鬼頭宗左衛門の津島訪問

 京へ赴く準備が整い、那古野荘を出立する日となった。

 わしと平手五郎左衛門殿は、柳之丸にて織田弾正忠様へ出立の報告をすると、家臣や従者へ、まずは津島へと向かう。

 尾張国から京への最短経路である八風街道を通って、京へと向かうこととなったのだ。

 わしは、鬼頭家としても京でやっておきたいことがあるので、色々と準備してきている。



 津島へと到着すると、津島天王社へと向かう。

 津島天王社の神主である氷室貞常殿とは、鬼頭家の当主になった際に、当主就任の挨拶に赴いているので、面識があるのだ。

 鬼頭家の領地の牛立村には、牛立八幡社があるが、八幡様だけで無く、天王社も共に奉られている。

 由来は、牛頭天王が牛立村に鎮座する予定があったものの、熱田神宮に近いため、津島天王社に発たれることになった。

 そして、牛立村の木に繋がれていた牛に牛頭天王が「立て」と命ぜられたことから、牛立と言う地名になったと言う話が伝えられている。

 牛立八幡社は、源為朝の子孫が伊豆大島から逃れて来て、武神を奉ったと伝えられいた。

 尾頭次郎が牛立村を所領とした際に、武神として、八幡神と牛立に元々奉られる予定だった牛頭天王を奉った牛立八幡社を創建したのかもしれないが、定かではない。

 ただ、牛立八幡社に天王社を奉る際に、津島天王社とも少なからず縁があった様で、鬼頭家は津島天王社と引き続き縁を結んでいた。

 牛立八幡社は、尾頭次郎が創建したであろうから、熱田社に属している。

 牛立村一帯の者の間では、牛立八幡社は牛立村一帯の最古の社と言う者がいるが、熱田社では、牛立村は元々は斎宮寮に属し、後に熱田社に属したそうだ。

 そのため、今も猶、牛立村には斎宮社がある。


 津島天王社で神主の氷室貞常殿に挨拶をし、津島十五党で都合の合う面々に挨拶をすることとなった。

 津島衆筆頭の大橋家の当主である大橋清兵衛重一殿には、氷室貞常殿に当主就任の挨拶をした後に、大橋家にも挨拶をしている。

 今回、津島に寄ったのも、わしが平手五郎左衛門殿の与力になったことを津島衆に知らせるためであった。

 織田弾正忠家に仕えたことを、津島衆に面通ししておく必要があるからな。


 面通しを終えた後は、大橋家に泊めていただくので、大橋家へと移動することとなった。

 本日は、大橋家にて津島十五党の歓待を受けることとなっている。

 それまでは、津島の町や湊を観て回ることにした。

 我が鬼頭家の所領は熱田社に隣接しているため、熱田の町を訪れることは多い。

 津島の町も熱田の町に匹敵するほどに繁栄していた。

 津島の商家や市で並んでいる者は、熱田と大差無いように見受けられるが、美濃国や伊勢国の産物が多く、品の値も熱田より安く感じられる。

 津島を支配し、津島の財力を知っている織田弾正忠様は、次は熱田を支配下に収めようとするだろう。

 津島と熱田と言う、尾張国の大きな町を二つ支配した織田弾正忠家は、どの様になってしまうのか。

 想像すると、空恐ろしさを感じてしまうのであった。

 

 津島の町や湊を観て回った後、大橋家に戻ると、大橋清兵衛殿たち津島十五党からの歓待の宴に招かれる。

 津島は栄えており、その津島を取り纏める津島衆の宴も豪華なものであった。

 宴では、津島衆の面々と交流を深めることとなり、織田弾正忠家の下で共に繁栄することを願うこととなる。

 宴を終えた我々は、そのまま大橋家に泊まった。


 明日は、津島湊から、舟で桑名へと向かうこととなる。

 桑名や伊勢国には訪れたことが無いので、楽しみにしている自分がいるのであった。

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