第40話 救出作戦開始①
寺田屋
*京香 Side*
時刻は、午後十一時くらいだろうか。
今日の分の仕事を終え、お風呂場にて一日の疲れを洗い流そうと襦袢を脱ごうとした。その時、先ほどの女性が入浴セットを手に入って来て、すぐに譲ろうと声をかけた。
「あ、お先にどうぞ」
「いやいや。こんな時間だし、一緒に入りましょうよ」
「え、でも……」
「ちょっと狭いからキツキツだけど、お姉さんさえ良ければ」
女性はかなりな速さで着脱し、はしゃいだように五右衛門風呂前まで行って、桶で湯を肩から流し始める。
(ここは、お客さんに譲らなければいけないんだけど……時間的に厳しいかも。)
仕方なく、私は女性に一声かけ、一緒に使わせて貰うことにした。
全身を
「あの寺田屋さんだからね。もう、感動しっぱなしよ」
「そんなふうに言って貰えて、私も嬉しいです」
お互いに微笑み合い、先に湯舟へとつかる女性から自己紹介された。
女性の名前は、
連れの男性は優美さんのご主人で、
「で、お姉さんの名前は?」
「私は、寺島京香っていいます。歳は二十二で、私もお友達と一緒に、江戸から
「そうだったんだ。で、そのお友達もここで働いてるの?」
「えっと……」
その質問に、一瞬、戸惑ってしまったけれど、私は正直に伝えることにした。
「じつは、新選組隊士なんです」
「え、マジで?! よりによって
突然、真顔になる優美さんが気になりながらも、私はこれまでの経緯を簡潔に話すことにした。
枡屋さんと出会い、それからすぐに枡屋で奉公させて貰ったこと。そして、明仁さんと慎一郎さんが枡屋を離れ、新選組隊士となったこと。その後、私も枡屋を離れ、寺田屋へ奉公に来ていることなど。
話せる限りの全ての経緯を簡潔に伝え終えると、優美さんは神妙な面持ちで声を潜めるように言った。
「あのね、ちょっと気になることがあって質問したいんだけどいいかな?」
「はい。なんでしょう」
「なんていうか、変に思ったらごめんなさいね。京香ちゃんって、自分の誕生日にお祝いする人?」
いつだったか、中村さんからも同じ質問をされたことを思い出して、もしやと思わされる。
「これまでは、自分の誕生日にお祝いしていましたけど……」
「やっぱり?」
苦笑する彼女に、私も同じように返す。
「やっぱりって……」
「なんかね、出会った時からそうじゃないかと思ってたのよね。京香ちゃんもアレでしょ? 東京から来たんでしょ?」
「え?! じゃ、優美さんたちも?」
そうなのです。じつは、優美さんと尚也さんも、現代から幕末時代へタイムスリップしてしまった人たちだったのです。しかも、あの枡屋さんと仲の良い、未来人の一人でもある、中村隼人さんとも知り合いらしいという事が判明した。
あれから、すぐに尚也さんにも声をかけ、三人で近くの河原へとやって来ている。
そして、お互いにこれまでのことを伝え合った。
分かったことは、優美さんが剣術のスペシャリストであり、討幕派の史実に関しては多少の知識があるということ。そして、どこかで見た顔だと思っていた尚也さんの方は、実力派俳優さんであるということだった。
新番組で、坂本龍馬役を演じることになった尚也さんが、優美さんの通う道場で苦手な剣術を教わっていた。丁度その時、突然、ものすごい稲光と轟音に驚愕したのもつかの間、私達と同じように、気が付いたら幕末時代の京都にタイムスリップしていたらしい。
「まったくさ、こんなこと現実にあっていいのかって、がっくり来ちゃってね。しかも、現代へ戻る方法も分からないまんまだし……」
力なく言う優美さんの隣、腕組みしながら夜空を見遣る尚也さんも、「あの後すぐ、龍馬さんと出会えてなかったら、俺たちどうなってたか分かんねーよな」と、呟いた。
それに対して優美さんは、「ほんとよねー」と、言ってその場にしゃがみ込む。
「坂本龍馬ファンとしては、えー、マジで本物?って、人生で一番かってくらい嬉しくて、はしゃぎまくっちゃってたけどね」
