銀狼Ⅱ

 代替肉フェイクミートが当たり前に食卓に並ぶようになってからかなりの時が経っていた。かつては特殊な主義・主張を持つ者に向けたコストのかかる嗜好品という扱いだったが、科学技術の発展と安価な素材の開発によって、いつしか本物の肉リアルミートよりも安価で大量生産が可能になり、市場からシェアを奪い、一般家庭における食卓の主役の座を奪い、肉と言うと代替肉フェイクミートしか食べたことがないという人も当然に存在するほど、一般に普及した存在となった。

 では、それまで嗜まれていた食肉が完全に駆逐されたかというと、そうではなかった。それらの品は逆に嗜好品となっており、つまり本物の肉リアルミート代替肉フェイクミートは役割が逆転したということである。"動物の命を守るために"、"地球にやさしい肉"などのキャッチコピーで現れた代替肉フェイクミートに対し、”肉”リアルミートはそれを逆手に取り、"罪の味テイスト・オブ・ギルティ"などと銘打ち、一部の物好きやセレブ達に楽しまれている。

 デュポンズグリルはそんな”肉”リアルミートが楽しめる、モスクワでも数少ないレストランだった。高層ビルの55階に位置し、会員制というそのシステムから悪い話をしたがるカタギやそうでないものから人気の店であった。とくにこの店のプライベートルームはあらゆる通信に対し、特殊な防壁を備えており、ハッキングや通信傍受シギントを許さず、そういった気の利いた設備を持つ店は他に少ないため、常に悪人たちの予約で一杯であった。

 トマス・グレゴールは同席している三つ目トライアドの幹部に見せつけるかのように葉巻を燻らせた。彼は海外からこの急成長を遂げるモスクワへとやってきた、新進気鋭の、主に兵器を取り扱う運送企業であるハルフォードエンタープライズの重役として成功を収めた成金であり、また、自身が生身の体であることに優越感を持っており、こうして葉巻を吸ったり肉を堪能するなどの機械の体にはできないことを見せつけた悦に浸る趣味があるという、つまり、このモスクワには珍しくもないクソ野郎であった。

 トマス氏は遠慮なく葉巻の煙を吐き散らかす。広いプライベートルームのでかい机には、彼と対面に座る三つ目のドロイドしかいないため、煙が直接他人にかかることがないことだけは救いか。

 「武器の価格は適正そのものだし、これ以上まわせるものもねえよ。こないだやった正規軍仕様のバリアで十分だろう」

 トマス氏は口から唾を飛ばしながらそう言った。話を聞いている三つ目の男は顔の前で組んでいた手をゆっくりと振りほどきながら返した。

 「トマスさん。俺らがあんたの仕事をどれだけ受けてきたと思っている。こっちの兵隊だって何人も死んだ。今の時代、武器使った殺し合いは軍よりも一般市民間でのほうが多い。俺らがあんたらの一番のお得意さまってワケだ。その俺らをないがしろにすんのか?うちの敵対組織にも売ってんのは知ってるんだぜ」

 三つ目トライアドの幹部、ハギス・ゴールドリスの語り口は冷静であったが、その声色には若干の怒りが感じられた。トマス氏は意に介すことなく、葉巻を根元まで吸って、吐き出してから答えた。

 「アンタらが手を引こうと別に俺らは困らねえよ。武器の卸先は他にもある。アンタらがうちの武器使って、勝手に殺しあっているだけだ。俺らには関係ないね。むしろ手を切って困るのはそっちだろ?うちの武器がないと戦えないからなあ。お願いだから値段を上げないでくださいって頼まれてもいいぐらいだぜ。ク、クヒッ」

 トマス氏は下品な笑みを漏らした。

 「三つ目うちにはあんたの所と関係を持っていることを快く思ってないやつもたくさんいる。ナメるなよ、俺たちがギャングだってことを思い出させてやろうか」

 トマス氏はさらに何かを言い返そうとしたが、その前に緊急の通信が入った。

 それを聞くにつれ、余裕綽々だったトマス氏の顔からみるみる血の気が引いていく。

 「とにかく…、お前らに譲歩することは何もない、良いな」

 ハギスにそれだけ言うと、彼は肥満の腹を揺らしながら部屋を飛び出していった。

 ハギスは三つ目トライアドに入ってまだ日が浅いが、功績を積み上げて、あっという間に今の地位を得た新進気鋭の幹部だった。だがまだ若く、コネも足りない故に、今のように交渉相手にナメられることもあった。彼はため息のような排気音を一つ漏らし、高そうなコートを羽織って部屋を後にした。駐車場には彼を送迎するためのリムジンがすでにスタンバっていた。

 「お疲れ様です」

 降りてくると連絡を受け、リムジンの傍らに姿勢よく立っていた運転手のドロイドが、彼の組織の幹部のためにリムジンのドアを開ける。その幹部が、座り心地がよさそうな後部座席のソファに腰掛けるのを確認した後、運転手も自分の席へと座った。

