第46話 池田屋事件当日①

 ──元治元年六月五日。池田屋事件当日

 寺田屋


 *京香 side*


 いよいよ、あの池田屋事件が起こったとされている六月五日を迎えてしまった。

 二日前に中村さんからの報告を受けた私たちは、慎一郎さんや明仁さんは勿論のこと。枡屋さんの安否も知ることが出来て一安心していた。

 こちらからも、まず京都に残っている浪士の方々に、池田屋を含めた旅籠屋や古寺などでの密会を避け、出来れば京都から一時離脱するよう呼びかけたこと。それでも念のため、優美さんと尚也さんのお二人には、池田屋近辺で待機して貰うようになったことなどを伝えた。

 あとは、運を天に任せるしかない。

 祇園祭の宵々山。私は、浮かれるお登勢さんたちと話を合わせながらも、優美さんや尚也さんのこと。そして、間者とは少し違った意味で隊士となった中村さんのこと。何より、新選組として出動するであろう慎一郎さんと明仁さんのことも心配でならない。

 当たり前だけれど、現代にいた頃は、毎日をこんなにも一生懸命生きたり、自分や好きな人たちの生死を考えたことなんてなかった。

 気が付けば、神様にお願いごとを呟いている。ここまで真剣に、誰かのことを思うなんて、初めてかもしれない。

──どうか、今日が無事に終わりますように。


 *


 新選組屯所内


 *慎一郎 side*


 いつものように朝餉を済ませ、朝稽古に汗を流しながらも、僕は今夜起こってしまうであろう『池田屋事件』のことで頭がいっぱいだった。

 武田さんの策によりお役御免となった枡屋さんは、奉行所へと連行されることになった。そこで判明したのは、後に伝えられた古高俊太郎捕縛に関しての史実は、ほぼほぼ創作だということだった。

 池田屋事件当日を迎え、隊士達みんなの、いつにも増した張り切り様を見て、否応なしに緊張感は高まっていく。朝稽古後、僕は諸肌脱ぎの状態のままの中村くんに手拭いを手渡した。

 中村くんから新たな報告を受けた時も、本当に池田屋事件を未然に防ぐことが出来るだろうか。と、いう不安は尽きないまま。

 そして、もう一つの不安。昨夜からずっと咳き込んでいる沖田さんの容体も気になっていた。

 いつだったか。明仁さんと掛かりつけの病院を訪ねた時、担当医からは沖田さんの喀血を伝えられていた。これまでにも、何度か繰り返しているに違いない。周りからも、顔色が悪いから屯所に残ったほうがいいと、勧められてはいたものの──

「ですから、もう大丈夫ですって! 何度言えば分かって貰えるんですか?」

 少し離れたところから、沖田さんの怒ったような声が聞こえて来る。誰に文句を言っているのかと耳を凝らせば、「いいから、お前は残ってろ」と、いう明仁さんの声もして、僕らは顔を見合わせた。

 その言い合う声が徐々に大きくなってきて、二人の姿を見つけるなり、僕がいつものように仲裁に入る。

「何、大きな声出して騒いでるんですか」

「慎一郎くんからも言ってやってくれない? 明仁さんに」

「分かりました。と、言いたいところなんですが、それは出来ません」

 そう言ってお得意の苦笑を返す僕に、沖田さんは訝し気な顔で小首を傾げた。

「どうして?」

「どうしてもです」

「冗談じゃない。こんな大事な任に携われないのなら、死んだ方がましだよ」

 死んだほうがマシ、か。やっぱり、これに関しては一筋縄では済まなさそうだ。

 そんな沖田さんの一言にお手上げ状態となり、いつの間にやって来ていたのか、近藤局長が沖田さんの腕を強引に引き寄せ言った。

「お前、本当に大丈夫なのか?」

「勿論ですよ。ただの風邪ですし、薬を飲み続けているので気分もいい」

「だそうだ」

 局長のおどけたような視線を受け止め、尚更。僕らは何も言えなくなってしまった。

 出来れば、沖田さんには戦線離脱して欲しい。と、いうのが本音だった。第一に、無理をしないで欲しいということ。もう一つは、本調子ではないにしても、沖田さんが本気で剣を振るえば確実に犠牲者が出てしまうからだ。中村くんよりも剣の腕が立つという藍沢さんでも、沖田さんには敵わないだろうと、いう思いもある。

