銀狼Ⅱ
では、それまで嗜まれていた食肉が完全に駆逐されたかというと、そうではなかった。それらの品は逆に嗜好品となっており、つまり
デュポンズグリルはそんな
トマス・グレゴールは同席している
トマス氏は遠慮なく葉巻の煙を吐き散らかす。広いプライベートルームのでかい机には、彼と対面に座る三つ目の
「武器の価格は適正そのものだし、これ以上まわせるものもねえよ。こないだやった正規軍仕様のバリアで十分だろう」
トマス氏は口から唾を飛ばしながらそう言った。話を聞いている三つ目の男は顔の前で組んでいた手をゆっくりと振りほどきながら返した。
「トマスさん。俺らがあんたの仕事をどれだけ受けてきたと思っている。こっちの兵隊だって何人も死んだ。今の時代、武器使った殺し合いは軍よりも一般市民間でのほうが多い。俺らがあんたらの一番のお得意さまってワケだ。その俺らをないがしろにすんのか?うちの敵対組織にも売ってんのは知ってるんだぜ」
「アンタらが手を引こうと別に俺らは困らねえよ。武器の卸先は他にもある。アンタらがうちの武器使って、勝手に殺しあっているだけだ。俺らには関係ないね。むしろ手を切って困るのはそっちだろ?うちの武器がないと戦えないからなあ。お願いだから値段を上げないでくださいって頼まれてもいいぐらいだぜ。ク、クヒッ」
トマス氏は下品な笑みを漏らした。
「
トマス氏はさらに何かを言い返そうとしたが、その前に緊急の通信が入った。
それを聞くにつれ、余裕綽々だったトマス氏の顔からみるみる血の気が引いていく。
「とにかく…、お前らに譲歩することは何もない、良いな」
ハギスにそれだけ言うと、彼は肥満の腹を揺らしながら部屋を飛び出していった。
ハギスは
「お疲れ様です」
降りてくると連絡を受け、リムジンの傍らに姿勢よく立っていた運転手のドロイドが、彼の組織の幹部のためにリムジンのドアを開ける。その幹部が、座り心地がよさそうな後部座席のソファに腰掛けるのを確認した後、運転手も自分の席へと座った。
車は夜の国道を走る。モスクワの夜景を彩る摩天楼からの光は、果たしてドロイドの目にも美しいものとして映るのだろうか。
「トマスはどうでした?」
運転手が訪ねた。ギャングの部下と上司だが、親しげな雰囲気だった。
「取り付く島もなしって感じだ…、予想通りだな。そして、時間通りに血相を変えて出て行った」
「情報通りですか…!では、急がないと。誰がブツの情報を握ってるかわかりませんよ」
「落ち着けよ、俺たちしか握ってない情報もある。そのためにあの豚のところでやりたくもない仕事をやったんだからな…。だが、急いだほうが良いのはその通りだ。ぶっ飛ばせ」
リムジンはハギスの指示を受け、夜の街道を飛ばして行った。
「この分だともうすぐ出られそうだな」
ドアが開けっぱなしのベッドルームから
「マジ?早いじゃんまだ一晩しか経ってないのに」
「ハルフォードの荷物が強襲されたみたいだ。中身は分かってない」
フリッツがベッドルームから出てくる。彼はボルシチは食べないが、話をするためにダイニングに出てきたのだ。
「ふぅん。中身の情報が全然出回ってないってことか?そりゃあ多分、情報軍の特殊部隊の仕業だな。ネットの世界にもビシッと検閲と非常線を引いちまう」
ローガンがダイニングの小さいテーブルに座って、ボルシチを食べながら納得したように喋る。口にボルシチを入れたまま喋るものだから、ビーツの赤い汁が、少しフリッツの合金製の肌に飛んだ。彼はそれを指で拭ってから答える。
「そうだ。
「そりゃいいぜ」
「そしてこのタイミングで俺たちに仕事が来た。依頼人の名前がデータベースでヒットしない。偽名だが、おそらく軍人だな」
テーブルに備え付けられてる投影機能を通して、キッチンの景色に依頼のメールがオーバーレイされる。
「要人の警護…
ローガンがボルシチを書き込みながらメールの内容を読みあげる。
「文体に見覚えがある、ヴァシリだな。ロシア情報軍
そう言って、ローガンはボルシチを平らげて、そのままキッチンで鍋と食器を洗い始める。あまり来る事の無いセーフハウスではちゃんと清潔にしないと、食べ物が腐って大変なのである。
陸軍、空軍、海軍などに次いで、情報軍という組織が国軍にできて久しかった。時代の経過に伴う技術の発展、情報の膨大化と複雑化によって、それらの収集は専門の人員によって行われていくことになっていった。情報戦の専門家は国家・地域間での諍いのみならず、もっとミクロな部隊間・個人間の争いでも必要不可欠な存在となった。
「そうだ。そしてこの場合、本命は女検事じゃなくて、メールに書いてるもう一つ積み荷の方だろう。十中八九、昨日のハルフォードのトレーラー襲撃と関係があるな」
「あーあ。結局
「ぼやくな。報酬は高額だ。とにかく、奴の指定した通り、夜になったら集合場所まで行くぞ」
ローガンは気の抜けた返事をし、冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注いだ。フリッツは準備をするため、テーブルの下から入れる地下の隠し通路を通って、車庫へと移っていった。
モスクワは全ての
その命が街に食われるまで。
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