木曽三川の輪中と服部党
大橋家に泊まった我々は、津島湊にて大橋家が用意してくれた舟に乗り、桑名へと向かう。
津島から桑名へ向かう舟の上では、木曽三川の下流にある輪中の様子を観ることが出来た。
遠目からしか観れないが、輪中は上流方向に堤が設けられており、それで上流から輪中へ水が入ってくるのを防いでいる様だ。
下流側には堤が無いが、尾張国で治水を長年やって来た当家の知識からすると、大雨が降って川の水の量が増えたら、下流側から水が入ってきて、輪中が水浸しになる気がする。
下流側から逆水することなど、余程の大雨でないと起きないと思っているのか、その時は諦めて水浸しにならざるを得ないと思っているのかもしれない。
「あれは、市江島だ。本願寺の門徒である服部党が治めている」
平手五郎左衛門殿が一つの輪中を指差して語る。その輪中には、多くの舟が泊まっていた。
「弥富の服部党は市江島を拠点に、水軍を有し、津島へ向かう舟から銭を取っておる。
また、尾張国沿岸の国人の領地を略奪したりなど、守護家や守護代家に従う素振りも見せぬ。
そのため、海西郡は服部党を畏れ、悉くが服部党の支配下に入っておる」
平手五郎左衛門殿は、忌々しそうに服部党について語る。
「服部党が尾張国の守護家や守護代家に従わないのであれば、討伐すれば良いのでは?
守護様や守護代様ならば、大義名分がありましょう?」
「厄介なのが、海西郡が輪中だらけだと言うことよ。
市江島を攻めるにしても、輪中の防御は固い。
それに、輪中を攻めるには舟が必要だ。そして、服部党の水軍を退けねばならぬ。
よしんば、服部党の水軍を退けたとしても、大軍を送り込めぬ故、輪中を攻め取るのは難しかろうて」
わしが、平手五郎左衛門殿に服部党を討伐しないのかと問うと、輪中を攻めるのは困難だと言う。
(大雨で下流から逆水し、水浸しになった輪中ならば、輪中の兵や民も疲弊し、落とせる様な気もするのだがな)
「それに、服部党は願証寺の門徒なれば、願証寺の庇護を受けておる。
尾張国の問題と言えば、願証寺の介入を一蹴出来るであろうが、織田大和守家の領地には、本願寺の門徒の寺や国人が多く、領内の一向一揆を鎮めるため、織田大和守家は本願寺に協力を仰いだそうだ。
本願寺の協力で、織田大和守家の領内での一向一揆は鎮まり、それ以降は織田大和守家は本願寺に友好的な立場を取らざるを得なくなっている。
本願寺は本当に憎き奴等よ」
わしが、大雨に乗じれば輪中を落とせるのではないかと考えていると、服部党が願証寺の庇護にあり、織田大和守家が本願寺に協力的であると教えてくれた。
平手五郎左衛門殿は本願寺を嫌っているのか、これまでの本願寺の悪行を忌々しそうに語ってくれる。加賀国など北陸では好き勝手やっている様だ。
平手五郎左衛門殿は、本願寺のことを本当嫌っているのだと、わしは知ることとなった。
平手五郎左衛門殿の話を聞いていると、市江島の方から舟がやってくる。
服部党が通行料を取りに来た様だ。船主である大橋家の者が服部党とやり取りし、通行料を支払い、何事も無く通行することが出来た。
我々は、そのまま桑名へと向かう。途中で伊藤氏が治める長島城と輪中などの側を通る。
長島城の北側にある輪中の中に、願証寺があるそうだ。
長島は元々は七島と言い、七つの輪中がその名の由来らしい。
その七島を治めていたのが伊藤氏である。伊藤氏は桑名の東に東城と言う城も築いており、木曽三川の河口から桑名にかけて影響力を有する伊勢国の国人だそうだ。
そうして長島などの輪中を眺めつつ、我々は桑名の湊へと到着したのであった。
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