第14話 幕末の獅子②
*京香side*
「はぁ」
家主と話して来る。と、言って部屋を後にする高杉さんを見送ってすぐに、私は安堵の息を零した。
高杉さんと出会ってしまってから、ここに連れて来られるまであっという間だった気がする。
ここは、高杉さんが贔屓にしている『吉田屋』という料亭らしく、玄関を入って早々にご主人らしき人に迎え入れられたのだけれど、その素振りや会話から、かなり親しい間柄だということが窺えた。
着物の裾や袖などを泥で汚していたこともあり、急遽、女将さんからお借りすることが出来て助かったものの、これまた高そうな着物に私は少し恐縮していた。
(それにしても、立派なお座敷だなぁ。装飾品も素敵だし、庭も綺麗に手入れされている……)
あまり良くは分からないけれど、部屋に飾られた掛け軸や綺麗な花が活けられた花瓶など、全てが高級品に見える。何となくそわそわして落ち着かずに、私は暖かな日が差し込んでいる縁側へと向かい、庭の隅で枯れ木となりつつある桜の木を見遣った。
「きっと、綺麗に咲いていたんだろうな……」
呟いて、流れゆく雲の隙間から除き始めた青空を仰ぐ。と、同時に本来の目的を思い出して、今度は溜息が漏れてしまう。
(沖田さんたちも、高杉さんを追いかけていたのかな……)
古高俊太郎だと知らずに出会い、お世話になった時点で歴史は変わり始めた。本来、その場にいるはずのない私達と関わることで、彼らの時間は確実に変わってしまったのだ。
今更ながらそう考えると、とてつもなく大きな過ちを犯してしまったような気がする。
これまでは、ただ幕末志士たちと触れ合えたことが嬉しくて、単純に喜んでばかりだったけれど、現代へ戻れるかどうかも分からない中で、知り得る限りの歴史を共に歩まなければならなくなったことへの不安は増していくばかり。
(今は、土方さんと沖田さんを信じて、自分の心の赴くままに生きるだけ…だよね?)
そんなふうに自問自答した。その時、奥から聞き覚えのある明るい声がして、そちらを見遣る。と、案の定、見知らぬ男性と話しながらこちらへ歩いて来る龍馬さんの姿を見とめる。
「おっ? おまんは……」
龍馬さんは、私を見つけるなりこちらへ駆け寄りパッと顔を明るくさせた。
「京香ちゃんやないかえ! こない所で会えるとはのう」
「お久しぶりです! 龍馬さん」
「一人かえ?」
「え? えっと……」
尋ねられ、私は少し躊躇いながら首を横に振った。
「その、ちょっといろいろありまして」
「何じゃ、どういた?」
私の顔を覗き込むようにして囁く龍馬さんの、少し心配そうな瞳と目が合う。私は戸惑いながらもこれまでの経緯を簡潔に話せるだけ話すと、龍馬さんは頷きながら聞いてくれた。
「ほいじゃあ、高杉さんも京におるがかえ?!」
「もう、知ってるんですか? 高杉さんのこと……」
「知っちゅうも何も、友人やき。で、どこにおるがじゃ?」
更に嬉しそうな笑みを浮かべる龍馬さんに、ここの家主のところへ話に行ったことを伝えると、今まで黙ったままだった隣の男性が、静かに口を開いた。
「龍馬さん、こん人は?」
「お、ほうじゃった。紹介せんといかんねぇや」
そう言うと、龍馬さんは私の隣に寄り添い、大きな手の平をこちらへ向けながら男性に微笑んだ。
「寺島京香さんじゃ。以前、おまんにも話したことがあったじゃろう? 長次郎が贔屓にしゆう店を手伝っちゅう子で、亀が世話になっちゅう枡屋さんとこの居候、やったな?」
「はい」
龍馬さんに頷いて、改めて男性に名乗ると、彼は「わては、陸奥陽之助言います」と、言ってにっこりと微笑んだ。
(龍馬さんと一緒に海援隊を築いて行ったあの、陸奥陽之助! この人が……)
