第44話 池田屋事件まであと二日①

 ───元治元年六月三日。


 新選組屯所


 *慎一郎 side*


 僕が中村隼人くんと対面したのは、つい先頃。昼の稽古を終え、松原さんから、無事入隊を終えた彼の世話を仰せつかった後だった。

 名前を聞いた時、どういう訳か一発で京香さんが言っていた人物だと分かった。僕は、やけに親しそうに話しかけてくる彼に戸惑いながらも、話を合わせるようにして隊内の規律などを伝えていった。

 これはきっと、何か理由があるに違いない。

 自分たちの部屋の説明を終え、今度は厠や風呂場などへ案内しようとした。その時、中村くんから一通の手紙を受け取る。

「あ、そうそう。これ、から預かってきました」

「え……?」

 今までおどけたように振る舞っていた中村くんの、鋭い視線とかち合う。

「今すぐ、それを読んで頂きたい」

 小声で早口にそう言うと、また笑顔になり、縁側へと出てそこから見える庭を見ながら、「後ほど、手合わせ願いますよ」と、言ってこちらを振り返る。

 僕は無言で頷いて、受け取った手紙を襟元に忍ばせながら足早に厠へと向かった。


( もしかして、この手紙は……)


 内心はこれからのことを想像し、複雑な思いでいっぱいになっていた。

「うっ、今日はいつもよりキツいな……」

 開口一番、鼻にツンとくる悪臭に軽く吐き気を覚えた。この匂いだけは、未だに慣れない。

 厠内で手紙に目を通してみたところ、やはり京香さんからで、説明文の他にもいくつか設定みたいなものが練られていた。

 まず、中村くんは僕らと同じ江戸出身で、顔見知りである。そして、新選組の噂を耳にした彼が、僕らと一緒に戦いたいが為に上京し、入隊を果たす。と、いうもの。そうしたほうが、何かと話しやすくなるだろうから。と、いう京香さんなりの配慮が窺えた。


( だから、妙に馴れ馴れしかったのか……)


 と、その時だった。戸を引こうとする音と同時に、外から原田さんの少しくぐもった声がして、一瞬だけれど身構える。

「あ、今出ます!」

「その声は慎一郎か?」

「はい!」

 手紙を折りたたんで懐へとしまい、すぐにドアを開けると、目の前に苦虫を噛み潰したような顔をした原田さんがいた。

「うへぇー。ほんとによぉ、夏場はたまんねぇな……」

「同感です。今日は特に……」

 入れ替わるようにして、ドアが閉まって間もなく。中から、「くっせぇー」と、いう原田さんの悲痛な声がして、思わず笑ってしまう。

 部屋割りも、運よく僕と明仁さんと同じ部屋となったことにより、好都合な状況ではある。けれど、さすがに内密な話をするにあたっては場所と時間の都合をつけるほかなくて、市中警護中の明仁さんが戻るのを待ってから、話し合う場所を選ぶことにした。


 *

 *

 *


 古寺


 最近、その手の話をするのにもってこいな場所を見つけていた僕と明仁さんは、中村くんと時間をずらして壬生寺で待ち合わせをし、そこから六キロほど離れた古寺へとやってきている。

 この界隈には人の手が離れて長そうな古寺がいくつかあり、とりあえずの秘密基地的な意味で利用することにしていた。

 再度、それぞれが周りを確認し、本堂内へと向かう。


( 誰にも付けられることなく、辿り着くことが出来て良かった。)


 狭く黴臭い本堂内。天井や柱の角などには数箇所蜘蛛の巣が張られ、隙間からは、生暖かい風が吹き込んでくる。埃で白くなった床に腰を下ろすと、僕らはまず、対面して胡座をかいている中村くんから、これまでの経緯を聞くこととなった。

 タイムスリップしてから、枡屋さんに引き取られ、現在は妻子がいて、高杉晋作たちと行動を共にしていること。屯所内に潜り込んでいる間者たちとの面識は無く、京香さんと出会ってからというもの、開国派の想いも知ることによって、初めて自分の生き方を見つめ直したこと。

 それからは、高杉晋作や久坂玄瑞、坂本龍馬たちをも説得するようになったこと。京香さんたちが、間者として屯所内に潜り込んでいる深町新作と内密に事を運び、枡屋さんを救出しようと考えていたこと。そして、藍沢尚也さんとその妻である優美さんのことなど。僕らは終始、黙って耳を傾けていた。

「深町も間者だったのか」

 明仁さんが、視線を外しながら厳かに瞳を細める。

「寺島さんからの手紙にも書いてあったと思いますが、深町さんは長州の間者で、かなりな剣の達人だと聞いています」

 中村くんは何かを考えるかのように眉を顰め、短めの息を漏らした。

「これを話している時点で、俺はもう長州味方を裏切っていることになる。でも、俺は……寺島さんの友人である貴方たちのことも、同様に信頼したいと思っています」

 そして、胡坐をかいていた脚を素早く折りたたみ、正座をすると、深く座礼した。

「互いが敵同士だということは重々承知の上。お二人ともかなりの腕前であると、窺っています。どうか、俊さんの為に力をお貸し下さい! どうしても、どうしても俊さんを助け出したいのです……」