タイムスリップ自体、信じられないことだけれど、幕末志士たちと出会って話までして、まさかの顔見知りになれたなんて。そんな、あるわけないと思っていた事態に、期待と不安が綯い交ぜになってしまった気持ちはとても良く分かる。
それに、タイムスリップしてからの歳月と同じ時が、現代でも流れているのだとすれば、私たちは、行方不明者として扱われ、家族や友人たちに心配をかけているに違いない。
そんな不安が、優美さんと尚也さんにもあるという。
特に尚也さんは、久しぶりの大役を手にした矢先と言うこともあり、かなり悔しい思いをしていたらしい。
「せっかく、土佐弁とかも勉強してたのにね」
優美さんが、尚也さんを慰めるように言う。と、尚也さんも優美さんの隣にしゃがみ込み、「まったくだ。本物に出会えたって、戻れなきゃ意味ねーしよ」と、力無く呟いた。
「まぁ、でも今はそんなことより、枡屋さんのことだよな」
そう言って、尚也さんは苦笑いしながら私を見上げてくる。
私は、そんなお二人に、新選組の容赦ない拷問に耐えているであろう枡屋さんのことを。そして、この先、起こるかもしれない知っている限りの史実を話して聞かせた。
忘れもしない。池田屋事件が起こるのは、祇園祭の宵々山の夜。
ただ、六月五日に捕縛され、その日のうちに池田屋事件へと繋がったとされている史実とは違い、枡屋さんが捕縛されたのは六月一日で、何らかの猶予が与えられているということ。
もしかして、これは私たちが歴史を変えようと奮闘した成果なのかもしれない。
話している最中も、お二人の顔がみるみる引き攣っていくのがわかる。
次いで、ずっと黙り込んだままだった尚也さんが、少し躊躇いがちに呟いた。
「じゃあ、枡屋さんはもう……」
尚也さんの言いたいことが分かってしまったから、私はすぐに否定する。
「死なせません! 枡屋さんだけは、絶対に救ってみせます!」
思わず必死になってしまっていたからか、少し唖然としたようなお二人の視線を受け、私は一呼吸して照れ笑いを返した。
お二人が、幕末時代へタイムスリップしたのは、私たちがこの時代へとやって来た丁度一週間後の正午頃。
胴着姿のまま、三条大橋の下で途方に暮れていたお二人は、私たちがその日のうちに枡屋さんと出会えたように、龍馬さんと出会っていた。
働き口が見つかるまで、私も高杉さんに連れられて行ったことのある、吉田屋さんの用心棒として使えているそうで、龍馬さんと仲の良い望月亀弥太さんから、枡屋さんのことを聞いていたらしい。
「その後、枡屋さんとも何度か会って話したことがあってね。あの人、ほんとに攘夷のことしか頭になくて、ものすっごく良い人なのよね」
「俺もあの人には世話になったから、どうにかして助け出したいと思っている。でも、新選組に捕まった後だとすると、かなり厳しいだろうな」
優美さんの呟きに対して、尚也さんも意気消沈したように言って俯くから、私はお二人を励ますように口を開いた。
「さっき、優美さんにはお話ししたんですけど、私の友人が新選組隊士で、こうしている間も、何とか枡屋さんを助け出そうと考えてくれていると思います」
「でも、その人たちは下手なこと出来ないんじゃない?」
訝し気に眉を潜める優美さんに、私は頷いて、「確かに。法度が出来た今、どうすることも出来ないかと……」と、項垂れてしまった。
こんな時、スマホがあれば現在の状況を報告し合えるのに。そんなことを考えていた。その時、尚也さんが神妙な面持ちで口を開いた。
「既に、間者として潜り込んでる奴らに協力させるってのは?」
それを受けた優美さんが、いきなり尚也さんの肩を抱き寄せるようにして言う。
「あんた、それマジで言ってんの?」
「マジだけど」
「たまにはいいこと言うじゃない! それ、乗った」
(えぇぇ。そんな簡単に決めちゃっていいの!?)