よく見るとちょっぴり面長で額が広く、優しげな瞳が子供のように澄んでいて、思い描いていたイメージとは違っていたけれど、整った眉と大きな黒目がとても印象的だ。
「龍馬さんの世話係を務めとります。以後、よろしゅうに」
「こ、こちらこそよろしくお願いします!」
龍馬さんは、私達の間に割り入るようにして来ると、拗ねたような眼差しを陸奥さんに向けた。
「世話係ち、ほいじゃあまるでわしが駄々っ子のようじゃないろうか」
「駄々っ子の方がまだましや」
「おい、陸奥。そりゃないぜよ……」
ぷいっと、明後日の方向を見ながら呟く陸奥さんにぎこちない笑みを浮かべる龍馬さん。思わず、笑いが込み上げて来て、声を出して笑ってしまう。
そうしながらも、私がどうしてここにいるのかを尋ねると、お二人は顔を見合わせた。何やら、また京都を離れることになるとのことで、その前に吉田屋を訪れたかっただけらしい。これは、私の憶測だけれど、高杉さん同様、ここを贔屓にしているということは、倒幕派の隠れ家的な場所に違いない。
と、その時、
「坂本さんも、京にいたんだな」
「おっ」
その声に逸早く気づいた龍馬さんが、陸奥さんを押し退けるようにして高杉さんの方へと歩み寄ってゆく。
「おんしの方こそ、こっちへ来ちょったがか」
「またすぐに京を離れるが」
先程の袴姿から一変、薄い藍色の着流し姿が高杉さんの凛々しさを更に際立たせているように見える。私も陸奥さんと一緒に二人の元へ歩み寄ると、龍馬さんは高杉さんの頭部を見ながらぽかんと口を開けていた。
「しっかし、どないしたがじゃ、そん頭ぁ……」
「ま、いろいろあってな。立ち話もなんだ、この続きは部屋でしようじゃないか」
そう言うと、高杉さんは威風堂々と歩き出す。私達は、その背中に続き先程の部屋へと向かった。
それから、女将さんの粋な計らいで、すぐに四人分の助六寿司とお茶やお酒が用意された。その間、高杉さんから龍馬さんとの関係を尋ねられ、私はこれまでの経緯を丁寧に説明していた。
「食いたかったがよ、ここの助六がぁー!」
「わてもや」
隣り合わせの龍馬さんと陸奥さんが、配膳を見つめながら嬉しそうに微笑み合う中、私と隣り合わせに彼らと向かい合っている高杉さんは、お猪口を片手に私の方へと差し出した。
「せっかくだ、注いでくれ」
「あ、はいっ」
配膳の傍の盆上に置かれた徳利を両手で持ち、枡屋さんにそうして来たように、高杉さんにも寄り添いながらお猪口に徳利を傾けた。高杉さんは、美味しそうにぐいっと飲み干していく。
(いい飲みっぷり……)
再びこちらへお猪口を差し出してくる高杉さんから視線を逸らし、私は慌てて酌をした。
いつだったか、ゲームの高杉晋作を攻略していた時、うろ覚えだけれど “ 詩を愛し、酒を愛し、三味線を愛し、そして女性を愛した幕末における風流人 ” などと、紹介していたことを思い出す。
(史実もまんざら嘘じゃなさそうな……)
そんなことを思いながら俯いていると、龍馬さんが美味しそうにお寿司を頬張る陸奥さんを横目に、少し厳かに瞳を細めた。
「ところで、どういて追われていたがじゃ?」
「悪ふざけが過ぎたようだ」
「またかえ。おんしゃー、まっこと怖いもん知らずじゃのぉ?」
自慢げに答える高杉さんに、龍馬さんは呆れたように片眉を上げた。すると、高杉さんは不敵な笑みを浮かべながら、くっと喉を鳴らす。
「性分なんでな」
「嫌な性分やな……」
陸奥さんもまた、龍馬さんと同じように半ば呆れるように言う。ただ、『悪ふざけが過ぎた』と、言っただけなのに、まるで高杉さんが何をしたのか分かったかのようなお二人の口ぶりだった。
