしてたんでしょ」


 流石さすがにメリアは最新モデル、過去を見透かす機能も搭載されているらしい。

 それは冗談としても、それなりに事情があるものの、やっぱり恥ずかしいチユリだった。顔が火照ほてって変な汗が滲んでくる。実際、小さい頃から生活力が極度に欠けているとこがあって、特に料理はからっきしだ。

 むしろ、それでも生きてこられた自分を褒めてあげたいくらいである。


「いいですか、チユリ……まず、エビは炒めておいて最後に入れるんです。最初から入れて煮込んだら、固くなっちゃいますよ」

「あっ、そうなんだ」

「あと、今日は牛肉を使うのでエビはナシです。さあ、まずは野菜を洗って切りましょう!」


 溌剌はつらつとメリアが働き始めた。そのテキパキした動作は、一挙手一投足が洗練されている。全く無駄がない動きが、逆に彼女をアンドロイドらしく見せていた。

 メリアにうながされるまま、二人で野菜を洗う。

 そこからは、さあさあとメリアは先生目線だ。

 仕方がないので、チユリは久々に包丁を握るしかない。


「そう、手をえて静かに……力を入れて切る必要はないんです、チユリ」

「う、うん。ちょっと、でも、おっかないかなあ」

「大丈夫です、しっかり女子力出てますっ。……それにしても、どうしてこんなに切れる包丁があるんですか? 料理、ほとんどしないって」

「聖剣乱舞流のコラボ包丁なんだよねえ、これ」

「ああ、マゴロクとかそういう流れで、ですね? ふふふ」


 また、優しい眼差まなざしで見られてしまった。

 だが、メリアの笑顔は本当に眩しい。

 彼女は野菜をチユリに任せて、お肉の下処理にかかった。まだまだそこはハードルが高いと思ってたチユリのために、メリアは丁寧に説明しながらお肉をいためにかかっていた。

 炒めてから、改めて最後に煮込むのか……カルチャーショックである。

 それくらい、チユリは料理に関して無知な上に興味を持っていなかったのだ。


「でも、うん……悪くないねえ。甲斐甲斐しいって、こういうことだろうな」


 ちょっとニヤけてしまう程度に、自画自賛じがじさんである。なにより、小気味よくフライパンで油と肉とを踊らせるメリアの、その真剣な横顔に見惚みとれてしまう。

 こういう真摯しんしな愛情というか、気持ちと想いの表現をこそ学びたいくらいだ。

 彼氏アンドロイドがやってきたら、やはり手料理で胃袋を掴もう……固く心に誓った、その時だった。


いたっ! ったー、やっちゃったか。そうそう、これこれ。こゆ感じだから料理が駄目なんだよねー」

「チユリ? あっ、だだだ、だっ、大丈夫ですか! 血が、血が出てます! 落ち着いてください、そこまで深くはないです」

「いや、メリアが落ち着いて」

「は、はいっ。深呼吸、します……すぅー、はぁ……どどど、どうしましょうっ! 血が!」


 珍しくメリアは慌てていた。こんなにも動揺する彼女は初めてで、その新鮮さがチユリに痛みを忘れさせる。なんてことはない、かすり傷だ。だが、鋭利な刃に切り裂かれた肌には、鮮血が滲んでいる。


「落ち着きなって、あたしなら大丈夫。ほら、これくらいは舐めとけば――」

「そ、そうですねっ! では!」

「えっ、あ、ちょっと、メリア!?」


 それは突然だった。

 そして、憧れの創作世界にこんなの、沢山あった気がする。

 メリアは不意にチユリの手を取り、血の出てる人差し指を口に含んだのだ。ひんやりと冷たい舌の手触りに、思わずドキリとしてしまう。上目遣いに見上げてくるメリアは、本当に心配そうだ。瞳が潤んで、今にも星屑が零れてしまいそうな程である。


「あ、と、止まった。血、止まったよ。えと……ありがと、メリア」


 心臓だって止まりそうだった。それくらいドキリとした。メリアが口を離すと、本当に血は止まっていた。薄皮一枚といったとこだろうが、痛みに代わって熱が傷口に居座ってる気がした。


「あっ、いえ、その……本当は雑菌が入るので、こゆのは、よくない、です。けど」

「えっ、そうなの? ツバつけときゃ治る、的な感じで……い、いいんじゃないかな」

「……ツバ、つけときましたからね? エヘヘ」


 意味深な笑みで、ようやくメリアは明るい表情を取り戻す。

 その日の夕食は、少しだけ焦がしてしまった牛肉のカレーライスになるのだった。

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