 車は夜の国道を走る。モスクワの夜景を彩る摩天楼からの光は、果たしてドロイドの目にも美しいものとして映るのだろうか。

 「トマスはどうでした?」

 運転手が訪ねた。ギャングの部下と上司だが、親しげな雰囲気だった。

 「取り付く島もなしって感じだ…、予想通りだな。そして、時間通りに血相を変えて出て行った」

 「情報通りですか…!では、急がないと。誰がブツの情報を握ってるかわかりませんよ」

 「落ち着けよ、俺たちしか握ってない情報もある。そのためにあの豚のところでやりたくもない仕事をやったんだからな…。だが、急いだほうが良いのはその通りだ。ぶっ飛ばせ」

 リムジンはハギスの指示を受け、夜の街道を飛ばして行った。



 銀狼ローガンフリッツの隠れ家は正しく隠れ家といった様相だった。ぼろぼろの7階建ての安アパートの3階。寝るだけのためといったような狭いベッドルームが二つと、汚いキッチンが一つ。それと一応、小さいダイニング。しかし入口のセキュリティは軍の施設と同等以上の強固さを有していた。

 「この分だともうすぐ出られそうだな」

 ドアが開けっぱなしのベッドルームからフリッツがそう言った。

 「マジ?早いじゃんまだ一晩しか経ってないのに」

 銀狼ローガンがキッチンで昨日のボルシチを温め直しながらそう返した。時刻は昼の2時を回っており、遅い昼飯という感じだった。

 「ハルフォードの荷物が強襲されたみたいだ。中身は分かってない」

 フリッツがベッドルームから出てくる。彼はボルシチは食べないが、話をするためにダイニングに出てきたのだ。

 「ふぅん。中身の情報が全然出回ってないってことか?そりゃあ多分、情報軍の特殊部隊の仕業だな。ネットの世界にもビシッと検閲と非常線を引いちまう」

 ローガンがダイニングの小さいテーブルに座って、ボルシチを食べながら納得したように喋る。口にボルシチを入れたまま喋るものだから、ビーツの赤い汁が、少しフリッツの合金製の肌に飛んだ。彼はそれを指で拭ってから答える。

 「そうだ。三つ目トライアドや他の組織やなんかも中身が気になるみたいでな。そっちにつきっきりで俺たちのことは気にしてなさそうだ」

 「そりゃいいぜ」

 「そしてこのタイミングで俺たちに仕事が来た。依頼人の名前がデータベースでヒットしない。偽名だが、おそらく軍人だな」

 テーブルに備え付けられてる投影機能を通して、キッチンの景色に依頼のメールがオーバーレイされる。

 「要人の警護…保護対象パッケージは二つ、一つはカタリーナ・ザイツェフ。知ってるぜ、新進気鋭の若手女性検事。裏で薬さばいてる組織なんかをモスクワから一掃しようと頑張ってる人だ」

 ローガンがボルシチを書き込みながらメールの内容を読みあげる。

 「文体に見覚えがある、ヴァシリだな。ロシア情報軍特殊作戦群α分遣隊アルファ・スペツナズ。ややこしい野郎から仕事が来やがった」

 そう言って、ローガンはボルシチを平らげて、そのままキッチンで鍋と食器を洗い始める。あまり来る事の無いセーフハウスではちゃんと清潔にしないと、食べ物が腐って大変なのである。

 陸軍、空軍、海軍などに次いで、情報軍という組織が国軍にできて久しかった。時代の経過に伴う技術の発展、情報の膨大化と複雑化によって、それらの収集は専門の人員によって行われていくことになっていった。情報戦の専門家は国家・地域間での諍いのみならず、もっとミクロな部隊間・個人間の争いでも必要不可欠な存在となった。特殊作戦群α分遣隊アルファ・スペツナズは情報軍の実行部隊の筆頭で、主に国内のテロリストの制圧などを任務としている、誰よりも早く情報をつかみ、国家の危機を鎮圧する舞台だった。

 「そうだ。そしてこの場合、本命は女検事じゃなくて、メールに書いてるもう一つ積み荷の方だろう。十中八九、昨日のハルフォードのトレーラー襲撃と関係があるな」

 「あーあ。結局三つ目トライアドとカチ合いそうだ。しかもヴァシリが仕事を頼むってことは、軍も絡んだややこしい案件だぜ。、両方と戦わないといけないかもしれねえ」

 「ぼやくな。報酬は高額だ。とにかく、奴の指定した通り、夜になったら集合場所まで行くぞ」

 ローガンは気の抜けた返事をし、冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注いだ。フリッツは準備をするため、テーブルの下から入れる地下の隠し通路を通って、車庫へと移っていった。

 モスクワは全ての混沌カオスを受け入れる。ならず者たちは命ある限り、この街で闘い、ほんの少しの金と名声を得ていく。

 その命が街に食われるまで。

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