家茂公上洛の際、高杉さんが『征夷大将軍』と、野次を飛ばしたという史実が事実だとして、幕府側の人間に目撃されていたとしたら、追われる身になってもおかしくない。
それが真実かどうかも確かめたくて、私は思い切って知っている史実を例え話として口にした。
「これは、うちに来るお客さんから聞いた話なんですけどね。家茂公上洛の際、まるで大向こうを唸らせるかのように野次を飛ばした人がいたそうなんです」
「ほぇ~、命知らずな奴もいたもんじゃのぅ」
龍馬さんがお寿司をぱくつきながら私にそう言うと、同時にお茶を飲んでいた陸奥さんが苦しげに噎せ返った。
「……っ……ま、まさか!」
その視線は、まっすぐ高杉さんに向けられたまま。高杉さんは陸奥さんと私を交互に見ながら、「そのまさかだ。察しが良いな」と、楽しげに笑った。
(や、やっぱりそうだったんだ!)
鎌をかけるようにして聞き出してしまったことに関しては気が引けるものの、現代に伝わっている史実が正しかったことへの驚きと感動みたいなものを感じて、どうしても頬が緩んでしまう。
「破天荒なお人や思うてたけど、そこまでとは……。そりゃあ、追われて当然やわ」
陸奥さんはなおも軽く咳込んだ。龍馬さんはというと、すっくと立ち上がり高杉さんに抱きつきながら楽しげに言う。
「しっかし、おんしらしいのう。それでこそ、わしの知っちゅう高杉晋作ぜよ!」
「わ、分かったから……離れてくれ」
顔を引き攣らせながら、必死に抵抗している高杉さんを、尚も大袈裟な抱擁で抱き寄せる龍馬さん。そんなお二人を見ていた陸奥さんが、呆れたように視線を逸らした。
「龍馬さんも感心しとる場合やないで。やってええことと、悪いことがありますやろ」
私も、陸奥さんの言う通りだと思う。でも、高杉さんにとって今の幕府や将軍様は、歯牙にもかけない存在なのかもしれない。でなければ、現代でいうところの総理大臣のような人に、そんな暴言を吐いたり出来ないと思うから。
「ほんまに、よう今まで捕まらんといられましたね」
「なぁに、大したことではない。いつの間にか壬生浪士組なる輩も出て来たが、取るに足らん」
思わず、壬生浪士組という言葉に反応して湯呑に伸ばしていた手を止めた。その言葉に龍馬さんも陸奥さんも、徐々に表情を曇らせ始める。
「その壬生浪士組じゃが、奴らはいったい何がしたいがじゃろ?」
「何やら、始めは将軍警護の為に集められたとか。現在は、京の治安を守るゆうて、会津藩と共に不逞浪士を取り締まっとるようどすけど、わてから言わせれば、ただの烏合の衆やわ」
陸奥さんが、龍馬さんの問いかけに少し面倒臭そうに答える。私がその理由を尋ねたところ、陸奥さんは溜息混じりに話し始めた。
「確かに、
「でも、それは多分──」
(……っ……)
思わず、陸奥さんに返答してしまってから慌てて口を噤む。次いで、三人の視線をいっぺんに受け、私は顔を引き攣らせた。
それは、きっと芹沢さん達がやったことであり、他の隊士たちには関係のないこと。そう言いたくなって口を開いたものの、その後どう伝えれば良いのか分からなくなってしまう。
(友人である、沖田さんと土方さんが壬生浪士組にいて、私も彼らと知り合いだなんて言える雰囲気じゃないなぁ……)
すぐに陸奥さんからその先を尋ねられ、私はぎこちないながらも続けた。
「それは、ただの噂じゃないですか? うちの店にもよく足を運んでくれるんですけど、みんないい人ばかりでしたから」
そう呟いて、それぞれに視線を遣る。と、陸奥さんはまた顔を顰めた。
「あんな連中とは関わらん方がええんとちゃいます?」
「どうして、そう思われるんですか?」
「会津藩に
「まぁ、そやにゃあ」
