第14話「忍び寄る異変」

 その日は珍しく、あっという間に仕事が終わった。

 朝から夢みたいな出来事があって、夢見心地だったからかもしれない。

 チユリは終始浮かれたままで、調子よくタスクを消化していった。

 だから、定時で上がってソウジと別れると、真っ直ぐ自宅のマンションに戻った。すぐにでも今朝の話を、メリアにしたかったのだ。


「ニシシ、事実は小説より奇なり、ってね。ああいうシチュ、現実でもあるんだねえ。っと、たっだいまー!」


 生体認証センサーを兼ねたドアノブを握って、解錠かいじょうの音と共に扉を開く。

 だが、そこには予想外の闇が広がっていた。

 薄暗い室内に明かりはなく、静まり返っている。

 不意に、以前の一人暮らしの頃を思い出してしまった。空調だけはオートで室温を徹底管理してくれているのに、不思議と寒さを感じてしまう。

 思わず駆け出すチユリの背後に、脱ぎ散らかした靴が舞った。


「メリアッ! メリア……どこっ! ひょっとして、帰っちゃった? ねえ! もぉ、いるならいるって、いないならいないって返事してよぉ!」


 無茶なことを口走ってるが、その自覚も持てないあせり。

 一瞬でチユリは、現実に引き戻された。

 もしや、業者が引き取りに来たのか? 自分がいない間にメリアはメーカーの元へ帰ってしまったのか? そんなことばかり脳裏を過る。

 もしそうなら、突然過ぎる。

 待っててくれないなんて、そんなはずがない。

 自然とそう思えるし、今は確信を得ている。

 なら、なにか犯罪に巻き込まれた可能性も考慮しないと……上手く考えがまとまらないまま、チユリはリビングに転がり込んだ。

 そして、安堵あんどに胸を撫で下ろす。


「なんだ、いたんだ……よかった。もー、メリアッ! どしたのさ……メリア?」


 様子が変だ。

 明らかに異様である。

 メリアは何故なぜか、裸だった。

 

 そして、うなじにあるコネクタを露出させ、そこにケーブルをしている。暗い部屋の中でそれは、部屋全体を管理する固定端末に繋がれていた。このマンションに限らず、どこの住宅にもある多目的デバイスである。

 なにか、大きなデータをダウンロードしているのかもしれない。


「ねえ、メリ……ア?」


 ゆっくりと振り向くメリアの、その瞳にいつもの優しい光はなかった。

 華奢きゃしゃ痩身そうしんがぼんやりと、闇に輝くように白い。

 そのまま彼女は、ぼんやりと見詰めてくる。

 驚くほどにうつろなそのリアクションに、チユリは一瞬我が目を疑った。暗さも手伝ってか、メリアがメリアじゃないみたいに見えたのだ。

 いつも笑顔の元気な少女、メリア。

 期間限定だけど、大事な家族だ。

 そのメリアが、じっとチユリを見詰めたままゆっくり手を伸ばす。彼女は自分でうなじに生えたケーブルを引っこ抜いた。

 そして、一拍いっぱくの間を置いてメリアは突然我に返ったようだ。


「あ、あれ? ……わたし、は……あっ、チユリ! おかえりなさいっ!」


 キラキラと金色こんじき双眸そうぼうを輝かせる、いつものメリアがそこにはいた。

 間違いなく、いつものメリアだ。

 では、先程のは?

