第11話「その言葉は祈りで願い」

 チユリにとって、とても穏やかで充実した休日になった。

 つい先日まで、会社に泊まり詰めで徹夜続きだっただなんて、とても思えない。明日からまた出社する予定だが、以前より元気に働けそうな気がする。

 時刻はまだ九時を回ったばかりで、寝るには少々早い時間だ。

 そして、チユリにとってはいつもこの深夜帯からが本調子である。


「ぷっ、はーぅ! っしゃオラァ! ビール最高ぉ!」

「もぉ、チユリ……オヤジ丸出しですよぉ」

「いいのいいの! ほら、メリアも飲んだ飲んだ! おつまみもあるよー」

「……女子力が、その、ちょっと……まあ、いいんですけどっ」


 そろそろ肌寒いから寝室にこたつを出して、そのぬくもりに溺れるように湯上がりの缶ビール。

 最高である。

 最高の最の高、至上の幸福である。

 極めて小市民的なこの多幸感たこうかんを、チユリはこの上なく愛していた。

 パジャマ姿のメリアも、ちびちびとビールを舐めていた。アンドロイドなので、飲酒に関する制限はないし、メリアはアルコールを摂取しても大丈夫なモデルだ。そして、公共の場での泥酔でいすいがマナー違反なのは、これは人間もアンドロイドも同じだった。

 アンドロイドたちはさらに、年少者の前では飲酒を控える気遣いさえ見せてくれる。


「チユリ、なにか一品作りましょうか? お酒のお供だって、もう少し、こう」

「いいよぉー、手間だし。それにねえ……こういうチープで手軽なやつがいいんだよん?」

「柿ピーに裂きイカ、スナック菓子、チョコレート……」

美味おいしいものだと、お酒が進んじゃうしね。明日が仕事の日は、安く適当にがモットーです」


 むー、と少し不満顔だが、メリアは丁寧に裂きイカを真空パックから出して、食べやすいサイズに千切ちぎってくれる。

 いちいちそういうところがかわいくて、思わず顔が緩んでしまうチユリだった。

 それなりにおつまみの体裁ていさいを整えると、メリアは両手で缶ビールを包むように持ち上げる。グイと一口飲めば、彼女のほっそりした首筋の白さが鮮烈に目に焼き付いた。


「ぷあっ、ふう……そういえばチユリ、気になってたんですが」

「うん?」

「どうしてチユリは、いまだにわざわざ会社に行ってるんですか? この業種でしたら、リモートワークでいいような気がしますが」

「まあ、そうだねえ」


 普段なら、詮索は鬱陶うっとうしいものだ。

 だが、メリアに興味を持たれていると、自然と饒舌じょうぜつになってしまう。

 そして、旧世紀といささかも変わらぬ社畜生活には、これにはチユリの都合だけでは終わらない事情があるのだった。


「今、在宅でできる仕事の大半が……?」

「えっ、そうなんですか?」

「うんうん、そうなんです。昔だと内職だった仕事でさえ、わざわざオフィスを作ってやってるとこもある。何故なぜかっていうと、これが昔にはなかった多様性なんだよねえ」

「おっと、出ましたね……人間さんの大好きワード、多様性っ!」

「そうそう、多様性」


 近代の人間社会では、効率を最優先で先鋭化させる企業は驚くほど少ない。かつては利益至上主義だった経済界でさえ、非情の競争原理主義を捨て去って久しい。

 その原因は、社会そのものに革命をもたらしたアンドロイドたちだ。

 チユリはビールの冷たさでくちびるを濡らすと、さも知ったふうなドヤ顔で語り続ける。


「効率を突き詰めると……人間、いらなくなっちゃうんだよねえ」

「まあ、そうですね。今日のカレーだって、わたし一人で作ったほうが早くて美味しいかもしれません」

「はからずも、アンドロイドという揺るがぬ最適解が現れたことで、人間社会は変化したのさ。豊かさが数字の大きさじゃなくて『』かもしれないって気付いたんだね」


 勿論もちろん、IT関係の仕事では在宅勤務を好む者たちもいる。今やインフラとして欠かせぬネットワークは、世界中をタイムラグなしで結んでいた。

 だからこそ『家を出て働く』という選択に、価値を見出す人間が増えたのである。

 それはもしかしたら、アンドロイドに対する万物ばんぶつ霊長れいちょうとしての危機感、本能的な防衛行動なのかもしれない。人間らしさの誇示こじや実践が、それを表現しているという学者もいる。

