第28話 表裏と真偽

「えーと……警察ですが……寺山さん……でよろしいでしょうか……?」

「はい。初めまして、寺山と申します」

 ナイフから出た指紋を基に、今回の事件の重要参考人である寺山一雄を任意同行するため、世田谷区梅丘の町工場に来た刑事局一行だったが、寺山を見つけた白谷の最初の一言の語気は強いものではなく、驚きのあまり弱々しくなっていた。


 というのも、寺山という男は画像で見た悪人面には違いないが元々強盗で捕まったというのが嘘のように真面目で爽やかな人間となっていたからだ。白い健康的な歯を覗かせた笑みを見せて白谷達に挨拶する。


「あのですね……」とまだ語気が弱々しい白谷を横に押しのけ、大津が代わりに話し始めた。

「実は当方、現在ある殺人事件の捜査をしておりまして」

「そうなのですね。自分に協力できることがあればぜひ」

 


「実は、その事件の凶器からあなたの指紋が検出されたのです」大津が核心に踏み込んだ。

「え……」それを聞いた寺山は本当に訳が分からないというようにその場で固まってしまった。当然の反応だ。遠回しに「あなたが犯人だ」と言われたようなものだから。

 

「あなたにも話が聞きたい。お時間よろしいですかな?」

「少し……待ってください。工場長に話を通してきます」とそのまま工場の中に入っていく。

 その姿を見た白谷は大津に耳打ちするように聞いた。

「あの、本当に寺山が犯人なのでしょうか……なんというか真人間になってません?」

「人の見た目や雰囲気は虚像のようなものだ。実像は話を聞いたりしないとわからんよ」大津は白谷の方を見ずに前を見据えて答える。

 

 2分ほど経ったころ工場の中から寺山と工場長らしき人物が出てきた。

 なかなか人がよさそうな工場長だ。

「どういうことですか? 寺山が……殺人なんて……」

「まあ、指紋が出ている以上……」

「寺山は、確かに前科者です。それでもっ! 今は……今は一生懸命に働いているのです……。そこは理解しておいてください」

 これを聞いた大津は静かに頷く。

「分かりました。それでは行きましょう。寺山さん。ああ、白谷と国本は工場の方たちからも話を聞いておいてくれ」と後ろを向き直り、白谷と国本に指示する。

 

 彼は、大津と冬木と共に警視庁で寺山の話を聞くことを選び、パトカーに乗り込んだ4人は警視庁へと向かって行った。



 中にいる者たちは終始無言を貫こうとしていたため、彼は手帳を見ながら考え事にふける時間を得た。


 

 以下は彼の思考内容をまとめたものである。


・計画的に犯行を行っていた犯人がナイフを落とすという最大のぼろを出すとは考えられない。もし警官を発見し慌てて落としたものだとしても、落としただけで持ち手が歪むとは考えられない。


・そもそも、犯人は返り血だらけのまま外を歩いていたとしたら、それはそれで人の目に留まるはずだ。黒いコートを着て、目立たなかったとしても、匂いは取れないはず。どうやって目立たず逃走したのか?


・人格投影で得られた犯人に関する情報(信用はできないが)は、過去に死体に触れるような経験をしていた可能性があること。また、死体の特徴から判断して手先が恐ろしく器用であり、どこにどの臓器があるか知り尽くしているため、過去に解剖学を学んだ可能性があること。職業はこの時点では候補はいくつか上がるが、断定はできない。今の時代、少し調べれば情報なんていくらでも出てくるからだ。


 最後に


――鏡恭弥の介入の有無。


 これはあの男にメールなり電話なりをして確認すべきだが、多分何も分からないだろう。理由は鏡は顔も性別も知られていないため、現状ではその行動を追うことも予測することも不可能なためだ。

 とりあえず、鏡の事は一端度外視していいと判断する。




 深い深い海から上陸した彼が窓から外を見てみると、警視庁が見えてきていた。

 どうやら大津は彼が考え事を始めた少し後に、寺山にアリバイの有無を聞いていたらしく、今は現地にいる白谷と国本からの連絡待ちとのことだ。


「とりあえず、私についてきてください」

「はい……」

 警視庁の中に入った寺山は緊張からか少し小さく見えた。悪人面を不安そうに歪めている。

 その後、寺山と大津は取調室に入り、尋問が開始された。

「昨日の午前2時頃、どこで何をしていましたか?」

「さっき車の中でも言ったように、そんな遅い時間、寝ていたに決まっているじゃないですか」

「それを証明できる人は?」

「いや、いませんけど……」

「そうですか……」

 大津は何やら考えを巡らせているようだ。

 

「とりあえず、あなたのアリバイの証明は今出払っている刑事たちに頼みます。では、ここ1週間の行動を教えていただけませんかな?」

「……えーと、ここのところは特にどこかへ出掛けたとかそういうのは無いです」 

 そう答えた後、寺山は何かを思い出したように目を見開く。

「でも病院に行きました。1週間ほどおなかが痛いのが続いて、近くにある大きな病院に」

「なるほど、そうですか」

 病院は恐らく関係ないと大津は見た。病院で犯罪に関する何かが行われたとは考えにくい、そう考える。


 取り調べは白谷と国本の調査結果待ちということもあり、一旦中止となった。大津は寺山にカップラーメンを手渡す。

「朝から何も食べていないので助かります」と嬉しそうに笑う寺山。大津も寺山の様子を見るに「もしかしたら違うのではないか」という気さえしてきたが、犯人は女性の遺体をばらばらに切り刻むようなサイコパスだ。本当の内面は分からない。

 

