アンダーグラウンド モスクワⅦ

 「相当広そうだな、これは」

 一部の賞金稼ぎしか知らない、モスクワの地下に隠された巨大な通路。そこに隠された入り口は、さらに地下へと潜る階段へとつながっていた。その階段を下りた先には、もう一つの巨大な通路が広がっていた。

 「裏地下通路とでも言うべきか…こんなものが存在していたとは」

 ほんの少しだけ明かりがあった。それでもほぼ暗闇の通路を三人は進んでいく。彼らの靴の人工筋肉は足音を吸収して、あたりにはほとんど何の音も響かない。

 「匂いがする。こっちだ」アルトが先頭で鼻を利かせ、三人はダンジョンを進んでいく。

 「この暗闇ではお前が頼りだ、アルト。アズサは平気か?結構歩いてきたが」ちょうど真ん中を歩くローガンが後ろのアズサにも声をかける。

 「平気です。でも、ホラー映画のVRを見てるような気分ですねえ」

 「お前結構そういうの平気だったな…帰り道は――」

 「あ」立ち止まらずにアルトが声を上げた。

 「どうした?」

 「ダニーラ以外の匂いがする。二人こっちに向かってきてる」

 「機械獣ズヴェーリじゃなくて人間か。よし、ここで迎え撃つぞ、アズサ…――アズサ?」

 肌がピリッと引っ張られる感覚。危機が近づいてきている。二人は同時に振り向く。

 「アズサ?おいアズサ!」

 返事はない。振り向いた先には、鈍い、ぼんやりとした小さな明かりが点々としているだけの、暗闇が広がっている。

 「前の二人とは別に、お前の鼻に反応しないような手練れがいたってことか、つくづくややこしいところだなここは」

 「ローガンどうする?こっちに向かってる二人はもうそこまで来てるぞ!」

 「そいつらは俺が受け持とう。お前はとにかくダニーラを目指せ」

 「でもアズサは?」

 「アズサも俺が探しておく。お前は自分の目的を果たせ」

 「わ、わかった…」

 「わかったじゃねえ」ローガンではない声がした。

 声の方向にライトを向けると、二人の男が立っていた。上下黒の服装で、肌を出しておらず、ゴツいフェイスマスクを二人ともつけていたため、見た目で判別は不可能だったが、声の響き方から生身の人間だろうと、ローガンは判別した。

 「極稀にいるんだ、お前らみたいなのが。どこでここのことを聞いたか知らんが、お前らが望むような金目のものなんかここにはねえんだよ!」

 一人の男だけがまくしたて、もう片方の男は聞こえないくらいの音量で何かをぼそぼそつぶやいている。袖口からチラッと暗い色の腕が見えたので、四肢だけ機械化してるタイプの奴らだな、とローガンは認識する。

 「誰?なんかイライラしてる?アンタ」ベラベラ喋る方にローガンが聞いた。

 「トランプで負けたんだよ、そこの根暗によお!」

 「誰だっつってんだよ。それに、ずいぶんアナログな遊びをしてるんだな」

 「ここじゃあそれしかできねえだろうがボゲッッ!!」全身黒ずくめの男がデカい声で吠えた。

 「お前らがよ、お前らがあ!のこのここんなところまで来るから、今から負けた分を取り返そうって時に切り上げて来なきゃなんなかったんだ!」

 俺らを確認しに来たってことは、何かの施設の警備員だなこいつら。アルトに関係あるような闇の研究所かもしれん。ローガンは考える。黒ずくめの男はデカい声でさらに続ける。

 「ムカつくなあマジムカつくぜ!!てめえらさっさとぶっコロ殺してトランプにもど戻――」

 「もう行っていいぞアルト」

 「お、おう」

 アルトが駆け出す。

 「逃がすかバカッ――!!?」

 横を通ろうとしたアルトに襲い掛かろうとしたうるさい方の男の脇腹に、それより早く反応した、ローガンの放った痛烈な足刀が突き刺さる。

 「ギャバァア!!」

 蹴られた男はゲボを吐く。背後からもう一人の男がローガンに襲い掛かる。素早く振りむいたローガンは、男の手首や前腕を狙って迎撃することで、その両手に握られたナイフが体に届く前に撃墜していった。

