第33話 強ければ生き、弱ければ死ぬとある男は言った

「ああああああああああああああああああああ!!!」

 叫び声をあげながら必死に家の中に入ろうとする白谷、それを止める刑事達。彼が家の外に出てから見た光景はまさに残された者の狂気に彩られた地獄そのものだった。残された者の叫び声なんて死者にはもう届かない。


「落ち着け!!」

 新宿警察署の刑事達が、半狂乱になり姉のいる部屋に行こうとする白谷を押しとどめようとする。刑事2人がかりだったが、じりじりと現場の方に引っ張られている。このまま白谷が家に入れば間違いなく現場は荒れる。そうなれば事件の解決は遠のくだけであろう。

「できれば……使いたくないけど……仕方がないか……」

 彼は自身のコート、その内ポケットにある得物を取り出そうとした。これを使えば白谷を無力化できるはずだ。

 だが、彼がそれを取り出し白谷に向けようとした時、野次馬たちの中から短く声が聞こえた。その声は野次馬たちのざわめきの中では極めて異質なものだった。


「なるほど、人が人を想う力の強さ……面白いなあ」


 彼はそれを聞き、瞬時に振り返ったがその声の主のようなものは確認できない。それどころか野次馬たちはまるで今の声が聞こえていないかのようだった。

「なんだ……いまの? 幻聴か?」

 その声が何なのかはまるで分らない。だがふと足を見ると右足が一歩分、野次馬たち否、声のした方向に向けて出ている。彼はこの無意識の引力にただ混乱するばかりであった。

 

 どこからか野次馬をかき分けるようにどたばたと誰が駆け込んでくるような音がした。


「おい!! 怜理!! 無事か? すぐ行くから待ってろ!!!」

 彼はこの叫ぶような声を聴いてはじかれたように振り返る。見ると眼鏡をかけ、背広を着た男が警察の制止を振り切ってトラバリケードテープを突っ切ろうとしている。彼は、この男が怜理の大切な人であると一目で分かった。

「落ち着いてください! あなたは誰ですか?!」

「僕は怜理の配偶者だ! どういうことだ!!? なんで警察が家の周りにいるんだ!!?」

 怜理の夫を制止していた刑事達の顔が強張る。そして、苦悩と恐れを滲ませる声で、事実を告げた。

「残念ですが……。奥さんは……もう……」

 この宣告を怜理の夫が最後まで聞いていたかは分からない。だが理解が追いついたのか、怜理の夫は叫び声をあげる。大切な何かを失った獣のように。

「あ、ああああああああああああああああああああ!!! 怜理、なんでだ? 君は……朝まで……いってらっしゃいって……気を付けてねって……言ってたじゃないか、どうして、なんで……」

 怜理の夫、宗吾は先の刑事の一言を聞いた瞬間、糸が切れた操り人形のようにその場にへたり込んだ。周りの野次馬もその光景から辛そうに目を背けている。


「あ……透君……」

 宗吾は刑事達の制止を受けながらも家に入ろうとする白谷の方を見た。そしてよろよろと空気を掴むようにして立ち上がると、ふらつきながら白谷の元へと走っていった。警察も宗吾を止めようとはしなかった。

「すまない……透君!! ……本当に……すまない!」

「あ、あ、、姉ちゃん」

 宗吾の声を聞いた瞬間、白谷は全身の力が抜けるようにして倒れこみ、堰が崩れたように涙が込み上げてきた。



……その後、少し遅れて鑑識が到着。白谷と宗吾は新宿警察署まで運び込まれた。






「まあ、犯人の可能性は無限に存在します。怜理さんの夫の可能性も十分ありますし、他4件の近縁者、親友の可能性だってある。ただ、他4件の殺人は新宿で行われてきたのに対し、今回は電車で3,4駅かな、まあ少し離れた位置で行われたのを見るに犯人は怜理さんと関係があるかもしれない。もしくは犯人は新宿警察署からでる白谷刑事を尾行していた可能性だってある。この場合警察への挑戦という意味も含むかもしれない。かもしれないって結構便利な言葉ですね」

「よく話すな、珍しい。やっぱり白谷刑事のことが尾を引いているのか」

「それは……そうかもしれません、赤神警視総監」

「今まで通り話せ。なよなよしゃべられると違和感がある」

「はあ……。まあ、さっき言ったように犯人の可能性は無限に出てきます。それこそAIがフレーム問題を起こして無限の選択肢を人間に提示するようにね。それは現実の事件でも起こりうる。なんて言ったて、人の成すことに0%の可能性なんてないのですから」

 彼は警視総監室のソファーに座っていた。左足を右ひざの上に組んでいる。彼と警視総監は彼の師匠が生きていた時よりある程度の関わりがあった。それこそ、彼が礼儀という2文字を意識して生活し始める前からだ。その時は警視総監の肩書はついていなかったのだが、その肩書がついた以降も彼は前のように接していた。

 その赤神から見て彼は今、精神的にかなり大きなダメージを負っている。いつもの冷静さに自信をにじませる話し方とは違い、少し芯と自信のない、心ここにあらずという茫然とした話し方だった。

「確か、5件目の被害者の夫の烏丸宗吾が有力な犯人候補だったな」

「はい、でもあの時見た感じだと、コートや背広に返り血のようなものは付着していなかった。事件発覚が21時半。死亡推定時刻は17時から19時の間であることを考えるとコートや背広の返り血がついた場合落とせないのですよ、時間的に」