 でも、収入や時間に縛られず、働き方を選べるということは誰にとってもメリットだ。


「チユリ、確か今の法では」

「企業に一定比率の人間とアンドロイド、両方を雇用する義務があるね」

「そういえばデータでも、人間の都合に関係なくアンドロイドも自分の労働環境をある程度選べるようになってるんですよね」

「おっ、今ちょっとググったな?」

「あ、ビールのおかわりはいかがですか? わたし、冷蔵庫から取ってきますねっ」


 パタパタとメリアは、笑顔でこたつを出て行ってしまった。

 上手く逃げたなと思いつつ、チユリもフフフと笑みが込み上げる。そのままビールを飲み干し、ふとつけっぱなしのフォトビジョンに視線を巡らせる。

 丁度今、ニュースが終わって歌番組が始まったところだ。

 最近ヒットを飛ばしてるバーチャルアイドルが、立体映像のCGで歌ってる。生中継の場所は、東京タワーのてっぺんだ。展望台ではなく、針のような頂上である。

 一昔前なら非日常な光景も、今という時代は演出の一つでしかない。


「チユリッ、今日はこれでカンバンですからね? 飲み過ぎ、よくないですっ」

「ありがと、メリア」


 ちゃっかりメリアも、もう一本飲むようだ。

 開封して小さく乾杯すれば、冷えたビールの芳醇ほうじゅんな味わいが再びのどになだれ込んでくる。


「んーっ、この一杯ぃ! これだけのために生きてるぅ!」

「因みに今日は、一日の運動量に対して標準より4.5%のカロリー過多ですね、チユリ」

「グヌヌ……そ、そういうのはいいのっ! ほら、他におねーさんに聞きたいことは?」

「えっ、それじゃあ……あ、うん、ちょっと待ってくださいねっ」

「おいー、真面目かーっ! 改めて考えるようなことかよおー」


 嬉しそうにはにかんで、メリアは腕組み天井を仰いだ。

 そして、ややあっておずおずと上目遣いにチユリを覗き込んでくる。


「チユリって、小さい頃はどんな女の子だったんですか?」

「おっ、いいねえ。ガールズトークっぽい! 本来ならここでー、卒業アルバムとかが出てくるんですがー、ディスクが実家にあるので省略でっす!」


 チユリは、なんの変哲もない地方都市に生まれた。

 両親と弟と四人ぐらしで、大学に進学するタイミングで上京、それ以降はずっと東京に一人暮らしである。


「まー、なんつーの? ……凄い弟がいたパターン、かなあ」

「あっ、それって」

「察し! みたいな顔してるとこ悪いけど、多分思ってるのと逆パターンだよ。真逆」


 そう、チユリは幼少期からなんでもそつなくこなすタイプだった。逆に、不器用で要領が悪いのが弟だったのである。

 だが、そんな弟を誰もが心配してかわいがった。

 なにを隠そう、チユリ自身が一生懸命に構ってフォローしたのである。

 それは両親も、周囲の大人たちも一緒だった。


「いっつも後ろを、チユねえ、チユねえって付いてきてさ。あの頃はかわいかったなあ」

「弟さん思いだったんですね」

「そう、かわいかった……なによりあたしがかわいかった! ザ・美少女、あたし!」

「……そういうとこですよ、チユリ」


 けど、なんでもひたむきで愛嬌のある弟は、誰からも好かれた。そして自然と姉離れし、悪戦苦闘の連続でもしっかり自分で歩き出したのである。中学校に通う年になると、いじめられたり失敗も沢山したけど、周囲の愛を支えにとっても頑張った。

 一方で、早くから手のかからない子だったチユリは……突然、ひまになった。

 やることが一気に減って、日常に暇を持て余してしまったのだ。

 そして、周囲の大人たちが弟を見守るのに忙しいので……多少こじらせてしまったのだった。


「まーね、多感な時期が弟の世話とオタク趣味の両極端で……なんつーの? いわゆる青春的なもの、なんにもなかったんだよねえ。フッ、友情も恋愛も、なにも……ふぅ」

「もーっ、語っておいて黄昏たそがれないでくださいよぉ。……でも、そうだったんですね」


 徹底して手のかからない子を貫いた挙げ句、特に誰もいなくても楽しんで生活できる、自己完結した女性になってしまったのだ。しかも、やたら濃ゆい趣味を数多あまた持つオタク腐女子としてである。

 一番の問題は、そのことに危機感を感じなかったし、それをよしといていたことかもしれない。


「だってさー、あたしゃ初めての恋人すらネットでアンドロイドを注文するような女だよー? 在宅勤務になったら、絶対に家から出なくなるって」


 うんうんと頷き、またビールをチビリ。酷く実感があるし、リアルに想像できる。家どころか、この寝室からすら出ないで暮らすかもしれないと思った。

 でも、今はメリアがいてくれる。

 不思議と以前よりも、他者や外の世界に魅力を感じているのだ。


「そんな訳でメリアさあ……そのぉ、もう一本だけ……ビールを……ん? メリア?」


 ふと気付けば、メリアが舟をこいでいる。片手で頬杖ほおづえをついて、うとうととうたた寝をしていた。ほんのり赤みのさした顔が、口元に浮かぶ柔らかな笑みが、メリアの表情全てがまるで大理石の美術品みたいだった。

 寝落ちしてても、全体的にシャンとしてるところがまた、アンドロイドらしい。

 崩れ落ちて突っ伏すことなく、多分朝までこの姿勢で寝ていられそうである。


「チャーンスッ、今のうちにもう一本だけビールをっ! ……なんてな、わはは」


 眼鏡めがねのブリッジをクイと指で押し上げ、チユリは静かに立ち上がる。そっとメリアをこたつから出して抱えれば、驚くほどに軽い。とても、金属と合成樹脂、その他諸々もろもろの素材でできたアンドロイドとは思えなかった。

 柔らかくて細くて、腕の中で溶けて消えちゃいそうである。

 とりあえず、メリアを彼女の寝室まで運ぼうと思った。先日までアニメグッズやイベント物販品を収蔵していた部屋が、今はメリアの寝床ねどこになっている。


「んー、あたしもそろそろ寝よ。明日からまた仕事だぁ……ふぁあ、うっふぅ」


 大きなあくびを一つして、途端に眠気が込み上げたその時だった。

 

 億劫おっくうに思ったのも事実だし、腕の中のメリアがぽかぽかと温かかったのである。

 ついつい、睡魔にまだまだ抗えてるはずの思考と理性が間違えた。

 すぐかたわらの、自分のダブルベッドにメリアをそっと横たえたのだった。

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