第1話「誤配送の花嫁」

 タチバナチユリは混乱していた。

 数週間ぶりの帰宅なのに、徹夜続きの疲れさえ一瞬忘れてしまう。目も覚めるような、とはこのことだ……呼吸も鼓動も止まったのでは、と錯覚する。

 無駄に豊かな胸の奥では、逆に心臓が爆発しそうだった。


「えっと……はっ! し、しっかりして、チユリッ! と、とにかく返品の手続きを」


 咄嗟とっさ携帯電話オプティフォンを取り出し、タッチパネルに指を滑らせる。瞬時に、無数の3D光学ウィンドウが浮かび上がった。その展開を待ちつつ、チラリと横目に視線を走らせる。

 日当たりのいいリビングの中央に今、ひんやりと白く煙った空気。

 その中で、とても美しい姿が眠っていた。


「注文、ミスったかなあ? そんなはずないと思うんだけど」


 白無垢しろむくのワンピースを着せられた、可憐かれんな少女がそこには横たわっていた。

 まるで、ひつぎに収められた花嫁のようだ。

 整いすぎた端正な小顔に、華奢きゃしゃ痩身そうしん

 清楚せいそで小柄な、まるでビスクドールのような女の子。

 だが、これはチユリがオーダーしたものとは全然違う。


「あーあ、折角せっかくの恋人ロボット……アンドロイドだっけ? 今日からナギ様と夢のイチャラブ生活だったのに」


 ぼやきつつ、溜息ためいき

 そして、ようやく半月前の注文メールをデータの海から引っ張り出した。

 奥の痛む目を酷使して、眼鏡めがねを上下させつつ確認する。

 間違いない、男性タイプをフルカスタマイズで注文している。

 ようするに、業者側の手違いといったとこだろう。


「あたしもツイてないなあ。……トホホ、デスマーチの末に誤配送トラブルかあ」


 納品一ヶ月前に、突然の仕様変更。

 安請け合いする営業に、プログラマーやSEシステムエンジニアを魔法使いだと思っている顧客。そして、膨れ上がったタスクに多くの猛者もさがリタイアしていった。

 IT関連事業がごくごく一般的な職業になって幾星霜100年以上、その環境は所詮しょせんこんなものだ。誰が言ったかデジタル土方どかた……いや、工事現場の肉体労働の方がマシかもしれない。

 そして、改めてチユリはほどいた梱包こんぽうを再び元に戻そうとした。

 だが、ふと見ればやはり目を奪われる。


「うっわ、顔ちっさあ……まつげ長っ! ……ふーん、やっぱ男の子ってこういのがいいんだろうね」


 そのまま床に座って、覗き込むようにまじまじと見詰めてしまう。

 非の打ち所がない、ザ・美少女ヒロインだ。

 きっと、小鳥が歌うような声で話すに違いない。

 担当声優は誰だろうかと、また酷く趣味的なことを考えてしまうチユリだった。

 そう、目の前の少女はオーダーメイドのアンドロイドで、チユリとは真逆のイキモノだ。アンドロイドに人権が認められている昨今、同じ土俵に並べば対極の存在である。

 オタク趣味で垢抜あかぬけず、年齢イコール恋人いない歴なアラサー女子、チユリ。

 そんな彼女には、眠り続ける『どこかの誰かの理想の彼女』が眩し過ぎた。


「……さっさと片付けて少し寝よう。流石さすがに三徹がきいてる……キてるよこれ、うう」


 そっとケースの電子コンソールに、手を伸ばしたその時だった。

 冷たくひんやりした小さな手が、その指に触れてきた。

 優しく柔らかく、手を握ってくる。

 瞬間、チユリはビクリと身を震わせた。

 そして、ゆっくりと目の前で少女型アンドロイドが起動する。

 女神か天使か、その両方か。

 見開かれたブラウンの瞳に、チユリの女子力ゼロな変顔が映り込んでいた。


「あっ、ああ、あ……うっ、動いたああああああ!」

「おはようございます。このたびは、弊社へいしゃのわたしをご購入いただきありがとうございましたっ」


 歯切れが良くて、清水のように鼓膜に浸透してくる声。

 そのつやめくくちびるが、楽器のように言の葉をかなでる。

 立ち上がったアンドロイドは、改めてうやうやしく屈み……そっとチユリの手にくちづけした。そして、少女は一歩下がってケースから出ると、ワンピースの両裾りょうすそをつまんでお辞儀してみせた。


不束者ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いいたします。わたしっ、アルス社製GL106式ラヴァータイプ……個体名、メリアですっ!」


 顔を上げたメリアが、エヘヘとはにかむ。

 朝日を背に、見目麗みめうるわしくて、眩しくて……徐々にチユリの世界は漂白されていった。

 過度の過労と眠気の中、二重のショックに耐えきれなくなったのだ。

 イケメン彼氏の代わりに届いたメリアを前にして、チユリはあっけなく失神してしまうのだった。

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