第20話「恋したからもう、愛してた」

 チユリは東京中を駆け回った。

 個人が一人で回れる程度に、メリアとの思い出の場所は少ない。少ないが、確実にあって、その全てにまだ彼女の面影おもかげが感じられた。

 勿論もちろん、あのあと別れたサクラに、ソウジへの伝言を頼んだ。

 ソウジからもメールが来ていたが、返信する時間すら惜しんでチユリは走った。

 だが、この街のどこにもメリアの姿はなかった。


「で……青い鳥は実は、最初から家にいたんだー、ってやつだね。うんうん」


 ぐったり疲れて帰宅したら、玄関に珍しくメリアのくつが脱ぎ散らかされていた。

 時刻は夕暮れ、とっぷり日もくれて薄闇が街を包み始めている。

 前にもこんなシチュエーション、あった。

 あの時と同じ、マンションの部屋は暗闇に包まれている。

 でも、そこにメリアがいてくれて本当に嬉しい。

 やれやれと少し安心して、チユリは小さな靴を拾って揃える。その横に自分もブーツを脱いで、少し寒い部屋の管理システムに暖房を命じた。


「メリアー? いる、よね? ただいまー」


 あの時は思わず、取り乱してしまった。

 初めて自分が得られた、血縁の外から家族になってくれた人。この時代はすでにもう、アンドロイドだって人間と同じ社会の一員だ。そして、社会の最小単位である家族になった。

 今はもう、家族以上に恋人なのだ。

 そのメリアの気配が、部屋の奥にある。


「そういえば、あの時は確か……全裸でエロデータをダウンロードしてたっけ?」


 リビングにはいない。

 キッチンも静まり返っている。

 多分、寝室として貸してる部屋だ。そこはもう、チユリがメリアと毎晩一緒に寝てるので……再びオタグッズの集積所になっている。

 そこからかすかに、すすり泣くような嗚咽おえつが漏れ出していた。

 確かにメリアはそこにいた。


「おーい、メリア? もぉ、探したよ。よかった、いなくならなくて」

「チユリ……わたし、わたしっ」

「うんうん、ドンマイだよー? なんかさ、メリアが訳ありなのはよくわかった。だから、色々話そう? これからのこともさ」

「……わたしを、メーカーに送り返してください」

「あ、それはやだ」


 瞬時に即答した。

 思考を挟まぬ言葉に、扉の向こうで息を飲む気配がした。

 メリアはビックリだろうが、チユリには当然の気持ちだ。

 家族は、恋人は物じゃない。

 危険だからと放り出すことはできないのだ。

 勿論、一度ゲットしたお宝は手放さない、そういうオタク気質なチユリならではの価値観もそこに介在していた。


「あのね、メリア。あたしは別に、いいよ? 全然構わない。メリアが危険な出自不明のアンドロイドでも、あたしには……恋人、だもの」

「……チユリ、でも」

「メリアが好きなの! もぉ、言わせんなよぉ! 今ならまだ、誰にも迷惑かけてない。それに、メリアはあたしにうんと迷惑かけて、世話焼かせてもいいんだよ」


 その逆も、全然構わないと思ってる。

 なんでも自分で適度にこなせたチユリは、甘えていい相手を得た気がした。同時に、メリアを甘やかしたいし、これから喧嘩や衝突もあるだろうけど嫌じゃない。

 人を好きになるって、そういうことだと今は思ってる。

 好きなゲームキャラに似てるとか、そういうことはきっかけに過ぎない。そして、手違いでイケメンアンドロイドの代わりに来たメリアは、これは運命的な出会いだったのだ。


「……無理、ですよ。チユリ、そんなの……無理に決まってるじゃないですか」

「だねー、無理かも!」

「えっ? い、いえ、そこは、ちょっと」

「あたしはぐーたらしてるし、オタクだしさ。生活力低いし、女子力なんてもっと低い。でもっ! 好きな一人くらい、養って守る程度の甲斐性かいしょうはある! はず! だと、思う! みたいな感じ!」


 少し、張り詰めた空気がやわらいだ。

 ドアの向こうで、小さく吹き出す気配があったのだ。

 それでチユリは、そっとドアノブに手を置く。

 だが、静かに扉を開こうとすると、再び尖った声が鋭く響く。


「だ、駄目っ! 駄目、です……お願い、チユリ。こっちに、こないで」

「どうして?」

「……怖いんです。わたし、自分じゃなくなったみたいで、身体が」

「なんだかつらそう、だから心配だよ」

「こんな……わたし、恐ろしいんです。本当のわたしは、みにくおぞましいんだって」


 メリアの肉体には何故なぜか、武器が仕込まれていた。

 現在では違法とされる、武装化が施されたアンドロイドだったのだ。

 だが、

 チユリは今なら言い切れる。

 少し驚いたし、戦慄せんりつしたのも事実だ。

 そしてそれは、チユリの何倍ものショックでメリアを襲ったのだ。メリアは今も、自分の秘密が暴かれたことにおびえている。なら、助けなきゃと思うのがチユリという人間だった。


