第5話「過ちの歴史を超えて」

 チユリの休日は、朝から怠惰たいだ極まりないものだ。

 昼近くまで寝てるし、そのまま寝て過ごすことも多い。自宅を出ぬままに終わることもしばしばだ。終日パジャマ姿でゴロゴロする、それが平和で平凡な彼女の休日。

 だが、その日は違った。

 朝の報道番組を見ながら、チユリはダイニングキッチンでテーブルについていた。


「チユリ、卵はスクランブルですか? 目玉焼き? それとも……わ・た・しっ? に、お任せですか?」

「……どこでそんなことを覚えてくるんだか」

「いえっ、おおむね初期設定通りですよ? あ、ゆで卵も美味しいですねっ」

「えっと、じゃあ……わがまま、言っていい?」

「はいっ!」

「ふわとろオムレツ! バターたっぷりのやつ!」

「はいはーいっ、任されましたっ」


 キッチンでは今、エプロン姿のメリアが甲斐甲斐かいがいしく働いている。チユリの朝食を作ってくれているのだ。

 今日はちゃんと、服を着ている。

 少しサイズが大きいが、チユリが貸した上下だ。

 オートで室温と湿度が完全制御されたマンションなので、季節は秋を折り返したが快適だ。メリアが薄着でも、きっと寒くはないだろう。


「だけどねー、なんていうかー、ド健全だけどーさー」

「はい? チユリ、どうかしましたか?」

「うんにゃー? なんでもないよぉ」


 ズズズとコーヒーを飲みながら、チユリは眼鏡の奥で目を細める。

 そんなの持ってたんだあたし……そう思っても、買った記憶を思い出せない。

 今のメリアは、ホットパンツにランニング姿で、白い肌が眩しい。こぶりな引き締まった尻に、すらりと細くしなやかな脚線美がドキリとする。

 だが、チユリの脳裏を去来するのは全く意味不明な感動だった。


(イペタムたんのコスプレとか似合いそう……いや、間違いなく似合う! エモし!)


 どこまでも残念なオタク女子、それがチユリだった。加えて言うなら、腐女子である。イペタムたんというのは、古今東西の刀剣が出てくる人気ゲーム、せいらんこと『聖剣乱舞流せいけんらんぶる』のキャラクターである。

 アイヌの伝承にある妖刀がモチーフの、とってもかわいい男の娘オトコノコだ。

 だが、メリアは邪悪によどんでゆくチユリの視線にも気にせず、慣れた手付きでフライパンを踊らせている。バターが熱で溶けるいい匂いが広がった。


「あ、そうそう。メリア、今日は買い物いこーね。服、買ってあげるからさ」

「あっ、はい! ……でも、いいんでしょうか」

「あー、いいのいいの。なんか、なし崩し的に家事を任せちゃってるからさ。そのお礼、したいんだ」


 あと、可愛いお洋服を着せてみたい。

 色々あれこれ着せてみたいのだ。

 そう思えば、他者に興味を惹かれる自分が珍しいと思うチユリだった。基本的に、彼女の感情を揺さぶるアレコレは全て、画面の向こう側の存在ばかりだったからだ。


「うんうん。一歳違いの恋ならぬ、なんだよねえ」


 しみじみしつつコーヒーをちびり。

 そんなチユリは、ふとフォトビジョンへ視線を滑らせる。

 政治や経済のニュースは、今日も世界を手狭な心地よさで平和にしていた。宇宙開発や芸能ゴシップ、果ては犬やら猫やらの話題も実にほのぼのとしている。

 そんな中で、番組は今週の特集で生中継へと切り替わっていった。

 現地でレポートするキャスターの表情が、厳かに引き締められていた。


『こちらは、正午からの慰霊祭を控えたセントラルパークです。あの惨劇から四十年、我々は過去を歴史として正しく認識することで、今を未来へ向かって生きているのです』


 あとから気付いたが、美人キャスターはアンドロイドだ。

 昔は女性型はガイノイドと呼んだのだが、今はアンドロイドという呼称に統合されている。人間の男性も女性も、同じ人類という種であることと同義だからだ。

 スーツ姿のアンドロイドキャスターは、静かにカメラを連れて歩き出した。

 周囲には、花を手にした無数の市民たちが集まっている。


「あ、そっか……今日ってたしか」

「はい。今年で丁度、終戦から四十年ですね」

「戦争はヤだねえ。ドンパチやったりするのは、ゲームや漫画だけに限るよ」

「そうですよね。わたしも、同胞が兵器だった時代はとても悲しい歴史です」


 ――機械大戦ファクトリーウォー

 西暦2101年、人類とアンドロイドの間で大規模な戦争があった。それが今の所、この地球で起こった最後の武力衝突である。

 半年ほどで数百万の人命が失われ、その何十倍ものアンドロイドが破壊された。

 今のアンドロイドたちが、人間とは異なる同族として権利を得る、その契機になった戦いでもあった。


「大昔はさ、メリア。ロボットやAIが発達したら、あたしたち人間は単純作業は勿論もちろん、ありとあらゆる労働から解放される……そう思われてたんだ」


 振り返ったメリアは、静かにうなずいた。

 かつて人間たちは、テクノロジーが自分たちを豊かにすると信じて疑わなかった。だが、文明は得てしてまれに人類を試してくる。高度に発達したAIを搭載し、人間と同等の人格や情緒を持ったアンドロイドの登場は、世界を一変させた。

