第15話「酔いどれシンデレラ」

 突然の不安と動揺は、すぐにメリアによって払拭ふっしょくされた。

 そして、チユリはショックの大きささえも今は嬉しい。いとエモし、である。他者がいてくれること、突然いなくなったと思ったけど違ったこと、本当によかったと自分の中で実感できてしまう。

 妹みたいで、友達みたいで、一緒に暮らしてる家族。

 この時はまだ、メリアという美少女アンドロイドへの気持ちは不確定だが。


「ほいでさあ、メリア~! まじでナギ様かよーってくらいのイケメンでー」

「はいはい、わかりましたから。ふふ、もぉ……飲み過ぎですよ、チユリ」

「らってぇ、パンくわえて走ってたら、角からドーン! だよぉ! ベッタベタなのらぁ」

「お行儀悪いなあ、もう。食べながら走らないでくださいね?」

「でも、サンドイッチ、おいひかったよぉ~」


 チユリは酔っていた。

 普段はビールを軽く飲んでも、結構すぐに酔っ払ってしまう。

 同居人をベッドにポイ! そんでもって、自分もズドーン! してしまうくらいに、実は酒には弱い。お酒が好きでも、飲めば飲む程に強くなるとはいかないのだ。

 だが、酷く気分がいい。

 夕食時に飲んだワインで、身体はポカポカである。

 加えて、肩を貸してくれるメリアが温かかった。


「明日は寝坊しないでくださいね? わたしも、気を付けます……昨日は迂闊うかつでした」

「いいのいいの~、すんごくいいのぉ! 気にしなーい、気にしないっ!」

「ああもぉ、酔っ払い過ぎですってば」

「ふふ、ふふふふふ! でも、メリアにもかわいいとこあるんらろ」

「なに言ってるんですか、わたしなんてかわいさのかたまりですよ。かわいげの過積載かせきさいですって」


 時刻は今、八時を回った頃合いだ。

 繁華街を行き来する人々は、誰もが華やいで見えた。まだまだ宵の口、明日が平日でも飲む人は飲むのだ。そして、大勢だったり二人きりだったり、皆が誰かと連れ添い歩いている。

 たまの外食も、一緒の連れがいるとまるで別世界だった。

 チユリは改めて、自分の中でまだまだ大きくなるメリアの存在を感じていた。


「メリア、そんなこと考えてー、そういうデータをダウンロードしてたんら?」

「そっ、それは……そうですっ! 大事なことですから!」

「むふふ、このこのー、むっつりすけべめえ」

「……むっつりじゃないですよ。割りとストレートに、その、ですね」

「わはは、かわいい奴めー!」


 メリアがダウンロードしていたデータは、ラヴァータイプのアンドロイドに適用されるパッチデータである。アップデート内容は……女性同士の恋愛。

 昨夜のこともあって、生真面目きまじめなメリアは対応してくれようとした。

 チユリの同性の恋人になろうとしてくれたのだ。

 メリアは本来オーダーした恋人ではないし、メーカーが前後の事実確認を終えれば帰ってしまうのだ。本当にメリアを求めて欲した、心から望んだ男性のところに行くのである。


「メリアさあ……もう、ずっとうちにいなよぉ~」

「はいはい、それもさっきから何度も聞いてますから」

「ナギ様とあたしと、三人で暮らそう? ハーレムエンドなんらろ~」

「もう、チユリってば。わかりました、考えておきますから。なんにしろ、わたし――」

「理解ある方ですから、らろ? メリアはほんっ、とぉ、にっ! いい子なんらろ~」


 密着してくるメリアから、甘やかな香りがふんわりと鼻孔をくすぐってくる。

 柔らかな感触は、しっかりとチユリの体重を支えて歩いていた。

 周囲も夜の街を足早に歩いて、二人を気にもとめない。

 雑踏のド真ん中で今、不思議と二人きりな気がして胸がときめく。


「メリアさあ、むふふ……具体的にはどーゆーデータをぉ、落としたのかなあ?」

「うわ、面倒臭めんどうくさい人になってきた。ま、まあ、その、色々とですよ」

「色々ってぇ? にはは、赤くなってるにゃー?」

「ブン投げますよ? もー、ほんとにしょうがないお姉さんだなあ。……チユリに求められたら、応じたいし、迎え合いたいんです。そういう気持ちなんです、今もずっと」


 突然、薄曇りな思考が一瞬でクリアになった。

 酔いも覚めるような一言に、思わず胸元を見下ろす。

 寄り添い歩くメリアは、耳まで真っ赤になっていた。

 ただ一時の同居人、誤配送で居座っちゃっただけなのに……そこまでメリアは考えてくれていたのだ。それがアンドロイドだからか、彼女のパーソナルな根っこなのか、それはわからない。