 そう思いながら大津は一つの考えにたどり着いた。

 犯人は常人の皮を被り、一般人に擬態していると思っていた。だが昆虫の擬態が完璧でないように、いつかはボロを出してくるはずだが、今のところは完璧と言っていいほど、ボロは見られない。ナイフから指紋が出たとはいえ、その証拠も証拠と言っていいか怪しくなっている。


 とすれば、犯人は常人の顔のほかにもう一つの顔を持ち合わせている人間、

――つまり二重人格の可能性も出てくる。小説だとよく出てくるような事件だが、実際は解決するのは非常に難しい。犯人は常人の皮を被っているのではなく、なのだ。取っ掛かりは非常に少ない。確か彼も人格投影を使った際、普段は大人しい人物だと言っていたではないか。


 そこまで考えて、大津は彼の方を見た。よくよく考えれば、彼も二重人格のようなものだ。普段の中学生としての彼と警察の協力者とでは性格も顔つきも違う。

 彼が二重人格となってしまった原因は彼の師匠が死に、そしてその遺体を見た衝撃による。

 獣みたいな鳴き声がすると通報を受け、駆けつけた警察官によると、アクリル標本の前には茫然自失となっている彼を発見し、声をかけると彼は虚無を湛えた目で警察官の方を見て「あの、染毛剤ってどこに……」と聞いたらしい。


 警察の協力者として動いている彼は、師匠の死を受け入れ、鏡への復讐を誓い、冷静でありながら執念の炎を燃やしている。この彼は好奇心が旺盛で物の見方が中学生とは思えないほど達観している。

 一方の普段の彼はまだ師匠の死を受け入れきれておらず、年相応に幼い。友達や家族と接する場合の人格だろう。

 白谷の話によると、白谷が初めて訪ねた時は少しオドオドしていたが、コートを着て警察署に向かうときはそんなこともなくなったようだ。どちらが本来の彼かは推測ができないが、大津が初めて彼と会った時のことを考えると、どちらともの要素を持っていたように感じる。少し臆病で好奇心旺盛。 また、一人称が僕だったり俺だったりとぶれているのも特徴の一つと言えるかもしれない。


「そういえば、彼女も彼のことを好奇心の怪物とか称していたな」

 

 とここまで考えた大津は、取調室の隣で手帳を見ながらうんうん唸っている彼に――もちろんできるだけ傷つけないように――聞くことにした。二重人格とはどういう物なのかを。

 

「なんて言ったらよいのか分からないのですが、僕の場合完璧に分かれているわけではなく、ある程度こっちの記憶も残ります」

「え?あるのか?」

「はい。まあ俺の場合よく考えないようにしているんですけどね」

 細心の注意を払って聞いてみたところこのような答えが返ってきた。

「じゃあ、どうやって切り替えているんだ」

 と大津が聞くと彼は灰色のコートを引っ張った。

「これを着ることである程度はそうなるのかもしれないです。元々師匠が着ていたものなので……。すいません、なんか中二病みたいになりましたかね……」


「いや、ありがとう」と大津はお礼を言い、もう一度考えを巡らせた。

 さっきの彼が言った通り、なにか行動を起こすことで切り替わるという可能性がある。俗にいうルーティーンのようなものだ。よくアスリートが試合前や重要な場面の前でするあれ。このルーティーン、習慣化された行動を行うことによって緊張状態の体をリラックスさせる効果があると言われている。

……となると事件現場となりそうな場所で不審な動きをしている者こそが犯人と言えるかもしれない。

 

 すると大津の携帯が鳴る。画面には白谷の名前が白い文字で表示されていた。

「どうだった?」

「多分、寺山は白です」と電話から白谷の声が聞こえてくる。

「理由は?」

「寺山の住むアパートに行って、監視カメラの映像を確認したところ、寺山が家に帰ったところは映っているのですが、出たところは映っていなかったんです」

「窓から出たとかは?」

「その線も考えたのですが、窓には格子が設置されていてとても出られるとは……」

「分かった。国本はそこにいるのか?」

「はい、代わりますか?」

「いやいい。二人とも帰ってきてくれたまえ」

「ちょっと⁉別にそういうんzy……」と言う白谷の声を無視して大津は電話を切った。


 ふと後ろを見ると電話の内容を聞いていたらしい彼が推測を巡らせていた。

「それじゃあ、あのナイフについた指紋はなんだったんでしょうか?」

「さあな。ただ今の警察は犯人に踊らされていた。それだけは分かるよ」

 偽りの指紋の捜査に警察は2日間をどぶに捨てたことになる。

「この間に犯人が逃げていたとしたら……」と大津は危惧すべき最大の事を口にした。

 

 しかし、この最悪の可能性を彼は否定する。

「それは無いでしょう。切り裂きジャックの犯行が確実視されている事件は5件。犯人は間違いなくもう一度犯行を起こす。多分この指紋の騒動は単なる時間稼ぎと見ていい。それに今回寺山さんは犯人に何らかの形で接触していたことになる。なんであれ凶器から寺山さんの指紋が検出されたのですから。恐らく、犯人にとって寺山さんの指紋が警察に登録されていることは予想外だったはず。犯人は警察が指紋に固執している間に5件目の殺人事件を起こし、逃亡するつもりだったのでしょうが、それも不可能になった。とすれば、まだ勝機はあります。寺谷さんに接触したすべての人を洗えば、まだ。5件目の殺人事件を起こす前に、絶対に……」と彼は氷のように冷静に、けれど炎のように熱い執念を込めてそう言った。


 そうして事件はいくらかの証拠を警察に残して、振り出しに戻っていくのだった。

 





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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


 

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