第5話 本物の坂本龍馬?!①

 午前六時くらいだろうか。ふと、目覚めた時にはもう部屋が薄らと明るくなっていた。大量にかいた汗により、ひたりと肌に纏わりつく襦袢が気持ち悪くて、まだぐっすり眠っているお二人を起こさないようにそっと襖を閉めた。そして、新しい襦袢に着替えようと、箪笥に閉まっておいたブラを手に、下着の替えも探そうとして改めて、その代用品すらも無いことに気付かされる。


(腰巻だけか……)


 腰巻用のさらしは受け取っていたものの、やっぱり下着は付けないという決まり事なのだろうかと、思わず大きな溜息が漏れてしまう。

 ゲームでは、そこまで詳しく描かれていなかった。何より、現実に自分がこのような境遇に立たされるなんて夢にも思っていなかったから、当たり前だけど、調べていなかった。


(慣れるしかないのかな、やっぱり……)


 箪笥の中にしまっておいた胴着に、脱いだ下着を小さく畳んで忍ばせ、昨日の着物に着替えながら、これまでの出来事が夢ではないことを実感させられる。ここが、どこかの旅館であってくれたらと、そんなふうに思わずにはいられない。

 それでも、昨日の沖田さんの前向きな言葉を思い出し、自分を奮起させると同時に、今日から始まる新しい生活を楽しもうと思い直した。




 その後、しばらくしてやって来た枡屋さんを部屋へと迎え入れた。朝の挨拶を終え、今日一日はまだゆっくり寝ていた方がいいと、心配してくれる枡屋さんに、無理のない程度に過ごすことを伝える。と、枡屋さんは困ったように微笑いながら小さく息をついた。

「ほんに、無理したらあかしまへんえ」

「もしも、またぶり返しそうになったらすぐに戻って来ます」

 枡屋さんから、お向かいの、『藍』という茶屋の御夫婦はとても明るくて面白いと聞いていたから、早く会ってみたいという思いの方が先立っていた。今日一日分の薬を受け取り、枡屋さんに微笑み返した。その時、沖田さんの「開けてもいいですか?」と、いう爽やかな声が襖の向こうから聞こえてきて、私はすぐに返答し、そっと開いた襖と共にこちらへとやって来る、沖田さんと土方さんとも朝の挨拶を交わした。お二人も、昨日の着物に着替え終わっていて、開いたままの襖の向こうには、きちんと畳まれた布団が二式並んで置かれているのが見える。

「声が漏れ聞こえていたので、そのまま聞いてしまいましたが、本当に大丈夫ですか?やっぱり、枡屋さんの言う通り、今日は寝ていた方が……」

 私は、沖田さんにぎこちない笑みを返した。同様に土方さんを見上げると、すぐに視線を逸らされる。

「本人がそう言ってんだから、大丈夫なんだろ」

「土方さんの言う通り。本当に大丈夫ですから……」

 私がその場の雰囲気を取り繕うように明るく言うと、土方さんの、今度は少し澄ましたような眼差しと目が合う。

「ただし、昨夜俺が言ったことを忘れてやしないだろうな」


(えーっと、無理はするなってことだったよね)


 悪化させる前に調整しろ。と、注意されたことを思い出し、お二人にも、今日は挨拶程度で済ませて戻って来ることを伝えた。

 すると、沖田さんから昨夜、土方さんに何を言われたのかを問いかけられる。

 私が、“ 悪化させる前に休め。” と、言われていたことを伝えようとして、すぐに土方さんに遮られた。

「具合が悪い時は、遠慮せずに言え。そう言っただけだが。お前、何をそんなに慌てふためいてんだ」

「なんだ、そうだったんですね。僕はまた土方さんがとんでもないことを言ったのかと」

「何だよ、そのとんでもないことってのは……」

 笑顔の沖田さんを呆れたように睨み付ける土方さんの溜息を聞いてすぐ、そんなお二人を見ながら、枡屋さんがくすくすと笑う。

「ほんに、仲がよろしおすなぁ。あんさんら見とると、遠く離れた友人を思い出すわ」

「遠く離れた友人?」

 そう私が尋ねると、枡屋さんは優しい笑みを浮かべながら頷いた。

「赤穂浪士の話は知ってはりますやろ? その、赤穂の流派である小野派一刀流を極めた男がおましてな。今は、下関でお国の為に働いといやす」

 何かを思い出すかのように言って、その続きを話し始める枡屋さんの表情は、とても穏やで、その友人から無理やり剣術を習わされたのだとか。その人は、中村隼人という男性で、文武両道だという。

