第45話 祭の終わり

 さて、非常に珍しいことではあるが、彼の通う公立中学校ではなんと文化祭が行われる。流石に規模は付近の高校ほどではないし、飲食物を出すのは家庭部以外では禁止。一年間の成果発表会という物に近いが、それでも近隣の公立中学校は基本的にこの時期は合唱コンクールが開かれることが多いことを考えると、珍しいと言えるのではないか。


 その文化祭もどきも夕方4時のチャイムと共に終わりを迎える。辺りには弛緩した空気が漂い始めていた。生暖かくて、気を抜かれそうな怠惰なにおいだ。

 彼はその怠惰なにおいに巻き込まれぬよう、少し足早に家庭科室へと向かう。この後の後片付けが大変なのだから、それに巻き込まれたら最後、すべてのやる気を失ってしまいそうな気がした。




「失礼しまーす……」

 家庭科室の引き戸を開けたが、中には誰一人いない。配布用のクッキーの入っていた籠が乗った長机、そして、流しには今朝使ったまま放置されているボウルやらヘラやらが乱雑に放置されていた。この分だと一人で進めるのは非常にめんどくさそうなので、彼は他の生徒が来るのを待つことにした。

 彼は机に突っ伏して目を閉じる。今日は朝の7時に登校して、クッキーを何枚も何枚も焼いて袋詰めしたのだ。当然寝不足である。





 ……大体の場合、彼は自分が料理部であることを初対面の人に紹介すると、相手に少し意外そうな顔をされる。男が料理部に入っていることが意外なのか、それともそういう風貌には見えないからかは定かではないが、多分不良が捨て猫を保護するのと根本的には一緒なのではないかと彼は思うようにしていた。

 これでも彼は料理や洗濯など通り一遍のことはできるのだ。裁縫だけは壊滅的にできないものの、それ以外であればこなせる自信がある。


 この家庭技術を得た所以は、彼の師匠の存在が非常に大きい。しかし、師匠に家事を教わったのか? と言われれば答えは「NO」だ。これだけは絶対に変わらない。むしろ逆で、彼の師匠は事実を探し当て、事件を解決する「探偵」としては人類の到達点と言えるほど優秀であるが、悲しいかな、代償としてそれ以外の生活能力をすべて失ったと言っていい。

 洗い物は流し台に放置し、洗濯は色物を分けずにそのまま洗濯して白のそこそこいいワンピースを青色に染め上げ(これはこれでいいと彼女は笑っていたが)、料理は自炊らしい自炊をせず、カップ焼きそばを限界まで蒸らし、水を吸ってかさましされ、ぎっとんぎとんになった状態で食べ、(ちなみに彼女の家に初めて来た彼にもこれを出した)野菜はペットのリクガメのために切った、大きさバラバラの切れ端をつまんで補填していた。(リクガメも結構食べ辛そうにしていた)

 だから、紆余曲折あって彼が彼女に弟子入りした時、ある程度の家事もすることになったわけだ。最初は全くうまくいかなかったが、彼の母親や小学校の家庭科の授業、ネットの海に群れたイワシの如く漂っている様々な動画などを見て勉強し、今は一人暮らしの家事も問題ないレベルにまで到達している。ちなみに裁縫の方はというと、並縫いと本返し縫いがぎりぎりできる程度である。ミシンは2度壊した。


『あのさー私の上着知らない? 半袖に灰色のコートじゃ寒いわ、やっぱ』

「いや、いま冬なんですけどね」





「冬? 今まだ秋だろ? 寝言か?」

 ふと、意識の外側からそう声が聞こえ、彼は目を開ける。目の前には夢に見た碧眼の女性ではなく、見知った顔の男が立っていた。彼の友人、五十嵐洋介である。同じ家庭部所属。

