第29話「軟着陸」

 こたつで熱い茶を飲んで、一服。

 メリアと並んでチユリは、ぷっは! と安堵あんどの溜め息をこぼした。

 ここは後輩のソウジの家である。あのあと、四苦八苦しくはっくして山を降り……向かった先はここだった。自宅のマンションには大穴が空いているし、警察が出入りしててバタバタしてるだろう。

 これから少し落ち着いたら、自分の無事を会社や警察に届け出るつもりだ。

 その前に、最後に事態を整理したくてこの場所に立ち寄ったのである。


「まあまあ、チユリさまもたいへんでしたねえ」


 相変わらずのマイペースで、のほほんとサクラがお茶請けの煎餅せんべいを出してくれる。

 どうやらまだ、ソウジは会社のようだ。一応、サクラから先に彼にだけは、無事を伝えてもらった。滅茶苦茶めちゃくちゃ怒っていましたよぉ、とサクラは笑っていた。

 どうしよう、

 変人だが生真面目きまじめで仕事のできる後輩、ソウジ・V・フォーゲルシュタット。

 彼を怒らせるととても怖いのを、チユリはよく知っていた。思わずブルリと震えたので、先程からメリアが不思議そうに顔を覗き込んでくる。


「チユリ、大丈夫ですか? さっきから変です、けど」

「ふ、ふふふ……ソウジ君を怒らせるとね、うん……怖いんだよ」

「そうなんですか? ソウジさん、いい人ですよね?」

「ばっかおめぇ、ああいうのが一番やべーんだよぉ……」


 前回は、うっかり仕事でミスをして、それがまたイージーな失敗なのに致命的で。挽回不能でプロジェクトが止まったことがある。今でも忘れられない、いわゆる痛恨のミスというやつだった。

 その時のソウジの、あの笑顔が忘れられない。

 ドンマイですよ、先輩! って言うその目だけが、笑ってはいなかった。

 その後しばらく、チユリはソウジにタスク管理され、プロジェクトのための歯車として数週間働かされたのである。会社にいる間、ギリギリで許容可能な、死ぬほど頑張らないと消化できない仕事量に漬け込まれたのだった。


「いい、メリア。一見して格好いい、いい奴っぽい人間ほどやばいからね? ほら、マッケイ君だってイケメンで好青年だったけど、ね?」

「なるほど……ああ、でもそれならチユリは安心ですねっ!」

「おうこら、どういう意味じゃーい! このっ」


 グリグリと頭を撫でてやると、メリアも満面の笑みを浮かべて身を寄せてくる。

 あらあらうふふと、サクラもそんな二人をガラケーで写メしていた。

 実に平和な昼下がりだが、先程名前の上がったマッケイのことが心配である。それでチユリは、なごやかな雰囲気の中で振り返る。

 居間の隅では、マッケイが両膝りょうひざかかえて縮こまっていた。

 そこだけどんよりと空気がよどんでいて、お通夜ムードである。


「マッケイ君さあ、身体とか大丈夫? さっき、博士が止めてくれたけど」

「ア、ハイ……俺は大丈夫です。お気遣きづかい、ありがとうございます」

「なんで敬語なの、ちょっとちょっと。……気にまなくてもいいんだよ? ね、メリア」


 うんうんと大きくうなずき、メリアはもそもそとこたつを出た。彼女はそのまま、膝でつんいにマッケイへと近付いた。子犬のようにして表情をのぞき込み、心配そうに言葉を選ぶ。


