第4話「一人前のレディです」

 結局、クタクタになりながらチユリは帰宅を果たした。

 よもや、あんな初心者丸出しなバグがひそんでいるとは、夢にも思わなかったのだ。そして、たちが悪いことに……イージーなミスであっても、リカバリーがイージーとは限らない。

 時刻はすでに八時を回っており、駅からマンションまで歩けば人影もまばらだ。


「くっそー、誰だ全角スペース使った奴……絶対ゆるさーん。っと、ただいまー」


 指紋認証式のドアを開けると、室内は明るく温かい。

 そして、キッチンの方からパタパタと駆けてくる声が弾んでいた。


「チユリッ、おかえりなさい! ――わわわっ!?」


 飛び出してきたメリアが、玄関の前で派手にスッ転んだ。

 それでも彼女は、エヘヘと朗らかに笑う。


「メリア、危ないからすそはまくった方がいいよー?」

「は、はい。チユリの服はやっぱり、わたしには少し大きいみたいです」


 今日もメリアはエプロン姿だが、ちゃんと服を着ている。タートルネックのセーターにジーンズと、ラフな秋の装いだ。ただ、チユリの私服を貸しているので、裾もそでもダボダボに余っている。比較的長身のチユリと違って、メリアは華奢で小さな女の子なのだ。

 だが、手元を隠す袖をブンブン振る笑顔は、とても眩しく微笑ほほえましい。


「ぐっ、あざといかよ……かわいい!」

「チユリ? どうかしたんですか?」

「ううん、なんでも!」

「あっ、そうそう……チユリッ!」


 間近で立ち上がると、メリアがぐっと顔を近づけてくる。

 輝く大きな瞳はブラウンで、黄金の稲穂が揺れるようだ。

 じっと見詰められると、その双眸そうぼうに吸い込まれそうになる。


「チユリ、これっ! ありがとうございますっ。今日は少し、お買い物をしてきました!」

「ああ、うん。あたしのお古だけど、まだ使えるから。口座ともちゃんと連動してたでしょ」

「はいっ。近所の商店街で、お肉とお魚と、それとお野菜を買ってきました」


 メリアがポケットから取り出したのは、少し古い型の携帯電話オプティフォンだ。古いといっても、空気中への立体映像投影型である。手元に指を滑らす程度の面積があればいいので、酷く小さい。それは、チユリが自分で使っている最新鋭のタイプも同じである。

 今という時代、買い物に現金が持ち歩かれることはほとんどない。

 皆、こうした携帯端末やカードに銀行口座を紐付けて電子決済を利用していた。


「今日は少し寒いですし、ポトフ風のおでんですっ。すぐに温めますね」

「なにそれ美味おいしそう。って、ポトフ? おでん……あまり違わないような? でも、ご飯用意してくれるの助かるな。メイク落としてすぐ行くね」

「はいっ!」


 メリアは、よいしょとズボンの裾を少しまくると、ヨシ! と小さく笑ってキッチンに戻ってゆく。その背を見送れば、自然とチユリも笑顔になった。

 仕事に疲れて帰宅した時、家に誰かがいるっていいものだ。

 それが理想のイケメン男子だったらよかったのだけど……妹みたいに懐いてくる美少女というのも悪くない。

 チユリは洗面所で化粧を落として洗顔を済ませると、キッチンへ。

 和食特有のだしの匂いが、ふんわり優しく鼻孔をくすぐった。


「そういや、メリア。服は買わなかったの?」

「あっ、はい。ちょっと見てみたんですが……」

「好みのもの、なかった? まあ、地元の商店街は品揃えも地味だしなあ」

「そうですね、感じのいいお店ばかりなんですが、チユリの好きそうなものはあまり」

「はは、あたしのことはいーのっ!」

「それに……どこのお店でもやっぱり、

「……は?」


 一瞬、チユリは固まった。

 だが、結構探したんですけどとメリアは笑顔でお茶碗にご飯をよそっている。

 剣、それってソードとかブレイドとか、セイバーとかいうやつ? 何の話だと首を捻ったが……瞬間、脳裏を電流が走った。

 同時に、顔が熱くなる。

 赤面していると気付いても、ますます加熱するので言葉を口ごもってしまった。


「メッ、メメ、メリア! もしかして、あたしの部屋の」

「午前中にお掃除させていただきましたっ。あ、私物などは動かしてないので大丈夫です。それに」


 グッと拳に親指を立てて、メリアはウィンクしながらサムズアップした。


「わたし、そういうのに理解ありますのでっ! 全然おかしくないと思いますっ」

「ぐあーっ、なんてことだ……トホホ。まあ、R18の同人誌を出しっぱなしだったあたしも悪いか」

「でも、面白かったですよ? わたしっ、チユリにもっと自分を好きになってもらいたくて」


 タチバナチユリ、27歳。拗らせた腐女子で、彼氏いない歴=年齢なアラサーである。そして、大切な同人誌はちゃんと専用の本棚に整理して並べておくタイプの律儀なオタクだ。いつでも好きな時に、お気に入りの作品を読み返したいからである。