 人間たちは、労働の大半をアンドロイドに押し付け、文化的な活動のみに没頭した。


 ――はずだった。


 だが、現実には芸術や創作の分野でも、アンドロイドが活躍し始める。一方で、資本家に在庫のように管理される労働者が増え、利益のために雇われたり首になったりを繰り返したのである。


「人間って、思ってたようにいかないと気持ち悪いんだ。それを我慢したり、上手く発散したりが大人なんだけどさ」

「わたしたちは、人間のために存在する自分を否定したくはありません。けど、奴隷ではありませんし、そういう自分を肯定もできないですっ」

「うんうん、メリアの言う通りだね。でも、当時の人たちはカッとなっちゃったんだねえ」


 悲劇的な戦争の結果、人類は新たな種としてアンドロイドの存在を認めた。

 アンドロイドもまた、人類に貢献することを前提とした上での権利に納得したのである。

 結果、アンドロイドは人間が正当な理由で必要とした場合に限り、製造されることになった。そして、そこから先は状況に応じて、自立した個としての生活や、人間のパートナーとしての生活が保証される。製造された時点での用途が消滅、人間との関係が解消された場合はメーカーで初期化も含めた保証がされるようになったのだ。

 今では義務教育でそのことは習うし、ごくごく一般的な常識になりつつある。

 チユリもそのことを思い出していると、フォトビジョンの中でキャスターがインタビューを始めた。彼女が呼び止めたのは、白髪の老人である。


『すみません、少しよろしいでしょうか?』

『ん……ああ、構わんよ』


 振り向いた老人は、小さくせていたが……酷く眼光が鋭い印象があった。チユリから言わせれば、なんだか悪の科学者といった印象がある。スーツ姿にトレンチコートで、手には花束を持っていた。

 不思議とどこか、奇妙な寒さを感じさせる老人だった。

 だが、身なりのいい紳士だし、そんな先入観は失礼だろう。


『あの戦争を振り返って、今はどのようなお気持ちですか? よければお聞かせください』

『酷い戦争じゃった……罪なきアンドロイドが無数に破壊された。ただただ労働力として、奴隷としてのみ望まれた、これは悲劇であり人間の傲慢ごうまんじゃよ』

『そうですね。だからこそ、今という対等な立場の関係に特別な意味を感じます』

『フン、そうじゃな。じゃが、アンドロイドは本来、もっと自由でなければいかん』


 ふと気付けば、メリアがじっとフォトビジョンを見ていた。

 その視線は今、チユリを通り越して真っ直ぐ老人に注がれている。


「おーい、メリア? ねね、ちょっと焦げてる臭いがするけど」

「ほへ? あ、あーっ! すみません、やらかしちゃいました!」

「うんにゃ、いいけど……どしたの、珍しいね」

「わたしたちアンドロイドにとっては、とても関心の高いニュースでしたから。あちゃー、黒焦げ……ちょっとすぐ、作り直しますね」

「ドンマイだよーん?」


 メリアは慌ててオムレツを作り直し始める。

 そしてフォトビジョンからは、すでに例の老人は消え去っていた。

 式典の現場は今、鎮魂ちんこんの祈りに満ちていた。

 戦後生まれのチユリには、アンドロイドがただの機械だとは思えない。同時に、人間とは違うイキモノだということははっきりと教育されていたし、両者の関係性も正しく認識している。……つもりだ。

 アンドロイドのパートナーを得ることは、なにも珍しくないことだ。

 そう望まれて作られるアンドロイド自体も、不思議なことではない。


「ただなー、どーしてそこで誤配達しちゃうかなーって」


 メーカーの方では、引き続き事実確認中ですの一点張りだ。

 だが、メリアとの日々は悪くないし、ハッキリいって少し楽しい。

 突然妹ができたみたいだし、母親や小姑こじゅうとのような気持ちもある。なんていうんだろうか、他者と私生活を共有する暮らしが、新鮮でたまらないのだ。


「お待たせしましたっ! メリア特製、ふわとろでイチャラブなオムレツですっ!」

「やったー! なにこれ、ホテルのモーニングみたい」

「ふっふっふ、どうやらわたしは料理上手を望まれているようですね。和洋中華に民族料理、一通りインストールされています。それにわたし、お料理は楽しいですっ!」


 フスー! と鼻息も荒く、メリアは満面の笑みだ。

 イチャラブはいらないが、湯気をたてるできたてのオムレツからはいい匂いがする。ケチャップのハートマークも、微妙につたないのがかえって可愛らしい。

 食卓には他に、サラダやスープ、ヨーグルトが並んでいる。

 パンはこんがりトーストで、ジャムやピーナツバターも準備されていた。

 できあいの惣菜そうざいやインスタント食品を買い込んで、適当に済ませていた今までとは雲泥うんでいの差である。


「しゅごい……メリア、女子力高いよ今朝のご飯! あたしの女子力、上がってるよ!」

「いや、それはどうかと。あ、でもチユリも少し料理を覚えてはどうでしょうか。わたしっ、手取り足取り教えますよ? ええと、マウストゥマウス? で熱血指導です!」

「それを言うならマンツーマンね。いやー、うん、でもそうだねえ。……夕食、二人で作ろっか。なにがいいかなあ、ハードル低めで……シチューとか?」

「いいですねっ! きっと楽しくて美味おいしいですよぉ」


 こうして、いつもと違う休日が始まろうとしていた。なにもかもが刷新されたかのような、そんな朝は全てメリアを中心に動いている。それを実感していると、なんだかチユリまで変わっていけるような気がして、ほおが緩むのだった。

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