第24話 分かれ道
文久三年八月十九日
枡屋邸 中村の部屋
*京香side*
中村さんが枡屋へ戻って来たのは、暮れ六つ半頃だった。翌朝、御所へ向かうと思っていた中村さんだったが、それは易々と裏切られたという。
「待てども待てども、上からの突撃命令が下りず、御所へ向かうも結局は大人しく退くほかなかった」
と、溜息交じりに言う中村さんの表情は暗く疲れ切っているように見える。
「しかし、分からないのは孝明天皇だ。どうして攘夷を果たそうとしない幕府の味方をするんだ?」
「それは多分、天皇自ら攘夷を望みながらも、長州の過激なやり方に対して不満があるからなのではないかと……」
灯し始めたばかりの部屋の行燈がつらりと揺れる。
史実にもあったけれど、思ったままに伝えると、中村さんはほんの少しこちらに視線を向けながら溜息をついた。
「……だとしたら、俺達はどうすればいい」
「どうすることが得策なのか、私にも分からないですけれど、今はとりあえず下関へ戻り、絶対に戦争だけは起こさないように、みんなを説得して下さい。後に、会津と手を組んだ薩摩も、今回の一件が間違いだったと気づくはずなので」
「間違いだったと気づく?」
と、中村さんは眉を潜めた。
「元々、長州藩を京都から追い出す為だけに手を組んだとされているからです」
「……なるほど。会津は薩摩に利用されているだけ。と、いうことか」
そもそも、長州と薩摩はいつから敵対するようになったのだろう。関ヶ原の戦いでは、共に敗戦した者同士であるということなら知っている。正確には、敗戦したのは薩摩だけだということなのだけれど、中村さんもそのことに関しては知識を得ているという。
百年以上も前の話を持ち出して来ては、それらをまるでスローガンにでもするかのように “ 倒幕心 ” が植えつけられているのだと、久坂玄瑞から聞いていたのだそうだ。
関ヶ原の戦いで、薩摩と長州が、具体的にどのような働きを残したのかまでは分からないにしても、今回の一件をリベンジと、考えてもおかしくないし、幕府側がもっと上手く事を運んでいれば、もしかしたら、また違った明治維新を迎えられたかもしれない。
「ただ、長州藩の意気込みはどこにも負けていないと、私は思っています。今までは、主に佐幕派目線で見ることが多かったんですけど、枡屋さんや龍馬さん、高杉さんたちと知り合えたことによって、倒幕派の想いも理解できるようになりました」
「俺も、寺島さんから佐幕派の想いを聞かなければ、誤解したままだったかもしれない。長州こそがこの国を守り、統率していけるものだと思い込んでいたから」
「薩摩も、長州も、土佐も、会津も。自分達こそが、この国を守れるものだと信じている。後に龍馬さんが、“ 各諸藩が共に手を結び、幕府を中心とした政治をしていくことこそが得策だ ” と、いう言葉を残すことになるのですけれど、私もそれが一番だと思っているんですよね」
「各諸藩が共に手を結ぶ、か」
幕府と朝廷とが手を組んで、政治を動かして行こうという公武合体が上手く行っていたらどうだっただろう?龍馬さんの言う、各諸藩が手を組んで仲良く日本を動かして行けただろうか。
第十四代将軍・徳川家茂と、孝明天皇の妹である和宮とが結ばれたことによって、いったんは成功するも、結局は廃止され、薩摩と長州に打ち負かされてしまうのだ。
「
「やっぱり、幕府の弱腰が原因ということだな」
と、胡坐をかいていた中村さんがおもむろに足を組み直しながら言った。
「確かにそうかもしれないし、幕府の各諸藩への対応にも問題があったのかもしれない。でも、本当はそんなのどうでもよくて、自分が一番になりたいという想いの方を優先させてしまうというか」
「その通りだ。それぞれが長所を出し合い、短所を補い合いながら生きて行こうという意見は、最終的に後ろへと追いやられてしまうものだからな」
