アンダーグラウンド モスクワⅧ

 暗く、先の見えない通路を銀狼ローガンはひたすら走る。

 アズサどこだ?お前はタダでやられるようなやつじゃない、戦うだろ。戦うなら音が聞こえるはずだが。

 道はだんだん細くなって、分岐も増えてきて、上の通路とは異なる様相を呈してきた。

 「!」

 ローガンは立ち止まる。音がした。角を曲がった先の通路から。しかし、誰かと誰かが殴り合うような音ではなく、足音。アズサではない、そう思ったローガンは身を隠し様子を伺う。

 …足音が近づいてくる。指先サイズの鏡を使って、身を乗り出さずに誰が来ているのかを確認する。姿が見えた。漆黒のドロイド、その姿を見た刹那――

 「!!??」

 ――冷汗が噴き出す。見間違えでなければ、何故こんなところにいるんだ、ユーリ・ロマーノフが。



 その男を表す名は複数あった。英雄、不死身の男、人類最強、死神チェルノボグ

 墜落した隕石に接触するのは簡単な話ではなかった。爆心地のシベリア山中は、人類が隕石を発見した時には既に獰猛な機械獣ズヴェーリのテリトリーになっていた。人類は戦う必要があった。得体のしれない大量の機械仕掛けの獣たちをすべてなぎ倒す必要があった。

 一番最初に隕石の調査に行った部隊が無残な姿で発見されてから、ロシア国軍も本腰を入れて攻略に臨んだ。いくつもの部隊が編成され、何人もの兵士が投入された。自国領土内にミサイルを撃ち込むわけにもいかず、ほとんど白兵戦力のみで戦う必要があった。

 戦略は血と屍の上に築かれていった。兵士たちの命と引き換えに軍は情報を集めていった。機械獣ズヴェーリの習性を、効率のいい屠り方を、ダンジョンのこじ開け方を学んでいった。機械どもの巨大な領域となったシベリアを、人間は徐々に取り戻していった。そして死神チェルノボグは生まれた。鋼が何度も熱され、叩かれ、刃の鋭さを増すように。掛け合わされた毒物が、その致死性を増すように。虐げられ蔑まれ続けたものが復讐鬼となるように。

 ロシア陸軍特殊作戦群第4特務小隊。全ての任務にその部隊の名が載るようになった。その男たちは従事したすべての任務から帰還した。いつしか彼らはこう呼ばれるようになった、不死身の第4小隊と。そして隊長のユーリ・ロマーノフはいくつもの名をもって称えられた。

 彼らは機械獣ズヴェーリを退けた。巨大な隕石までの道を切り開いた。その後も湧いて出てくる機械獣ズヴェーリを寄せ付けなかった。彼らは負けなかった。彼らは勝ち続けた。人類がピュアドロイドと接触し、そのテクノロジーを得ていくと、隊員たちは機械の体を得て更なる戦いへと身を投じていった。

 シベリアを取り戻し、隕石を確保し、テクノロジーの恩恵が国民に行き渡っていくにつれて、彼らの活躍が噂されることもなくなっていった。彼らの過去の活躍は華々しい伝説として語り継がれる一方で、現在の消息については都市伝説めいた与太話だけが残ることになった。



 だが、その伝説が目の前にいる。賞金首同士の噂話にしかでてこない、人類最強の男が目の前にいる。

 死んだか、行方不明になったって分析をしてるやつがアメリカにもそこそこいたが…あてにならんな。こーして裏の仕事に従事してたわけだ…。とにかく、先に奴の存在に気づけたのは奇跡的だな。ばれないように回り道しなくては…。

 息をひそめて、音をたてないように、ローガンは来た道を引き返していった。



 防戦一方だった。こちらの攻撃はすべて難なくいなされて、相手の攻撃はなんとか防ぐので精いっぱいだ。

 「無駄な抵抗はやめろって。肌に傷がつくと、嫌がる客もいるんだから」

 相手は軽口をたたく余裕もある。こちらは呼吸をするのも精いっぱいなのに。それでも考えなくてはいけない。反撃の策を絞り出さなければいけない。酸素の十分に回っていない頭を、アズサは必死に回転させる。

