第21話「狂転する世界」

 チユリは突然の再会に驚いた。

 驚き過ぎて、初めての出会いみたいにときめいてしまった。

 チョロい、チョロ過ぎる……先程メリアと愛を誓い合ったのに、チョロ過ぎる自分がいた。しかし、無理もない。

 目の前に今、遅れてきた初恋の姿があった。


「……えっ? ナギ、様?」


 そう、ナギ様。

 大人気ゲーム『聖剣乱舞流せいけんらんぶる』のイケメンレアキャラ、草薙剣クサナギノツルギことナギ様である。推しへの課金を惜しまぬチユリが、ゲーム内でゴリゴリにゴリラプレイして鍛えた最強キャラ……その面影おもかげが今、サングラスを取った。

 端正な表情は凛々りりしく、後光が差すかのごとく輝いて見えた。

 髪型などはゲームとは違うが、理想のイケメンがそこにはいたのだった。


「やあ、無事だね? 俺はマッケイ」

「え、あ、はいっ! 無事であります!」

「はは、妙なリアクションだな。この間、ほら……覚えているかな?」

「……あっ! 御徒町おかちまちの駅で! ……っべー、まじやべえ。語彙力喪失ごいりょくそうしつレベルでやべえ。なにこれ、三角関係に発展する流れ? ってか、まるでゲームじゃん」


 残念ながら、むしろ喜ばしいことに? 現実である。

 そして、マッケイと名乗った男性型アンドロイドは視線を外すと耳に手を当てる。


「もしもし、博士。こちらマッケイ、保護対象を確認……ええ、ええ、無事です」


 そう、目の前のマッケイはアンドロイドだった。その証拠に今、携帯電話オプティフォンや通信機の類を使わずに誰かと通話している。

 博士という単語が、どこか非日常な違和感をチユリに与えた。

 だが、それがむしろファンタジー過ぎる現状に不思議なリアリティを与えていたのだった。

 マッケイは再びチユリを見下ろし、爽やかに微笑ほほえむ。

 白い歯がキラリとこぼれて、思わずうっとりしてしまうチユリだった。


「……はっ! い、いやいや、正気になれあたし! えっと……なにか御用でしょうか」

「うん、君を助けに来たんだ」

「それはまた、ご丁寧に……へっ? 助けに、って?」


 だが、間の抜けたチユリのオウム返しに対して、マッケイは全身に緊張感をみなぎらせる。

 それは、部屋の奥で抑揚のない声が空気を震わせた瞬間だった。

 まるで、殺意の籠もった刃のように鼓膜に突き刺さる言葉。


「チユリ……どなた、ですか? ――っ! 離れてください、チユリッ!」


 メリアだ。

 彼女はボロボロの着衣のまま、マッケイを見るなり目元を険しくにらむ。

 突然の修羅場かと思われたが、現実はそんな生易なまやさしいものではなかった。


「この体格から分析して、先日ストーキングしてきた二人組の片割れです! 演算結果も、97%で同一人物だと! チユリッ!」


 はたと思い出す。

 そういえばあの日、あの夜……チユリはメリアと結ばれたのだ。かわいい同居人くらいに思ってた家族は、より深く愛情を交える仲になったのだった。

 などということは思い出せたが、マッケイに関しては頭が鈍い。

 そして、先日のことでついつい赤面しつつニヤけてしまう。

 緊張感皆無かいむだが、そんなチユリもようやく記憶を掘り起こした。


「あっ、こないだのストーカー! 顔がよくても、ノー! ストーカー、絶対にノォ!」

「まあ、その辺の事情はあとで説明する。それより――」


 参ったなあ、という感じでマッケイは苦笑する。

 そんな仕草の一挙手一投足がイケメン過ぎて辛い。

 チユリは顔のいい人間に弱いという、自分の新たな側面を再発見してしまうのだった。

 だが、そんな呑気のんきなことも言ってられない。

 修羅場はリアルタイムで今、鉄火場しゅうたんばになりかけていた。

 こっちへ強い歩調で、メリアが詰め寄ってくる。その目は真っ直ぐ、マッケイを見据みすえていた。

 そんな彼女が突然、ガクン! と揺れてその場に屈み込む。


「っ、う、うあ……駄目っ! 止まって、わたしっ! わたしならこんな……ああっ!」


 メリアの肉体にまた、異変が起こっていた。

 そして、必死の形相で彼女はそれを抑え込もうとしている。

 しかし、総身を震わすメリアの右腕が、まるで液体金属のように変形していった。それは素人しろうとのチユリにも、現代の科学力を超越したオーバーテクノロジーに見える。

 メリアの華奢きゃしゃで美しい輪郭シルエットが、膨れ上がってゆく。

 思わずチユリは駆け寄ろうとした。

 見ていられないし、見過ごせないから……例え彼女が違法なアンドロイドでも、メリアはチユリの大好きな恋人、そういう意味での『彼女』なのだ。

 だが、チユリは腕を掴まれ引き戻される。


「ちょ、離して! ナギ様でも怒るよ、あたしっ!」

「危険なんだ! すでにもう、は暴走の前兆が見られる!」

「アーキタイプ?」

「あの特殊なアンドロイドさ。……俺はアーキタイプから君を守りに来たんだ」


 メリアの変化は、先程より何倍も激しいものだった。

 すでにもう、右腕がそのまま膨張して巨大な大砲になりつつある。ゲームで例えるなら、戦車やドラゴンをブッ飛ばす時に使われるような、レアリティの高い必殺武器の雰囲気だ。