「さっきも、チユリ……チユリがサクラさんとくっついてるの、それを見たら」

「ああー、うんうん」

「この感情は、これは……わたしっ、制御不能におちいって、そしたら全身が……見えないなにかに組み替えられるように」

「……メリア、いい? よく聞いて」


 意を決して、チユリはドアを開いた。

 その先は真っ暗で、薄暗い中にグッズが山ほど積まれている。どれも大事な宝物だが、今はもっと大切なものがあった。それは物ではなくて、いとしい人……恋人、愛すべき者だ。

 だからチユリは、明かりを付けずに自分もまた闇に分け入る。

 真っ暗な中で、静かに語りかけつつ歩を進めた。


「メリア、それって多分……嫉妬しっと、かな?」

「嫉妬……これが、ですか?」

「アンドロイドってさ、おおむね『いい子』なんだと思うよ? でも、綺麗で素晴らしいことだけが恋愛じゃないし、そもそも人間だってエゴと欲にまみれて生きてるんだし」

「でも、その、嫉妬? そう、嫉妬ですよね……それをわたしは、制御できなくて。しかも、勝手に身体が。その前もそう、なんて失礼な男って思ったら、腕が」


 ようやく暗闇に目が慣れてくると、部屋の隅にひざを抱えた姿が見えた。

 どうやら、いつものメリアに戻ってる。

 でも、相次いで両手が変形したせいで、メリアの着衣はズタボロに引き裂かれていた。その姿がまた痛々しくて、思わず駆け寄り抱き締めたくなる。

 込み上げる気持ちをグッと我慢して、静かにチユリは言葉を選んだ。


「ねね、メリア。感情は時々、制御できなくなるよ? 理性なんて曖昧あいまいなものだし、誰だって聖人君子せいじんくんしじゃいられないしさ」

「でも、わたしは……そうあるべきと定められた、アンドロイドですから」

「んー、メリアをオーダーした本当の持ち主……多分、男だと思うけど、その人がどう思ったかは知らない。ごめん、わかんない! でも――」


 メリアの前に屈み込んで、そっと覗き込む。

 彼女の表情は涙でグチャグチャになっていた。ちょっと台無しな、そんなメリアも愛おしい。きっと、恋愛には綺麗なものばかりが並んでる訳じゃない。漫画やアニメでも、修羅場や愁嘆場しゅうたんばは必ずあるものだ。

 そういう時こそ、試されるんだとチユリは知っている。

 世に満ちた数多あまた創作物コンテンツが、それを幼少期から教えてくれていた。


「でも、でもさ、メリア……あたしが欲しいのは、あたしが一緒にいてほしいのは、今のメリアだよ? だからさ、やましさやずるさ、そういうこともあって普通な女の子でいいよん?」

「チユリ……」

「なんてな! わはは! さ、まずは涙を拭いて。あと、鼻かもう! ほらほら、美人が台無しじゃんねえ?」


 ポケットからティッシュを取り出し、渡してやる。

 少し躊躇ちゅうちょを見せたが、メリアはチーン! と可愛く小さな音で涙と決別した。

 腫れぼったい目がうるんで見詰めてくるから、笑顔で大きくうなずいてやる。

 そしてチユリは、先程自分でメリアに送った言葉を実感してしまった。そう、本当のことというか、真実、そして真理だった。

 

 それを律してこそ大人とも言えるが、感情の度合いや大きさにもよるだろう。

 そして今……眼の前のメリアがあまりにも可愛くて、


「これから色々、二人で考えようよ。その身体もさ、直るなら直す……治すのもいいし」

「チユリ、怖くないですか? ……わたし、他にも色々自分の中に入ってそうで」

「とりあえず、恋人が無敵のボディーガードってのも、悪くないよん? ……ね、メリア。もう泣かないで。お互い驚いたけど、難しいことは明日考えようよ。明日から頑張る、ってやつでさ」


 そっと、メリアの細いおとがいを手で持ち上げる。

 静かに瞳を閉じる彼女の、そのくちびるに唇を重ねようとしたその時だった。

 無情にも、玄関の方でインターホンが鳴った。


「……チユリ、お客さんです」

「ん、知ってる」

「ちょ、ま、待ってください! 出ないと……宅配便かもしれませんし」

ぜん食わぬはなんとやら、だし? いいよもう。だってさ、メリアがこんなにかわいいから」

「よくありませんっ! ……もぉ、本当にしょうがないんですね、チユリって」

「まーね……とほほ、しゃーない。ご飯も二人で食べなきゃだし、夜までおあずけだね」


 やれやれとチユリは立ち上がった。

 凄くいいところで邪魔が入ったが、メリアが普段通りに笑顔を見せてくれた。

 それだけでもう、チユリも安堵感が込み上げる。

 本当はチユリ自身、怖かった。

 メリアを失うことが、とても恐ろしかったのだ。

 そして今は、その危機が去りつつあると自分に言い聞かせる。そうして玄関まで歩いて、ちょっと着衣を整えてから来訪者に応じた。

 マンションのエントランスを通過した時点で、不審者ではない。

 恐らくまた、コンシェルジュのロボットが荷物を届けに来たのだろう。


「はいはーい、お疲れちゃん――って、ありゃ? ……えっ!?」


 ドアを開けたら、目の前にロボットがいた。

 そう、アンドロイド……それも美形のイケメンだ。サングラスをしていても、整った顔立ちは輪郭だけで輝いてる、そんな雰囲気だ。

 彼がサングラスを外して、チユリは思わず仰天ぎょうてんしてしまうのだった。

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