「着替えたという可能性は?」

「それも無きにしも非ずですが。朝の目撃情報と同じ服装でしたし。まあ、途中で着替えて犯行後に捨てることも可能ですが、そもそも烏丸にはそれ以上に絶対のアリバイがある」

 彼の口調に自信と冷静さが戻ってくる。

「ああ、確かオンラインの学会に参加していたらしいな」

 そう、5件目の事件発覚以降は医者であること、被害者の身内であることから烏丸宗吾が犯人であるとされていたのだが、なんと烏丸は死亡推定時刻の17時~19時の間オンラインの学会に出席していたことが分かったのだ。この学会はデバイスのカメラをオンにして出席することが義務づけられており、その死亡推定時刻の間、烏丸は接続が悪くなったと20秒間ほどオフライン状態にした以外、席を立った様子は見られなかったという。

「流石に20秒で新宿の外れにある病院から中野まで行って犯行を行うことは、どこぞの超生物でもない限り不可能ですよ」

「なるほどな……。1件目から5件目の殺人事件の被害者の周りは公安局が徹底的に調べ上げたが明確な犯行の動機を持つ者は……ああ2人いたな」

「はい。これは5件目の殺人事件発覚後に分かったことですが、3件目の被害者の元交際相手、悠木誠之助ゆうきせいのすけ。この男は被害者の前の前の交際相手です。まあ典型的な紐ニートってやつですねえ。被害者がキャバクラで働いて稼いだお金で生活していたのに、他の男が自分の女に手を触れるのは嫌だからやめろと散々喚いたらしいです。その後、殺される3か月前に別れを切り出され、盛大にもめ、最終的には裁判寸前まで行ったと。ただこの男が犯人だとしたらこの3件目以外の殺人を犯すことのメリットがない」

 彼は息を整えるために大きく息を吐くと、ポケットからココアシガレットを取り出し、咥えた。頭の中で推理が踊りだす。

「あと一人は怜理さんの、これもまた元交際相手。名前は周皓然シュウ・ハオラン。新宿を取り巻く中国系マフィアの構成員です。元々身分を騙って怜理さんとお付き合いしていたものの正体が露見。結果2人は別れることになったと。犯行の動機はマフィアの収益を増やすために風俗店と手を組もうとして、それを断った店への見せしめ。怜理さんを殺したのは単純に復讐ではないかと。まあ僕の人格投影の結果とは大きく外れるものですが、何分正確性が無いのでね」

 今度は彼が質問する番だった。

「なんでこの2人をさっさと引っ張ってこないのです?」

「まあ悠木誠之助の方はすぐに任意同行が可能だが、周皓然の方は中国マフィアが必然的に関わってくる。街中でドンパチ繰り広げて民間人に被害が出る可能性がある。だから交渉が必要なんだが、いくら外国組織対策局と言えど任意同行には時間がかかるだろうな」

「なるほど、大変ですねえ。確か新宿の病院にはそういうときのためのがあるとかないとか……」

 彼はまるで他人事のように笑った。そして彼が今ここにいる理由、本題を切り出す。

「白谷刑事のことなんですが……」

「ああ、まああんなことがあったから仕方がないが……セミの抜け殻みたいになっているな。踏まれたら粉々になるぞ」

 赤神も若干眉を細める。仮にも家族を殺されたのだからあのようになるのも無理はない。

「ええ。葬式とかそういうのも含めて1週間の休みを取っていたじゃないですか。それが明けて前線に復帰してもあの調子なんです。まあ当たり前の事なんですが、なんかこう調子が狂うというかなんというか」

 最後の方は少ししどろもどろになっていた。

「ほお。驚いたな。まさか君がそこまで他人に肩入れするとは」

「まあ、白谷刑事含め刑事局の皆さんは純粋に良い人ですし。それに、白谷刑事の持つ犯人への復讐心はきっと強いものです。利用しないわけにはいきません」

 警察の協力者としての彼が他人をこのように見るのは珍しいことだ。だがこのように刑事局の面々を見ていたとしても、利用するかしないには直接の関係はない。

「ふん。白谷刑事の復讐心を利用するつもりか」

「……あんただって俺の師匠への気持ちを利用しようとして鏡を追い求めているだろうに。やっていることはお互い様だ」

 そう言い残して彼は扉を開け去って行った。


 部屋に一人残された赤神は少しずつ閉まっていく扉を見据えながら、呟いた。

「俺がお前に協力するのは、お前が盤面にいる時だけだぞ」

 その目は遠くの獲物を見据える狼のように、静かに、だが同時に鋭く光っていた。



 赤神の部屋を出た彼は歩きながら携帯を取り出す。周りに人の気配はない。画面に表示される天気予報曰く今年の11月は例年にも増して気温が高くなるらしいが今はどうでもいい。

 彼は自分の協力者の番号に電話をかけた。

『はい。喫茶セクストン・ブレイクですぅ。……おい、今仕込み中なんだが?』

「悪い、少し……潜入してほしいところがあるんだ」

 


 互いに利用し合い、時には協力し合い、だが時には殺し合いながら、今日も新しく明けた世界は回っていく。



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