第7話「琥珀の中に咲きゆく花」

 なんやかやでチユリは、ソウジに自宅へ招かれてしまった。勿論もちろん、メリアも一緒である。妙なところで律儀な後輩が、成人男性として奇妙を通り越して珍妙極まりないイキモノだと知ったのだった。

 ともあれ、女性用の下着選びを手伝ったお礼にランチを御馳走ごちそうしてくれるという。

 プライベートの全てが謎だったソウジの誘いに、チユリは少し興味が湧いたのだ。


「あ、僕んちここです。ちょっとボロいですけど」

「ほえーっ、凄い家……いいなあ、雰囲気ある!」

「いや、維持も結構大変ですけどね。それでも、一応生家なんで」


 デパートから無人タクシーで15分、都心のド真ん中に現れた……それはまさしく、大昔の木造平屋建、日本家屋である。メリアは勿論、チユリだって映画やアニメでしか見たことがないたぐいのものだ。

 大昔に使われていた元号、明治だとか大正、昭和といったおもむきの古民家である。


「ま、あがってください。ただいまー、サクラさん? 戻ったけど」


 門を入って少し歩いて、ガラガラと引き戸を開くソウジ。ふと横へ視線を滑らせれば、庭には木々や草花が綺麗に整えられていた。手入れの行き届いた庭園に面して、縁側まである。

 だが、ソウジの声に反応はない。

 なにかなといぶかしく思うほどに、奇妙な静寂があった。

 そして、ようやく奥からパタパタと足音が小走りに駆けてくる。


「おかえりなさい、ソウジさん」

「うん、ただいま。調子はどう?」

「だいじょうぶ、です。いつも、ごめんなさい」

「いいさ、無事に買い物もできたし。ああ、そうそう、紹介するよ――」


 現れたのは、酷く古めかしいメイド服姿のアンドロイドだ。最新型のメリアと比べるべくもなく、骨董品アンティークレベルの旧型である。

 その証拠に、サクラと呼ばれた女性の頭部には巨大なデバイスが突き出ている。

 アンドロイドというよりは女性型ロボットといった感じだ。昔は技術が発展途上だったこともあり、アンドロイドの全身は機械であることを示す記号に溢れていた。このサクラもそうで、そこには人間がアンドロイドを機械だと認識し易いようにとの配慮とエゴが介在していたのだった。

 サクラはゆっくりとチユリを見て、メリアを見る。

 またしても、妙な間が挟まった。


「……ああ、おきゃくさまですね。ようこそいらっしゃいました」

「ど、ども」

「こんにちはっ、わたしはメリアです! うわあ、大先輩だ……凄いっ! よろしくお願いしますっ」


 メリアがキラキラと瞳を輝かせていた。

 彼女の深々と頭を下げたお辞儀に対して、やはり一拍おいてからサクラも礼を返す。

 作られた年代が違うだけでもう、メリアとサクラは全く違う者同士に見えた。メリアを容姿や言動だけでアンドロイドと判断することは難しいだろう。しかし、サクラを人間と間違える者は絶対にいない。

