#4 歴史に抗え

第19話 力士乱闘事件

「やめろっ!」

 人ごみをかき分けながら声を張り上げる。だが、それは届かずに虚しくも殴り合いが始まってしまった。

 それでも、何とかその乱闘を避けながら、俺は例の鉄扇子を振り上げようとしていた芹沢の両腕を取って羽交い絞めにし、向かって来ようとしていた力士を睨み付けた。

 一瞬、相手が怯んだ隙に殴り合っている者たちにも一喝する。

「落ち着け!」

「離せ、土方」

「芹沢さん、こんなところで問題を起こしちゃ不味いでしょう」

 息を切らせながらそう言い聞かせるも、そんなことで分かって貰える相手ではないことぐらい理解していた。

 永倉が加勢していた島田達を宥め、力士からの拳をかわしていた、総司や山南さんと共に、力士かれらを説得してくれていることに安堵の息を零すも、未だ汚い言葉を吐きながら揉み合っている平山たちに気付き、締め上げていた腕に力を込める。

「離しますから、平山達やつらを止めて貰えませんか?」

 その腕を解放すると、芹沢は俺を睨み付けたまま低く鋭い声音で、ドスを利かせるように言い放った。

「平山、野口。もういい」

「……ありがとうございます」

 一応、礼を言って軽く頭を下げる。次いで、やって来た奴らと共にその場を去って行こうとする芹沢を、今度は総司が呼び止めた。

「ちょっと待って下さいよ。どこへ行くつもりなんです?」

「お前らには関係ねえ」

 踵を返し去ってゆく芹沢らを横目に、俺は未だ納得のいかない様子の力士たちに乱闘の理由を尋ねた。すると、一人の力士が俺と対峙するように前へと歩み出て、怒りを抑えながら静かに口を開いた。

 それは、寺島が言っていた内容通り、どちらが先に道を譲るのかと、いうものだった。

「あいつを見てくれ」

 と、彼は少し離れた場所で蹲っている力士を見遣った。そいつは、目蓋を負傷してしまったようで、顔面の左半分を血で染めている。

 だが、喧嘩両成敗であり、こればかりはしょうがないと思っていた。その時、総司が俺の心の中の声をそのまま口にしながら、こちらへ歩み寄って来る。

「それは仕様がないでしょう。そもそも、『退いて欲しい』と、いう我らの言い分をみしたあなた方の態度が切っ掛けだったのですから」

「何だと?!」

 その怒鳴り声が発端となり、また力士たちが敵意を見せ始める。


(総司の言っている事は正論だが、今ここでそれを言うのは不味い。)


 そんな俺の思いを汲むかのように、今度は山南さんが微苦笑を浮かべた。

「先程は止める間もなく始まってしまったが、ここは往来。怪我をされた方には、それなりの詫びをせねばなるまい。先に手を上げたのは、我々の方だからね」

 少し不服そうな総司に、諭すように言う。そんな山南さんの言葉に、力士たちもしぶしぶ納得したようで、俺達は何とか彼らと和解することが出来たのだった。



 その後、厠へ行かせて欲しいと言い出した斎藤を気遣いながら、そこから歩いてすぐの蓬田屋という楼へ身を置き、「付き合う」と言ってくれた総司と共に、芹沢たちを探す為、再び花街へと繰り出した。

「しかし、あの喧嘩っ早いところは正直、もうお手上げですよ」

 総司がげんなりとした表情で溜息交じりに言った。

 と、その時だった。

 人だかりの向こうで、再び対峙している芹沢たちと、先程の力士たちを見とめる。

「済んだんじゃなかったのかよ……」

 また急いで声を張り上げながら駆け出すも、それらをただ見守ることしか出来ない。

 10名程いる力士たちも、太めの八角棒などを携えている。緊迫感が増す中、再び乱闘が始まってしまった。

 総司と共に、その乱闘に加わりながらも、芹沢がある力士を睨み付けたまま刀の柄に手をかけるのを目にして、俺は刀を抜く間も無いままその力士の前へと立ち塞がった。刹那、左腕に激痛が走ると同時に、ほとばしる鮮血を目にして、一瞬だが立ちくらんだ。