 ただ、メリアが残りの時間を数えながら暮らしてる訳ではないらしい。

 今この瞬間、業者に回収されるとしても……彼女はこうしてチユリを支えてくれるのだろう。


「……そっかあ。ふふ、メリア……ありがとう」

「なんですか、もぉ。改まっちゃって」

「なんかさあ、嬉しくて」

「ちょっとちょっと、しみじみしないでくださいよぉ。……んっ?」


 不意にメリアが脚を止めた。

 そのまま彼女は、チユリに肩を貸したまま周囲を一瞥する。

 なにかなと思って、チユリも彼女の眼差しを視線で追った。

 眼鏡の向こうには繁華街の光が溢れてて、往来の人影は全てがシルエットだ。喧騒にまぎれて音楽が聴こえるし、それを運ぶ晩秋の夜風も火照った肌に気持ちいい。

 だが、静かにささやくメリアの声が鋭く尖った。


「チユリ、結構もてるんですよね?」

「んー? なにがぁ? って、いやー、ないない! 干物もいいとこだよぉ」

「成人男性が二人、背後から尾行してきます。わたしたち二人がターゲットである確率、92%……あと、この重心移動の歩調、背が高い方は銃を携帯している可能性が」

「えっ? いや、ちょっと待って。それなんてゲームの話――っとお? おいおいー!」


 突然、メリアが走り出した。

 それでチユリも、千鳥足ちどりあしでフラフラと駆け出す。

 なにがなんだかわからない中、混乱だけが加速してゆく。男に後を尾行られるなんて、全く心当たりがない。例えあったとしても、ストーカーは御免ごめんである。

 しかも、銃を持っている可能性?

 まったくもって訳がわからない。


「ちょ、まっ……メリア、息が」

「まだ追ってくる? なら……チユリ、ちょっとごめんなさいっ」

「ひゃっ!?」


 メリアの細い両腕が、そっとチユリを抱き上げた。

 かわいらしい居候いそうろうは突然、小さな王子様になってしまった。そのまま童話のお姫様のように、チユリを抱えて走る。

 流石さすがに周囲も目の色を変えたが、その驚きの顔が高速で背後に飛び去った。

 そして、軽い衝撃と共に景色が真っ暗になる。

 メリアがジャンプで地を蹴った瞬間、二人は夜空の中にいた。


「うわっ、アメイジーング!? なにこれ、ワイヤーアクション? CG?」

「現実です! しゃべってると舌を噛みますよっ」


 ネオンが輝く鉄塔を足場に、再度の跳躍。

 星々の中へと落ちてゆくような感覚だ。

 冷たい風の中、メリアが優しく抱き上げてくれてることが伝わってくる。その気遣いが、服を隔てても肌と肌ではっきりと感じられた。

 やがて、何度目かの着地でメリアは立ち止まった。


「……追ってこない、でうね」

「ふええ、一気に酔いが覚めた。メリア、もぉビックリだよぉ! 超展開だよ!」

「すみません、チユリ。でも、明らかにわたしたちを狙っている気配でした」

「あたし、まだなにもやってないし!」

「まだと言わず、ずっと犯罪には手を染めないでいてくださいっ」


 そこは、高層ビルの屋上だった。

 チユリは知らなかった。アンドロイドにまさか、こんな身体能力があるなんて。この時はまだ、メリアが特別なアンドロイドだという発想はない。むしろ、チユリはメリア以外のアンドロイドをあまりよく知らないのだ。

 だが、機械の肉体を持つ彼女たちが、人間より頑強で俊敏しゅんびんなのは想像できる。

 そして、その全てでメリアはチユリを守ってくれたのだ。


「もう一度聞きますけど、メリア。本当に心当たりはないんですね?」

「ううっ、刑事さん……あたしがやりました、全部あたしが」

「あ、そういうボケはいいので。ふふ、でも安心しました。チユリがなにかに巻き込まれてる、という話ではなさそうですね」

「そりゃそうだよー、会社じゃ人付き合いはそれなりだけど、ソウジ君くらいとしか親しく話したりはしないぜー?」

「……でも、どこかで一方的に男性の心を奪ったりしてて、その人がストーカーに、って可能性は」

「ないない、ありえないよー! あたしはだって、こんなだし」


 チユリをそっと降ろして、メリアは間近で見上げてきた。

 彼女の瞳にきらめく光が、頭上の星空よりもまぶしい。

 そのままメリアは、ギュム! と真正面からチユリを抱き締める。


「こんなって、どんなですか? チユリはとってもチャーミングで、綺麗で魅力的な女性ですっ。それに」

「そ、それに?」

「……わたしの好きな人を、こんなだなんて言わないでください」

「え、あ、お、おおう……ごめん。って、え? 今なんて」


 ――好きです、チユリ。

 確かにメリアは、はっきりとそう言った。

 それは、どんな豪華声優陣がささやくよりも甘く、深く胸へと突き刺さる。

 ゲームのキャラがくれる、あらゆるプレイヤーへ向けた台詞せりふじゃない。


「メリア、あのさ……す、好きにも色々あるじゃん? その、あたしは……」


 胸の中で見上げてくるメリアを、チユリもまた抱き返した。

 抱き締め合えば、自然と寒さも忘れて身体が火照ほてる。


「あ、あたしは……LIKEライクじゃなくて、LOVEラブかもしれない」

「はいっ、チユリ。真ん中しか違わないので、概ね同じですねっ!」

「そ、そう? その……人との距離感とか、誰をどう想うとか、色々初めてだから、えっと」

「大丈夫ですよ、チユリ。心配しないでください。わたし、バッチリ理解ありますからっ!」


 はにかむメリアの笑顔を、チユリは思わず強く抱き寄せた。

 誤配送のあの日から、小さく芽吹いて育った感情が実った瞬間だった。その果実を人は、愛というのかもしれない。チユリには、そういう人間を認識するのが初めてで、人間かどうかは関係なかった。

 メリアが小さな女の子だということさえ、考えられない。

 考えがまとまらないのに、気持ちだけははっきり固まったと感じてしまうのだった。

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