第37話 願い
元治元年五月二十日
新選組屯所
*慎一郎 side*
時刻は正午を回ったくらいだろうか。市中警護から戻った僕は、これから見廻りに行こうとしていた明仁さんを見送った後、谷三兄弟と対面することとなった。
どうやら、つい先ほど数名の入隊希望者と共に屯所を訪れていたようで、思わず「この人達が」と、思ったことは言うまでもない。
話を聞けば、長兄の三十郎さんは直心流の使い手で、次兄の万太郎さんは槍を得意とし、末弟の昌武さんはこれといった腕はないけれど三十郎さん曰く、備中松山第七代藩主・
谷三兄弟といえば、三十郎さんはなかなかの曲者だという知識を得ていた。人の良い近藤さんの養子にと、昌武さんを半ば強引に紹したとか。よく見れば、確かに強欲そうな顔をしている。
三人を案内しながら前川邸を目指し、辿り着いた一室にて、ここでのルールは勿論、死番や禁令のことなどを話し終えると、万太郎さんが溜息交じりに呟いた。
「そんな規律まであるのか」
「不満なら、今すぐここを出て行ったほうがいいと思いますよ」
そう、はっきりと告げる僕に、万太郎さんは「そのようなことはせぬ」と、言って苦笑いを浮かべた。その隣、昌武さんも不安そうに瞳を曇らせている。
「心配しなくても、禁令を破らなければいいだけの話です」
僕なりに励ましたつもりが、逆に彼らを追い込んでしまったようで、三十郎さんから、「もう十分だ」と、半ば追い出されるようにその場を後にした。
今後、彼らがどのように関わって来るのか。詳細までは分からないけれど、一波乱起こりそうな予感がしていた。
*
*
*
枡屋邸
*京香 side*
「こんにちは」
誰もいない玄関先、奥へと声を掛ける。
龍馬さんと再会してから、特に気になっていた私は、度々、枡屋を訪れていた。
もう一度声を掛ける。と、奥から番頭さんが現れ、私を見るなりパッと顔を明るくさせた。
「京香はんやないか。ちょうどええところへ来はった。つい先ほど、旦那様がお戻りにならはったんや」
「枡屋さんが?!」
私は急いで草履を脱ぎ、番頭さんに促されるままに枡屋さんの部屋へと向かった。
開け放たれた障子の向こう、グレーの着流し姿で文机と向き合う枡屋さんの、かなり驚いたような瞳と目が合う。
「京香はん……」
「ずっと、心配してたんですよ! どこで何をしていたんですか?」
少し距離を置いて腰を下ろす私を横目に、枡屋さんは筆を休め、小さく溜息をつく。
「心配せんでもええ。もうじき京を立つさかい」
「じゃあ、明仁さんの言う通りに動いてくれているんですね」
再度尋ねると、今度は伏し目がちに瞳を細めた。
「よう考えてみれば、まるで、この先何が起こるのか知っとるような口ぶりやった……」
(……っ……)
「互いの為やと思うてましたが、
真っ直ぐ私を見つめる枡屋さんの、いつにない鋭い視線と目が合う。
知り得る史実が真実かどうかは別として、もしもの場合、先手を取ることが出来るだけなのだと、伝えたい衝動に駆られる。と、同時に、私達のことを包み隠さず言ってしまおうかと考えあぐねた。
ゲームやドラマならば、主人公が現代からやって来たことを告げても、幕末志士たちは疑うことなく受け入れてくれていた。けれど、これは現実であり、そう都合の良い結果を得られるとは限らない。変な子だと思われてしまう可能性の方が高いだろう。
(どうしよう……)
それでも、イチかバチか真実を告げようとした。その時、先程の番頭さんに先導されながらやって来る明仁さんを迎え入れる。
「え、明仁さん!」
「なんだ、お前も来ていたのか」
明仁さんは、私達を交互に見遣ると、去って行く番頭さんを見送って、すぐに枡屋さんと向かい合わせに腰を下ろした。
「やっと会えたぜ」
枡屋さんもだけれど、私も軽い衝撃を受けていた。続いて、枡屋さんから何の用かと問われ、今度は厳かに言った。
「あんたに聞きたいことがある」
「なんどす?」
「昨年の九月二十日の夜。四条通りを見廻っていた時、探索中であろう男と出くわしたことがあった。その時、あんたに似た男を見かけたんだが……」
と、いって明仁さんも枡屋さんを鋭い眼差しで見つめる。一方、枡屋さんはそんな明仁さんに微苦笑を返すと、その全てを否定した。