これまでにも、経験があるのだろう。中村さんは一点を見つめたまま、悩ましげに少し瞳を細めた。その言葉の意味を尋ねると、彼は辛そうに顔を歪めながら静かに口を開いた。
「戦争を繰り返すのは、ある種、人間の性とでもいうべきか。とりあえず、今は下関へ戻って久坂さんたちと今後のことについて話し合ってみようと思う」
「そうして下さい。私も、寺田屋で自分に出来ることを頑張って行きますから」
ぎこちなく微笑む私に、中村さんは少し呆れたような笑みを浮かべた。
「それにしても、歳が近いのだからタメ口でもいいですよ」
「そういう中村さんこそ、敬語になってる」
どちらからともなく笑い合い、私達は時許す限り、今後のことについて語り合った。
お互いの進むべき道が、どうか良い方向へ向かいますようにと願いながら。
*
*
*
*慎一郎 side*
古寺本堂内
「……この残り香、嗅ぎ覚えがある。
斎藤さんの呟きに、土方副長も辺りを見回しながら静かに口を開く。
「ってことは、ここにいたってことだな」
「あの、白檀って?」
土方副長の隣、僕が提灯で足元を照らしながらその意味を尋ねると、斎藤さんは香木の一つだと教えてくれた。
(お香のようなものか。それにしても、甘ったるい匂いだな。)
見廻りの最中、怪しげな浪士らしき男がこの近辺をうろついていたことから、急遽、調べることになった古寺。誰が何の為にここにいたのかまでは分からないけれど、取り逃がした今、いったん屯所へ戻るという土方副長を先頭に、僕らはその場を後にした。
あの後、長州軍を待ち構えていた僕らの前に現れたのは、味方の藩兵が列をなして歩く姿だった。結局、勇んで御所へ向かったものの、何をすることなく終わってしまったことに呆気なさを感じながらも、正直、史実通りに事が済んでくれたことに安堵していた。
まだ、緊張感から解放されないまま、駆り出された今回の捕り物。確実に増えるだろう見廻りから戻った僕らを迎えてくれたのは、お梅さんだった。
「遅くまで、お勤め御苦労さんどす」
丁度、提灯を持ちながら門をくぐろうとしていたところで、おしとやかにお辞儀をするお梅さんに、先頭を歩いていた土方副長が、少し躊躇いがちに声を掛けた。
「気を付けて帰れよ」
「おおきに。ほな、また」
軽くお辞儀をして去って行くその後ろ姿を、土方副長の眼がいつまでもとらえている。次々と、門の中へと入って行く隊士たちを気に掛けながらも、どうかしたのかと問いかける。と、土方副長は何事も無かったかのように軽く横に首を振った。
「いや。ただ、芹沢の妾になるとか」
「……そうなんですか?」
知っているのに知らないふりをするのは未だに心苦しいけれど、これでも少しは慣れてきたような気がする。
その後、共に土間へと向かい、水を飲もうとした。刹那、腰掛けながら草履を脱ぎかけていた土方副長の厳かな視線が、僕の後方へと向けられた。
「……?」
振り返ると、おぼつかない足取りでこちらへ歩いて来る新見さんを見とめた。殴り合いでもしたのだろうか、良く見ると口元と指先が赤黒く染まっている。
土間に座り込み、草履を脱ぎ終わった土方副長が、おもむろに立ち上がりながら言う。
「また酒に呑まれたか」
新見さんは、気分が悪そうに軽く息をつくと、僕から柄杓を奪い取り、水を飲み干していく。そして、自分の部屋へ戻るつもりなのか、ふらふらしながら土間を後にした。
「あの芹沢さえも、新見の酒癖の悪さには首を捻っているらしい。例の一件も、けしかけたのは
「えー、そうだったんですか?!」
ふと、あの『大和屋焼き討ち事件』の晩のことを思い出す。急いで駆け付けた店先で、明仁さんや沖田さんたちと、燃え盛る炎を消す為に奮闘していた。その時、芹沢さんよりも新見さんの方が率先して平山さんたちに指示を出していたことに気付く。
今までは、芹沢さんから命令されてのことだと思い込んでいたのだけれど、本当のところは新見さんが考え、芹沢さんにその罪を擦り付けて来たということだろうか?