 目の前の、芹沢の呆気に取られたような顔───

「明仁さん!」

 ぼやける視界。総司の、俺を呼ぶ声が強い耳鳴りによってかき消されていった。


 *

 *

 *


 京都 枡屋邸


 *京香 side*


「あっ……」

 いつものように晩酌セットを用意しようと、戸棚からお猪口を取り出そうとしてスルリと滑らせてしまう。

「やっちゃった……」

 床に散らばった破片を片付けながらも、何故か心が騒めき始めた。


 *

 *

 *


 壬生屯所内


 *慎一郎 side*


「いてっ……」

 行燈の小さな灯りだけの薄暗い部屋。利き手ではないからというのもあるのだけれど、未だに遣い慣れない裁縫用の小さなはさみで、誤って右手の小指の皮を切ってしまう。

「やっぱり、爪を切るのは明日の朝にすれば良かったかな」

 指を銜えながら後悔すると同時に、不吉な予感を覚えた。


 *

 *

 *


 大阪花街


 *明仁 side*


「くっ……」

 左腕を押さえながらその場に頽れた。と、暫くして双方の動きが止まる。

「あんたには、その行いってやつを改めて貰わないと困るんだよ」

 俺は、刀を鞘へ納める芹沢を睨みつけながら声を振り絞った。不幸中の幸いは、芹沢の剣の腕が良かったということだった。そのおかげで、というのも変だが、出血も少量で済んでいる。

「大丈夫ですか、明仁さん!?」

「……ああ」

「一刻も早く戻って手当しないと」

 総司に付き添われながら、俺はまず驚愕した様子の力士たちを説得した。

 気の利いた言葉など出て来なかったが、今回の件でこれ以上争っても何の得にもならないということを伝えると、力士たちは不服そうにしながらも、今度こそ納得してくれたようだった。

 こちらを睨みつけながら去ってゆく力士たちを見届ける。その間、持参していた手拭いで腕の止血をし、今度は芹沢を説得する。

「何故、力士達あいつらを庇った」

「庇った訳じゃない。もう一つ言えば、あんたの為でもない」

「近藤さんの為か」

「いや。これ以上、壬生浪士組の名を汚さない為だ」

 芹沢に睨み返すと、こちらに向けられたままの瞳が更に訝しげに細められる。

「この際だから言わせて貰うが、俺達の敵はさっきの力士達でもなければ、長州でも土佐でもない」

「何を言ってるんですか……」

 俺を支えながら、今度は総司が眉を顰めた。

 どこまで通じるか分からないが、俺はこれまで言えずにいた未来の日本の在るべき姿や、起こるであろう出来事を例え話として伝えてみた。

「もしも、諸外国と手を結び、日本が独自の発展を遂げるとしたら……日本人同士で争っている場合じゃないということだ」

 これまで日本人が守り培ってきた技術や経験を外国の奴らに見せつけてやることで、日本は世界をも圧巻させ、諸外国と共に大きな成長を遂げてゆく。その中で、融合という言葉通り、日本人にしか成し得ない偉業を遂げるようにもなる。

 勿論、この時代があったからこその未来でもあるのだが……。

「外から来た奴らを利用するというか。残念だが、今の日本は諸外国と比べ、武力面でも教養面でも劣っている」

 この国のが邪魔をしていることも、その理由の一つだと言おうとして、思わず押し黙ってしまう。それでも、自分なりの攘夷をしていく覚悟を決めたからには、こんなことで躊躇ってはいられない。

「攘夷派だけが正しいとか、開国派だけが間違っているという考えは捨てて、外国と向き合い、相手の長所を受け入れ、短所を補うことで得られた知識を日本の未来の為に役立てていく。それこそが、本物の攘夷だと思っている」

「くだらん」

 明後日の方向を見遣りながら、芹沢が呟いた。


(尤もな返答だ)


 全てを知っている訳ではないが、まだ別名だった芹沢が、水戸藩領だけでなく天領でも暴れまくった挙句、天狗党を偽称したことによって水戸藩は幕府から抑圧されてしまう。それが原因で入獄し、処刑を待つ身となったが、何らかの理由で出獄。この時、芹沢鴨に改めたと伝えられている。

 豪傑肌なだけでなく、新道無念流を学び免許皆伝になったうえ、師範代を務めるほどの腕前は尊敬に値する。が、ぶっ飛んだ性格であることから、どのように接すれば一番効果的なのかを未だに見い出せずにいる。

「土方、言いてぇことはそれだけか」

 これで全てかと問われれば、言いたいことの半分は伝えられた気がする。

「おめぇさんの言う通りに事が運べば、御上おかみは要らねぇんだよ。寝言は寝て言え」

 芹沢は呆れたように微笑うと、平山と野口に目配せをした。

えるぞ」

 去りゆく芹沢たちを引き止める事が出来ないまま、困惑している様子の総司と共に蓬田屋を目指した。と、総司から、すぐにさっきの “ 壬生浪士組の名を汚さない為 ” 発言について問われた。

