第45話 池田屋事件まであと二日②
いつものように、お悠さんたちと共に全ての部屋の寝支度を整え始める。最後に、優美さんたちの部屋にも布団を敷き、お風呂へと向かう優美さんを見送った。
「今夜も、月が綺麗に見えますよ」
窓辺から何の気なしに夜空を見遣る。と、まん丸に近い月がぽっかりと浮かんで見えた。尚也さんも、私の隣に並ぶと同様に見上げる。
「そうだな」
「それに、今日はいつもよりも涼しいからよく寝られそうですね」
「ああ」
お互いに笑い合った。その後、「そういえば」と、付け足すように言う尚也さんの、少し訝し気な瞳と目が合う。
「俺らが
「え?」
「もしかしたら、月が関係してたりしてな」
今度はおどけたように言う尚也さんに、私も同じような境遇だったことを伝えた。
しっかりと月の動きを把握していたわけではなかったのだけれど、慎一郎さんたちと出会ったあの晩も、まん丸な月だった。
「その説、当たっちゃってるかもしれませんよ!」
「んなバカな……」
「いやいや、マジです! だって、私たちがタイムスリップした前の晩も、丸かったんですから」
まだ幼かった中村さんが、その当時の月の動きを覚えているかは分からない。でも、もしも、中村さんも私たちと同じ境遇だったとしたら、今回のタイムスリップの原因として、月の満ち欠けが関係している可能性は高いのではないだろうか。
それに、私たちには共通点がある。それぞれが幕末の偉人たちや、この時代の日本の文化に興味を持っていた。と、いうことだ。志士たちに会ってみたい。真実を知りたい。そういった想いが強かったからなのではないか。と、力説する私に尚也さんは薄っすらと微笑み言った。
「そうかもしれないな。でも、それだけでは信憑性に欠ける」
「……まぁ、確かに。そうだとしても、満月の夜を目安に試してみるのもアリかなって思うんですけど」
「例えば?」
「えっと、満月までに現代で飛ばされた同じ場所を探し出し、正確ではなくても同時間帯にその場で待機してみる。とか」
少し呆気にとられたような視線を受け止め、私は自信無さげに俯いた。
「なーんて、やっぱり非現実的過ぎますよね」
「うん。まぁ、やらないよりはマシかもしれないけど」
やらないよりはマシ。尚也さんの一言に、更にこっぱずかしさを感じてしまう。
常に正しい判断を要される俳優さんならではの性格とでもいうか。尚也さんって、改めて本当に冷静で大人だなと思った。
「その方法が正解だったとしても、優美は残ると言いそうだな。俺もまだ戻るつもりはないし」
「私もです。最終的な目標は、自分たちの時代へ戻ることですけれど。慎一郎さんたちもきっと、そう思っているはずですから」
「不思議だよな。こっちに飛ばされたばかりの頃は、何もかもが受け入れられなくて、絶対にやっていけないと思っていたのに。今じゃあ、この時代に残りたいなんてな」
そう言って夜空を見つめる尚也さんの横顔は、少し憂いを宿しているように見えた。これまでも、そしてこれからも。自分の身を危険に晒してしまうかもしれないこの時代で生きていきたいと、思う。生きていかなければならない使命感みたいなものもあるのかもしれない。
「ただ、池田屋での乱闘をなんとか出来たとしても、命を落とすはずの人たちを助けることは出来ない気がする……」
尚也さんたちも、私たちと同じように歴史を変えようとして失敗続きだった。と、言っていた。歴史は変えられないのかもしれない。けれど、微力ながらもやれることはあるはずだ。
「確かに、そうかもしれません。それでも抗い続けたいし、一日でも長く大好きな人たちと一緒にいられるように頑張りたいです」
これまで以上に真剣な眼差しで見つめ返す。と、尚也さんはすぐに視線を落とし、頷いてくれた。
足音がこちらへと近づいて来る。尚也さんは、箪笥の上に用意しておいた手拭いと変えの小袖を持って、戻ってきた優美さんと入れ替わるようにお風呂場へと向かった。
「今夜も丁度いい湯加減だったわ」
優美さんは、後ろ手で襖を閉めると、手ぬぐいで濡れた髪を乾かしながら窓辺へと向かい、ふわりと吹き込んで来た風に瞳を細めた。
「んー、涼しい。蚊に起こされなければゆっくり寝られそうだね」
「ふふ、そうですね」
すぐに、窓辺の角にある小さい黒漆塗の箱型鏡台の前に腰掛けると、鏡に映ったご自身の顔をまじまじと見つめた。
各室のほとんどに設置されている鏡台の上部は、蝶番で折りたたんだりすることが出来る優れもので、半分だけ開くようになっている。
「まぁ、寝られればの話だけど。今はどうしたって動きようがないってことは、頭で分かってるはずなのに。うわぁ、額に吹出物がぁー」
言いながら、鏡に向かって変顔をする優美さんの、とても面白い顔を目にして思わず笑ってしまった。次いで、優美さんが戻ってくる前に、尚也さんと話していたことを簡潔に伝える。と、優美さんは少し驚愕したように目を丸くした。
「なるほどねー。それは考えもしなかったわ」
「尚也さんからは、呆れられてしまいましたけど……」
「奴の思考は、誰よりも現実的っていうか。確証が持てなさそうなことには無関心っていうか。男って、妙にそういうとこない?」
「そうですね。うちの父も同じような感じでした」
「男としての責任なんかもあるのかもしれないけど、あたしから言わせれば、自分本位って感じ?」
こちらを見つめる、澄ましたような瞳と目が合う。その眼差しに誘われ、私もゆっくりと優美さんの隣に腰を下ろした。
