アンダーグラウンド モスクワⅥ

 モスクワを縦横に走る巨大な地下通路は、過去に核戦争に備え、過去に建造された巨大なシェルターであるとも言われている。入口は様々な場所に作られたようで、今は地下鉄のホームだったり、雑居ビルの地下だったり、多くの場所に点在しており、一部の賞金稼ぎバウンティーハンターや裏稼業を生業とするものが主に使っている。

 「今日はどこから入るんだ?」

 人狼アルトが聞いた。フリッツが彼のために新しく用意した、電磁シールド内蔵型のジャケットと、自分で買って、いつも被っている獣耳を隠すためのニット帽を携えて。

 ヴァシリとダイナーで会ってから、一日たった夜、銀狼ローガンとアルトとアズサは人々でごった返すモスクワの目抜き通りに集めっていた。空中に投影された電子公告やビルの隙間を埋め尽くすように掲げられた看板からの光が街をギラギラと照らしている。

 「前と同じところから入ると感づかれるかもしれんから、離れたところから入る。ボウリング場の地下に入口があるからそこから行く」

 ローガンはアルトの着ているジャケットの、少しの型の古いものを着て、これまたアズサが使っているのよりも古いタイプの人工筋肉が使われているグローブとブーツを着用していた。彼がいつも仕事をするときの恰好だった。

 「あのボウリング場に地下なんてありましたっけ?」

 アズサは動きやすさを重視するためシールドやプレートが仕込まれているような類の服は着ていなかった。徒手空拳の威力を何倍にも高める人工筋肉製のグローブと靴はローガンとフリッツ二人に貰ったもので、後は肘にプロテクターを仕込めるように長袖の、普通のジャケットを羽織って、下は動きやすいようにハーフパンツを着ていた。

 「ボウリング場からは入れない。隣のグローサリーと地下通路でつながってるからそこから入るんだ」

 時刻は夜の8時ごろで街の喧騒は一日のピークに達しているといったところだ。アルトが見つけた研究員と思わしき男の行動を解析した結果、この時間帯だと地下通路で鉢合わせすることはなさそうだった。

 「へー」若い二人の返事が重なる。アルトは、アズサたちに連れられて、一度だけボーリングの経験があった。

 ≪地下に入ったら電波が遮断されるからな。通信ができなくなるから気をつけろ。グラストラックの地図機能はオフラインでも使えるから、あらかじめ出口に印をつけといたからそこから出てこい。俺はそこで待ってるから。危なくなったら逃げろよ≫

 フリッツはバックアップとして、出口として使う予定のがある、目抜き通りからは少し外れた雑居ビルの付近に車で待機していた。

 「じゃ行くか。グローサリーも裏口から入るからな」

 三人は作戦を開始した。



 地下通路は冷たい空気に満ちている。電気があまり届いておらず、薄暗い通路と、白く無機質で重たい感じの壁が、その冷たさをより演出している。

 「さて…、本当に見つかるかな、隠された研究施設とやらが」

 通路の壁を触りながらローガンがつぶやいた。一見しても、彼らがいる地下通路の壁はただの壁、床はただの床、天井はただの天井で、何かが隠されているかは分からなかった。

 「あたりまえだけど、見ただけじゃわからないよな…。ローガン、この道を使ったことはないのか?」アルトが壁を睨みつけながら聞いた。

 「ない。普段使う道以外を探検するような意味もないしな」

 「じゃあ、地道に調べていくしかないってことですね、壁とか、床とか…」

 三人は散らばって、壁を触ったり、四つん這いになって床を調べ始めた。

 「誰も来ないことをしっかり祈ってくれよ」



 「あ…?」

 ローガンが壁に耳を張り付けて音を探ろうとしていた時、視覚デバイスグラストラックに表示されている情報が一瞬消えた感じがあった。

 シャットダウンした落ちた?…まさかな。

 ダンジョンへの用の暗号サイファープログラムを起動させる。機械獣ズヴェーリの巣であるダンジョンは、外敵が入れないように奴らのみが使える方法、――プログラム?物理的な鍵?――、を使ってダンジョン内に入っている。その方法自体は不明だが、防壁の方はほぼ解析が住んでいて、ダンジョン攻略用に壁に無理やり穴を開けて中に入る用のソフトウェアプログラムが幅広く流通している。

 物理的な接触を通して壁に暗号サイファープログラムを走らせると、壁に長方形の穴が開いた。

 「開いた…開いたぞ二人とも」

 まじ?離れた場所を探していたアルトとアズサがやってくる。

 「驚いたな…ホントにダンジョンだ。モスクワの地下にダンジョンがあった」

 ダンジョン内では通常の電子機器が使えなくなる。開いた扉の先には明かりも、音もない、闇が広がっている。喧噪に包まれた地上ではありえない光景。そのコントラストが自分たちがこれから進む先の不気味さを演出していた。

 「入る前にもう一度二人に聞いておくが…、本当に進むか?」

 ローガンがアルトとアズサにそう聞いた。

 「今更かよ?」とアルト。

 「今だからだ。ここは多分、帰還限界点ポイントオブノーリターンではないけど、確実に分水嶺の一つだ。この一線を越えれば、もうお気楽な賞金稼ぎ生活とはいかない。確実に誰かに命を狙われるようになる。それでも行くか?」

 二人は、考える。少しの間だけ沈黙が広がる。

 「…行くよ。別に、引きこもって長生きしたいわけじゃない。何かのために命を使うのが生きるってことだ。ヴァシリもカタリーナもアンタらもそれを教えてくれようとしてるんだろ?行くよ、止まる理由はない」

 「私も行きますよ。私には親もいないし、そんなのがモスクワで普通に生きようったって無理な話でしょ?身寄りのない女は中毒者ジャンキーになって死ぬか、その前にレイプされて死ぬ。だったら一線でも二線でも超えて生き延びてやる。父さんに会えるチャンスが少しでもあるなら、相手が何だろうと戦いますよ」

 「まあ、ここで止まるようなお前たちではなかったな。覚悟ができてるっていうならそれでいいさ…」

 「行きましょう、師匠せんせい

 「携帯用のライトをつけろ。視界補助は効かなくなるから気をつけろよ」

 三人は闇への一歩を踏み出した。

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