第3話 探索と急変
彼が警察署から帰り、家の薄い扉を開け、時計を確認するともう夜の10時だった。
当然の如く母親は帰ってきている。
母親は「しょ~う〜ゴミ捨ててきて」と、隣で殺人事件があったことなど、そして彼が警察に行って来たことなど、気にしていないようであった。彼はなぜか少し安心する。
「分かったよ~」と答えた彼は庭に出た。
彼の家は一階にあり、ゴミ捨て場がすぐそこにあるのだ。よって庭から身を乗り出して投げ捨てることができる。これは一階に住む人の特権であった。
彼は庭の塀から身を乗り出し、ゴミを捨てた。見るともう鑑識の人間から了承が出たのかブルーシートの入ったゴミ袋が捨ててあった。まあ明後日には舌打ちばかりするごみ収集員に回収されるだろう。
自分の部屋に戻り、充電プラグに挿入されっぱなしのスマホの電源をつけると、彼をこの事件に巻き込む原因となった、白谷という刑事からメールが来ていた。
「君の事情は理解した。君がよければだが、明日から捜査に協力してもらいたい」という手短な内容だ。彼は小さくガッツポーズを作る。
その後には事件の概要が載せてあった。
『被害者:佐倉健 東京都出身
死因:フグ毒、テトロドトキシンの過剰摂取による中毒死
彼のペットボトルのミネラルウォーターからテトロトドキシンが検出された。スーパーに行っていた妻が夫が倒れているのを発見し、通報した』
文面を見るだけであれば、服毒自殺が疑われるが、遺書はなかったとのこと。
彼の推測としては保険金目当てで殺人を装って自殺した可能性もなきにしもあらずだがここまで手を混む必要は無い。何だったら、妻が出掛けている時にそのまま毒を飲めば、ある程度は殺人事件として捜査される。
つまりは……第三者の可能性が高い。
ここまで推測して、彼は写真を見て感じた違和感をメモに書き留めた。
ちなみに彼は文房具にはこだわるほうである。
・塗装した後の壁にテープを強引に剥がしたような跡があった。ブルーシートはまだ床に貼ってあったので貼り直した可能性もあるが、塗装した後では少し違和感がある。
・かなり大きな水槽に水しか入っていなかった。
・乾きやすい塗料を使っていたら分かるが、なぜあの場に加湿器があったのだろうか
以上が彼が感じた違和感である。まだ直接現場を見たわけでは無いが。
送られたデータによると妻の佐倉洋子は幼い頃から祖母と共に暮らしており、どこに住んでいたかは昔を思い出すからと言いたがらないらしかった。
もし、なにかあれば、個人情報などはネットワークに潜ればすぐ探せるからなのか警察もそこまで重要視していないらしい。
次の日学校が終わり、彼は警察署に行った。彼が警察署の前まで行くと、見計らっていたかのようなタイミングで白谷が中から出てくる。
「よく来たね、嘉村匠くん」
白谷は警視庁刑事局の刑事に彼を紹介した。
「この女性刑事が国本有栖。そっちのメガネかけた刑事が冬木努。まあここにいるのは刑事局に所属する刑事の一部で、捜査に駆り出されていない刑事も多いんだ」
刑事たちは「よろしく」と言って彼に握手を求めてくる。大方の事情は聞いているのか驚かれはしなかったがその目はまだ、不信感で光っていた。白谷も少し訝しげだ。
とりあえず、事情聴取の様子は見せておけばいいかと思ったのか
「これから佐倉洋子の取り調べをするんだ。外から見てくれれば何を言っているかは聞こえるはずだよ」と言って取調室の前まで案内してくれた。
まだ、佐倉洋子がやって来ていないので、彼は本を読んで待っていた。
完全に本の世界に入りこんでいたのだが、こつんこつんという音がかなりハイペースで聞こえてくる。どうやら佐倉洋子が到着したようだった。茶色の髪をなびかせている。
「今日は弁護士と話す予定だったのよ!? なんで警察署まで来なきゃいけないのよ? 夫についてだったら全部話したじゃない!」ヒステリックに叫び散らす。
