第17話 Bucks Row ~長い夜と最初の事件~

『例の荷物は届いたか? 』

 その電話から聞こえる声はまるで高校生と中学生の中間のような少年のような響きを持っていた。

 ただ、電話の主は少年ではなく、もうとっくに成人している大人だ。確か4年前に大学を卒業していると言っていたはずだがこの男をどこまで信用していいかわからない。


「ああ、ばっちりだ」

 今度は少年の響きを持った声がそれに答える。その声の主は、嘉村匠だった。彼は届いた箱の中身を机に並べる。

「これで武装面はしばらく問題ないだろう」


『それにしてもよお、お前なんか体術習得しようとは思わないん? 』と電話越しから少しけだるげな声が響く。

「体術ねえ~……………まあ白谷刑事から何か教わろうかね」

『おい、早速活用法考えるんじゃねえぞ』

 どうやら今の間で電話の主にはばれてしまったようだ。今のように、直接会っていなくても、沈黙の間だけで何をしているか判断できるほどには電話の主とは付き合いが長い。


「すまん」と彼は一言謝罪の言葉を口にし、「最近、そっちはどうだ?」と水を向ける。

『とりあえずこっちの情報網に気になる情報がいくつか上がっている』




 瞬間、彼を取り巻く雰囲気が険しくなる。





 もしかしたら鏡について新しい情報が上がっているかもしれないと思ったのだ。

 それは電話の主も察知したようですぐに言葉を続ける。

『残念だが、ここんところ鏡の情報は入ってきていない。どうにもあの盗難事件以降鳴りは潜めているようだぞ~』

「そうか」と彼はただ一言で答えた。


『ただ、まるで鏡と入れ替わるみたいにまた新しい事件が起きている』

「なるほど、お前が言うのだったらそうだろうね」

 この電話の主はいちいち情報網に引っかかった殺人事件だとか盗難事件だとか詐欺事件だとかを報告しない。

 そんなのは東京では日常的に起きていることだから報告するだけ無駄で警察が解決して終わる。

 そのためこの電話の主の男が彼にそういう報告をする場合、鏡恭弥に関連する事件、または複雑化して難事件、はては迷宮入りとなってしまいそうな事件に限る。


「それで、どんな事件だ?」

『あれ?まだ警察から連絡が来ていないのか?」

「今のところはまだ」彼はメールボックスの中を思い出しながら答える。今日確認した限りだと携帯会社からのメールしかなったはずだ。

『そうか。だったら恐らく今日か明日にお前に捜査依頼が行くはずだ。お前の―半月の探偵としての力が必要になる程の事件だ。もしかしたら他の局のA級協力者にも依頼が行くかもしれない』電話の主はそう答えた。







『切り裂きジャックが復活したかもしれん』













 時は2日前にさかのぼる。

 その前日は綺麗な三日月が空には浮かんでいたが、あいにく雲に隠れて月は見えなかった。


「ああ~ちかれたよ~」

「こら透、手を止めないの」


 刑事局内には深夜2時にも関わらず、2人残っている刑事がいた。

 彼の相棒ともいえる刑事である白谷透と刑事局の紅一点、国本有栖だ。

 彼らは最近起きた殺人事件の報告書を夜なべして作っていた。解決自体は早かったが、親族問題など動機がややこしく報告書を作るペースが遅い。

「なあ、有栖、コーヒー買ってきていい? 」

「だめです。あんたそのまま30分近く帰ってこないじゃない」

「へいへーい。わかってますよー。そんなんだから婚期逃しかけてるんですよー」

 ちなみに最後の方は滅茶苦茶小声である。

 ただそれでも国本の地獄耳には聞こえていたらしい。大津曰く敵に回したら超怖いとのこと。

「あんたねえ!!」と白谷に掴みかかろうとする国本。


 しかしそのタイミングで所轄の警察署から伝令が回ってきた。サイレンのような音とともに無機質な女性のアナウンスがスピーカーから聞こえてくる。

「新宿区、歌舞伎町の裏路地200番において女性の変死体発見。近くの警察署及び刑事局は至急急行せよ」と。


 この伝令を聞いた2人は顔を見合わせパトカーに乗り現場に向かった。


 新宿区歌舞伎町のように裏路地の多い地域は路地ごとに番号が設定されている。今回の場所は最も新宿駅から遠いため、繁華街に比べると人の数は疎らになる。


 2人が現場に着くと近くの警察署からも応援が到着、深夜3時にも関わらず周りには多くの野次馬が集まっている。きっと水商売帰りやすこし早い夜勤明けの人たちだろう。


 しかし、かなりの人数の応援が来ているにも関わらず、刑事たちは現場に入ることを拒んでいるように思えた。すぐそばの若手らしい刑事を見ると顔は真っ青となり今にも吐いてしまいそうだった。


 その理由はすぐに分かった。現場に足を踏み入れた途端、肝心の死体はまだ奥にあるにも関わらずむせかえるような血の匂いが鼻腔を刺激したからだ。

 国本は鼻を抑えながら「これはひどいわね……」と一言だけ。白谷は終始無言だった。


 そして、肝心の死体の元へとたどり着く。それを見た2人は思わずさっきの刑事のように吐しゃ物をまき散らしそうになった。


 その遺体は衣服をはぎ取られ、下腹部が露出している。そこからは臓物や肉片が周りにも飛び散っており、首はもはや皮一枚だけで繋がっているのではないかと思える。顔も切り刻まれており、もはや原形を留めていない。足も骨が見えかけてしまっていた。


 どうやって性別を判断したかもわからないほど遺体の損傷が激しかった。

 鑑識の捜査員たちもすこし顔をしかめながら分析を続けている。


 国本は白谷の肩を叩き、親指で路地の出口を指さした。


 2人は路地を出て大通りで大きく深呼吸する。

 白谷と国本は終始無言だった。周りの刑事たちも死体を見たものはただ黙ってうつむいている。時々、死体を見に行った若手警察官の叫び声が路地の中から聞こえてきた。


 「私も惨殺体は何回か見たことがあるけど……あれは……もう……」と国本がつぶやく。そのつぶやきを白谷は沈黙という形で肯定する。


 時刻は朝5時。

 今回の惨劇を何も知らない太陽がただいつも通り顔を出す。

 多くの人々にとっては紛れもない新しい朝。


 ただ、その場にいる刑事たちにとっては長い長い夜の始まりだった。



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