第22話 八月十八日の政変①

 文久三年八月十七日 宵五つ


 *京香 side*


 枡屋邸 


「どうやら、本当に京香さんの言っていた通りになりそうだ」

「そうですか……」

「俺達が警備していた堺町御門も、会津によってその任を解かれてしまった」

 私は、例の如く中村さんの部屋を訪れていた。

 中村さんは、脇に置いておいた刀を手に立ち上がり、腰に差してから三度笠を脇に縁側から厚い雲に覆われた夜空を見上げる。

「明朝の出陣に備え、藩邸で過ごすことになったので……」

「枡屋さんが戻ったら伝えておきますね」

「よろしく頼みます」

 今まさに、世にいう『八月十八日の政変』の真っ只中にいる。

 長州藩士らの働きかけにより、攘夷親王(大和僥倖やまとぎょうこう)の勅命が降りたことで、天皇自らが大和へ赴き、攘夷を果たすと宣言するというもの。

 それらを計画したという久坂玄瑞くさかげんずいの下、長州側はこれを機に、一気に政権を幕府から朝廷に動かそうとする。しかし、その勅命が偽物であることが判明。それにより、公武合体を目指している会津と薩摩は、長州や朝廷内の過激派浪士たちを京から追放しようとするのだ。

「前もって結果を報されているのに、何度経験しても戦は慣れない」

「私の知っている史実がどこまで正しいか分からないんですけど、この八月十八日の政変では、大きな戦になることはないと思います……」

 中村さんはゆっくりとこちらを振り返り、黙ったままぎこちなく頷く。私は座ったままで、こんな時、なんて言って送り出せばいいのか度忘れしてしまったことを伝えると、彼は柔和な微笑みを浮かべた。

「こういう時は……」

「あ、思い出した!御武運をお祈り致します、ですよね?」

 もしかしたら、変な顔をしていたのかもしれない。中村さんが言い切る前に答えると、彼は楽しそうに声を上げた。

「おかげで、緊張感が解れたよ」

 笑い合って、私は改めて姿勢を正し時代劇で観た通りに両手を八の字につき、丁寧にゆっくりと頭を下げた。

「御武運をお祈り致します」

「ありがとう。行って参ります」

 その言葉を受けて、またゆっくりと頭を上げる。すると、中村さんはにっこりと微笑み颯爽とその場を後にした。

 足音が遠ざかってゆく。

 それを耳にしながらも、私は同じように会津と共に御所を守っているであろう壬生浪士組のことを想った。


(慎一郎さんたちも、今頃は武装して戦いに備えているんだろうな)


 ───あの日。

 壬生寺の本堂裏で話しているのを沖田さんに見つかって以来、慎一郎さんたちと会えていない。

 明仁さんのことだから、きっと良い方向へと持って行ってくれる。そう、信じながらも今の私は倒幕論者の味方、のようなもので。

「はぁ、気持ちばかりが焦ってしまう」

 思わず溜息まじりに呟きながらも、これまで中村さんと話して来た事柄について思い返した。

 枡屋さんにはここに残ることを伝え、中村さんから尋ねられるままに、私は自分の思惑を交えながらも、知り得る限りの史実を伝えてきた。

 中でも、倒幕派志士たちの顛末を知って中村さんは愕然としていた。この八月十八日の政変によって、数名の公卿たちが京に滞在していた数千人の長州藩士たちに守られながら、長州へと落ち延びることになるからだ。

 それによって、長州藩は再び主導権を回復させる為に奮闘することになるのだけれど、来年の六月五日に起こってしまうだろう池田屋事件を切っ掛けに、本格的な戦が始まってしまう。

 何とか戦だけは止めさせたい。という中村さんを励ますと同時に、一緒に現代からやってきた、慎一郎さんと明仁さんが、壬生浪士組にいることを伝えた時の中村さんの反応は、思っていたよりもシビアだった。それでも、常に中立の立場でいるつもりだということを話し、少しでも納得して貰えるようにお願いしていた。


『今は、京香さんたちを信じることにします。でも、もしも俺たちの敵だと判断した場合は……その方々と刀を交えることになるかもしれない。それだけは、承知しておいて下さい』


 虫の音が物悲しく響き渡る。

 私達のことを理解していながらも、ああ言う他なかったのだろう。そんな中村さんの立場や想いも少しは解っているつもりだ。


(黒船来航以前からこの時代にいたんだもんね。そう思うのは当たり前だよね)


 10年以上も現代へ戻れずにいた中村さんの気持ちを想うと同時に、自分達も二度と現代へ戻れないのではないかという不安に駆られた。

 もしも枡屋さんと出逢っていなかったら、私は今頃どこで何をしていたんだろう。八木邸の女中として、雅さんたちと一緒に大好きな新選組のお手伝いをしていただろうか。少なくとも、中村さんの存在を知らずにいただろうし、こんなふうに悩むことも無かったと思う。

 今は事の成り行きを見守ることしか出来ない自分を歯がゆく思っていた。


 *

 *

 *


 *慎一郎 side*

 

