第21話 Hanbury street ~刑事の贖罪とその意志~

 大津からの電話で飛び起きた白谷は姉を起こさぬように足音を殺して家を出て外に停めているバイクに跨り、事件のあった新宿区大久保へと向かった。

 場所は大学近くにある裏路地で人目に付きにくそうな場所だ。


 現場に到着した白谷は真っ先に大津の元へと向かった。普段はベージュのコートを着ているのですぐに分かる。大津は後悔と悔恨で歪んだ顔を白谷に向けながら

「ここら辺は警備が手薄だったんだ……。犯人は俺たちの取るこれからの行動を予測していやがったのか。クソがっ!!」と吐き捨てるように言った。

 そして、死体のあった裏路地を親指で指すと

「見るなら勝手だが、前回以上にあれは……ひどいぞ」

 そう言って背中を向け、近くの鑑識の元へと向かっていく。その背中からは唾棄すべき犯人への怒りと救えたかもしれない被害者への罪悪感を蜃気楼のように感じさせる。


 白谷は裏路地の入口に立つ。前回は中に入るまで血の匂いが気にならなかったのだが、今回は入り口周辺に立つだけで匂いが移ってしまいそうなほど血の匂いが充満している。

 白谷は前回と同じように鼻をつまんで路地を進む。その路地は惨劇があったことを忘れてしまいそうなほど静かでそこに入ろうとするものを手招きしてへといざなっているかのように感じられた。なんであれ白谷にとって気持ちのいいものではない。

 

 そして、白谷は懐中電灯に照らされる赤い液体に気づく。

 そっと懐中電灯を前へ向けると、そこには暗い闇を湛える女の顔があった。白谷は今、生者と死者、その境界に立つ。


 首は前回同様、皮一枚で繋がっているようであり、下腹部から胸部にかけて切り刻まれていた。ただ、前回と違って、飛び散っている血や肉片の量が尋常じゃない。周辺の壁は赤い液体により、悪趣味に装飾されている。


 それを見た白谷はそっとそこから遠ざかる。歩きながら、昼の光景を思い出す。怜理や宗吾との暖かい陽光のような時間。それが今は血と死体と後悔と怒りに塗りつぶされた地獄の時間だ。


 遅れてやってきた国本も裏路地へ入り、暗い顔をして出てきた。その顔には涙が浮かんでいる。

「ごめん、なさい。ごめん、なさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 今は誰にも伝わらないであろう、贖罪の言葉を声を震わせながら何回も何回も何回も裏路地にある死体に向けて言う。

 結局は自分たちは安全な穴倉でただ事件を見ていただけに過ぎなかったと国本は思い知らされた。

「私たちは……なんのために……」そう下を向いて呟く国本の背中に白谷はそっと手を置く。

 そして、白谷は鋭利な刃物のように空に浮かぶ三日月に目を向けた。

「俺たちがこうして突っ立てめそめそしていたんじゃ、始まらないだろ。せめて、全力を出して今回の屑野郎を捕まえることしかできないんだよ。早めに……慣れないといけないな……」

 そう白谷は自分に言い聞かせながら国本に言った。

 国本は涙を流しながらもただ黙って頷いた。



――その後、急遽招集された主任刑事、管理官らの緊急会議により、警備範囲の拡大、東京都にある全警察署に今回の一連の事件への一部情報開示などが決定された。


 姿見えぬ殺人鬼から警察組織への宣戦布告が行われたのは刑事たちが再起を誓ったそのすぐ後の事だったという。

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