第25話「もう逃げない、逃げたくない」

 チユリはマッケイと別れたあと、もう少しだけお酒を拝借はいしゃくして寝床ねどこに戻った。高そうなブランデーを、話の種にと飲んではみたが……庶民派のチユリにはありがたみがよくわからない。

 けど、悪役ならやはりブランデーグラスに琥珀こはくを揺らしているものだ。

 逆光を背に座って、ひざの上に高そうな猫をでていれば完璧である。

 だが、ダンゾウはそういうタイプの人間ではなさそうだ。

 ともあれ、一晩寝たらチユリも随分と落ち着きを取り戻したのだった。


「ふあーぅ、ふう……おはよーございますー」


 あくびを噛み殺しつつ、チユリは山荘のリビングに顔を出した。どうにか昨夜のうちに化粧は落としたが、髪はボサボサ、肌はガサガサである。

 メリアが見たら、ドライヤー片手に洗面所へ一時間監禁コースだ。

 けど、残念だけど甲斐甲斐かいがいしい恋人は今はいない。

 三編みつあみだって、ここ最近はメリアがやってくれてたからか、久々に自分で結んでみると上手くいかないものである。

 それでも、キッチンに顔を出せばいい匂いがチユリを包んだ。


「おや、ミズ・チユリ。昨夜はよく眠れたかな?」


 そこには、エプロン姿のダンゾウが振り返っていた。

 悪の博士が、フライパン片手に朝からベーコンを焼いているのだ。コンロの片方ではポットでお湯が沸きつつあり、テーブルにはパンや牛乳が並んでいる。

 まだ半分脳味噌のうみそが寝ているチユリも、一気に眠気が吹き飛んだ。


「えっ、なにそれ……あざとっ! そうやってギャップ萌えで好感度上げようったってね」

「なんの話をしとるんじゃ。ほれ、ひまなら皿を出してくれんかのう」

「は、はあ。なにこの展開」

「一日の食事の中で、最も重要なのは朝食じゃ。効率よく作業をするためには、最良の朝食を欠かさず毎日食べる。これが肝要なのじゃよ」


 ダンゾウは突然、実家のお母さんみたいなことを言い出した。

 そして、手際よくブラックペッパーを一振り。

 手慣れてる。

 多分、なんでも自分でやらないと気がすまない人間なのかもしれない。逃走時には車を運転していたし、今も理想の朝食論のために腕を振るっている。

 皿を取り出し並べつつ、ああそうだとチユリは思い出した。

 ポケットから携帯電話オプティフォンを取り出した、その時だった。


「ああ、ミズ・チユリ。すまんが外部との通信は控えてくれんかのう」

「ほへ? なんでまた」

「公共の回線におぬしの端末からアクセスすれば、アーキタイプに気取られるんじゃよ」

「ああ、そっか。参ったなー、会社に連絡どうしよう」


 せめてソウジに連絡しておきたかったし、実家も気になる。

 世間では今頃、大きなニュースになってるかもしれない。マンションの一室がドカンと風穴空いちゃって、住んでた美人プログラマ(27)が失踪してしまったのだ。

 チユリは椅子に座って、行儀悪くぺしゃんとテーブルに突っ伏す。

 頭が上手く働かないが、緊急事態とも思えるのでしかたがない。それに今は、改めてメリアを救うことを考えたい。そのためなら、ダンゾウを止めることも必要になるだろう。


「マッケイ君は……うーん、どうだろうなあ。あたしを助けてくれるってんなら――」


 この時、チユリはまだ携帯電話を片手にもてあそんでいた。

 そして、オタクでゲーマーな律儀さが、にぶい思考能力を差し置いて機能し始める。特に意識するでもなく、光学ウィンドウが広がりアプリケーションが起動した。

 瞬間、突然キッチンにけたたましいサイレンが鳴り響く。

 その物々しさに、チユリは驚き飛び起きた。


「わわっ、何!? ちょっ、なんなのよさっ!」

「むぅ! ミズ・チユリ、あれほど外部との接触を控えろと」

「えっ、だってメールも電話もして、な……い、けど、これは……エヘヘ」


 今はもう、完全に目が覚めた。

 覚醒、そして自分がなにをやってしまったかすぐわかった。

 目の前に今、ナギ様こと草薙剣クサナギノツルギ微笑ほほえんでいる。

 そう、うっかりいつもの癖でゲームアプリ『聖剣乱舞流せいけんらんぶる』を起動してしまったのだ。このゲームには、毎日こなすことでアイテム等がもらえるデイリー任務が存在する。それを生真面目きまじめにこなし、一度も欠かしたことがないのがチユリだった。

 勿論もちろん、連続ログインボーナスを切らせたこともない。

 


「ご、ごめんっ! いや、手が、指が勝手に!」

「何をやっとるんじゃあ! ええい、まずい! このままでは朝食が」

「えっ、そこ? ってか、どうせログインしたならせめて遠征任務だけでも」

「アーキタイプが察知して飛んでくるまで、五分とかかるまい。クッ、すぐに撤収準備じゃ」


 そうこうしていると、マッケイが慌てた様子で駆けつけた。

 彼は穴の空いてしまったジャケットに袖を通すと、ガンベルトの拳銃を取り出す。数秒前まで穏やかな朝だったのに、今はもう鉄火場の如き緊張感が満ちていた。

 やらかしてしまった気まずさに、チユリは身を小さくうつむくしかない。

 そんな彼女の手元を覗き込み、マッケイはまた頭をポンポンと撫でてくれた。


「ひょっとして、これ……俺のモデルっていうか、元ネタ的な?」

「は、はいぃ……あたしの推しのナギ様なんだけどさ」

「ふーん。まあ、あんまし似てないかな?」

「そりゃ、髪型とかは」

「俺の方が顔がいい、だろ?」

「……抜かしおる」


 ニヤリと笑うマッケイの、その言葉が彼なりのフォローなんだと気付いた。なんだこいつ、イケメンな上にちょっといい奴だぞ。それでチユリも、やってしまったことを後悔する贅沢を先送りする。