 壬生屯所内陣地


「今夜は特に蒸すな」

 籠手を身につけている僕の傍で、すっかり準備を整え、胡坐をかいていた明仁さんが、息苦しそうに顔を歪めた。と、そこへやって来た藤堂さんから徳川の家紋だという、三つ葉葵が染め抜かれた白い鉢巻を手渡される。

「お前らの分だ」

「鉢巻?」

 戸惑う僕に、「会津さまから賜った」と、笑顔で次の部屋へと向かう藤堂さんを見送り、僕らは早速頭に巻き付け始める。

「鉢巻なんていつぶりだろ」

「全くだな」

「少しは会津藩から頼りにされるようになってきたのかなぁ」

「山南さんから聞いたんだが、“ 借り物 ” らしい。それに頼りにされていたら、はなっから屯所ここで待機していろなんて命令は出さないんじゃねぇか」

「……それもそうですね」

 さらっと言う明仁さんに、僕は苦笑するしかなかった。

 確かにそうかもしれない。京香さんから聞いていた八月十八日の政変で、御所の南門を守り抜いた後、その功績が称えられ『新選組』と、名を改めることになるそうなのだけれど、今のところそれだけの成果を成し遂げられるとは思えない。

 しかも、八月頭にはまたもや二名の隊士が何者かに斬殺されている。

 一人目は佐々木愛次郎さん。二日の正午頃、千本通りの朱雀で斬殺された。五月頭に入隊して以来、誰もが認める恰好良さと剣術の腕を兼ね備えていた。

 名前までは知らないけれど、ある女性と付き合うようになった際、その恋人を巡って芹沢さんたちと一悶着あったという噂があった。

 その “ 何者か ” とは、芹沢さんのことだと誰もが思う中。その八日後、佐々木さんと同じ場所で斬殺されているのを発見された佐伯又三郎さんの一件もあり、余計にその容疑の眼が芹沢さんへと向けられている。

 ただ、明仁さんはこれに対していくつかの推察をつけていて、佐々木さんの恋人を自分の妾にしようとした芹沢さんの仕業という説と、佐々木さんが長州の間者か何かでそれに気づいた芹沢さんが斬ったという説。

 佐伯さんに関しても、長州の間者だったから斬られたのではないかということだった。

「ま、今はとりあえず会津うえからの報せを待つだけだ」

「相変わらず余裕ですね、土方さんは……」

「お前の方こそ」

「なんか、実感が湧かなくて」

 正直な気持ちだった。それに、日本人同士で戦うことになって戸惑わない人なんていないだろう。

 試合なんかじゃなく、真剣で斬りつけてくる相手から、自分や仲間を守る為に戦う実践なのだということ。実感が湧かないのは、未だに本気で誰かと剣を交えたことが無いからだろう。

 元より、これまでも “ この中に長州や土佐の間者が仲間として紛れ込んでいるかもしれない ” と、いう精神的ストレスも尽きない。

 誰が敵で、誰が味方なのか。

 そんなことを考えていた。と、すぐに芹沢さんの怒鳴り声を耳にして、僕らは声のした陣地へと向かった。

げきなんて待ってたら出遅れちまうだろうが。今すぐ出陣だ」

「お待ち下さい、芹沢先生。それだけはなりません」

 今にもその場を後にしようと、躍起になっている芹沢さんを宥めていたのは山南さんだった。

「山南さんよ、いつまでコケにされりゃあ気が済むんだ」

会津藩かれらにとって、元より厄介者である我らへの信頼の欠片でも取り戻さぬ限り、続くでしょうね」

 微笑みながら言い放つ山南さんの眼は冷ややかだった。周りにいる誰もが山南さんの言葉に頷く中、新見さんもそれに続く。

「山南さんの言う通り。戦場いくさばでは勝手な行動は慎むべきだ」

 窘められ、芹沢さんは悪態をついて庭の隅に設置されているもう一つの陣地へと戻って行った。

 それに続こうとしていた新見さんが、「我々は、いつになったら会津やつらと対等になれるのか」と、言って溜息をつく。

 僕は、そんな新見さんと芹沢さんを気にかけながらも、縁側に腰掛けながら羽織を脱ぐ沖田さんと、その隣、沖田さんを気遣うように声をかける原田さんの元へ歩み寄る。

「どうだ、少しは落ち着いたか?」

「……はい」

 明仁さんと共に、僕は沖田さんに寄り添いながら、原田さんと同じように尋ねた。すると、沖田さんは薄く微笑み、「ただの寝不足です」と、答える。

 原田さんは、そんな沖田さんに囁くように口を開いた。

「出陣まで、奥で休んでいたらどうだ」

「こんな時に、そんな悠長なこと言っていられないでしょう」

「無理すんなよ、総司」

「無理などしていませんよ」

 ぎこちない笑顔でまた羽織に袖を通そうとする沖田さんの腕を取ると、明仁さんは諭すような口調で言った。

「左之の言う通りだ」

「明仁さんまで」

 ガックリと肩を落とす沖田さんに、明仁さんは尚も続ける。

「それが長引くようなら、一度医者に診て貰って来い。もしかしたら、大病に蝕まれている可能性もあるからな」

「自分の身体のことは自分がよく知っていますから……」

「その考えが命取りになると言っている」

 明仁さんの、語気強い口調に、沖田さんだけでなく、その場にいる原田さんは勿論、離れた場所で素振りをしていた永倉さんや藤堂さんも、ほんの少し驚愕したような眼でこちらを気にかけている。