いつの間にか高杉さんから離れ、肘枕で横になっていた龍馬さんが、ぼーっと惚けたように呟き返す。そんなどこか煮え切らない態度に、陸奥さんはまた呆れたように龍馬さんを見つめた。
「なんや、その曖昧な返事は!」
「睦のゆうとーりながじゃ。けんどのう、高杉さんを前にしてこがなことゆうがはどうかと思うが」
「長州は熱くなり過ぎている。そう、言いたいのであろう? 坂本さんは」
高杉さんは、まだ何か言おうとしていた龍馬さんの言葉を遮ると、おもむろに立ち上がり刀掛台の隣に置いてあった三味線を手にした。次いで、その場に腰を下ろし、絃を調節しながらまた静かに口を開く。
「確かに、今の長州のやり方が正しいかと問われればすぐに頷くことは出来ぬ。だが、最早武力でしか解決できないことも事実だ。これ以上、幕府の腰抜けどもに任せておく訳にはいかぬからな」
「久坂とおんなじことゆうちゅう……」
「
とうとう仰向けになってしまった龍馬さんは、高杉さんと会話しながらも、腕枕にずっと天井を見つめている。高杉さんは、そんな龍馬さんを横目に、いよいよ、三味線を奏で始めた。
(ほ、本当に三味線弾けるんだ。すごい、生で聴いちゃってる私って……)
いくらお金を払ったって聴くことの出来い音色のはずだった。それは、か細く透き通るようでもあり、妖艶でもある。
やがて、唄い始めた
─── 聞いて恐ろし見ていやらしい、添うて嬉しい奇兵隊
(奇兵隊……?)
そう思った。刹那、龍馬さんが素早く上体を起こしながら言った。
「おんし、まさか。例の夢が叶ったがかぇ?!」
「承諾はまだだが、身分を問わず力ある者が上に立つ世を作る為、我らは同じ志の下立ち上がった」
「ほうかえ。とうとうやったがかぇ……」
やっぱりそうだったんだ。そう思った途端、私は思わず “ おめでとうございます ” と、口走ってしまっていた。すぐに、また三人の視線をいっぺんに受けて、どぎまぎしながら得意の苦笑を漏らす。
「あ、なんていうかその、とても嬉しそうだったし、何か良いことでもあったんだなって思ったものですから」
「おまんのゆうとーりじゃ、しょうまっこと目出度いぜよ!」
陸奥さんも同じように喜ぶ中、高杉さんはなおも機嫌良く三味線を奏で続けている。私は、それぞれの笑顔を見つめながら、また歴史の一部に触れてしまっていることに身震いを覚えた。
その後も、どうして号を東行としたのか。どのようにして奇兵隊を結成させたのかなど、龍馬さんの高杉さんへの質問が続いている。
藩主から十年間の暇を貰ってしまった高杉さんは、その心構えを正すどころか
そもそも、お二人の出会いは去年の秋頃だったそうで、龍馬さんが久坂玄瑞の元を訪れた際、彼らと一緒にいた高杉さんとの出会いを果たしたという。
「酒を酌み交わしながら話した日のことをわしゃー、今でも覚えちゅう」
言いながら、龍馬さんは手酌でお酒を飲み干した。
その頃から、もう既に過激な攘夷論者だった高杉さん達長州藩士は、幕府に攘夷の戦端を開かせるべく、横浜での外国公使暗殺を企てていたらしい。
「あの日、坂本さんらと出会っていなければ、俺たちはただの暗殺者となっていた」
どうも、話が難しすぎて全てを把握することは出来なかったのだけれど、会食の二日後に行われる筈だった暗殺計画が未遂に終わったのは、どうやら武市半平太に説得されたことが要因だと思われる。高杉さんと久坂玄瑞は、武市半平太に対し、外国公使暗殺計画への協力を求めた結果、逆に慰留されたらしいのだ。
「わしも、武市さんもおまんらのやり方には賛同出来んかったからのう」
「今も、だろう」
「……まぁ、ほうじゃの」