タイムスリップする前の尚也さんは、もっとクールで口数が少なく、役者なのに人見知りをするタイプだったらしい。
負けず嫌いで、自分に対しても人に対しても決して妥協を許さない。そんな完璧主義者だったのだという。
「以前も言ったと思うけど、尚也みたいな男が一番苦手だったのよね」
「そんなことを言っていましたね」
「最初の印象は最悪。でもね、この時代の人たちと無理やりにでも接しているうちに、少しずつだけど棘っぽかった言い方が柔らかくなってきたような気がするんだよね」
そういって、優美さんは柔和に微笑んだ。
「なんか、いいなぁ。お二人の関係って」
「そうかなぁ。あたしからしたら、京香ちゃんの恋愛観のほうが新鮮で羨ましく感じるけどぉー」
優美さんの、恋愛話ならいつでも聞くわよ。と、でも言いたげなにんまりとした表情に私は苦笑を返した。
「私のは、なんていうか。……ただの片思いですから」
「案外、沖田さんも京香ちゃんのこと好きだったりするかもよ」
「それだけは絶対にあり得ませんって!」
「でも、もしもよ。もしも沖田さんと付き合えるようになったら、何したい?」
突然の質問に私は一瞬、固まってしまった。こんな会話は、現代の友達とかお悠さんとぐらいしかしたことがなかったから。
表情はそのままに。優美さんは、更に私との距離を縮めてくる。
「出来るなら、会ってあの優しい笑顔と爽やかな声に癒されたいです。でも今は、病気やケガなどせずに元気でいてくれたら……それだけで……」
会えない寂しさは増すばかりだった。けれど、今は何としても池田屋事件を防ぎ、枡屋さんを助け出したい思いの方が優先されている。
体調を崩し始めているかもしれない沖田さんのことも。間者として中村さんが加わったことで、それぞれの身の安全を願うことしかできない。
「絶対にみんなを守ってみせる。あたしたちなら出来る。きっと大丈夫」
「……ですね」
微笑み合い、また月を見遣る。さっきよりも、薄っすらと紅く見えるのは私だけだろうか。どういう訳か、餅つきをしている兎の姿というよりも、まるでピエロが不気味に微笑んでいるかのように見えた。
*
*
*
角屋 扇の間
*明仁 side*
あれから、俺たちは汗だくになりながらも入念に、納得がいくまで話し合った。その結果、寺島たちの元へ報告に行くという中村には、枡屋の状態はもちろんのこと。ほとぼりが冷めるまで、何としても過激尊王攘夷派たちを京に留まらせないようにして欲しいことなど。とりあえずの重要事項を伝えて貰うことにし、今夜。武田観柳斎を飲みに誘い出し、事の真相を訊き出す。と、いう結論に至った。
武田に男色、現代でいうところの同性愛の気があることを確信していたからか、外へ連れ出すことは容易かった。本命は馬越三郎のようだが、どうやら俺にもその気があるらしい。問題は、日頃から上に媚び
「ほら、もっと飲め」
「もう十分だ」
「俺の酒が飲めねぇって?」
わざと距離を縮め、耳元で囁いてみる。と、案の定、艶めいた息を漏らし始めた。正直、男にはまったく興味はないが仕方ない。
「分かった。頂く」
武田が、しぶしぶこちらへお猪口を差し出す。俺はそれに銚子を傾けた。
「詳しく教えてくれないか。どんな捕物だったのかを」
「何故そこまでして知りたがるのだ」
「俺はただ、お前がどんなふうに手柄を立てたのか聞きたいだけなんだが。ま、話したくねえってんなら無理には──」
「そういうわけでは……ないのだが」
顔を背ける俺に、武田は満更でもなさそうに話し始める。
「じつはな、枡屋が長州の大元締めであることを耳にしたのだ。正直、その一報が無ければ、手遅れになっていたやもしれぬ」
武田が言うには、日頃から親しくしていたとされる千頭屋の主から、枡屋が長州と繋がりがあることを聞いたらしい。それと同時に、枡屋も千頭屋の娘と関わっていたことを思い出す。きっと、何らかの予期せぬトラブルがあったに違いない。
乗り込んだ矢先。枡屋不在で困り果てた武田だったが、いったん引こうとしたその時。張本人が現れ、捕縛することが出来たのだという。
(こればかりは、枡屋にしか分からないことだな)
「運も俺たちに味方してたってことか。押収した武器弾薬はもちろん、何と言っても書簡が決定的だったよな」
「それは……。まあ、そうだな」
一瞬だったが、武田が目を泳がせたのを見逃さなかった。すかさず、書簡を仕込んだことへの有無を問いかけて、思っていたよりもあっさりと返答を貰えたことに思わず苦笑してしまう。
「やっぱ、あんたの策だったのか。マジで天才だな」
「それは言い過ぎというもの」
「いやいや。常に先を見て、隊の為に尽力してきたあんたのそういうところは皆も認めていることだろう。今回の件に関しても、流石だと思わざるを得ない」
酒も手伝ってか、段々と上機嫌になる武田に、俺はまた酌をしながらおだてまくった。だが、不正を嫌うであろう近藤局長にバレでもしたら、不名誉除隊命令を受けてもいいほどの内容文だといえる。
「けど、都に火を放ち帝を攫うってのは、ちっとばかし非現実的じゃねえか?」
「私はそうは思わぬ。実際、奴らの考えそうなことを
(それだけは、絶対に阻止してやる)
ここまで吐かせてみて、改めて、史実の不正確性に愕然とさせられる。何よりも紛れのない真実を前に、尊敬する新選組の闇というものを垣間見た気がしていた。
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