「何をやらせてもそつなく熟す子でな。友人ゆうより、弟ゆうた方がええかもしれへん。と、今はこないに想い出話をしとる場合やないんやった」

 枡屋さんは、これから朝食の準備が出来次第、女中さんが呼びに来てくれること。そして、夜まで留守にするので、何かあった時は番頭さんに相談するよう言い残し、早々に出立した。



 その後、女中さんが来るまでの間、また今後のことについて話し合うことになった。

 すぐに現代へ戻れるという奇跡は期待せず、まずはここでの生活に慣れることを優先させようということだった。

 同時に、枡屋さんが古高俊太郎であるかもしれない証拠を得るということは勿論、この界隈で息を潜めているかもしれない坂本龍馬や、高杉晋作ら攘夷派の志士たちのこと。何より、新選組が八木邸に到着しているかもしれないということも念頭に置いて行動したい。という、それぞれの想いを伝え合った。

「今の状況で、不謹慎かもしれないんですけど……本物の彼らを見ることが出来るかもしれない。そう思うと、なんかじっとしていられなくて」

 そんな私の願いを、頷きながら真剣に聞いてくれている沖田さんと、その隣、仏頂面のままずっと視線を合わせてくれない土方さん。対照的な態度に困惑してしまうも、沖田さんはすぐに賛同してくれた。

「特に新選組、でしょう?」

「……はい」

「京香さんが新選組のファンじゃなければ、壬生寺で出会うことも無かったし、もしかしたら男二人でこっちへ飛ばされていた可能性も……」

 苦笑気味な沖田さんの視線が、ゆっくりと土方さんに向けられる。それを受けた土方さんは、更に面倒臭そうに顔を歪めた。

「まったくだ」

「あはは、この顔が見たくていつもからかってしまうんですよね」

 楽しげに微笑う沖田さんと、しかめっ面のままの土方さんを交互に見ながら、私までつられて笑ってしまう。

「もう少し落ち着いたら、壬生寺や八木邸へ行きましょう。僕で良ければお付き合いしますよ」

「ありがとう。沖田さん」

 お前らだけで行って来い。と、言っておもむろに立ち上がる土方さんに、どこへ行くのかと尋ねる沖田さん。土方さんは、こちらに背を向けたまま「厠」と、だけ呟いて部屋を後にした。

「あんなこと言っていましたけど、土方さんも行きたいと思っているはずです」

「え、そうなんですか?」

 小首を傾げる私に沖田さんは、土方さんとの話の続きを聞かせてくれた。

 普段、『土方』と、いう苗字はなかなか見つけられないけれど、多摩方面にはわりと多く見られ、その苗字のせいか、土方さんも新選組の話を耳にタコが出来るくらい聞かされて育ったらしい。

 新選組副長、土方歳三。鬼副長として有名だけれど、土方歳三のような男らしい人間に育って欲しいというお父様の願いもあってか、土方さんはその影響を受けて来たという。

 かく言う沖田さんも、土方さんと出会ってからというもの、新選組の沖田総司を意識するようになったのだそうだ。しかも、偶然だろうけれど、歳の差も7つであるということ。

「僕も、同じ剣道を嗜んでいる者として、新選組や坂本龍馬たちの腕前がどれ程のものなのか、知りたいという想いはあります。それに、昨日は慢心してしまったので、枡屋さんともまた剣を交えたいところ。なんだかんだと、楽しくなって来ましたね」

 何とも言えないほどの優しい笑顔を前にして、思わずトクンと心臓が跳ねた。すぐにまた素直に頷ける自分がいて、そんな沖田さんに癒されていることに気付く。

 この感情が何なのか、依然として分からないままだけれど、本当に沖田さんと土方さんがいてくれれば、私はこの時代でも生きて行けそうな気がしていた。




 藍店内


「いらっしゃいませ! どうぞ、こちらへ」

 笑顔で店にやって来た一組のカップルらしき男女を迎え入れる。次いで、空いている手前の畳席へと導いた後、すぐに注文を受け、その場で奥にいる女将さんへと伝えた。

 あの後、番頭さんや女中さんたちと共に朝餉あさげを頂いた。ご飯にお新香、メザシに牛蒡汁など、これぞ古き日本の朝ご飯という感じで、ドラマで見たように、一人分が程よい大きさの、いかにも純和風といった膳に乗せられていた。