 沖田さんの剣は素早くて重い。普段の、少し飄々としたそれとは比べものにならないほどの鋭い眼で向かって来る。目が合ったら最後、その脅威に怯えない人はいないだろう。

 壬生の狼。容赦なく獲物を食らう狼とは、誰が考えたのか、本当によくできた例えだと思わざるを得ない。

「大体からして、明仁さんも慎一郎くんも大袈裟なんだよ」

 沖田さんが不貞腐れたように言う。と、局長はいつものように大きな声で笑った。

「まったく、お前は本当にみつさんに似て頑固だな」

「姉上と一緒にしないでくださいよ。とにかく、俺も行きますからね」

 そう言うと、沖田さんはぷいっと明後日の方向を向いて、慌ただしく準備をしている皆の元へと混ざっていく。そんな沖田さんを横目に、局長が苦笑した。

「総司と沖田くんには、俺の隊に就いて貰いたいと思っている。土方くんと、確か、中村くんだったかな。二人は土方隊と動いてくれ」

 僕らは一瞬、顔を見合わせた。が、すぐに一つ返事で頷き返す。

「必ずや、長州らの企てを阻止しなくてはならない。頼んだぞ」

 そう言い残して踵を返す局長の背中を、僕らは複雑な思いで見送った。


 京香さんの話では、確か何班かに分かれた捜索の末、会津藩の到着を待たずに池田屋と、あともう一つ。何とかという旅籠屋に突入することになっている。近藤局長たちが池田屋に。もう一つのほうに土方隊が突入したのだとか。

「離れちまったか」

 明仁さんが溜息交じりに呟いた。と、すぐに中村くんの不安そうな眼差しと目が合う。

「大丈夫ですよ。この日の為に、いろいろと考えて来たんですから」

 僕は、なるべく余裕をもって対応しようと無理に笑って見せた。けれど、明仁さんから頭をわしゃわしゃとされてしまう。何となく、いつにも増して子ども扱いされている気がする。

「総司のことはお前に任せた。でも、ガチで死にそうになったら無理だけはするなよ。これは紛れもない実践なんだからな」

「分かってるつもりですよ。命がけだってことは……」

 乱れた前髪を整えながら言い返す。そうしながらも、鼓動が少しずつ速くなるのを感じた。池田屋事件に関しても大まかな内容しか知らないし、史実通りにいかない可能性も考えれば余計に。

「そっちこそ、何が起こるか分からないんですから。気を付けてくださいよ」

「まだ死ぬわけにはいかねえからな」

 そう言って、準備に取り掛かる明仁さんの後に続くようにして、僕らも支度に取り掛かった。


 *


 宿という宿を片っ端から捜索し続けて、どれくらいの時間が経っただろうか。夕闇が迫って来た頃だった。

 藤堂さんが、寺田屋の戸を開く。

「御免」

 開口一番に出迎えてくれたのは、京香さんだった。一瞬、驚愕したような瞳を受け止め、僕はなるべく狼狽えないように平静を保ちながら目で訴えてみる。京香さんは、僕らを見遣ると、少し言いにくそうに口を開いた。

「ようこそ、おいでくださいました。ご休憩ですか? それとも……」

「女将はいるか?」

 藤堂さんの、食い気味な威厳ある言葉に京香さんはまた、僕の方を見て不安そうに微笑む。だから、今度は口で説明しようとして、沖田さんに遮られた。

「お手間は取らせません。こちらに、長州やら土佐やらの客人がいらっしゃると思うのですが」

 言いながら、土間の方へと足を進める沖田さんを番頭さんらしき体格の良い男性が、真顔で足止めしてきた。沖田さんは、そんな番頭さんと奥から現れたお登勢さんに余裕の笑みを返すと、「嫌われたものですね」と、言って苦笑する。

 聞けば、史実通り普段は沢山の薩摩や土佐藩士で賑わうようだけれど、最近はどういう訳かその足がぱたりと止んだのだという。

 すぐに、また京香さんと目が合った。軽く頷いた気がしたことで、お登勢さんの言っていることに偽りがないと確信する。すぐに、藤堂さんからの、一部屋ごとの捜索を願う一声に対し、お登勢さんから一喝された。

「わてらが嘘をついてるとでも? まぁ、どうしても言うんどしたら、ご案内させて頂きますけど」

 明らかに敵意を宿した眼。お登勢さんの隣、それに合わせるようにして、京香さんも、「どうぞ、こちらへ」と、いって僕らを招き入れようとしてくれる。

 ここもハズレか。沖田さんが、溜息交じりに呟く。と、局長はお登勢さんを真っ直ぐ見つめ言った。

「大変失礼致しました。では、また何かの折に寄らせて頂きます」

 ここに辿り着くまでに、この一声を何度聞いたことか。そんなことを思いながら、僕も去り行く局長たちの後に続く。振り返りはしなかった。だけど、京香さんの、精一杯の微笑みを目にして、その思いを受け取れた気がした。

 きっと、僕らとは違う緊張と不安を抱えているに違いない。

 京香さんの傍で見守らなければという思いはある。けれど、やっぱり。新選組隊士として、これまで以上の志をもっていかなければいけない。そんなふうに、心を突き動かされた気がしていた。



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十六夜の月 ~想い果てなく~ Choco @yuuhaya

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