「わてはそん頃、晴乃はんを見舞いに萩へ行っといやした」
「……そうか。ならいい」
短くも長い沈黙。先に口を開いたのは明仁さんの方だった。
「今まで、世話んなったな」
そういうと、明仁さんは辛そうに視線を逸らした。枡屋さんもまた、切なげな瞳を歪ませる。
「ここ数日、あんさんらと出会うた時のことを思い返しておりました。この一年の間に、いろんなことがありましたな」
枡屋さんは何かを思い出すかのように瞳を細め、私達との想い出を語り始めた。
初めて私達を目にした時、風変りだと思ったらしく、言葉遣いや素振りも新鮮に感じていたという。
「まさか、新選組がそのまんま幕府に属するようにならはるとは……なんの因果やろねぇ」
お二人とも悲痛な表情で目を逸らし合っている。それでも、例の約束事だけは最後まで守り通すつもりだという枡屋さんの言葉に、明仁さんは何度か小さく頷き返した。次いで、すっくと立ち上がると、言葉をつまらせながら、「これまでの恩は一生忘れない」と、言い残し、部屋を後にしたのだった。
枡屋さんのほうはというと、明仁さんがいた場所を見つめたまま、悲しげに呟く。
「やはり、同じ道を歩むことは許されへんようやね……京香はんは、どないするつもりどす?」
枡屋さんの、どこか諦めにも似た眼差しを受け、私はまた考えあぐねた。
以前も問われたことがあった。どちらと生きるつもりなのか、と。
「私は……」
中立の立場でいたい。でも、決断しなければならないとしたら……。
(私は……っ……)
「わてらのことなら気にせいでええんよ」
枡屋さんは泣いたように微笑うと、文机に向き直り、三段続いた引き出しの一番下から紫色の小さな風呂敷包みに
「ほんまは、お遥はんに預けよう思うてたんやけど」
包まれていたものは、朱色の真ん丸が可愛い小さ目の簪で、枡屋さんは「お誕生日おめでとう」と、言ってそっと挿してくれた。
「かなり遅なってしもたが……」
今度は少し照れたように微笑む枡屋さんに、私はお礼を言いながらもその理由を尋ねる。
「でも、どうして……」
「町で偶然、お登勢さんと会うたことがあってな。そん時に話してくれたんや」
「そうだったんですね」
「お登勢さんは変わった風習やゆうてはったけど、わてはそうは思わへんかった」
それからというもの、枡屋さんなりに私への誕生日の贈物を考えてくれていたらしい。ありきたりだと、枡屋さんはいうけれど、私を想いながら選んでくれたのだと思うと、嬉しさが込み上げて来る。
微笑み合うも、庭のほうへ視線を向ける枡屋さんの横顔は、とても寂しそうに見える。
「土方はんのこと頼みましたえ。それと、沖田はんと幸せんなっておくれやす」
(……っ……!)
見透かされていたのかと、動揺してしまう。それと同時に、寂しさで胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
「あんさんのことを大事に思うからこそ、言うてますのや。一時でも、わての元へ残ってくれたこと……嬉しゅう思います」
柔和な笑顔を前に泣きそうになる。
「ごめんなさい。私……」
「ええんよ。あんさんが幸せでいられるんなら、それがわての望みやさかい」
私はただ、謝り続けた。謝ることしか出来なかった。それでも、枡屋さんが池田屋事件に関わったり、明仁さんたちが枡屋さんを捕まえることなく時が過ぎ去ってくれるのならば、たとえ会えなくなったとしても、歴史が変わってしまうとしても、それが一番いい。
「ずっと、ずっと、大切にします……」
「そうしてくらはったら嬉しおす」
渡された手鏡越し。簪と枡屋さんを交互に見ながら、私は心から祈った。
これ以上、大好きな人たちが傷つかないようにと。
*
*
*
*明仁 side*
とうとう、別れを口にしてしまったという後悔に苛まれる一方で、これで良かったのだと言い聞かせている自分もいる。
これまで、俺達の行為を無に帰きすかのように、目に見えない何かに阻まれて来た。
力士乱闘事件から始まり、八月十八日の政変、新見錦の切腹、芹沢鴨の暗殺、長州間者らの粛清まで。やること成すこと、すべて史実通りになってしまうことから、枡屋捕縛も時間の問題だと思われる。
