第23話 八月十八日の政変②
それから、どれくらい歩いただろうか。道行く人々からの複雑な、とでもいうか、やや冷ややかな視線を受けながら、僕らは御所へと辿り着いた。
まず、土方副長が門前を警備していた藩兵に歩み寄ろうとして、すぐに足止めされてしまう。
「我々は、会津藩御預壬生浪士組である。松平さまの命により、御所の警備に馳せ参じた」
「そのような話は聞いておらぬ」
一番、手前にいた藩兵たちが威勢よく槍を突きつけて来る。みんなが訝しげに頭をひねる中、芹沢さんだけが低く鋭く言い放った。
「聞いていないとは、どういうことだ」
例の鉄扇を帯から引き抜くと、彼らの槍先を軽く扇ぎつつ、
「野村佐兵衛様より、
と、からかった。
(ああいうところは、ほんと頼もしいな……)
心の中でのみ呟いてみる。
けれど、その一言が発端となり、あわや刀を抜き合うところで、ようやく現れた藩士らしきお偉いさんにより、僕らは御所内へと足を踏み入れることとなった。
現代にいた頃、近辺までは何度か訪れたことがあった京都御所。その中は、想像以上に広く、一人だったら目的地へ辿り着くまでにどれくらいの時間を要するか分からないほど入り組んでいる。
中へと通されて間もなく、近藤局長と山南さんのみが別行動をとる中、全員に黄色の
僕の隣で襷を体に巻き付けている土方副長から、これが会津藩の合印だという説明を受ける。
「俺達のことを知らない奴らが多すぎるから、“ 味方である ” ことを分からせる為に寄こしたんだろうよ」
「なるほど。それにしても、襷がけってどうやったら……」
「貸してみな。まずはお前からだ」
と、土方副長は戸惑う僕から襷を奪い取り、手早く巻き付けてくれる。
「すみません」
「お前ら、本当に不器用だな」
「あっはは、そうなんですよね」
「笑いごとじゃねぇよ。これくらい出来るようにしておけ」
呆れ顔の土方副長に、僕はお得意の苦笑を返す。続いて、同様に明仁さんを補助して、その場を離れる土方副長を見遣りながら、改めて周りに目を向けた。
それぞれが、襷がけしたことでさっきよりも勇ましく見える。それに、こちらの方がかなり動きやすい。
「で、俺達は南門を守るんだったよな」
「そのはずですけど……」
他の隊士たちを看て回る土方副長を横目に、僕らは声を潜めた。
この後、南にある境町御門を守ることになり、そう大きな戦闘にはならないと京香さんは言っていた。けれど、本当のところ、どうなるんだろう。
「ま、なるようになるさ」
明仁さんの視線の先、ずっと隊を離れていた近藤局長と山南さんがこちらへ戻って来て、近藤さんが少し厳めしい表情で言った。
「我らは、桐仙御所を御守りすることとなった。皆、よろしく頼む」
お二人は、源さんから襷を受け取り素早く締めながら足早に歩き始める。近藤局長の後に、芹沢局長が。先程とは少し隊列は異なるものの、みんな緊張の面持ちで移動を開始する。
僕の隣、明仁さんの、“ 南門じゃねぇのかよ ” と、でも言いたげな視線を受け、僕はそんな明仁さんに、お手上げという感じで大げさに肩を竦めてみせた。
南東寄りの、桐仙御所前で待機すること数時間。すっかり日も暮れて、気が付けば隅に設置されていた松明が勢いよく燃え始めていた。
「来ねぇな」
と、明仁さんが僕に耳打ちするように言った。
「こればかりは、ただ待つしかないでしょう」
と、僕も同様に返答する。
その時だった。またお偉いさんがやって来て、どうしてかは分からないけれど、今度は南側にある境町御門の警備に着くよう命令が下される。
近藤局長を先頭に、また大移動が始まった。
「おいおい、どうなってんだ?」
歩きながら原田さんがボヤキ始める。と、その一言に次々と同意の言葉が飛び交う中、僕らだけはやっぱりと、暗黙の了解である。
(京香さんの言っていた通り、南門を守ることになったか……)
いつ長州が攻めて来るか分からない。と、いう緊張感もあるのだろうけれど、昨夜からの寝不足と蒸し暑さによる苛立ちもあるのだろう。
それを一瞬で鎮めたのは、近藤局長の一言だった。
「皆の気持ちはよく分かる。だが、今は耐えてくれ」
立ち止まり、こちらを振り返った近藤局長は僕らに軽く頭を下げた。まさかの展開に唖然としてしまう隊士たちと共に、僕らも顔を見合わせた。その時、
「今は、この戦に勝利することだけを考えろ」
と、芹沢局長もみんなに
それからは、誰も文句を言うことなく歩みを進め、今度こそ守ることになるであろう境町御門へと辿り着き、それぞれが所定の位置につく。
この時、どうして局長が二人も必要なのかが初めて分かった気がした。
(戦、か。これは紛れも無い現実なんだよな……)
