第30話 Dorset street ~予測外~

 午後7時、新宿警察署の人間が新宿を重点とした警備に向かい、大会議室は閑散としていた。その日の監視カメラの見張りは刑事局の刑事達であった。


「前の殺人からもう4日も経つ。そろそろ次の事件が起きてもおかしくはない」

「ですが……本当に起きるのでしょうか?」

 呟く大津に白谷が疑問を投げかける。白谷の脳裏には、今日新宿へ買い物に行った、姉の怜理の姿が浮かぶ。


「新宿、昔と違ってとっても安全な街になったのね。不良の喧嘩とか痴漢騒ぎだとか、全然起きていないわよ。街中で声をかけられることもなくなったし」

 新宿がいかに安全な町であるかを宗吾に力説する怜理の姿。怜理の夫の宗吾は自分の妻が新宿へ向かう時、あまりいい顔をしていなかった。というのも宗吾の勤める病院が新宿のはずれの方ににあり、たまに銃声が聞こえてくることを苦々しく思っていたからだ。医者からすればその聞こえてくる銃声1発で人が傷ついていることに憂いを抱かざるを得ないのだろう。

「世田谷とか中野の病院は静かでいい」と再三口にしていた程だ。



 それが今となっては不審な動きをしている者は私服の警官に連行され、その結果余罪が発覚して逮捕という流れが多くなり、新宿の犯罪率は大きく低下した。

 

「犯罪率は大きく下がりましたし、監視の目もだいぶ増えましたから……」

「それが罠の可能性が無きにしも非ずですけどね」と白谷の右隣から声が上がる。2人そろってその方向に目を向ける。

 その声の主は、いつもならこの時間には帰っているはずの彼だった。なぜか今日は少し遅くまで残る気があるらしく、傍らで新聞を穴が開くほど見つめている。

 白谷は彼の発した「罠」という言葉が少し気になった。

「罠っていうと?」

 彼は新聞から目を離さずそれに答える。新聞には「野田テクノロジー株式会社、人の知識や行動を学習し独自に成長する新型AIの開発を発表」と書かれていた。

「新宿が人々から認められるほど安全になったってことは人々の警戒も当然、無意識に薄くなる。そして、さらに新宿に出向く人や住む人も増える」

 そう言って彼はポケットからスマホを取り出し、少し操作して2人の方へ向ける。

「新宿の人口、夜間人口、昼間人口、どれも4~5%増えています。犯人からすれば羊が増えただけに過ぎないでしょうね」

「確かにあり得るが、そんなの東京に住む人々全員が手玉に取られている……ということにならないか?だって新宿が安全になったと答えるものは多いし」大津が彼に向けて言う。

 彼はそれに薄く笑いながら答えた。白谷は彼の薄い笑みが少し自分を責めている自嘲的なもの感じられた。

「人とはそういうものです。人は誰かに自分の意識のどこかを握られている。無意識にね。それは握っている相手も握られている相手も同じです。例えば、流行のファッションとかタピオカとか……。同じようにセンセーショナルな事件が起きた時、人は警戒する。それがどんなに離れた場所で起きたとしても。それはその事件を起こしたものに自分の意識を握られているからです」

「なるほどな……」と大津が言うが白谷には彼の哲学的な話の内容は理解できなかった。

 


 時計の短針が9を塗りつぶし、時計の長針は5と6の間に位置していた。まだまだ夜は始まったばかり、ここからが本番だと会議室の刑事達が、ある者は意欲的に、ある者は気だるげにそう思っていた。

 

 しかし、それを塗り替えるが如く、耳をつんざくようなサイレンが響き渡る。

「なんだ!? 今までより4時間以上早いぞ!!」

「落ち着け、他の事件かもしれないだろう」

 そう話す声が聞こえてくるが、その後に続く無機質な声は、刑事たちの予測を置き去りにした。


「中野区野方にて女性の変死体を発見。繰り返す中野区野方にて女性の変死体を発見。住所野方3-……」

 

 その住所を聞いた途端、血相を変えて誰よりも早く飛び出すものが一人。

 

「うお!!??」と誰かの驚きの声が会議室に響き渡る。


「まさか……」彼は顔を真っ青にして、傍らにいた人物が飛び出していった方向を見つめる。



――無機質な声が無機質に告げた住所。

 



 それは白谷透、その姉夫妻が住んでいる家を指し示していた。





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