 なにか、一抹の不安が胸の奥をかすめる。それを敢えてチユリは、直視せぬよう心の底へと沈めた。

 肌がざわめき、声がひきつる。

 でも、努めて平静を装って自分を安心させたかった。


「ただいま、メリア。って、さあ……なにやってんの? えっと、全裸にならないとお手洗いに行けないタイプのあれ?」

「えっと……なん、でしょう。確か」

「ははーん、さてはおぬし! えっちなデータをダウンロードしていたなあ! このスケベ娘めっ!」


 変におどけてテンションを上げてみたチユリ。

 だが、メリアは予想外のリアクションを見せてくれた。

 ほおを赤らめ、うつむいてしまったのだ。

 ちょっとした冗談だったのに、どうやら図星だったようである。


「えと、その……ごめんなさい。この家に居候させてもらってる間は、少しでもチユリに尽くしたくて」

「なにそれ、超エモい。嬉しい、けどさ……なんかあった?」


 とりあえず部屋の明かりを付けて、メリアに服を着るよううながす。だが、彼女が動こうとしないので、チユリはそっと脱いだ上着を肩に掛けてやった。

 涙目で見上げてくるメリアは、要領を得ぬ中で少しずつ話し始める。


「今朝、チユリのベッドで目が覚めました」

「あっ、それな! うん……ごめん、ちょっと酔っ払って、つい。人肌恋しいっていうのかな……勝手にだきまくらにしちゃったよね」

「い、いえっ! ……嬉しかった、です。だから」

「だ、だから?」

「今後に備えて、追加でデータをアップデートしてたんです。ほら、わたしは男性向けにデザインされてますから。でも、中身だけでも、女性にも対応した形にしたくて」


 しおらしいことを言うメリアが、不思議と以前にも増してかわいく見えた。愛おしい、そういう気持ちが素直に込み上げてくる。

 朝に別れた時より、ずっと強くチユリの気持ちが揺り動かされていた。

 もしかして、すでにアップデートを完了したメリアは、自分の性癖に刺さっているのでは……刺しつらぬいで、えぐってきてるのでは。そういう考えさえ曖昧に思い浮かんだ。


「チユリ、わたし……いいです、よ? その……もっと親密な関係でも。むしろ、嬉しいです。たとえそれが、僅かな限られた時間でも」

「ちょっ、ちょちょ、ちょっと待って! 朝はその、昨夜は! ちょっと、ね? 落ち着いて!」

「は、はいっ! ……ちょっと、飛躍し過ぎてましたか?」

「かなりの大ジャンプだったね……ふふ、でもなんか、ップ!」


 思わず笑みが零れた。

 それは、妙に取り乱してしまった自分の滑稽こっけいさ、そしてメリアの無事を確認して安心してる自分のおかしさである。

 ついこの前まで、帰宅しても誰もいないのが普通だった。

 冷凍食品やレトルトのたぐいを温めて、ネットの世界に浸りながらの夜。昔から御一人様オヒトリサマには慣れていたけど、ひとりが好きな訳ではなかったらしいのだ。


「わ、笑うとこじゃないですよぉ、チユリッ!」

「アハハ、ごめんごめん。そっかー、あたしのためかあ」

「そうですっ! こぉ、わたしたちラヴァータイプにも色々あるんです」

「ほうほう、色々と。とりあえず、服着よっか」


 そこでようやく、メリアは自分が素っ裸だと気付いたらしい。慌てて着せられたチユリの上着の前を合わせて、真っ赤になって出ていった。

 メリアは一応、何部屋かあるうちの一つを使ってもらってる。

 イベントや推しのグッズを保管する、倉庫みたいに使っていた部屋である。


「とりま、今日は外食にしよっかー? なんか、アレコレしなくてもかわいいんだよね。見た目以上に、その、仕草っていうか、振る舞いがさ」


 やっぱり再度、笑みが零れる。

 メリアが突然消えた喪失感が、ただの勘違いだったことに心から安堵している自分がいた。他者と生活を共にするって、凄いことなんだと今は実感できる。

 そしてふと、床に転がったケーブルに目が止まった。

 この部屋の備え付けのもので、世界中のあらゆる機器に接続可能なユニバーサル規格のものである。片付けておこうと思いつつ、その先端のプラグに目を奪われた。


「……いやいや、ちょっと待てあたし。それは変態の考えることだぞ」


 一瞬、自分でも我を疑った。

 というか、そういう発想ができる自分にちょっと、引く。

 どうやらアンドロイドは……メリアは、うなじのコネクタが恥ずかしいらしい。それが唯一、彼女と人間とを分け隔てる見た目の特徴なのだ。そこに、このケーブルは挿さっていた。

 大容量のデータを注ぎ込まれていたという訳である。

 思わずゴクリと喉が鳴ったが、咄嗟とっさに自分の倒錯とうさくした思考を消し飛ばす。


「あたしは腐女子ふじょしだけど、変態ではないのだ……き、きっとね、多分ね!」


 でも、触手系の同人誌とか、結構好きだ。

 推しの美男子が、全身を拘束された上に……というの、かなり好きだ。

 ただ、現実と創作物とは分けて考えるのが、オタクの鉄則である。恋人アンドロイドのオーダーに、ハマってるゲームの推しを投影するチユリの言えたことではないのだが。

 やれやれとケーブルを片付ける。

 その頃にはもう、ちゃんと着替えたメリアが戻ってきていた。


「でもわたし、なにやってたんでしょ……夕ご飯の支度も放っておいて、それも裸で」

「うんにゃ、別にいいよぉ。なんか外で美味しいもの食べよ!」

「は、はい。そんな長時間のダウンロードじゃないはずなんですが」

「うんうん。お店でじっくり聞かせてもらうかなあ。えっちなデータ、そんなに欲しかったんだあ」

「そ、そういう訳では! な、なくも、ないです、けど、こぉ、ですね」


 耳まで真っ赤になるメリアがかわいいが、あまりいじってやるのもかわいそうだ。それこそ、ハラスメントになりかねない。

 なにより、つまらないことでメリアに嫌われたくなかった。

 彼女もちゃんとした成人女性と同等のパーソナル、人格も感情もある人類の共存者なのだから。今という時代、アンドロイドはそこまで身近な存在なのである。


「おけ! そんじゃ行こう行こう」

「はいっ!」

「因みにメリア、なにか食べたいもの、ある?」

「えっと……家では面倒でちょっとやれない料理とか。チーズフォンデュ、とか?」

「いいねえ、それにしよ! ちょっぴりワインとかもつけてさ、ニシシ!」

「もーっ、またすぐお酒……程々にしてくださいよっ、チユリ?」


 そうは言っても、メリアも笑顔だ。しょうがないなあという表情はいつもの優しさに満ちている。

 そしてもう、言葉で確認しなくても二人の友情は親密度を深めている。

 腕に抱きつき腕を絡めてくるメリアが、その密着感がチユリにはなんだか自然なものに感じられるのだった。

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