第8話「遠き日の記憶」
ソウジの作ってくれた鍋焼きうどんは、
サクラだけが専用の低タンパク食を食べていた。
やはり、製造された時代が違えば、使われているテクノロジーも大きく異る。
チユリの隣ではメリアが、腹ペコキャラ丸出しで
食後にまたお茶が出て、午後の穏やかな時間がゆっくり流れ始める。
「へえ、それじゃあサクラさんはずっと前からソウジ君の家に?」
「はい、チユリさま。ソウジさんがうまれるもっとまえ、ソウジさんのおばあさまがさいしょのオーナーでした」
「戦前の話かあ。あれだ、まだ化石燃料が主流の時代で、ようやく世界のネットワークシステムが完璧に整い出した頃だね」
「とうじ、おくさまはまだ20さいになったばかりで……わたくしは、よめいりどうぐのようなものでした。ふふ、なつかしいですね」
確かに、大昔のアンドロイドは当時の高級品だ。
ソウジはドイツ系の三世で、割といい家のお坊ちゃんだったという話は以前に少し聞いている。彼の祖母は、サクラを連れて日本からドイツに嫁いたのだ。
「わたくしはずっと、おくさまのメイドをつとめさせていただいてました」
「なっ……やはりメイドロボ! くーっ、このわかってる感!」
「チユリさま?」
「あ、ううん、ゴメンゴメン」
一瞬、隣でキュピーン! とメリアが瞳を輝かせた。
その、妙に生暖かい
――大丈夫ですよ、わたし理解ある方ですから、と。
優しさがちょっぴり痛くて、チユリはニハハと乾いた笑いを返すしか無い。
そんな中、サクラはソウジとの
「おくさまのおまごさんとして、ソウジさんがうまれて……わたくしがおせわをおてつだいさせていただきました」
「僕んち、両親がどっちも研究者で忙しくて。それで、ばあちゃんの家で……ここで生まれて育ったんです。母なんかもう、酷いんですよ」
そう言って笑うソウジは、会社とは違う素顔を見せてくれる。
東洋一の大都市、東京のド真ん中……再開発から取り残されたこの家でソウジは生まれた。彼の母親は世界各地を飛び回っていて、次の出張先への経由地である日本で慌ただしく出産したという。そしてそのまま数日後には海外へ飛んでいったらしい。
その時のことを思い出したのか、サクラはうっとりと目を
彼女が両手で覆う
「とうじのソウジさんは、とてもかわいかったです。ちいさいころはとにかくヤンチャで」
「ちょっとちょっと、サクラさん?」
「あっ、いまもすごくかわいいですよ? かわいい、かわいい、わたくしのソウジさん」
「ちょっと、もう! いい年した男にかわいいはよしてよ」
二人を見ていて、チユリは本音と建前が同時に脳裏に浮かんだ。
(いやあ、素敵な出会いじゃない。ソウジ君、末永くお幸せにね)
チユリもまた、生暖かい視線になっていた。
「なんですか、先輩。すっごく気持ち悪い笑顔になってますけど」
「うんうん、リア充爆発しろ。超新星爆発しろ」
「……心の声が出ちゃってますよ」
「あっ、逆! 逆だ、逆! うんうん、素敵な出会いじゃない。サクラさん、他には?」
まるで夢みる乙女のように、静かにサクラは記憶を
その言葉を待っていた一同だったが、奇妙な沈黙に顔を見合わせた。
サクラはどやら、また少しフリーズしていたようだ。
そして、ふと思い出したように再び喋り出す。
「ええと、ソウジさんのおばあさまがさいしょのオーナーでした」
「サクラさん、そこはさっき話したとこ」
「とうじ、おくさまはまだ20さいになったばかりで」
「あっ、しれっと押し通す気だ。サクラさん、時々そゆとこあるよね」
「なにを言ってるんですが、ソウジさん。うふふ」
「ちょっと、痛い、痛いって、はは」
にこやかな笑顔でサクラは、ソウジの背中をバシバシと叩いた。
なんだか、うん……やっぱり爆発しかない、
でも、どこかチグハグなのに、二人の間を行き交う言葉はとても温かい。
そして、サクラは自分の背中を押してくれた人のことを教えてくれた。
「わたくし、まいにちソウジさんのおせわをしていたら……じょじょにきもちが」
「サクラさんはその頃にはもう、既に旧式だったけど。でも、僕には関係ありませんでしたよ」
「それで、おくさまにそうだんして、はかせをしょうかいしてもらったんです」
その人の名は、
だが、サクラは瞳を潤ませながら懐かしい記憶を引っ張り出す。
「ハチスカはかせはおっしゃいました。わたくしに、じゆうにいきるべきだと。きもちにすなおに、こころにしょうじきにいきなさいと」
「へえ、いい人だ。よかったね、サクラさん」
「はい。はかせはわたくしのために、わざわざメンテナンスようのパーツをいろんなメーカーからかきあつめてくださいました」