「ちょ、ちょっと待って下さい。新選組は、京都一の剣客集団って言われてるんですよ!」
焦る私に、優美さんはニヤリとして自慢げに言う。
「大丈夫。北辰一刀流は日本一強い流派なんだから」
「流派に関してはよく分からないんですけど……」
「とにかく、剣のことに関しては誰にも負けない自信があるから心配しないで。尚也も、剣術は下手だけど、ヒーローアクション系出身の役者で、スタント顔負けの殺陣とか出来ちゃうし」
と、今度は私の両肩に手を置き、にんまりとする優美さんに、私はただ困惑するばかり。
「それに、京香ちゃんも協力してくれるんでしょ?」
「もちろんです!」
「とりあえず、明日また念密に話し合いましょ」
*
*
*
古寺
翌朝。
空が厚い雲に覆われているおかげで、少し涼しく感じられる。
久しぶりの休暇を貰っていた私は、もう一泊するというお二人に連れられるままに、とある古寺へと向かった。
ほとんど人の手が施されていないこの古寺は、優美さんたちが密会する際によく使用する場所らしく、私たちは早速、枡屋さんを救出するための作戦を練り始める。
「まずは、その……えっと、何て言ったっけ? お友達の名前……」
渋い顔の優美さんに、私は昨夜と同じように伝える。
「沖田慎一郎さんと、土方明仁さんです」
「あー、そうだそうだ。しっかし、沖田に土方って……それ、すごくない?」
「あはは、それは私も初めて出会った時に思いました」
「あれから、ずっと考えてたんだけど、沖田さんたちには知らせない方が良いと思うんだよね」
優美さんは声を潜めながらそう言うと、懐から懐紙を何枚か取り出し、埃の被った薄らと白い床に置いた。
そこには、箇条書きに作戦内容が書かれていて、順を追って説明してくれる。
「私と尚也が、枡屋さんを救出するために屯所内へ侵入する。枡屋さんは、絶対に口を割るような人じゃないから、結構粘り続けると思うのよね。だから、きっと助け出せる機会があるはず」
「でも、どうやって救出するんですか?」
「新選組内部には、まだ数名の間者がいるはずだから、そいつらも巻き込んで一騒動起こすの」
その案というのは、長州の間者として侵入している、
「まぁ、深町さんが引き受けてくれなきゃ、実行は不可能なんだけどね」
溜息交じりに言う優美さんの隣、今度は尚也さんが厳かに口を開く。
「大丈夫だろ。あの人なら」
「まぁね。深町さんは腕もいいし、親切で頭の回転も速い人だから、あたしも大丈夫だと思うけど。とにかく、沖田さんと土方さんには迷惑かけないようにしなきゃね」
そこまで言って、優美さんの顔が豹変する。
「でないと、切腹させられちゃうからねぇー」
「あ、あはは……」
優美さんの、怖い話でもしている時に見せる真顔が何とも言えないほど面白くて、私は顔を引き攣らせながら苦笑した。
「それにしても、深町新作さんのことは知りませんでした。長州藩士だったんですね?」
「そうじゃないみたいよ。あの人は、確か京都の浪人で、腕を試したくて長州のお偉いさんたちから新選組潜入を依頼されただけみたい」
「……なるほど」
「そのお偉いさんの中には、桂小五郎とか、吉田稔麿もいるっていうね」
「すごいメンバーと顔見知りなんですね、深町さんって」
「ま、剣の腕はあたしの方が上だけどぉー」
再度、勝ち誇ったように言う優美さんの、その自信はどこからくるのだろう。
その理由を尋ねたところ、「だって、手合わせしてもらったことがあるから」と、言ってにこっと微笑んだ。
話しによると、吉田屋さんの庭にて、深町さんと剣を交えたところ、見事に優美さんが勝利したのだという。
「ど、どれだけ強いんですか……」
かなり驚いてしまっている私の隣で、今度は尚也さんが呆れたように言う。
「もしかしたら、剣に関しては
「アホは余計でしょ。決して自惚れてるわけじゃないんだけど、それくらい自信があるってことよ。だから、そのへんは安心して」
「分かりました。でも、無茶だけはしないで下さいね」
優美さんの情報によると、深町さんは頻繁に吉田屋を訪れているらしい。それを頼りに、私たちはとりあえず、吉田屋へと向かうことした。
もしも、史実が正確なら、池田屋事件まであと四日。
枡屋さんが拷問に耐え続けたら、どのような理由で池田屋事件が起きてしまうのだろうか。その際はきっと、慎一郎さんたちも倒幕派浪士たちの捜索に駆り出されるに違いない。
こうしている間も、前川亭の蔵中で拷問に耐え続けている枡屋さんのことはもちろん。これからのことを思い、屯所内で困惑しているであろう慎一郎さんと明仁さんのことを考えると、不安に押しつぶされそうになる。
そんな私の心を知ってか知らずか、優美さんは足を止め振り返り、私を励ましてくれた。
「かなり危機的な状況だけど、絶対に大丈夫って思ってると、成功しやすいって言うでしょ。それに、どんな未来が待っていたとしても、進むって決めたんなら笑っていようよ」
「……はい。そう、ですよね」
(なんてポジティブなんだろう。優美さんって……。)
ふと、尚也さんとも目が合い、微笑んでくれる尚也さんにも笑顔で頷き返す。
また、私の前を足早に歩き始めるお二人の背中を頼もしく感じながら、私は心を新たに、この作戦が上手くいくことだけを考えるようにしていた。
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