龍馬さんは、真っ直ぐ見つめて来る高杉さんから照れ臭そうに視線を逸らしながら呟いた。
それにしても、普通ならば耳にしない内容を、堂々と話し続けているお二人に滑稽ささえ覚える。どうして、こんな大事な話を見ず知らずの私なんかに聞かせてくれるのかと。そう、思ってそのままの言葉を伝えた。途端、龍馬さんの、訝しげに細められた鋭い視線とかち合う。
「おまん、まさか今話しちょったことを誰かに漏らすつもりかえ」
「え、いや。そんなことは、無いですけど……」
いつにない、厳かな眼差しに思わずたじろいでしまう。と、龍馬さんは、「ドッキリじゃ! 引っかかったのう」と、言って大笑いし始めた。
「え?」
「おまんはもうわしらの友人やき。のう、陸奥」
「そんだけ、京香はんを信用しとるゆうことですわ」
陸奥さんからも、悪戯っぽい視線を受けて、私はまた苦笑するしかなかった。同時に、この時代でもドッキリという言葉が使われていたのかと、驚かされたのだった。
その後、しばらくしてから先を急ぐという龍馬さんと陸奥さんを見送った。
さすがにどこへ行って誰に会うのかまでは聴けなかったけれど、自分の成すべき道を邁進し続けているであろう龍馬さんに、改めて感心させられた。それと同時に、あの坂本龍馬と高杉晋作の会話を生で聴いていたのだという、ちょっとした優越感に浸っていた。
そして、改めて女将さんたちにお礼を言って、縁側に胡坐をかいて庭を見つめたままの高杉さんにそっと近寄り声を掛ける。
「あの、それじゃあ私も……高杉さん?」
再び声を掛けてようやく私に気付いたというか、間が抜けたように私を見上げる高杉さんの、柔和な瞳と目が合った。
「どうかしたんですか?」
「いや、何でもない。ただ、時折、思うのだ」
庭に生い茂っている草木を見つめる、そのどこか悲しげな横顔。
私は近すぎず遠すぎず、丁度良い距離感を保つようにして隣に腰を下ろした。
高杉さんは、それを確認すると囁くように話し始める。
「桜のように、人の命は儚いものだ。だが、己の人生をどう生きるかが大事であり、長さなど関係ない。日本人同士がいがみ合い、殺し合う世にしたのは誰か。それらを排除し、再び平和な世を取り戻す為に何をすべきか。見誤ってはならない」
それは、高杉さん自身の言葉というよりも、誰かの言葉をなぞるように口にしているような感じに思えた。案の定、それは高杉さんの師から影響を受けたものだと教えてくれた。
“ 大事なことを任された者は、才能や知識を試みようとするようでは駄目である。必ず志を立てて、やる気を出し、努力することによって自ずと道は開ける。”
それは、まさに今の高杉さんに向けられた言葉であると言っても過言じゃない。
「昔、その人の下で学んでいたことがあるのだが」
「知っています。吉田松陰さんですよね?」
「どうして分かったのだ?」
「とても良い言葉だったので、もしかしたらと思って」
「先生を御存じだったとは」
少し驚いたような顔で私を見ると、高杉さんはまた視線を庭先へ戻した。
「残念ながらお会いしたことはありませんが、とても偉い先生だっていう噂を聞きました。確か、本から学ぶことは多いから出来るだけ沢山の本を読もうって、言っていた」
「……ああ」
高杉さんは、別段不思議がることもなく薄らと笑みを浮かべた。その瞳が徐々に曇り始めるのを見て、私は明るく思ったままの想いを声にする。
「大丈夫です。高杉さんは、きっと成功させることが出来ます。だって、誰よりも大きな志を持ち、周りには龍馬さんたちもいるんですから」
「随分と自信あり気に言うが、その根拠は?」
「ただ、そんな気がするだけです」
