大住郡押領の記憶と鬼頭宗左衛門への京訪問命令

 広井城攻めから数日経った頃、織田弾正忠様に呼び出され、柳之丸へ登城する。

 柳之丸へ登城する途中、若宮八幡社と亀尾天王社が無事であるのを見て、胸を撫で下ろす。

 織田弾正忠様の軍勢と那古野城が激しく争っていれば、両社共に燃えていたかもしれない。

 尾張国に古くからある両社が燃えてしまうのは、忍びないからな。


 柳之丸へ到着すると、平手五郎左衛門殿の元へ案内された。

 わしは平手五郎左衛門殿の与力となったので、五郎左衛門殿は、わしの上役になる。


「平手様、弾正忠様に呼ばれ、登城しましたが、どの様な要件にございますか?」


「平手様などと堅苦しい言い方はせずとも良い。いつも通りの呼び方にしてくれ。

 後で、弾正忠様からお話があるだろうが、京へ上ることになった。

 宗左衛門殿も一緒に向かうことになる故、心してくれ」


 平手五郎左衛門殿が苦笑しながら、呼び方はいつも通りで良いと言う。まぁ、所領の大きさで言えば鬼頭家の方が大きく、尾張国に土着している期間も長い。

 今も尾張国に根付いている源氏だと最古参ぐらいなのではなかろうか?

 平手五郎左衛門殿は京に上るらしく、わしも同行する様だ。



 何年か前に、今川那古野氏の先の当主である今川左馬助の命で京に上り、御役目に従事していたことがある。

 しかし、在京している間に、伊豆国の伊勢新九郎(北條氏綱)に相模国の所領を押領されてしまったのだ。

 相模国に送っていた代官や親族たちが、古渡に逃げ延びて来て、わしがいる京の今川那古野氏の屋敷へと使者を派遣してきた。

 余りに驚いてしまい、京での御役目どころではなかったことを覚えている。

 伊勢新九郎に抗議の使者を送り、所領の返還を求めたものの、相手にされずに追い返され、京の御歴々に訴えても、梨の礫であった。

 ただの所領ならば致し方ないと諦めがつくかもしれぬが、一郡丸々だぞ。

 我が祖父である鬼頭光信は、足利義政公より、庶兄の足利政知様を鎌倉公方として送り出した際に、特別に相模国の大住郡を給わったのだ。

 鬼頭家は足利尊氏公より御墨付きを給わって以来、陪臣の身でありながら代々の足利将軍家世子に所縁があり、奉公衆と言う立場は与えられなくとも、御役目を給わる様な立場にあった。

 それも、足利家の祖である源為朝を祖に戴いているかもしれないが。

 それは兎も角として、足利将軍家から一郡を給わる家格と認められたに等しい。

 そして、父の鬼頭義弘もまた戦功を認められ、加増されている。

 その大住郡には、祖父の代から、代官や親族を送り、鬼頭家が代々培ってきた開墾や治水の技術を以て田畑を増やしていたのだ。

 漸く、大住郡の田畑が整ったところで、上杉朝興方の軍勢と多摩川河原の小沢原で戦いって大勝して情勢を落ち着かせた伊勢新九郎によって、大住郡を押領されてしまったのである。

 伊勢新九郎め、我が鬼頭家が大住郡を開墾して田畑を調えるのを待っていたに違いない。



 大住郡のことを思い出すと腹が立つので、その件は取り敢えず置いておいて、わしは尾張国をなるべく早く出立出来る様に、那古野城まで同行させた従者を呼びつけ、屋敷に上洛の準備をすることを伝えに行かせた。


 平手五郎左衛門殿とともに、那古野城の一室へと向かい、織田弾正忠様を待つ。

 暫くすると、織田弾正忠様が入られた。

 平手五郎左衛門殿とともに、織田弾正忠様に挨拶の言葉を述べると、弾正忠様からは那古野城奪取の功を労われる。

 わしが今川那古野氏の家臣の多くを寝返らせたことで、織田弾正忠家の損害は軽微だったらしい。

 今川那古野氏の家臣たちを寝返らせた功績は大きく、約束通り所領を加増してくださるそうだ。

 あまり嬉しいとは言えないが。元今川那古野氏の家臣たちから、やっかみを受けそうだ。


「五郎左衛門から話は聞いているかもしれんが、宗左衛門にも京へと向かってもらう。

 武衛様の追認があったとは言え、今川那古野氏の領地を奪ってしまったからな。

 尾張国内で柳之丸を取ったことと、今川那古野氏の領地を治めることが正当であることを示す必要がある。

 そのため、蹴鞠の宗家である飛鳥井雅綱卿をお迎えし、尾張国で蹴鞠会を催そうと思っておる。

 そこに、家督を取り戻した那古野家の者たちや武衛様がいらっしゃれば、尾張国の国人たちも、わしが今川那古野氏の家臣や領地を引き継いだことが正しいと認めざるを得ないであろう」


 織田弾正忠様は、蹴鞠の宗家である飛鳥井雅綱卿を尾張国に迎え、蹴鞠会を催し、武衛様や那古野家の方々に参加していただくことで、那古野荘を得たことを正当だと示すおつもりの様であった。


「武衛様からも承諾の旨を受けておる。

 今川那古野氏の屋敷は、京に逃れた今川左馬助がおるかもしれんから、武衛陣に泊まって良いとのことであった。

 仔細は、五郎左衛門と詰めるように」


 そう言うと、織田弾正忠様はさっさと部屋から出ていかれてしまう。


 京へ赴き、飛鳥井卿たち公家の方々を尾張国にお招きするため、初めて上洛することになった。

 しかし、わしは京へ行ったことの無いので、道中や京を訪れるのを楽しみになってしまっている。


 その後は、平手五郎左衛門殿とともに、御役目について話合うこととなったのであった。

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