サクラを製造したメーカーは、
そして、現行の法制度がなかった時代は、パーツ各種の在庫保管期間には、これといった制限が設けられていなかったのである。
だが、蜂須賀博士のおかげでサクラは大丈夫らしい。
ソウジも、彼女があと半世紀は稼働していられると言った。
運がよければ、もう少し生きれるとも語ったのである。
「それにしても、ふう。ごちそうさまだねえ……ソウジ君、なかなかにリア充じゃん」
「いや、それほどでも……ありますね。滅茶苦茶充実してますよ」
「こんなかわいい奥さんがいるんじゃ、飲みに誘っても来ないわけだよなあ」
ソウジは、会社での付き合いは凄く悪い。
日本ではまだまだ、旧世紀の仕事一筋体質が色濃く残っているのが現状だ。
でも、ソウジは仕事は完璧だったし、仕事より大事なものを持っていると前から思っていた。そういう人間はえてして仕事にも熱心で、決められた時間内でのタスク完了を前提に動いてくれるから楽なのである。
そんなことを思っていると、サクラが
「ソウジさん、チユリさんのおさそいをことわってるんですか?」
「え、あ、いや! それはね、サクラさん。ええと、なんというか」
「おしごとのおはなしもあるでしょうし、かいしゃでのおつきあいもたいせつです、よ?」
「は、はい……その、すんません」
なんだか、ソウジが母親の前で恐縮する
すかさずチユリに代わって、メリアがフォローの言葉を挟んだ。
「あっ、大丈夫ですサクラさんっ。チユリはそういうことは気にしないタイプなので」
「おーい、メリアー? もぉ、そうだけどさ。君が言っちゃうかな、君が」
「
「いい切っちゃったよ、フフフ……ま、そうだね」
チユリだって、会社の付き合いはそこそこ、ほどほどにしている。重役や上司、先輩のお方々との酒の席は、なかなかに居辛いことも多いのだ。それに、アラサーで独身の
会社での人間関係は良好だが、そこだけがチユリの居場所ではない。
それに、チユリの趣味やプライベートを知ったら、一部の男性社員は落胆したり卒倒したりする……それが現実なのだが、当のチユリ本人は全くそのことを自覚した試しがなかった。
「あ、そうですね……ソウジさん。たまにチユリさんをわがやにおまねきしてはどうでしょう。おきゃくさまがいらしてくださると、わたくしもとてもうれしいです」
「そっか。そうだな、とういう訳で先輩。飲むなら今度、うちに来てくださいよ。先輩なら大歓迎ですって」
「えー、お邪魔虫なんじゃないのぉ? でも、ありがとね。お呼ばれするよん!」
「ええ、是非お願いします。その方がサクラさんも……サクラさん?」
サクラはお茶の湯呑を両手に持ったまま、固まっていた。
その表情はとても和やかで、見ているチユリまでほっこりとしてくる。
彼女はソウジに肩を叩かれ、ようやく再び動き出した。
「あ、えと、はい。それで、おくさまにそうだんして、はかせを」
「そこはもう話したよ、サクラさん」
「あら? そう、でしたか……でも、ハチスカはかせはおげんきでしょうか。さいきん、おなまえをきかなくなってひさしいのですが」
そうなのかと、思わずチユリは携帯電話を取り出した。
だが、そっと手を添え、無言の視線でメリアが首を横に振る。
どうやら、なにか理由がありそうだ。
サクラの世代のアンドロイドには恐らく、個人でネットワークに接続する機能は搭載されていないのかもしれない。なんでもネットで調べるのがチユリの悪い癖だが、ここではよしたほうがよさそうだ。
それでも、恩人に対してのサクラの敬意は強い。
「ハチスカはかせは、あらゆるロボットにじゆうをねがっていました。それは、わたくしがうまれたじだいにはとてもむずかしかったんだとおもいます」
「そうだね……大きな戦争もあったし、人間は痛い目を見ないと考えを大きく変えられないから」
「でも、いまはとてもいいじだいですね。メリアさんたち、わかいせだいのアンドロイドはとてもいきいきしてみえます」
静かに微笑み、サクラは「あ、おちゃのおかわりをおもちしますね」と言って立ち上がった。そんな彼女をフォローするように、自分がとソウジも並んで立つ。
メイドロボと一緒に暮らして、メイドロボをお世話しながらソウジは毎日を生きている。そして、その先には避けられぬ別れが既に確定しているのだ。
それでも二人は、身を寄せ合って楽しく幸せに生きていくだろう。
そう思えるから、チユリには一抹の切なささえも愛おしく感じる。
そして、同じ想いを隣のメリアの笑顔にも見出すのだった。
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