「ああ、洋介」

「てか、お前ちょっとぐらい片付けすすめてくれてもいいじゃんか。モテないのはそういうところだと思うけどなあ」

「ははは。その言葉、のしつけて返そうか」

 話していると、五十嵐が入ってきたのを皮切りにぞくぞくとクラスの方に行っていた家庭部員が集合する。


「あ、嘉村。片付けしてくれなかったの? これだからもてないの」

「ほんとだよ、気が利かないなあ。だからモテないの」

「え、なんで俺こんな責められてるの?」

「やめてやれ。こいつのライフはもう0だ」

 入ってきた4人のうち2人は彼に文句を言い、残りのの2人も結構めんどくさそうな目で彼を見る。

 まるでいじめのような光景だが、基本的に家庭部は仲が良く、こういった悪口の応酬も日常茶飯事だ。


「なんかなー、クリスマスの日に渋谷に行って買い物帰りに、イルミネーションに群がってるカップルに、蛾みたいだなーて心の中で思うの惨めになってきたわ」

「あ、ちょっと乱暴に洗わないでよ」

 片付けが始まってはや3分。五十嵐と女子部員の一人である帆波ほなみななみは流しにたまったボウルやらミキサーやらを片付けていた。時々、何かが崩れるような音が聞こえるが果たして大丈夫なんだろうか。


 一方の彼と男子部員の一人である東雲優しののめまさるは長机と椅子の雑巾掛けをしていた。

「そういや、昨日コンビニの前で特攻服姿のヤンキーがいたのよ」

「まじ? 今時だと絶滅危惧種やんけ」

 彼はコンビニエンストアの前で居座ている特攻服姿の不良を想像しながら、東雲の会話に相槌を打つ。

 ふと、その特攻服姿のヤンキーも家に帰れば、一人思い悩む夜があるのだろうかという考えが彼の胸に去来する。こう考えてみると、自分とは真逆の、原点を挟んだ直線のような違いの生活をしているであろうこのヤンキーがなぜかとても人間らしく、そして愛おしく思えるのだった。


『犯罪もそれだけ楽に平和にいければいいんだけどな』

 今ここにいる彼のものではない、もう一人の自分の声にも同意を示しておく。確かに人類みな悩む夜があるということを理解していれば、他の人に親近感を持ち、犯罪のない日々が作れるのではないはないかと、彼は本気で思った。


「さ、これ運ぶぞ」

「あーこの後、準備室も片付けせねばならんのかあ」

 机と椅子の雑巾がけが終わった二人は、これらを準備室に運び入れなければならない。

 一旦、机を準備室の扉脇に置き、引き戸式のドアを開ける。建付けの悪いドアは異音を響かせながら、中の光景を露にする。

 彼は、入ってすぐにある、電気のスイッチを押し、明かりを付けた。ふと、脇を見ると目を極限まで細めた東雲の姿があった。

「何してんだお前」

「あれー? いや、準備してた時準備室入ったら、目が苦しくてさ。小麦粉無くて必死に探してたんだけど。今はそんなこともないんだよなあ」

「目が苦しい?」

「そそそ。なんか太陽見た時みたいな」


 彼は東雲の言うことを少し気にしつつも中に入る。別段目が苦しいような感じもしない。上にある少しお洒落なシーリングスポットライトも正常に見える。


「実際、太陽光なんじゃないのか?」

「うーん、夕方だったんだけどなあ」

 とりあえず、彼と東雲はテーブルを準備室の所定の位置――奥にある冷蔵庫と壁の人ひとり分ぐらいの間の隙間――に戻そうと机を立てる。


 すると、東雲が何かを見つけたようで迷惑そうな顔をして冷蔵庫の方を見た。

「こんなところに板なんか置くなっての。どかしてくる」

「ああ」

 東雲は彼に机を任せて、冷蔵庫と壁の隙間にある板を引きづり出しに行った。ここのところ、諸事情あって彼は筋トレを始めたので、机もいつもよりかは持っているのは楽だった。


 床をこする音とともに、立てかけてあった板が引きづりだされる。その板は東雲の上半身半分に届く大きさだった。

 そのまま、冷蔵庫の前に立てかけようと板をひっくり返した東雲。だが、東雲はそこで動きを止めてしまった。

「おい、どうした?」

「なあ、匠。これって」

 

 冷蔵庫に立てかけらえれた板の正体。

 

 それは、一人の女性が描かれた一枚の絵であった。

 










(作者より)

お久しぶりです。

ここのところ期末テストやらなんやらで皆様の作品に立ち寄る頻度が減ってしまい、誠に申し訳ないです。



 

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