 熱くなっていたこともあるが、自分がどれだけ壬生浪士としての意識が強いかを再確認出来たような気がする。

「それくらい壬生浪士組ここに惚れ込んでいて、お前らとなら、俺の想い描く攘夷が果たせる。そう判断したからだ」

「……なんだか、土方さんといるみたいだ」

「え?」

 痛みのせいもあったが、総司の一言に思わず足を止めた。

「土方さんも、壬生浪士組に骨を埋める覚悟で京に残ったと言っていたから」

「土方副長が?」

「頑固で融通が利かないところもあるけれど、私はそんな土方さんを信頼しています」

 また歩き出しながら、土方歳三と同じ倫理だったことを嬉しく思った。けれど、一歩間違えば壬生浪士組のことしか考えられなくなる可能性もあるということになる。俺までそうなってしまっては、元も子もない。


『どこまでも着いて行きますよ。土方さんとなら本当に出来そうな気がするんで』


 ふと、総司の横顔を見ながら、慎一郎の言葉を思い出す。

 そして、俺の方こそ思う。まるで、慎一郎と一緒にいるようだと。

 それから、蓬田屋でこれまでの経緯を簡潔に伝えると、山南さんが真っ先に腕の手当てをしてくれた。応急処置方法としては、現代となんら変わりなく、傷口を焼酎で消毒し、圧迫しながら刻んで細かくした晒をガーゼ代わりに拭ってゆく。それを何度か繰り返し、自然と治癒するのを待つというものだった。

 その間、斎藤から頭を下げられ、俺は気にしないで欲しいと、念を押すように説いた。

「俺が腹痛など起こさなければ……」

「いや、こうなることは分かっていたから」

 その場にいる全員の視線を受けて、すぐに苦笑いを浮かべる。

「どのみち、芹沢さんが問題を起こすかもしれないと思っていた。という意味だ」

「ったく。わざとではないものの、同志を傷つけておいて知らん顔とはな」

 そんな俺を横目に、今度は永倉が呆れたように言った。きっと、ここにいる誰もが同じように思っていることだろう。

 それでも、芹沢は誰よりも才覚のある人であり、現在の壬生浪士組には欠かせない存在であることを伝えると、総司が微笑みながら口を開いた。

「私もそれは感じていました。近藤さんには無い、才気があると」

「でも、それもこれも一発で台無しにしてしまうじゃないですか。どうしてなんでしょうね?」

 総司の隣、胡坐をかいていた島田がそう言いながら眉を顰める。それに返答したのは、山南さんだった。

「芹沢さんの性分なのでしょう。そして、常に御自身の“ 居場所 ” を探しておられるような気がする」

「自身の居場所?」

 俺が尋ねると、山南さんは小さく頷き、

「皆も知っての通り、あの方は一度命を捨てた身。攘夷と言うが、誠の心は人知れずと、言ったところではないだろうか」

 と、言って晒と鋏を風呂敷で包み始める。


(死に場所を探している。そう言いたいのだろうか)


 芹沢鴨暗殺について、現代ではいろいろな説話が残されている。真実かどうかは分からないが、わざと酒に酔い、暗殺者となった仲間と斬り合いをしたという史実を知った時、俺は軽い衝撃を受けた事があった。

 結果、妾と共に闇に葬り去られることになるのだが、それ以外に道は無かったのかと思わずにはいられなかった。



 その後、近藤さんたちの待つ八軒家へ戻ると、二人の姿は無かった。芹沢たちも戻っていなかったことで、かなり拍子抜けしながら風呂へと向かう永倉たちを見送った。

 広い部屋に独り、行燈の灯りを見つめながら今日一日のことを振り返る。


(結局、事件を防ぐことは出来なかったか)


 それでも、今夜命を落とすはずだった力士を救うことが出来たことは勿論、負った傷が軽く済んだことにも、改めて安堵した。あとは、何かに感染していないことを祈るばかりだ。

「にしても──」

 あの時、別事件に遭遇していなければ未然に防げたはず。俺がもたついていたせいで、それぞれがバラバラとなり、とある楼で起こる筈だった乱闘が別の場所で起こってしまった。


(あの時、邪魔さえ入らなければ)


 傷の痛みも手伝って、俺はじわじわと湧き上がって来るイラついた気持ちをなんとか抑え込んでいた。

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