 「めんどくせえな、ちょっとの傷くらい良いか」

 回転の遅い脳が答えをだすのを相手は待ってくれない。相手が少し本気を出すと、何をされたかもわからないうちに、両手を弾かれて、ガードをこじ開けられた。

 「あっ」

 終わった。そう思った瞬間に心は恐怖を抑えきれず、目を瞑ってしまった。

 「むっ」

 男の拳がアズサの顔面に届くことは無かった。何かを感じ取った男は素早く後ろを向き、振り下ろされたローガンの右拳を両手で受けた。

 「うちの弟子に――」

 ローガンは右手でそのまま相手の両腕を掴み、左手で素早く相手の服を掴み、体を沈ませ巴投げの要領で相手を後方へと投げ飛ばした。

 「!」

 投げられた機械ドロイドの男は、しかしきちっと受身を取り、素早く立ち上がった。

 「――何してくれとんじゃい!」

 銀狼と巨体の機械ドロイドは対峙した。かなりの実力を持った男だと、ローガンは感じていた。

 「師匠せんせい…」

 後ろから、めずらしく弱々しい声でアズサが声をかける。

 「悪いな遅くなって。すぐ走るぞ、準備しろ」

 「お前…知ってるぞ」対峙するドロイドもしゃべりかけてきた。

 「有名人だ、銀狼だな。今日はツいてる。高く売れそうな女とでかい賞金首の両方に出会えるとはな」

 「そうか。俺はお前なんか知らんぞ」

 「知らなくて当然だ…。お前、このダンジョンの存在も知らなかったんだろ?モスクワにはお前の知らない世界が山ほどある。賞金稼ぎはお前らみたいなやつだけじゃない。裏の世界も有るってこった」

 「ウザッ、聞いてねーし」ローガンが言い終わると同時くらいに、お互いにつっかけ、打撃戦が展開される。

 一挙手一投足は口ほどにものを言う。ローガンは、相手の技から少しばかりその背景のようなものを推し量っていた。

 戦場格闘術か?汚いダーティな打ち筋、こいつも元軍人だな。

 少しずつ技やリズムを変え、有効打を探る。だが、打ち方や受け方から情報を得ているのは相手も同様で、お互いに決定打を打てずにいた。長引けばがここに来るかもしれない。しかし、急いて仕留められる相手ではない。心の中に広がる焦りを、理性でうまくいなさなければならない。強敵との戦いだ。


 師匠たちの戦いを後ろで見ながら、アズサは苛立ちが心の中に積もっていくのを感じた。防御をはじかれた瞬間、どうして自分はあきらめてしまったんだ。

 二人の戦いを目で追う。吸収できるものを少しでも吸収しようとする。師匠と、師匠と互角の相手の動きを少しでも学ぼうとするが、どうしても悔しくなってくる。父に追いつくまで、戦い続けると誓ったはずなのに。どうして、どうして!クソ!ムカついてきた!


 硬い部分ヒジやヒザ主体の格闘、鳩尾や目を躊躇なく狙ってくる攻撃、戦場格闘術ってのは品がなくていけねえや。ただの賞金稼ぎではないローガンはそういった相手への戦い方も心得ている。硬い部分には硬い部分で対応。あえて同じ土俵で戦っていた。

 相手によって戦い方を微妙に変えていくスタイル。あえて癖を読まないように、頭では考えても、体は覚えてしまうはずだ。そろそろだろッ!

 顎を狙った、何の裏もない正拳が直撃する。

 「裏の読みすぎだ」

 そして、今の正拳で相手の顎に着けた小型の携帯用電磁バリアを展開させる。

 「グアッ!」

 電磁バリアが視覚デバイスと干渉して、視界にノイズが走る。巨漢のドロイドは、怯んで頭を下げた。それを見たアズサが、ドロイドに向かって走り出す。

 「アズサ、逃げるぞ…アズサ!?」

 アズサは、すでに自身の射程距離内まで踏み込んでいる。

 「オラァッッ!!」右の上段回し蹴りを憎きドロイドの頭に直撃させた。

 「ガアッ!!」巨漢がさらに膝をつく。

 「クソボケッ!」男を見下しながら、アズサは叫んだ。

 「血の気が!アズサ逃げるぞ!」

 ローガンの声を聴いて、アズサは踵を返して走り出し、二人は逃げていく。



 1分ほど経って、バリアに弾かれてホワイトアウトした機械ドロイドの男の視界が戻ってくる。二人の姿はすでに見えない。

 「クソ…逃げられたか。少しナメすぎたか…」独りごちながら立ち上がろうとした。

 「おや、これはこれは懐かしい顔もあったものだな」

 背後から聞き覚えのある声がした。忘れたくても忘れられない声。そうか、だから奴らは俺と戦わずに逃げたわけか…。諦観にも似た覚悟を抱いて、巨漢の機械ドロイドはゆっくりと振り向いた。

 「久しぶりだな、イワン。会えて嬉しいよ」死神が立っている。

 「…俺は嬉しくありませんよ、隊長」イワンと呼ばれた巨漢のドロイドが返事をする。

 死神は冷たいまなざしで、かつて部下だった男を見つめている。

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