僕らは長州との戦争を受け入れ、御所を守る為に戦おうとしている。心のどこかで、自分の行いが正しいかどうかいう微かな疑問を抱えながら、僕はただ、この戦いの終結を待っていた。
*
*
*
*京香 side*
枡屋邸
枡屋さんが戻って来たのは、暮れ六つ半頃。
すっかり気落ちした様子で戻って来た枡屋さんを元気づけようと、私はすぐにお茶を用意し、まっすぐ部屋へ向かったであろう枡屋さんの元へと急いだ。
きっと、八月十八日の政変についてじっくり聞くことになるだろう。勝手にそう思っていたのだけれど、枡屋さんが話してくれたのは、私の今後についてだった。
「伏見の寺田屋さんで?」
「寺田屋の女将から、人手が不足しとる話を聞いて、そうゆう結論に至りました。あんさんさえ良ければ、桂はんの方から話をつけて頂く手筈となっといやす」
「寺田屋って、あの?!」
聞き慣れた言葉に一瞬考え込むも、すぐにあの有名な寺田屋だと気づく。お登勢さんという女将さんがいて、龍馬さんが襲撃されるという寺田屋事件のあった旅籠屋だ。
「あんさんの言う、寺田屋かどうかは分からしまへんけど。伏見の寺田屋ゆうたら、一つや思います」
「そ、そうですよね。でも、どうして急に……」
「その方が、あんさんの為や思うてな」
いつの日か、寺田屋へ移ろうとしていたのだけれど、枡屋さんから切り出され、どう返せばいいのか分からずに俯いてしまう。すると、枡屋さんはしなやかな指先でそっと私の乱れ髪を梳き、
「そない顔せんといて。手放しとうなくなる……」
と、言いながら視線を上げる私に微笑んだ。
枡屋さんがそう言って来たということは、いよいよ、“ 長州が復活する為に必要な物 ” がここに運ばれて来る日が近いのだろう。
「土方はんとも会うて来ました」
「え……」
「お互い最後になるやもしれへん。そないゆうてな」
偶然、角屋の廊下でバッタリ出会ったお二人。枡屋さんは桂さんたちと、明仁さんは近藤さんたちと来ていたこともあり、互いに理由をつけて角屋を抜け出した後、枡屋さんの行きつけの店で話すことになったらしい。
「しばらく会わへんうちに、ますます頼もしゅうなっとった」
明仁さんも、最後の最後まで枡屋さんを説得してくれていた。だけど、枡屋さんも一歩も譲らず、いたちごっこで終わってしまったようだ。それでも、私の今後のことについてだけは合意してくれたという。
「せやけど、
と、悲しげに呟く枡屋さんに私は苦笑を漏らした。
同時に、中村さんに打ち明けた時のように自分達のことを話してしまいたくなる。
「同じ天然理心流の使い手が多いから、というのもあったと思うのですが、壬生浪士としてならこの京を守れると、明仁さん達は判断したようです。なんていうか、私たちはただ、日本人同士がいがみ合うのを見たくないだけで、もっと言えば、この世の中を何とか変えたい。と、いうか──」
「あんさんも、何故そこまでして」
「私達は……」
未来から来たから。あなたたちがこれからどうなっていくかを知ってしまっているから。と、喉まで出かかった言葉を呑み込む。
「ただ、少しでもいいから、皆さんの役に立ちたいって思ったからなんです」
「……京香はん」
「
これまでにも、何度か実家へ戻った方が良いのではないかと言われた事があった。でも、実際はそんなものなど存在しない為、その度に何とか取り繕って来た。
「私は、この国の為に……」
(未来の為に)
「私を求めてくれる人たちを励まし、支えていきたい。そう、思っています」
綺麗事だと言われてしまうかもしれない。でも、たとえ自分の想いが伝わらなくても、“ 幕末志士たち ” を見守り続けたい。そういう想いで強く見つめ返すと、枡屋さんは張りつめていた緊張の糸を解くかのように表情を緩め始める。
「わても、
そう言うと、枡屋さんは少し遠い目をして小さく息をついた。
こうして、私はあの有名な『寺田屋』への奉公が決まった。枡屋さんの願いは、そこで、女中として同志達を持て成してやって欲しいとのこと。
働き慣れた藍や、住み慣れた枡屋を離れるのは寂しいけれど、いずれは
「戦乱の世の幕開け、となってしもたね」
ぽつりと、物悲しく呟く枡屋さんに、私はまた、晩酌を勧める。
いつものように晩酌セットを用意し、徳利を傾けながらも、これまで枡屋さんが目にして来たものや、感じて来たことの全てを話して貰いたいと思っていた。
同様に、壬生浪士組のことも考えずにはいられない。
どうか、みんな無事でいて欲しい。これからもずっと。私が今願うのは、それだけだった。
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