第49話 催花雨を望む_序

 彼は自室で、例の絵のコピーを眺めていた。中の被写体の女性は、息をのむほどに美しく、そして消え入りそうなほど儚げだった。

「これが、謎と思惑が絡んでなければでなければ……」

 もっと純粋な気持ちで眺められたのにと惜しく思う。というのも一度調査対象に入った物は、細部まで科学的な目で見ることが必要となるからだ。この目線で見るということは美術品を目で見て楽しむということからかけ離れたものとなる。

 ただこの絵を描いた人物はそう分析されることを望まなかったはずだ。病に侵され、今にもこの世から消え入りそうな娘の姿を書き残しておきたい、その一心で描いたものなのだろう。そこに意図して散りばめられた謎など一つもない。時には謎を謎のまま残しておくことも良いものではないのか。彼はモナリザの全てが解明されたら、きっと美術館にまで足を運ぶ人は減るのではないかと思っている。

 ただ、今回は別だ。恐らくこの絵の人物は、分析されることを望んでいたわけではない。しかし、その望みを打ち切ってでも今回のことを起こした。彼はその理由をこの絵を、厳密には絵の中の少女を、多くの人に記憶してほしかったのではないかと予想している。人はただなにかを眺めるより、なにかしらのアクションがあった方が記憶しやすいと聞く。声に出して読むと記憶しやすいのと一緒だ。この行いに、こんな計画的な思惑は絡んでなかったとしても、その目的はこれで間違いがないような気がしている。なんであれ、後は小鳥遊からの連絡まちだ。この連絡次第でこの絵の中の少女や犯人の推理がひっくり返ることすら十分にあり得る。


「匠、なんかあんた宛に荷物届いてたんだけどまた本買ったの?」

 部屋に母親が入ってきた。その手には小包が握られている。彼がいつも使う大手通販サイトのロゴが入っていなかったのできっと個人から送られたものだろう。

「俺に? いやー買ってないと思うんだけど」

 彼の日常はここ最近は学校に行き、警察の捜査に協力してはリクガメを愛で、積読本を減らすことの繰り返しになっている。よっていま新しい本を買う余裕は無いのだ。そういうわけなので彼は怪訝に思いながらも小包を受け取った。本が入るサイズなだけあって軽い。爆弾が入っているかもと思ったがそうでもないようだ。

 小包のテープを四苦八苦しながら開けると、中には一冊の本が入っていた。本は少し分厚く、しっかりとした重厚な装丁だ。

「種の起源? なんで?」

 古の博物学者が後世に残した本。その研究の重みが紙と文字を通じて伝わってくるようだった。本をパラパラめくり、興味のひかれたところを読み進めていると、一ページだけ紙が分厚くなっているところがあった。見てみるとページの間にうまく挟まれた、糊付けされた紙が入っている。よく見てよく読まないと気がつかないだろう。

 カッターで開けてみると中には手紙が入っていた。送り主は小鳥遊からだろう。普段は電話とかメールとかで伝えてくるのに妙だなと思いながら手紙を開ける。危機意識も少し刺激されたがやはり好奇心には勝てない。内容は頼んでいた調査報告でつらつらといろんなことが書かれているが、彼は重要な事だけをピックアップして手帳に書いた。


・離婚歴があった

・対象の奥さんの兄は病気のために引きこもり


 手紙の最後には「もし桜ノ宮涼子のことについてまた何か分かったら連絡するし、とっとと解決して連絡よこせ。大変なことになる可能性が出てきた」と書かれている。ここで小鳥遊が電話やメールではなく手紙、それも本に挟んでという手を使った理由が分かった。それはこの手紙の内容、特にこの最後の追伸を他人に見られないためだ。彼は今すぐ小鳥遊と連絡をとろうと携帯電話を掴んだが、やめておく。さっさと事件を解決してからにしようと心に決めた。

「……さてと……」

 小鳥遊から調査報告が来たことで、今回の事件のすべてが明らかになった。いつ絵が置かれたのか、置いたのが誰なのか、そして絵の中の少女が誰なのかも。




 



 次の日、家庭部の面々は家庭科室に集まっていた。ただ、彼以外の部員は怪訝そうな顔で彼とある人物を見比べていた。

「なあ、匠。この人、誰?」

「ああ。の白谷けい……さん。顔見知りで、今回のことを話したら興味持って来てくれたんだ」

「そういうことなんだ。よろしくね、みんな。ところで嘉村君。トイレってどこかな?」

「あ、じゃあ案内しますよ」

 彼と白谷は揃って家庭科室を出た。

「どういうことなんだ? 非番の日に呼び出されたと思ったら……」

 白谷は声を潜めて彼に事情の説明を求めた。これも仕方がないことで、白谷は彼から「ちょっと三軒茶屋駅まで来てほしい」とメールで言われただけで、私立探偵の真似事をしろ、とは言われてないのだ。ただ、彼一人のために中野からそこそこ離れた世田谷区三軒茶屋まで来る辺り、白谷はやはりお人好しなのだろう。これが逆の立場ならば、彼は何かと理由をつけて断るはずだ。

「いや、あの。僕が推理を披露したらばれるでしょう? いろいろ」

「まあ確かにそうだが……。いや待ってよ。事件があったのか」

「事件というか、まあ主張活動の一環というか……。あ、これカンペです。あとはよろしくお願いします」


 彼はそう言い残して、音もなくどこかに立ち去ってしまい、白谷はぽつねんと誰もいないトイレに取り残された。



















(作者より)

前の更新からかなりの日数が開いてしまい、申し訳ないです。ようやく大学に慣れて本作品やアイリーンはホームズの夢を見たのか? などの長編をちびちび書くようになったのでぼちぼち(2週に1話ほどが理想、最低でも月1では出したい)の頻度でまた書きます。この話は少し長くなるので2,3話に分けての投稿にさせていただきます。

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半月の探偵 山田湖 @20040330

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