「わ、分かりましたよ。肝に銘じておきます」

 そう言い返すと、沖田さんは「明仁さんには敵わないな」と、嬉しそうに微笑んだ。

 そんな明仁さんは、照れ隠しなのか視線を明後日の方向へ遣っている。何となく、沖田さんの笑顔につられてその場が和む中、近くにあった松明の炎が大きく揺れた。


(早く来い)


 そんな想いとは裏腹に、肝心な報せは届かず。僕らは待ちぼうけをくらっていた。


 *

 *

 *


 *京香 side*


 枡屋邸


 翌朝。

 枡屋さんが帰宅したのは、朝四つ半頃だった。

 険しい表情で帰宅した枡屋さんは、水を一杯飲んですぐに自分の部屋へ戻り、真剣な表情で文机に向かい筆を走らせた。まるで、私の存在に気付く暇もないくらい集中している。それでも、中村さんのことを伝えなければと、私は遠慮がちに口を開いた。

「あの、中村さんのことなんですけど…」

「知っといやす。藩邸へ向かったゆうんどっしゃろ?」

「あ、はい……」

 目線は下に向けられたまま間髪を容れずに答える枡屋さんの、徒ならぬ顔を目にして私はすぐにその場を後にした。

 どれくらいの時間、そうしていただろう。自分の部屋で縫い物をしていた時だった。私の部屋を訪れた枡屋さんはいつものように柔和に微笑み、

「先程は、えろうすんまへんどした。急ぎ書状を認めねばならなかったゆえ…」

「あ、その…私の方こそ邪魔してすみませんでした」

 私に歩み寄り、枡屋さんは手にしていた書状を見つめた。

「それと、書状これをあるお方へ届けたらまた話しがあります」

「分かりました」

 ほな、行って参ります。と、またいつものようにその場を去ろうとする枡屋さんを玄関まで見送った。 

 足早に去ってゆく枡屋さんの背中を見遣りながら、今度は何を聞くことになるのだろうかと、一人不安に駆られていた。


 *

 *

 *


 *慎一郎 side*


 壬生屯所内陣地


 不意に、足先にチクリとした痛みが走り、僕は目を覚ました。

「痛ってぇ」

「おはよう」

 いつの間にか、陣地の壁を背にしながら眠ってしまったようで、隣で胡坐をかきながらこちらに柔らかな視線を向ける沖田さんに、僕は苦笑を返す。

「おはようございます……」

「蟻が、ほら」

「え?」

 沖田さんの指さした先で、大きな蟻達が落ち着きなく動きまわっている。

「こいつらに刺されたかな」

 と、思わず口にして痛痒くなっている部分をさする僕に、沖田さんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「こんなことなら、あのまま休んでいれば良かったね」

 そう言いながら、欠伸をする沖田さんの隣には、原田さんと島田さんが大の字になって鼾をかいていて、良く見ると、それぞれが思い思いの格好で休憩していた。

「まさか、夜が明けてしまうとは思わなかったよ。誠の信用を得られなければ何も出来ないのかと、つくづく思い知らされた」

 沖田さんの言う通りだ。もう待っていても報せは届かないのではないかと、絶望感を感じてしまう。

 それでも、腹の虫だけは正直で。いつものように、雅さんから声がかかると、僕らは用意された朝飯を頂いた。



 報せが届いたのは、正午過ぎだった。

 会津藩公用方、野村佐兵衛さまからの檄により、ようやく僕らは躍起して出陣する。

「いざ、出陣」

 芹沢さんの意気軒昂いきけんこうな声が聞こえ、陣地で控えていた総勢五十四名が二列縦隊をとる。

 全員ではないけれど、お揃いの隊服を身に纏い、六月頭に入隊した尾関俊太郎さんが先頭で隊旗を掲げ、その少し後を芹沢局長と近藤局長が。その後に、新見副長と土方副長が続いた。

 中でも一番張り切っていたのは、剃髪ていはつしたばかりの松原忠司さんで、坊主頭に白鉢巻、大薙刀を担いだその姿が、武蔵坊弁慶のようだと永倉さんが言っていたのだけれど、自作だと言う歌を口ずさみながら歩くその様は、まさに弁慶のような勇ましさを感じた。

 でも、僕が一番心惹かれたのは、小具足を着こみ鳥帽子を被って威風堂々と歩く近藤さんと芹沢さんだ。きっと、明仁さんも同じように感じているに違いない。

 心配されていた沖田さんも列へと加わり、僕は妙な胸騒ぎを感じながらも、明仁さんの後に続いたのだった。


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