 そこからは、僕らと同じようにタイムスリップする前の状況から、これまでの経緯を簡潔に話して貰った。

 壬生寺だったと思う。いつだったか、京香さんから中村くんの話を聞いて以来、他にも同じ境遇の人がいた。と、いう事実に驚愕したこと。僕と明仁さんの現在の状況や、どれだけ信用して貰えたかは分からないけれど、枡屋さんに僕らが未来人であると打ち明けたこと。何より、これからも新選組隊士として、どのように動くべきかなどを簡潔に語り尽くした。

「あんたと同じように、俺たちの居場所も一つだ。寺島から聞いているとは思うが、新選組には禁令ってものがいくつかある。それらを破ると粛清は免れない。枡屋救出に関しては全力で協力するが、あんたが新選組うちにいる間は、こちらの指示に従って貰うことになる」

 出来るか?と、問いかける明仁さんに対する中村くんの眼が、よりいっそう険しく細められる。

「承知、しました」

 じゃあ、こっからが本題だ。と、明仁さんは胡坐をかいていた脚を崩して片膝を立てた。

「枡屋に、池田屋事件の発端となったと言われている、武器弾薬や書簡のことを尋ねてみたんだが、書簡については否定していた」

「書簡……」

 中村くんが訝し気に眉を潜める。

「寺島から聞いていないか?」

「……少しなら」

「現代まで受け継がれている史実の中に、こんな話がある」

 それは、長州の大元締めである古高俊太郎が武器弾薬を隠し持ち、長州藩からの計画が記された書簡を手にしていたことが原因で池田屋事件へと繋がってしまう。その内容は、京の町に火をつけ、松平容保を暗殺し、天皇を攫う。と、いうものだった。

 話を聞き終えた。途端、中村くんは険しく顔を歪め怒りを露わにした。

「そんな馬鹿な! 長州我らがそのような卑劣な真似をするわけがない!」

「落ち着け。俺らも、それに関しては同意見だ。無謀で命知らずな奴が多いとはいえ、長州側がそこまでやる意味は無いだろうからな」

「じゃあ、いったい誰が……」

「一つ、確かめたいことがある。俺に任せてくれないか」


 *

 *

 *


 寺田屋


 *京香 side*

 

 慎一郎さんたちが密会している丁度その頃。私が、いつも通り寺田屋での仕事に奮闘している間、優美さんと尚也さんには六角獄舎の場所を確認したり、いわゆる、下調べをして貰っていた。

 六角獄舎ろっかくごくしゃ。平安時代に建てられたというその牢獄は、確か豊臣秀吉の頃から何度か移転を繰り返していて、現在も京都にその跡地として石碑や、亡くなった志士たちの忠霊塔などが建てられている。

 お登勢さんたちが、お客さんと祇園祭の話で盛り上がるなか、私はいつもよりも気が引き締まる思いでいた。

 その夜。また近所の川原へと移動し、優美さんたちから報告を受けた。

 最後に吉田屋にも顔を出したところ、偶然、吉田利麿さんと、桂小五郎さんに会い、二日後の会合に、半ば強制的に誘われたという。

「もともと、池田屋で会合する予定だったみたい。だから、明後日皆で池田屋に集まって、古高奪還の話し合いをするって言ってた」

 優美さんは、そう言ってふーっと長い溜息を漏らした。すると、それに付け加えるようにして、今度は尚也さんが、「本来なら、今すぐにでも救出したい。皆、そう思っているらしい。特に、桂さんは珍しく怒りを露わにしていた」と、言って夜空を見遣る。

 そんなお二人を交互に見ながら、私は改めて、池田屋事件の発端から新選組が勝利するまでの経緯を詳しく話して聞かせた。

 新選組隊士、武田観柳斎たけだかんりゅうさいの指揮する五番隊らの活躍により、長州側の企てが露呈された。それが切っ掛けで、長州の大元締めである古高俊太郎が捕縛され、そこで漏洩した情報をもとに、攘夷派志士らを一掃しようと、誰よりも早く動いたのが新選組だった。

「そこなんだけどさ、やっぱどう考えてもあの枡屋さんが全部吐いたとは思えないんだよね……。それに、その書簡についても疑問だらけだし」

 悔し気に呟く優美さんに、私は無言で頷いた。

「これは、私の推察に過ぎないんですけど、書簡に関しては、新選組の誰かによる企てなのではないか。と、いうネット記事を見つけたことがあって、それもあり得なくはないなって、思ったことがあったんですよね」

 たとえば、博識だったとされている武田観柳斎の策だった。と、考えてみる。

 自分たちが一番に発見し、古高俊太郎を捕縛したことを幸と為し、今後もよりいっそう動きやすくする為に、書簡を偽作したのだとしたら。

 大好きな新選組を疑うのは不本意だけれど、そうだとしたら、卑怯なやり方だと思わざるを得ない。

「とりあえず、隼人くんからの報告待ちってことで。あたしらは、いつでも動けるように準備をしておくしかない。それと、何とかして池田屋での……というか、京都での会合を止めさせないと」

 優美さんの、いつにも増して真剣な眼差しを受け、私も尚也さんも気合を入れ直す。

「あとは、沖田さんと土方さんがどう動いてくれるか。だね」

「……はい」

 史実通りなら、あと二日。最大の試練とも言える、池田屋事件をどう切り抜けるか。今度こそ歴史を変えてみせる。そう思えば思うほど、緊張からか微かな身震いを覚えた。

 どうか、誰も傷つかずに済みますように。

 そう願わずにはいられなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る