 「クァア!」

 男の口の端からよだれが飛ぶ。飛び掛かってきた男の腕が届く前に、踏み込んで正拳をその鳩尾に叩き込む。吹き飛んだ男はしかし、苦痛を感じていないかのようにすぐに立ち上がってきた。

 こいつら薬物アイスやってるな。こんなんが警備じゃあ、あんまり大した施設じゃなさそうだなここは。

 背後で、蹴り飛ばした男の方も立ち上がってるのを感じた。痛覚を持たないゾンビのように、黒ずくめの男たちはローガンに襲い掛かってきた。

 ローガンはナイフを取り出し、彼らと対峙する。

 というより、こいつらも実験隊の成れの果てってところか――


 抱えられたまますごいスピードで動いている。現在進行形で誘拐されている。何者かが自分を抱えたまま走っている。

 アズサは、顔の下半分を覆ってる、自分を誘拐している何者かの腕を振りほどこうとした。しかし、うまくいかなかった。

 拘束されたまま、かろうじて左手で右腕の袖の下に仕込んであるプロテクターに触れた。プロテクターには緊急時に電磁シールドを展開するための物理スイッチがある。動かせる範囲で、思い切り右腕を振りかぶって自分を抱えている何者かに肘をぶつけると、シールドが電解して、体が弾き飛ばされた。

 「うお!」

 声からすると自分を抱えていたのは男だった。アズサは体制を立て直し、距離を取って構えた。

 機械ドロイドだ。2m近くある。自分の懐中電灯は落としてしまったが、機械ドロイドの男の二つある目が少し光っているから、それと通路のわずかな明かりで、かろうじてその姿を視認できる。

 「携帯式のバリアはダンジョンでも使えるのか?知らなかった」

 対峙する男からのプレッシャーを感じていた。それは暗闇の中で対峙しているからでもあったが、目の前にいる男は、先日戦った機械獣ズヴェーリよりも強いとアズサは感じていた。

 「私も知らなかった。ダンジョンは初めてだから」

 返事をした。緊張で自分のリズムを崩さないようにだ。

 「返事した?律儀な女だ…」

 男はアイカメラで嘗め回すように上から下へとアズサの体を見てきた。

 「しかし、機械獣ズヴェーリか賞金首を狙いに来たが、なかなかいい拾いものをした…」

 体が熱くなるのを感じた。アズサは女性の部分で値踏みをされるとムカつくタイプだ、

 「体に傷をつけたくない。無駄な抵抗はするな」

 「ナメるなッ!」

 怒りに任せて、左足で強く前に踏み込むと同時に、相手の顔めがけて右手で突きを出す。だが、アズサの一撃は、難なく受け流されてしまう。

 「ナメるな?それはこっちのセリフだ」

 返しで放たれた男の正拳突きをアズサは何とか防ぐが、勢いのまま後ろに吹っ飛ぶ。今の一撃で彼我の実力差を理解した。冷静にならなければ。

 「時代は変わったな…賞金稼ぎバウンティーハンターなんてのは3Kの野蛮な男向けの仕事だったが…ところで、お前どこかで…」男は少し考えるそぶりを見せる。

 「お前、アレクセイの身内か?面影がある、動きにも少し…」

 「父さんを知ってるのか?」思わず相手に聞いた。殺し合いの対峙の最中にもかかわらず。

 「娘か。ハッ、可哀想にな。父が引き際も知らんカスだったせいで、お前もその年でこんな仕事を――」

 同じ右の正拳が再び飛ぶ。だが今度は男の受けは間に合わず、間一髪で躱す形となった。男は後ろに飛び退き距離を取る。

 「父さんをバカにするな」

 くだらないスリを蹴り倒した時よりも、機械獣ズヴェーリに飛び掛かった時よりも、明確な殺意がアズサの目に浮かんでいた。

 「一線を超えると逆に冷静になるタイプか、面白い」

 拳の掠った頬をなでながら、男は言った。

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