なんとか枡屋だけは救いたくて、俺なりに務めて来たつもりだが、これからは運を天に任せるしかない。そう思うことで自身を慰めていた。
(もう後戻りは出来ない……)
なにより、これ以上自分の心にも誠の旗にも嘘はつけない。
蔵の中を調べはしなかったが、さっきの口ぶりからして、武器弾薬などは別の場所に保管してくれているとみていいだろう。
本来、枡屋が担うことになっていた役目を他の人物に任せているとしたら、俺達が枡屋を捕縛する必要は無くなる。
屯所への道程。俺は全てが上手くいくようにと願っていた。
*
*
*
新選組屯所
*慎一郎 side*
「精が出るね」
沖田さんから声を掛けられたのは、庭で型を確認しながら素振りをしていた時だった。
何となく、いつもよりも顔色が悪く見えるのは気のせいだろうか。また軽く咳込み始めるのを目にして、以前から気に掛けていた病気を思い描いてしまう。
大阪遠征から戻ってからも、たまに咳込んでいた沖田さんは風邪薬を飲んでいた。それによって、すぐに回復していた為、病院へはまだ行っていないという。
「またそんな顔して、私のことは心配要らないから」
「でも、やっぱり一度は医者に診て貰ったほうが良いと思いますよ」
説得するのも、これで何度目だろう。その度に沖田さんは、「その必要はない」の一点張りで、すぐに話題をすり替えられてきた。
「診て貰って、何でもなければそれで安心出来るじゃないですか」
「まぁ、それはそうだけど……」
今度こそ折れてくれたのか、僕が付き合うことを前提に、非番である今日を利用して病院へ行くことを約束してくれたのだった。
向かった先は、お雅さんから紹介された病院で、こじんまりとしているけれど、立派な門をくぐった先にそれはあった。
「医者に診て貰うなんて、何年ぶりだろう」
少し不安そうな顔で玄関前に佇む沖田さんに、苦笑いを返す。
「まさか、怖いとか?」
「怖いよ」
真顔であっさり返され、更に半笑いの状態は続く。
「だって、何されるか分かったもんじゃないだろう?」
「そんなことないでしょう。ただ、問診されて検査して貰うだけなんだから……」
ここまで来て、まだ我儘を言う沖田さんの腕を掴んで、僕は無理やりにでも中へと連れ込んだ。その時、僕らは一瞬、目の前にいた女性に釘付けになった。
診察を終えて帰るところだろうか、優しい薄桃色に梅の花が誂えられた着物を纏ったその人は、おしとやかに裾を押さえながら草履に足を通し、呆気に取られたままの僕らにお辞儀をして院内を後にした。
「今の人……」
沖田さんがぽつりと呟き、その人を目で追う。僕も同様に、去り行く艶やかな後姿を見遣った。
「京香さんに似ていたね」
視線はそのままで、呟く沖田さんに頷き、京香さんよりもどこか大人っぽく見えたことを伝える。と、沖田さんは悪戯っぽい顔で微笑んだ。
「気にならない?」
「もしかして、後を追うつもりじゃ……」
「どうせ大した事ないだろうから、診て貰うのはまたの機会にして……」
またはぐらかそうとしていることに気付き、僕は少し呆れながら再び沖田さんの腕を引く。
「いいえ。今日こそは診て貰いますよ」
背後で深い溜息が聞こえ振り返ると、すぐに諦めの声を聞いた。
「分かったよ。診て貰えばいいんだろ、診て貰えば……」
それから、沖田さんの番が来るまでひたすら待ち続けた。
三人見送って、ようやく診て貰うことになった沖田さんは、どんよりとした顔で何度も溜息をつきながら診察室へと向かう。
(まったく、剣の達人が聞いて呆れるな。)
と、新たにやって来た患者さんの中に、七歳くらいの女の子を見とめる。その子が、母親であろう女性のいうことを大人しく聞いて順番を待っているのを目にして、余計にそんなことを思ってしまう。
それにしても、沖田総司は労咳に倒れたと伝えられているけれど、真実はどうなのだろうか。ただの風邪だったのかもしれないし、病気で隊を抜けたわけではなかったのかもしれない。
沖田さん自身は勿論、隊のみんなや京香さんを悲しませない為にも、出来れば史実が外れてくれればいい。
僕は、沖田さんが戻ってくるまでの間、そんなことを考えていた。
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