 土方さんと沖田さんは、交互に近隣を見回り、店に残った方は、番頭さんたちの雑用を手伝うことになっていて、私はというと、自分の体調と相談しながら、女将さんたちの待つ藍へ向かったのだった。

 店内は、奥に畳席が三つ。他にテーブル席が四つあり、それ以外は玄関先に長椅子が一つ設置されている。広さは実家の店とあまり変わらない。枡屋さんから聞いていた通り、雰囲気の良い甘味処だ。

 自らを藍井凛あおいりんと名乗った女将さんは、四十代後半くらいで、女優並みに綺麗なのにとても気さくな人柄である。女将さんと同い年くらいの藍井由太郎あおいよしたろうと名乗った旦那さんも、長身で腕の筋肉がたくましく、イケメンなのに三枚目な性格だったりする。お二人が、まるで昔からの顔馴染みのように接してくれているお蔭で、初日なのにあまり緊張せずに楽しく仕事することが出来ている。

「ほんまに、京香ちゃんが来てくれて助かったわ」

「そう言って貰えると、私も嬉しいです」

「せやけど、ちいとでもきつなったら遠慮なくゆうてね」

「はい」

 厨房との仕切り越し、出来上がった心太ところてんを盆に乗せ、それごと先程のお客さんのところへ運んでゆく。

 この心太だが、京都では黒蜜をかけて食するらしく、葛きりだと思えば何てことはないのだけれど、関東で生まれ育った私にとっての心太は酢醤油と決まっていた為、西と東とではこうも違うものなのかと驚かされた。

 お凛さんから、また優しい言葉をかけて貰っていた。その時、

「ここかえ、その評判の店っちゅうんは?」

 暖簾をくぐって店内へ入って来たお侍さんに一瞬、目が釘付けになる。何故なら、ネットや雑誌などで目にしていた顔がそこにあったから。

「さっ、さ……」

「さ? さ、がどういたがじゃ?」

「あの、何でもないです! い、いらっしゃいませ!」

 思わず、素っ頓狂な声を出しながら慌てふためいてしまう。その人の背後から、もう一人、連れらしきお侍さんを見とめ、私が店内へ迎え入れると、お二人は入口手前のテーブル席へ向かい合わせに腰を下ろした。


(坂本龍馬にそっくりなんですけどぉぉ! この顔に土佐弁ときたらまず、間違いないよね? でもって、もう一人の男性は?)


 私のドギマギした態度に戸惑っているのか、少し言いにくそうにお茶と団子を注文して来たお二人に微笑み返し、厨房にいるお凛さんに伝えに行こうとした。その時、お凛さんが前掛けで軽く手を拭いながら、足早にこちらへ駆け寄ってきて、坂本龍馬であろう人とは別の、もう一人のお侍さんに満面の笑顔で言った。

「あら、近藤さんやない」

「コンドウさん?」

「以前、少しばかり娘が世話になったことがあるんよ」

 お凛さんは、私にそう言ってすぐにまた近藤さんに視線を戻した。

「久しぶりやね、お元気どしたか?」

「はい。お凛さんも元気そうで何よりじゃ」

 楽しそうに話すお凛さんと、近藤さんの会話を聞いていた。次の瞬間、近藤さんの一言に驚愕した。何故なら、近藤さんがお凛さんに、“ 友人の坂本龍馬じゃ ” と、紹介したからだった。

 次いで、お凛さんからどんな字を書くのかと尋ねられた坂本龍馬であろうお侍さんは、満面の笑顔で誇らしげに言う。

「大空を自由に羽ばたく龍に、馬。と、言やぁ分かるかのう」

「龍馬、どすか。男前な名前やわぁ」

「ほうじゃろう? わしも気に入っちゅう」


(や、やっぱりこの人は、あの坂本龍馬なんだ! ヤバい、本物と会えちゃった!?)


 決定的な言葉に舞い上がらずにはいられず、抱えていたお盆で顔を半分隠しながら、坂本龍馬から目が離せなくなる。絶対に会えるわけがないと思っていたあの幕末の英雄を目前に、その緊張感とわくわく感は頂点へと達していった。


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