「まぁ、落ち着いて。まだ、旦那さんの詳しい死因について話してないじゃあありませんか」と、白谷と同じチームの刑事がなだめるように話した。さすがは刑事と言ったところかすぐに妻は大人しくなった。
妻が取り調べ室の椅子に座ったところで、さっそく刑事が切り出した。
「司法解剖の結果、旦那さんからはテトロドトキシンという毒物が発見されました」
「テトロドトキシン?」
「えぇ、フグなどに含まれる毒で、青酸カリの1000 倍の威力を持つ毒物です」
「ふぐ? ふぐ、ふぐ……ああ、フグね。どうぞ続けてください」
何回かフグと言い直したところで妻は理解したようだった。
「あの日、あなたがスーパーに居たことは既に確認済みです」
「……じゃあ、アリバイあるじゃない?」
その後は財産等の話になり、取り調べは終わった。
事情聴取が終わった後、「何か分かったことはあるかな?」と白谷が聞いて来た。まだ、子ども扱いしている節があるのか、それとも優しいのか膝をついて目線を合わせてくる。
違和感を感じた部分はあるにはあるが、まだ考えに組み込むにはもう少しピースを揃える必要があった。さて、どうしたものかと彼は少し考える。
「まだ、何も。一回隣の家全部見ないことには」
「じゃあ、明日かな。一応もう一度見に行く約束は取り付けてあるから」
次の日、予定通りの時間に白谷と彼は事件現場にいた。佐倉洋子は少し不機嫌なのかスマートフォンを見てむっつり黙り込んでいる。関わりたくないと思っているのが手に取るように分かった。
リビングには加湿器がエアコンの下に配置されている。どうやら水を沸騰させて蒸気を得る気化式ではなく、超音波式の加湿器のようだ。この大きさの物はそこそこ値が張るだろう。
まず、彼は水槽を見た。その水槽には何もいない。ただガラスにまだ、水滴が残っているのを見るに、最近まで何か飼っていて、水槽は掃除したように見える。
彼は佐倉洋子の姿勢などお構いなしに聞きたいことを聞いた。
「この水槽には何が?」
「ああ、めだかが二十匹位いたんだけど世話をさぼっていてね〜、気付いたら三匹になっていたのよ」
「ふーん」と言いつつ、彼はすぐそこに置いてあるめだかの餌を視界にとらえた。
とりあえず、手に取ってみる。特に何の変哲もない、ただの餌だった。
だが彼は「世話をさぼっていたぐらいでメダカがここまで減るものだろうか? 確か日光さえ当たっていれば植物プランクトンが発生して餌には困らないはずなのに」と疑問に思う。
次に被害者の部屋に移動し本棚を特に重点的に観察する。その人の性格や趣味は本棚を見れば分かることがあるからだ。
被害者は昆虫採集が趣味なのか、それとも仕事なのか昆虫についての本や昆虫採集の方法が書かれている。隣人ながらこんな趣味があったのかと少し驚く。彼も昔は昆虫とか身の回りの生き物が好きだった。もしかしたら、話が合って仲良くできたのではないかとも思う。
その本の中の何冊かは同じ作者の本が重複している。作者はかなり有名な昆虫学者でアリとその蟻に生活を依存している、好蟻性昆虫の関係を調べている人のようだった。……そういえばこの本、どこかで見たような気がする。
彼がゆっくりと丁寧にその本たちを眺めていると、白谷の携帯に電話がかかって来た。
「はい、白谷です。はい、はい、え……分かりました、すぐ戻ります」だんだん白谷の声が驚きを含んだものになっていく。
白谷は彼を見て、「ゴミ収集員から、消防に電話があったらしい。急に嘔吐した後、全身が痙攣して動かなくなったらしい」と表情のうかがい知れぬ声で告げる。
それは紛れもなく、テトロドトキシンの症状だった。
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