「えっと、マッケイ? その、わたしと戦ったことでしたら、気にしなくてもいいかと。本来、戦いにならないレベルでスペックが違いますし」

「ええ、そうなんですが。ってか、言い方。その言い方……ヘコみます」

「むっ、そこはもっとしおらしくしてくださいよー! まあ、いいんですけど。もしかして、そのことじゃなくて……チユリのことで落ち込んでますか?」

「……はい」


 あんなにハキハキと活力に満ちていたマッケイが、今はしなびて見る影もない。

 そんな彼は、ぼそぼそとつぶやくように語り出した。

 彼が本来の恋人として、チユリをずっと想っていた気持ち……それは、。起動時に最初にチユリを見て発生する恋心を、意図的いとてきに違法な手段でじ込まれたことになる。

 そうとは気付かず、マッケイはチユリを守るために奔走ほんそうした。

 最後にはダンゾウに操られ、チユリを手に掛けるところだったのである。


「俺は……つまり、こう、今こうしてチユリに感じている好意は、博士が付け加えたものだったんだ」

「それはそうですね、ええ。でも、マッケイ。その気持ちが今も持続しているのは、持続されているのは……まぎれもなくあなた自身の力では?」

「メリア、お前……ひょっとして、いい奴?」

「あ、でもチユリは渡しませんから。どうしてもというなら、あなたは二号ロボです」

「……確か、アニメの後半3クール目で出てきて、主人公が乗り換えるやつだな。あ、それならむしろ二号ロボでいいか。……よし、それだな!」

「あっ、立ち直り早っ! チユリは乗り換えたりしないですよっ、もぉ!」


 ぶーぶーと文句を言うメリアを手でさえぎりつつ、マッケイがイケメン笑顔を向けてくる。

 どうやら大丈夫のようだが、それでもチユリは心配だった。

 そして、新たな疑問が浮かぶ。

 マッケイには、チユリの好みや性格、趣味なんかが全てインプットされている。それは、チユリが望んだ理想の恋人だからだ。そして、想定された出会いが普通に訪れていれば、起動時にチユリを見て恋心を励起れいきさせるはずだったのだ。

 そう、ラヴァータイプの基本は刷り込みインプリンティングである。

 卵からかえった雛鳥ひなどりが、初めて見たものを親と思う現象そのものだ。


「ま、いっか。それって疑問に思うようなことじゃないしねー?」

「あれ? チユリ、どうかしましたか? 今、なにか」

「うんにゃー? とりあえず、マッケイ君は大丈夫かな。これからのことはおいおい考えるとして……警察に突き出したりはしないつもり。それは勿論もちろん……博士もね」


 そう、ダンゾウもまたこの家に来ていた。

 マッケイと並んで体育座りで落ち込んでいる。わかりやすく立ち直りかけてるマッケイと違って、あっちはなんだか深刻そうな雰囲気だ。

 無理もない……残りの余生全てを賭けての大勝負が、御破算ごはさんになったのだ。

 気の毒にも思うが、チユリは謝ったりするつもりはない。

 自分が正しいからではなく、自分が求めて欲して決断したからだ。

 でも、フォローしないとは言ってないし、だからこそ一緒に連れてきたのだった。


「おーい、博士? ……ぶっちゃけ、マッケイ君のあれって直る?」

「お、おおう? あ、ああ、ワシか……ふむ、そうじゃなあ」

「あとさー、お茶のおかわりは? おせんべもあるけど」

「どれ、頂こう」


 とは言うものの、手元の湯呑を差し出しつつも……ダンゾウは部屋の隅から動こうとしない。やれやれとも思うが、彼の言葉はこんな時でも冷静で論理と合理に満ちていた。


「マッケイに付け足したにせの情報データは、これを初期化することはできるのう。じゃが、この半月程で人格や記憶の深くへ結びついてしまったようじゃ」


 つまるところ、出荷状態へのロールバックを行うことでしか、今の恋愛感情は消せないということである。

 だが、メリアとじゃれあっているマッケイは平静だった。

 ぐぬぬと両手を振り上げるメリアの、そのひたいを片手で抑えながら笑っている。体格がまるで違うので、メリアのげんこつは全くマッケイに届く気配がなかった。


「俺はいいですよ、博士。今後チユリとどうなるにしろ、今のままで生きていきます」

「そうか。それでいいのかのう」

「俺が選択する自由を与えられてるとしたら、そうしたいって話です。それに、チユリとメリアさえ良ければ――」


 ――友達からまた、始めたいですね。

 そう言ってマッケイは頷いた。

 失敗や辛さ、悲しさといった思い出もまた、喜びや楽しみと同居する感情の一部なのだ。ただポジティブなものだけを集めても、愛しい思い出にはならない。容易にそれが可能なアンドロイドだからこそ、マッケイはそう思うのだろう。

 そして、サクラもニコニコと笑って、そして手の平をこぶしでポン! と打った。


「では、こうしましょう。マッケイさんはわたしのいえで――」


 そう言いかけて、不意にサクラがフリーズした。

 自分でポン! と手を打った、その衝撃で止まってしまったらしい。

 誰もが「あっ」とらして言葉を失った。

 ソウジがいてくれれば、すぐに再起動させてくれるのだが……そう思っていると、不意にダンゾウが立ち上がった。彼はそっとサクラに歩み寄ると、その頭部にデカデカと突き出たデバイス部分に触れる。