 今は行動、そして決意を新たにする時だ。

 一晩寝たことで、考えはすでに定まっていた。


「マッケイ! 昨夜の車はもう駄目じゃ。車庫にあるトラックを使う」

「了解です、博士! さあ、チユリ。また着の身着のままで悪いけど、移動することになる。着替えなんかは次の拠点で……チユリ?」


 手を述べるマッケイが、いぶかしげに片眉を跳ね上げていた。

 だが、チユリは黙ってダンゾウを振り返る。

 ダンゾウは既に朝食を諦め、エプロン姿のままバタバタとキッチンを出てゆくところだった。その背を呼び止め、気持ちを奮い立たせる。


「博士っ! あたし、行かない。逃げない。ここに残る」

「なんじゃと?」

「ポカやっちゃったかもだけど、ピンチはチャンスってさ。あたし、メリアに会う。今度こそ、ちゃんと向き合う」

「……言っとる意味がわかっておるのかね」

「あたしはメリアの彼女で、メリアはあたしの彼女、それだけで十分だったんだ」


 こうしている今も、高速でメリアはこの山荘を目指しているかもしれない。そして、そのメリアがチユリの知っている姿である保障はない。あるいは、急激な変化に耐えきれず、その精神と心も変わり果ててる可能性だってある。

 

 メリアの全てが変わってしまっても、チユリの想いは変えたくない。

 今はそう信じられるだけの、根拠なき自信がかすかに感じられた。


「……ミズ・チユリ。ワシは、アーキタイプの役目が済めばその後を考えてやらんでもない。そもそも、ワシの目的はアンドロイドの真の自由じゃ。アーキタイプが望めば」

「メリアの自由は? あんなおっかない武器を内蔵されて、あのの自由はどうなのさ!」

「人は生まれる場所も時も、親さえも選べん。それはアンドロイドとて同じこと。むしろ、用途や好みで生まれを選ばれてることこそが不自然なのじゃ」

「そりゃ、あたしだって」


 ちらりとマッケイを見やる。

 そこには、チユリが望んだままの姿が腕組み黙っていた。だが、その穏やかな目は不思議とチユリを支えるようにうなずいている。しっかりと視線で背を押されてる気がして、チユリは上手く纏まらない言葉を脳裏に掻き集めた。

 だが、ダンゾウは自分の携帯電話を取り出し操作しつつ、高速で無数のプログラムを処理してゆく。無数に浮かぶ光学ウィンドウの全てが、あっという間にタスクを完了して消えていった。


「ミズ・チユリ。人は今、自分の許容できる範囲の自由しかアンドロイドに与えてはおらん。本来自由とは、勝ち取ること。決して与えられるものではないのじゃ」

「その革命ごっこ、メリアにやらせるんだ? そのために、あんな身体にしてっ!」

「アンドロイドの権利が完璧に整えば、身の内の力を使わぬ自由も行使できるのじゃ! 自由とは、選択肢を多く持つこと。その全てを選べるからこそ、豊かさじゃろう」


 アンドロイドやロボット、AIが普及してからまだ百年とちょっとだ。

 人間だって、その百年前にたどり着くまでの百年で、劇的に世界を変えてきた。飛行機の発明が地球を狭くし、イデオロギーや経済格差、民族問題で戦争も絶えなかった。

 同時に、文明を発展させることで人間は、万物の霊長としてこの星に君臨してきた。

 その文明が人間のためにのみ、アンドロイドたちを許すというなら……ダンゾウのような、実質的な生みの親という立場から見れば歯がゆいだろう。

 けど、でも、だけど……それでも。

 チユリには、革命の女神をやらされそうなメリアがとてもかわいそうに思えたのだ。


「まあいい、議論はあとじゃ。ミズ・チユリ、お主を保護した理由は勿論、手違いからアーキタイプを受け取った人間として、その安全を保証したいからじゃ。それともう一つ」

「……なにか、あたしに利用価値があるって感じでしょ。あたしにしかできないこと、それって……何?」

「知りたくばついてくるのじゃ。なに、悪いようにはせんよ……ワシは、自由を求める姿、そのとうとさと必然をじゃな――」


 その時だった。

 突然、山荘自体が爆発音に包まれ揺れた。

 すぐにマッケイが、チユリと博士とをかばうように両腕を広げる。激震が突き抜け、棚に並んだ調理器具が宙を舞った。

 チユリにはわかる。

 メリアが来たのだ。

 彼女は、ほんの一瞬オンラインになったチユリの回線を、電子の海から見出したのである。勿論、アンドロイドならばそれほど難しい作業ではないだろう。

 落下物から二人を守りつつ、マッケイがくちびるを噛み締めた。


「どうやら先に車庫を潰されたな? 足を失ったみたいだ」


 先程の爆発は、地の底から湧き上がるように足元から響いてきた。恐らく、地下にガレージかなにかがあるのだろう。

 すぐに揺れは収まり、今度は長い沈黙が三人を包んで圧する。

 不気味な静けさの中で、マッケイだけが聴こえぬ音を拾って首を巡らせるのだった。

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