 曲線と直線が織りなす、禍々まがまがしい砲身。

 メリアは泣きながら、変貌してゆく自分の腕を抑えようとしていた。

 そんなメリアに容赦なく、マッケイはジャケットの奥から出した拳銃を向ける。


「……やっぱり、銃を……持って、た……チユリ、今、助け、に……う、あ、うあああっ!」

「悪く思うなよ、アーキタイプ。博士からは、回収に際して状態は問わないと言われてるんだ」

「は、離れて……わたしのチユリに、くっつかないでよっ! やだよ、お前なんかに……チユリは、あげ、な――渡さないんだからっ!」


 小さく銃声が響いた。

 よく警察官が持ってるような、相手を麻痺させるテーザー銃のたぐいじゃない。昨今さっこんなかなか見られない、殺傷や破壊を目的とした実銃だった。

 ビュン! と低い音をうならせ、ビームのつぶてが吐き出される。

 だが、重金属を高圧縮した弾丸はメリアにはじかれた。

 正確には、


「チッ、流石さすがは予算度外視のアーキタイプか……光学兵器はキャンセラーで無効化されるって訳だな」

「ちょっと! 今、メリアを撃った! あんなに苦しんでるのに! いいから離せっての、もぉ! こんなのナギ様じゃなーい、解釈違い!」

「すまない、今はこうするしかないんだ。走るぞ!」


 強引にチユリの手を引き、マッケイが駆け出す。

 廊下に出た瞬間、背後を眩い光条が貫いた。

 一瞬遅れて、熱した烈風がチユリの三編みを大きく揺らす。

 振り返ると、愛しの我が家はドアが融解し、風通しの良すぎる穴が寒空にぽっかり空いていた。まるで映画のCGみたいで、その光景すら遠ざかってゆく。

 チユリはマッケイに引きずられるようにして、エレベーターへと走っていた。


「う、嘘……やだ、やだよ……メリア」

「見ただろう? アーキタイプは危険なんだ。それが手違いで、君の家に」

「手違い……あっ、じゃあもしかして!」

「そう、。っと、こっちだ! 階段を使う!」


 今、突然過ぎる真実がチユリを揺さぶっていた。

 だが、先日のメーカーからのメール内容もそれを裏付けている。なにより、目の前にナギ様ことマッケイがいて、メリアは違法に武装した自分を抑えられなくなっていた。

 あまりに突然のことで、頭がまわらない。

 思考が上手く結べず、ただただ必死で走った。

 でも、機能停止しつつある頭脳とは裏腹に、胸の奥が熱かった。


「……離して。ごめん、ええと、マッケイ君、だっけ? 離してくんない?」

「チユリ、今はそれどころじゃ」

「そうだよ、こんなラブラブ逃避行なんかしてる場合じゃないっ! メリアが泣いてるの!」


 考えられないが、感じる。

 感じるままに今は、迷わず行動する時だ。

 勿論もちろん、チユリだって怖い。けど、先程確かにメリアは自分を止めようとしていた。その意思に反して、なかば暴走しつつある中でチユリの名を読んでいた。

 泣いていたのだ。

 そんなメリアを置いてゆくなんてできない。

 放っておく訳にはいかないのだ。


「助けてくれるのは嬉しいよ、ありがと! でも、ゴメン! 今は、あたしが助ける時なんだ」

「……やれやれ、データ通りの女性だな。好意に値するよ。で、ちょっと失礼」


 次の瞬間、思わずチユリは「ひあっ!?」と声をあげてしまった。

 白馬の王子様よろしく、マッケイがチユリを両腕で抱き上げたのだ。そしてそのまま、さらにはやく走り出す。

 あっという間に階段を一足飛いっそくとびして、そのまま二人はマンションのエントランスを突き抜けた。

 だが、玄関を飛び出たところで急ブレーキにマッケイが固まる。

 それは、目の前にズシャリと影が舞い降りるのと同時だった。

 巨大なビーム砲になった右腕をかばいながら、地に手を突いてゆっくりとメリアが立ち上がる。


「チユリッ! 無事、ですね? ……少しだけ、ほんの少しだけ……目を、つぶっててください」


 悲痛な懇願こんがんの声が、涙にかすれていた。

 ゆっくりと顔をあげるメリアの、そのほおを光が伝う。

 それだけでもう、チユリは駆け寄りたくてジタバタと暴れて身をよじる。だが、マッケイのたくましい腕力が気遣いながらも拘束してきた。

 今は、メリアの側にいたい。

 側にいてやれるしかできなくても、そうしたいのだ。

 だが、永遠にも思える一瞬は突然、短く響いたメリアの悲鳴で切り裂かれた。

 横滑りに高速で突っ込んできた車が、容赦なくメリアを吹き飛ばしたのだ。セダンタイプの後部座席が開くと同時に、投げ入れられるようにチユリは放り込まれる。

 運転している老人の声は、鋭く尖っていたが冷静だった。


「間一髪、じゃな? さあ、つかまれぃ! 全速力で逃げねばなるまいっ!」


 チユリは、バックミラーの中に眼光鋭い男の目を見た。その瞳には、老いてなおもギラつく熱意が、尋常ならざる冷たさで燃え盛っているのだった。

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