「やれやれ、こんな骨董品アンティークが今も動いてるとはのう。……どれ、これでどうじゃ」

「――あら? わたくしは……ええと、いまなにか」

「交換不能な電子頭脳周りの経年劣化じゃなあ。もう少し、本格的に見てやらねばなるまいて」

「それはそれは、ごていねいに……でも、よろしいのでしょうか。あなたさまはたしか」

「……今は名もなき技術屋じゃよ。それに、不自由じゃろ」

「ありがとうございます。それで、そう! おもいだしました、マッケイさんは」


 サクラは、しばらく自分の家に逗留とうりゅうするようにマッケイに提案していた。色々と整理する時間が必要だろうし、ソウジのいない間も男手があると助かるらしい。

 そして、さらっと笑顔で重い愛も話してくれた。


「わたくしもながくはありませんので、なにかあったときにマッケイさんがいてくださればたすかります」

「ちょ、ちょっとちょっと、サクラさんっ! ソウジ君が聞いたら卒倒しちゃうよ」

「チユリさま、これもたいせつなことですから。パートナーでなくてもいいから……そういうとき、ソウジさんのとなりにだれかがいてほしいんです。チユリさんもごゆうじんとして、よければぜひ」

「あ……うん。でも、もしもの時の話だけにしてね?」

「はい。ああそれと、ソウジさんはいろいろと、ええと、? そう、セーヘキをこじらせたところがありますので、それもマッケイさんにあらかじめ」

「それはやめたげて。羞恥心しゅうちしんに耐えられず恥ずか死ぬから」


 真面目な顔で瞳を瞬かせて、サクラが小首をかしげた。

 それで、誰もがみんな笑顔になる。

 そんな中、ダンゾウはサクラのうなじにあるコネクタ等を調べ始めた。


「なに、保存状態がよいからのう。これならあと50年はいけるじゃろうて」

「まあ、それはうれしいです」

「本格的にメンテをしてやれば、もっと持つ……どれ、

「はいっ」


 サクラがエプロンを外して、着物のおびに手をかけた。

 慌ててチユリが全力で止めて、ダンゾウを引っ剥がす。彼に悪気がないのはわかったが、今のうちに出来る限りのことをサクラにしたいと言う。

 そして彼は、皆に改めて頭を下げた。


「夢、見果てたり……というやつじゃな。それに、悪い夢を見ていたのかもしれん」

「目的達成を焦るあまり、悪手を選んじゃったやつじゃない? 急がば回れっていうしさ」

「ミズ・チユリ。ワシはこのあと、しかるべき場所に出頭するつもりじゃ。アーキタイプの……メリアのことと、マッケイのことに関しては安心したまえ。上手く話すからのう」

「……いいの?」

「うむ。後の世に、手段を誤ればどんな理想も台無しになる……これを教訓とするため、前例の顛末てんまつを明確に残さねばなるまい。それにのう、ワシのささやかな私怨があったのも事実じゃ」


 

 よくある話で、創作物に出てくる悪の科学者は大半がこれを口にする。だが、それをようやく初めて告白したダンゾウは、笑顔だった。

 そして、意外な言葉がサクラから放たれる。


「はかせ……いま、これでしらべてみたのですが。

「なぬ? 学会費?」


 ガラケーをダンゾウに見せて、サクラはコクコクと頷く。


「ながらく、がっかいひがみのうになっています。たいのうぶんをおさめれば、がっかいにもどれますが……どうしましょう」

「……はてのう? うん? え、あー、そうかそうか……そういえば! 戦争のゴタゴタで、半世紀近く前から払ってなかったかもしれん!」

「かもしれん、ではなく、みのうになってますねぇ」

「いかん……もしやワシが学会を追放されたのは」

「がっかいひをおさめてなかったから、でしょうか」


 こうして、笑顔と笑顔とが大爆笑で事件は幕を閉じた。

 もう一つ、チユリの中で大きな変化が結実を迎えた。ぼんやりと感じていた気持ち、徐々に強くなっていった想い……それが今、どんな未来に繋がってるかを自覚したのだ。

 以前よりはっきりと、チユリは愛するメリアに改めて恋心を新たにするのだった。

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