本当は、奇兵隊が大活躍を遂げることも。この後、龍馬さんたちの働きによって叶う予定の薩長同盟のことや、大政奉還のことなど、私の知りうる限りの史実を話してしまいたくなっていた。
何よりも……。
「それよりも、少しでも体調が悪くなったら、絶対に無理をしないですぐにお医者さんに診て貰って下さいね」
出来るのであれば、労咳に掛かって志半ばに倒れてしまうという史実だけは何とか避けたい。それが無理だとしても、亡き吉田松陰の分も高杉さんらしく生き、この先添い遂げるはずの、おうのさんと少しでも長く過ごして貰いたいと思った。
それだけだったのに……。
「何故、そうまでして気に掛ける」
「え……」
気が付けば二人の距離が縮まっていて、端整な顔を目の前にしていた。私はまた一定の距離を保つ為に身を引きながら視線を泳がせる。
「き、気に掛けるというか……」
「俺に惚れたと、いうことか」
「そういう訳じゃ……なくて」
再び縮まる距離に思わず俯いた。その途端、高杉さんは爆笑した。私が呆気に取られている間もそれは続き、初対面なのに失礼だと指摘して、やっと笑うのを止めてくれたのだった。
「初対面にも関わらず、こんなにも笑わされるとはな」
「笑い過ぎです」
「機嫌を損ねたのならば謝る。だが、それだけお前に魅了されたということだ」
「私に、ですか?」
高杉さんは、私を見ながら片眉を上げた。
「気づいておらぬのか? 他の女には無い色気があると思っていたのだが」
それは、多分現代に生きていた私には、この時代の女性らしさがまったく感じられなかったということなのだろう。必死にこちらでの生活に慣れようとしていても、普段の癖や態度というものまでは、すぐに変えられるものではないのだから。
「器量も良いし何より、面白い」
「お、面白い?」
変な顔でもしていたのだろうか、また笑いを堪えている高杉さんを睨み付ける。
「だから、笑わないで下さいって言ってるのに……」
「そういうところが面白いと言っている。俺に説教や口答えする女など、他に類を見ないからな」
「な、なるほど……」
高杉さんのことを知っているから、というのもあるけれど、私のように話しかける女性は少ないのだろう。視線を逸らしていると、不意に顎元へと伸びて来た長い指により上を向かされた。
「気に入った。これも何かの縁というもの。しばらくは枡屋殿の元におるとのことだが、困り事があればいつでも頼ってくれて構わん」
妖艶な眼差しと、男らしい言葉に思わず見惚れてしまう。続いて、京にいる間は
「それと、誠の情欲を知らぬと見た」
「へ?」
「そのへんもじっくり教えてやってもいいが」
「け、結構です!」
目の前の手を払い、ふくれっ面を返すも「気の強い女も好みだ」と、大笑いしながら返されるのみ。
(や、やっぱりこの人はSだっ……しかも、ドがつくほどのSだぁぁー!!!)
怒っている私のどこがそんなに面白いのか分からないけれど、楽しそうな高杉さんを見ているうちに、私もつられて笑ってしまっていた。
今後、高杉さんや龍馬さんとどのように関わっていくことになるのか皆目見当もつかない。でも、今日のお話を聞いていて思ったのは、高杉さんたちも、“ 誰もが幸せになれる世 ” を迎える為に尽力していたということ。
幕府側にいる壬生浪士組も、倒幕派である高杉さんや龍馬さんたちも、みんな目的は同じであるということだった。
今日の出会いを振り返って考えた結果、どちらの味方につくかというよりも、現代人特有の “ 融合 ” をいかに活かせるかに掛かっているような気がした。
*高杉晋作「都々逸」より抜粋。
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