 当然、そこには大人気ゲーム『聖剣乱舞流せいけんらんぶる』のお耽美たんびな薄い本が……それをどうやら、メリアは見てしまったらしい。このゲームには、古今東西のあらゆる刀剣が美男子になって登場する。因みにチユリの推しはナギ様こと草薙剣クサナギノツルギだ。


「えっとね、メリア。その……気持ちは嬉しいんだけど、あたしは本当は男性タイプをオーターしたんだよね。そこは昨日も話したよね?」

「は、はいっ」

「今日、メーカーからも返信のメールがあって、事実確認が済み次第、回収の連絡をしてくれるって」

「そう、ですか……あ、いえ、当然ですっ! それまで、しっかりお手伝いさせていただきますねっ。でも、ちょっと今日はやりすぎちゃったみたいです。失敗ですねー」


 この短い期間で、チユリはメリアのことを気に入り始めている。優しくて明るくて、一生懸命に一途で健気、そして気丈な女の子だ。

 だが、人生のパートナーというふうには見えないし、見る気になれない。

 チユリだって、人並みの恋愛を異性としてみたいのだ。

 たとえそれが、自分が注文をつけて作らせたアンドロイドでも、だ。


「あっ、でもねメリア、怒ってないからね? 掃除はありがと、ただ……やっぱ、子供の手の届く場所に置いといたあたしが迂闊うかつというか」

「……チユリッ、わたしっていくつに見えますか?」


 不意にメリアは、テーブルの上に身を乗り出してきた。

 思わずチユリは、彼女の優美な曲線に沿ってのけぞる。


「えっと……16歳? くらい? もっと下かな?」

「わたし、ちゃんとパートナーの全てを受け入れる身体に作られてます。メンタリティも……ちょ、ちょっとおっちょこちょいで頼りないかもしれませんが」

「え、それって」

「チユリとちゃんと、大人のパートナー同士になりたいと思いました。……もうすぐ、お別れになってしまうんですけど。でも、だからこそわたし、軽率でしたね」


 チユリははっとさせられた。

 メリアは、どこかの誰かが人生のパートナーとしてオーダーした、一人前の女性なのだ。見た目こそ可憐なティーンエイジャーだが、その準備は出来てると彼女は言いたいのだ。

 軽率なのはむしろ、チユリの方だったかもしれない。

 アンドロイドにも各種人権は備わっているが、それは『人が求めて欲すること』を前提にしたものなのだ。アンドロイドとはそういうイキモノと定義され、その本質を守る形で権利が認められているのだった。


「そっか……ゴメンね、メリア。君、立派なお嫁さんになるね」

「そ、そうでしょうか」

「うんうん、かわいいだけじゃなく仕事もできるし。それに、凄くやる気がある」

「当然ですっ。わたしたちアンドロイドは、誰かと一緒に幸せになるために存在するんですから」

「ん、よしっ! じゃあ、うちにいる間はちょっとだけ家事をお願い。気楽に花嫁修業するつもりで、ね?」

「チユリ……!」


 ぱぁぁ、とメリアの表情が明るくなった。

 その代わり、とチユリは言葉を続ける。


「明日は休みを取ったから、一緒に買物に行こうか。服くらいはね、うんうん……短い間だけど、メリアはあたしのかわいい同居人なんだから」

「は、はいっ! 嬉しいです……わたし、頑張っていいお嫁さんになりますっ」


 まさか、恋人もできぬうちから親の気持ちを知るとは、思いもしなかった。そう、妹みたいで、愛娘まなむすめがいたらこんな感じかもしれない。とにかく、メリアに向かって温かな感情が膨らんでゆく。

 好きにも色々あることくらい、チユリでも知っている。

 でも、人の想いというのは常に一定のままではない……それはまだ、わかっていないかもしれない。自覚すらなく、ただただメリアがかわいいだけの今があった。


「さ、食べよ。えっと、そういえば朝も思ったんだけど……アンドロイド、ご飯は大丈夫なの?」

「そのモデルにもよりますが、わたしのようなタイプは問題ありませんっ。特別脂っこいものとかは無理ですが」

「そっか、よかった。あたしも色々参考になるから、結構いいかも」

「あ、そうですねっ! アンドロイドとの暮らし、色々試してみてください。わたしもがんばりますっ」


 ぐっと両の拳を握って、何度もウンウンとメリアがうなずく。

 今日は食卓もこんなに賑やかで、温かな食事も箸が進む。

 なるほど、これがパートナーとの暮らし……自然とチユリは、自分がオーダーした理想の恋人アンドロイドを夢想した

 そう、ナギ様である。

 ゲームのキャラに寄せて注文した、理想の恋人がもうすぐ来るのだ。


「チ、チユリ……? あの、お顔が」

「ふふ、うふふふふふ……もうすぐ、薔薇色の生活が……ぬふふふふふ!」


 ポトフのようなおでんのような、しっかり味の染みた煮込み料理を食べながら、チユリは無自覚に不気味な笑顔を浮かべるのだった。

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