 だが、ソウジがサクラに人間以上の愛情を注いでいることはすぐにわかった。


「くっ、エモッ! とうといかよ!」

「ん? どうしたんですか、先輩」

「あ、いや、ソウジ君、ゴメン。それと、サクラさん、はじめまして。タチバナチユリです。こっちは、えっと、改めて」


 ちょっと迷ったけど、思いがけない言葉が出た。

 きっと、仲睦なかむつまじいであろう若夫婦、しかして実際は年の差婚……そんなソウジとサクラにぬくもりを感じたいからかもしれない。


「最近家族になった、メリアだよ。よろしくね」

「はい、よろしくおねがいいたします」


 やっぱりちょっと、サクラのリアクションはスローテンポだ。

 ひょっとしたら、調子が悪いのかもしれない。ソウジが一人で女性用下着を探していたのも、なにか事情があるのだとチユリは察した。

 ともあれ、微笑ほほえむサクラにうながされて靴を脱ぐ。

 ギシリと小さく鳴る廊下を、ソウジとサクラは奥へといざなう。


「適当にくつろいでてくださいよ。お昼は僕が腕を振るうんで」

「ソウジさん、わたくしもおてつだいを」

「いいんだ、サクラさんはお客さんの相手をしてあげて」

「はい、それでは」


 サクラは、後頭部に突き出たデバイスに光を明滅させながらうなずく。

 そして、少しの沈黙を挟んでチユリたちに向き直った。


「どうぞ、おかけください。いま、おちゃをおだししますね」


 たたみの敷かれた和室の中央に、もうこたつが出されている。

 それじゃとチユリは、メリアと並んで座った。

 なんだかメリアは上機嫌で、ニッコニコの笑顔だ。


「メリア、顔が緩んでるけど。えっと、どしたのさ」

「だってチユリ、さっき……わたしのこと、家族だって」

「そ、そだよ? 短い間だけだけどさ、家族じゃん。一緒に住んでるし」

「はいっ。……わたし、メーカーに戻っても今のメモリーのまま次にいってみたいと思います」

「……そゆの、辛くないの?」

「人間と違って、わたしたちの初期化は簡単です。でも、初期化される側はその直前まで、やっぱり色々想ったり感じたりしますよ? 人間と一緒です」

「ん、そうだね。あたしもスイッチ一つで忘れられちゃ、寂しいかな」


 不思議と胸の奥が、ジンと温かい。

 こたつのぬくもりなのか、それとも心境の変化か。

 だが、サクラが突然ガクン! と停止してしまったのは、そんな時だった。

 急須きゅうすを持って、横に置かれたポットに向き直ったところで固まっている。フリーズしている。微動だにしない彼女は、まるで日本人形のように美しいが、心配だ。

 咄嗟とっさにメリアがこたつを出て、サクラに駆け寄る。


「サクラさんっ! やっぱり、かなり処理速度に負荷がかかってる状態ですね」

「体調悪いって感じなの?」

「いいえ、チユリ。先程少しネットで検索してみましたが、サクラさんは八十島製作所やそじませいさくじょというメーカーで作られた……戦前のモデルです。今の法制度が生まれるずっと前、半世紀以上も昔から稼働してる計算になります」


 見た目は美しく、その白過ぎる肌も瑞々みずみずしいサクラ。

 だが、彼女は旧式タイプで、人間で言えば高齢の老婆なのだった。

 加えてメリアの説明で、製造メーカーの八十島製作所はすでに存在しないという。大手に吸収合併され、その後に戦争があって今は解体されてしまったらしい。

 当然ながら、メンテナンスのサービスを受けることは難しいだろう。


「チユリはお仕事で知ってるかと思いますが……どんな機械も、ただ長時間稼働しているだけで少しずつ消耗していきます。人間が老いるように、外見だけを残して静かに機能低下していくんです」

「そうだね……じゃあ、サクラさんは」

「むしろ、彼女の状態は奇跡的です。きっと、大事にされてきたんですね」


 そうこうしていると、台所に行っていたソウジが顔を出した。

 振り向くチユリは、どういう顔をしていいか一瞬戸惑う。ソウジにとってサクラは、機械である前に妻、パートナーなのだ。

 そんなソウジは、フリーズしたサクラを見ても全く動じない。


「先輩、それとメリアちゃんも。鍋焼きうどんにするけど、アレルギーとかは……ああ、ちょっとすみません。最近ちょっと……でも、大丈夫なんですよ、彼女」


 不思議とソウジは、とても優しい目をしていた。

 そして、そっと背後からサクラの肩を抱く。

 再起動の手順は、特別な操作のいらないものだった。


「サクラさん、大丈夫? しんどいなら奥で充電しながら、少し休もうか?」


 ソウジのなにげない言葉に、Pi! と反応があった。

 そして、彫像のようだったサクラの顔に表情が戻ってくる。

 光を取り戻した彼女の瞳は、ゆっくりと周囲を見渡し、最後に間近でソウジを見上げた。


「あら、ソウジさん。わたくしは」

「ちょっと固まっちゃったね。でも大丈夫」

「はい、わたくしもへいきです。おちゃを」

「うん、お願いね」


 なにかこう、とても穏やかで静かで、そして少し切ない美しさだった。会社で女性社員たちのうるんだヒソヒソ声を浴びてるソウジは、プライベートではこんなにも優しい表情を見せるのだ。

 そして、サクラもまた気遣うソウジに確かな想いをはっきりと伝えている。

 不思議なものだが、人間と違ってアンドロイドには無限の寿命があると思われていた。それはまやかし、幻想だったのだ。実際には、製造メーカーの都合で人間より早く止まってしまうこともある。機械の身体であるアンドロイドたちには、定期的なメンテナンスが欠かせないからだ。


「驚かせちゃってすみません、先輩」

「ああ、気にしない気にしない! ね、メリア?」

「はいっ。わたし、お手伝いしますね」


 サクラは再び、ゆっくりとだが動き出した。少しだけ申し訳なさそうに、にっこりと笑う。その上品な雰囲気から、彼女のつちかってきた月日が自然と知れた。

 ソウジとサクラ、二人はもう知っている。

 そう遠くない未来、別れが訪れることを。

 だからソウジは、仕事よりもサクラに時間を使うことにしてるのだろう。


「ふーん……ふふ、いいね。ソウジ君、ならあたしは台所を手伝うよん?」

「どうしてそう、穏やかな休日を危機にさらすんですか先輩」

「おうこら、なんつった? 誰が殺人シェフだ」

「そこまでは言ってませんけど。僕、何度も見てますから……先輩、料理はダメダメのダメですよね? ほら、会社でも」

「あ、あれは……最近のカップ麺は味を追求するあまり、インスタントみがなくて。こう、難しい小袋がいくつも入ってるじゃん」

「カップ麺作るのに失敗する人は、ここでおとなしくお茶しててください」

「はーい」


 メリアがいるうちに、せめて人並みの料理が作れるように頑張ろう。教えてもらって練習しよう。そう心に誓いつつ、チユリは差し出された緑茶をすする。

 美味しいとサクラに礼を言えば、とびきりの笑顔が返ってきた。

 ようやく一日を折り返した休日の昼飯時、ふと見れば茶柱が立っているのだった。

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