(あり得ない話じゃないよなぁ。だとしたら、なんて巧妙な……)
京香さん曰く、新見錦に関しても謎だらけで、これといった史実が見当たらないことから、僕らにとって重要人物の一人でもある。
「ある意味、芹沢より厄介な相手と言えるだろう」
「……そうかもしれませんね」
「そろそろ、アレを実行する時が来たようだ」
「アレって……」
「いずれ分かる」
不敵な笑みを浮かべ、自分の部屋へと戻っていく土方副長を見送りながら、僕は、アレというのが例の “ 法度 ” のことなのではないかと思い、一瞬だけれど身震いを覚えた。
(いよいよ、か)
*
*
*
*京香 side*
枡屋邸
翌朝、私は枡屋での最後の朝餉作りをする為に、早起きして台所に立っていた。
「うん、美味しく出来た」
と、牛蒡汁の味見をして間もなく、「おはようさん」と、言ってやって来たお遥さんたちに挨拶をする。
「おはようございます」
「ほんに、寂しゅうなるわ」
こちらへ歩み寄って来てくれるお遥さんたちに、私は笑顔を返した。いざその日を迎えると、寂しさは更に増してゆく。
そして、いつものようにみんなで朝餉を済ませると、自分の部屋へと戻り、私はすっかり整った荷物を再確認しながら、これまでのことを思い返していた。
(いろんなことがあったなぁ)
ホームシックになって眠れない夜が続く中、慎一郎さんや明仁さんに支えられながら、枡屋さんやお遥さんたちは勿論、お凛さんや由太郎さんたちからも沢山の愛情を分けて貰えた。
何よりも、こんな私を必要としてくれたことが嬉しくて、いつの間にかこの時代を楽しむようにもなっていった。そのうえ、憧れの幕末志士たちと出逢えたことで、私自身も影響を受けて成長できたような気がする。
でも、これら全てが私の
明仁さんが言っていたように、“ 自分なりの攘夷を果たす ” ことに集中しなければと、気合を入れ直した。その時、すっかり旅支度を整えた中村さんを迎え入れる。
「もう旅立つんですね」
「はい。もしも、何かあったらここへ」
言いながら、中村さんは手にしていた紙をこちらへ差し出した。
「奇兵隊の駐在所にいることが多いので、手紙などはそこへ送って下さい」
「分かりました」
受け取った紙を襟元へと忍ばせて、改めて中村さんにお礼を言った。すると、中村さんは、私から得られた史実と現代知識を無駄にしないよう上に働きかけていく。と、言ってくれたのだった。
「……
「私なりに、ではありますが……」
歴史を変えることは難しいけれど、精一杯のことをしていきたい。
「じゃあ、元気で」
「中村さんも。晴乃さんや、高杉さんたちにもよろしく伝えて下さいね」
「必ず」
そう言って、玄関のほうへと向かう中村さんの後に続く。その途中、枡屋さんやお遥さんたちも加わって、みんなで出立する中村さんを見送った。
どんどん小さくなる背中。一人、また一人と屋敷内へ戻っていくなか、私の隣で枡屋さんがぽつりと呟いた。
「……行ってしもたな」
「また、すぐに会えますよ」
(史実通りならば、来年の今時期には必ず)
こちらに向けられる戸惑いの視線。
私は、すっかり気落ちした様子の枡屋さんに、中村さんなら大丈夫だと念を押すように伝え、寺田屋へ行ってもここにいた以上に頑張ることを告げると、枡屋さんは泣いたような微笑みを浮かべた。
「何度、この笑顔に救われたことか。短いながらも、わてにとってあんさんとの日々は、どれも掛け替えのないものどした」
柔和な眼差しが、既に雑踏の中に消えゆく中村さんへと向けられる。私も、同じ方向を見遣りながら新たな決意を固めた。
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